いい音爆音アワー vol.121「3文字バンド♪大集合」
ただし、それが一般名詞とか単語になっているのは除く。
たとえば、” Yes”とか” War”などですね。
つまり、基本は3ワードの頭文字ですが、さらに、それが「通称」として使われているものに限る。
たとえば、”Three Dog Night”は”TDN”とは呼ばないし、”Black Eyed Peas”は”BEP”とは言いません。なので除外。
微妙なのは“Southern All Stars”。略称「SAS」は公式に認められており、文章にもよく見ますが、口頭ではまず使わないので、✕にしてみました。
セットリスト
▶3人の名前のイニシャルで3文字- ①PPM「If I Had a Hammer (The Hammer Song)(天使のハンマー)」ボブ・ディランもジョン・デンバーも彼らのカヴァーがヒットしたことで世に出たのだ♪
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2nd シングル(1962年7月発売)
ピーター・ポール&マリー:
1st アルバム『Peter, Paul and Mary』(1962年5月発売)収録
作詞・作曲:Pete Seeger, Lee Hays/プロデュース:Albert Grossman
カヴァー:オリジナルはThe Weavers(1950年3月)
レーベル:Warner Bros.
全米10位 アルバムは全米1位
*PPM =Peter, Paul and Mary
ピーター・ヤーロウ(Peter Yarrow):テナー(男性高域) 1938年5月31日、ニューヨーク市生まれ
ノエル・ポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey):バリトン(男性中域) 1937年12月30日、メリーランド州ボルティモア生まれ
マリー・トラヴァース(Mary Travers):アルト(女性低域) 1936年11月9日、ケンタッキー州ルイヴィル生まれ〜2009年9月16日、死去。
マネージャーのアルバート・グロスマンがオーディションを経て、1961年に結成。グロスマンは早速、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス「The Bitter End」に出演させた。ここはフォークソングを聴かせる人気の店だった。
1962年4月、「レモン・トゥリー」でデビュー。
同年5月、1st アルバム『Peter, Paul and Mary』をリリース。「500マイル」、「レモン・トゥリー」、「花はどこへ行った」、そしてピート・シーガーのヒット曲「天使のハンマー(ハンマーソング)」が含まれたこのアルバムは、全米1位、トップ10に10ヶ月、トップ100に3年以上にわたり留まった。
1963年6月、ボブ・ディラン「風に吹かれて」のカバーをリリース。全米2位。
同年8月28日、マーティン・ルーサー・キングの演説「I Have a Dream」で有名な「ワシントン大行進」では、「天使のハンマー」が歌われた。
1967年3月発売のアルバム『Album 1700』において、当時無名だったジョン・デンバーの「Leaving on a Jet Plane(悲しみのジェット・プレーン)」をカバー。1969年9月にはシングルカットされ、全米1位の大ヒット。
1970年、ソロ活動のために解散。
1978年、原発反対運動の支援コンサートのために再結成。以降、年間40回のコンサートを毎年行っていく。
2005年、マリー・トラヴァースが白血病と診断され、その年のコンサートツアーはキャンセル。
2009年9月16日、マリーが、白血病のためコネティカット州ダンベリーの病院で死去。72歳没。
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- ②BBA「Superstition(迷信)」バンド名を考えないジェフ・ベック。BBAも名前を並べただけ。
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1st アルバム『Beck, Bogert & Appice 』(1973年4月6日発売)収録
ベック、ボガード&アピス:
作詞・作曲:Stevie Wonder/プロデュース:Don Nix, Beck, Bogert & Appice
レーベル:Epic
*BBA =Beck, Bogert & Appice
・lead vocal: Tim Bogert
ジェフ・ベック(Jeff Beck) : guitar 1944年6月24日、ロンドン生まれ
ティム・ボガート(Tim Bogert) : bass, vocal 1944年8月27日、ニューヨーク生まれ〜2021年1月13日、死去
カーマイン・アピス(Carmine Appice) : drums, vocal 1946年12月15日、ニューヨーク生まれ"
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- ③CSN「Wooden Ships(木の船)」この3人は仲がいい。Youngは気まぐれ。
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1st アルバム『Crosby, Stills & Nash』(1969年5月29日発売)収録
クロスビー、スティルス&ナッシュ:
作詞・作曲:
David Crosby, Paul Kantner, Stephen Stills/プロデュース:Crosby, Stills & Nash
レーベル:Atlantic
アルバムは全米6位、全英25位
*CSN =Crosby, Stills & Nash
・lead vocals: Crosby(左) with Stills(右)
・Paul Kantnerは"Jefferson Airplane"の創設メンバー(vo,g)
・アルバム・ジャケットの裏面で窓から顔が見えるのはドラマーのDallas Taylor
デイヴィッド・クロスビー(David Crosby) 1941年8月14日、ロサンゼルス生まれ
ステファン・スティルス(Stephen Stills) 1945年1月3日、米国テキサス州ダラス生まれ
グレアム・ナッシュ(Graham Nash) 1942年2月2日、英国ブラックプール生まれ"
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- ④ELP「The Sheriff」コージー・パウエル時代は“ELP”を名乗らせなかったカール・バーマー。
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3rd アルバム『Trilogy』(1972年7月6日発売)収録
エマーソン、レイク&パーマー:
作詞:Greg Lake/作曲:Keith Emerson/プロデュース:Greg Lake
レーベル:Island
アルバムは全英2位、全米5位
*ELP = Emerson, Lake & Palmer
キース・エマーソン(Keith Emerson) : keyboards 元“The Nice”1944年11月2日、英国ヨークシャー州トッドモーデン生まれ〜2016年3月11日没
グレッグ・レイク(Greg Lake) : bass, vocal, guitar 元“King Crimson”1947年11月10日、英国ドーセット州プール生まれ〜2016年12月7日没
カール・パーマー(Carl Palmer) : drums 元“Atomic Rooster”1950年3月20日、英国バーミンガム市生まれ
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- ⑤HIS「恋人はいない」全く畑違いの才人3人によって、大きな三角形ができた。
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先行シングル「夜空の誓い」のB面(1991年6月28日発売)
細野晴臣 1947年7月9日、東京都港区生まれ
アルバム『日本の人』(1991年7月19日発売)収録
作詞・作曲:忌野清志郎/プロデュース:細野晴臣
レーベル:EMIミュージック・ジャパン
アルバムはオリコン7位
*HIS =Hosonno晴臣、Imawano清志郎、Sakamoto冬美のイニシャル
忌野清志郎 1951年4月2日、東京都中野区生まれ〜2009年5月2日、58歳没
坂本冬美 1967年3月30日、和歌山県西牟婁郡上富田町生まれ
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▶イニシャルではなく、なんとなくな3文字
- ⑥R.E.M.「Shiny Happy People」カルトバンドからスーパーグループに変貌を遂げたアルバム『Out of Time』より。
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第2弾シングル(1991年5月6日発売)
アールイーエム:
7th アルバム『Out of Time』(1991年3月12日発売)収録
作詞・作曲:Bill Berry, Peter Buck, Mike Mills and Michael Stipe/プロデュース:Scott Litt, R.E.M.
レーベル:Warner Bros.
全米10位、全英6位 アルバムは全米1位、全英1位
*「rapid eye movement(急速眼球運動)」(眠っているけど眼球が激しく動く現象/夢を見ていると考えられている)は「REM」だが、メンバーはその意味ではないと言ってる(何の意味かは明かしていない)。
・この曲にはゲスト・ボーカルとして“B-52’s”のKate Pierson(同じジョージア州アセンズ出身)が参加。彼女はMVにも出演。
・1992年のグラミー賞で、アルバムが「Best Alternative Music Album」、シングル「Losing My Religion」が「Best Short Form Music Video」と「Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocal」を獲得した。
1980年、ジョージア大学の同級生だった4人によって結成、2011年に円満解散。
マイケル・スタイプ(Michael Stipe) : vocal
ピーター・バック(Peter Buck) : guitar, mandolin
マイク・ミルズ(Mike Mills) : bass, piano
ビル・ベリー(Bill Berry) : drums(1997年脱退)
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- ⑦WAX「Wherever You Are」英米の奇才がデュオで生み出した良質ポップは売上が伴わなかった。
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リード・シングル(1989年発売)
ワックス:
3rd アルバム『A Hundred Thousand in Fresh Notes』(1989年9月22日発売)収録
作詞・作曲:Andrew Gold & Graham Gouldman/プロデュース:Peter Collins
レーベル:RCA
*WAXは「蠟」だけど、その意味のバンド名ではなく、ふたりがユニットを組んで、最初にシングルを発売した時の名前が“World in Action”で、それを縮めて「WAX」にしたのでは?と推測。
アンドリュー・ゴールド(Andrew Gold) 1951年8月2日、米国カリフォルニア州バーバンク生まれ〜2011年6月3日没
グレアム・グールドマン(Graham Gouldman) 1946年5月10日、英国ランカシャー州生まれ
70年代はロサンゼルスでカーラ・ボノフらがいた“Bryndle”のメンバー、そしてリンダ・ロンシュタットのアレンジャー、ミュージシャンとして活躍したアメリカ人のアンドリュー・ゴールドが、10ccのメンバーだったグレアム・グールドマンと1983年に結成したユニット。10ccはその年に一旦解散。
1986年、RCAからデビュー、89年までに3枚のアルバムをリリースするも、大きくは売れず、3作目の『A Hundred Thousand in Fresh Notes』はさらに売れなかったので、それで一旦WAXは活動停止。
その後再結成された10ccにゴールドが参加したり、10ccが再解散した後も、WAX名義でいくつかアルバムをリリースする。
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- ⑧XTC「The Mayor of Simpleton」最初はレゲエだったらしいこの曲。シンプルに聴こえるが、実はすごく凝っている。
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先行シングル(1989年1月発売)
エックスティーシー:
9th アルバム『Oranges & Lemons』(1989年2月27日)収録
作詞・作曲:Andy Partridge/プロデュース:Paul Fox
レーベル:Virgin(US) / Geffen(US)
全英46位、全米72位、米Alternative Songsチャート1位 アルバムは全英28位、全米44位
*XTC:“ecstasy”をもじったもの
・drums: Pat Mastelotto(元“Mr. Mister”)
・バンド唯一の全米チャート・ランクイン・シングル。
・「Oranges & Lemons」というタイトルは、同じタイトルの英国の童謡からいただいたもの。
英国ウィルトシャー州スウィンドン出身のロック・バンド
アンディ・パートリッジ(Andy Partridge) : vocal, guitar 195311月11日、マルタ生まれ(両親の故郷はスウィンドン)
コリン・ムールディング(Colin Moulding) : bass 1955年8月13日、スウィンドン生まれ 結成→2006月11月
テリー・チェンバーズ(Terry Chambers) : drums 1955年7月16日、スウィンドン生まれ 1973年→1982年9月
バリー・アンドリュース(Barry Andrews) : keyboards 1956年9月12日、ウエスト・ノーウッド生まれ 1976年→1979年1月
デイヴ・グレゴリー(Dave Gregory) : guitar, keyboards 1952年9月21日、スウィンドン生まれ 1979年3月→1998年3月
1977年10月、Virgin Recordsよりシングル「Science Fiction」でデビュー。
1978年1月20日、1st アルバム『White Music』リリース。
同年10月6日、2nd アルバム『Go 2』リリース。
1979年1月、キーボードのバリー・アンドリュースが脱退。後任候補にトーマス・ドルビーの名前も上がるが、デイブ・グレゴリーが加入。
1979年8月17日、3rd アルバム『Drums and Wires』リリース。
1980年9月12日、4th アルバム『Black Sea』リリース。
1982年2月12日、5th アルバム『English Settlement』リリース。
同年4月、ワールド・ツアー中のロスでのショーを突然キャンセル、以降のツアーをすべて取り止めた。パートリッジが強度のステージ恐怖症に陥ったのが原因。以後XTCは若干の公録番組やテレビ出演以外のライブ活動から撤退し、音源制作に専念する。
1983年8月30日、6th アルバム『Mummer』リリース。制作中にテリー・チェンバースが脱退。後任ドラマーは定めず、曲によっていろんなドラマーを起用していく。
1984年10月15日、7th アルバム『The Big Express』リリース。
1986年10月27日、トッド・ラングレンTodd Rundgrenにプロデュースを依頼した8th アルバム『Skylarking』をリリース。ラングレンとパートリッジの顔合わせにファンは大いに期待したが、二人はまったく噛み合わなかった。
1989年2月27日、9th アルバム『Oranges and Lemons』リリース。
1992年4月27日、10th アルバム『Nonsuch』リリース。
1992〜1998年、Virginと揉めて、新しいプロダクツを一切出せなかった。"
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▶3ワードのイニシャルで3文字
- ⑨CCR「Someday Never Comes」たくさんのヒット曲を持つ著名バンドなのに、活動期間は4年足らず!
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第2弾シングル(1972年5月発売)
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル:
7th アルバム『Mardi Gras』(1972年4月11日発売)収録
作詞・作曲:John Fogerty/プロデュース:Doug Clifford, Stu Cook, John Fogerty
レーベル:Fantasy
全米25位 アルバムは全米12位
*CCR =Creedence Clearwater Revival
“Creedence”はトムの友人に“Credence Newball”という人が居たのと、“credence”=信用、“creed”=信条という意味を込めて。“Clearwater”はビール会社「Olympia Brewing Company」のTVCMを観ていて。“Revival”は再出発という意味を込めて。
ジョン・フォガティ(John Fogerty) : lead vocal, lead guitar 1945年5月28日生まれ
トム・フォガティ(Tom Fogerty) : rhythm guitar 1941年11月9日生まれ
ステュ・クック(Stu Cook) : bass 1945年4月25日生まれ
ダグ・クリフォード(Doug Clifford) : drums 1945年4月24日生まれ
全員、サンフランシスコのベイエリア、El Cerrito(カリフォルニア州コントラコスタ郡)出身。
結成自体は1959年で、最初のうちは“The Blue Velvets”と名乗り、トムが歌い、彼を中心としたバンドだったが、徐々にジョンの才能が開花していく。
1964年、Fantasyというレーベルと契約したが、その時の経営者から“The Golliwogs”という名前にされ、これで67年まで活動。しかも、シングルのみしか出してもらえなかった。
1968年にレーベル・オーナーが変わり、名前も替えていいことになって、“Creedence Clearwater Revival”を考え出し、再出発。
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- ⑩BS&T「Spinning Wheel」実力あるバンドなんだけど、結局これを超える曲がつくれなかった。
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第2弾シングル(1969年5月発売)
ブラッド、スウェット&ティアーズ:
2nd アルバム『Blood, Sweat & Tears』(1968年12月11日発売)収録
作詞・作曲:David Clayton-Thomas/プロデュース:James William Guercio
レーベル:Rolling Stones
全米2位、米ACチャート1位 アルバムは全米1、全英15位
*BS&T =B lood, Sweat & Tears
Johnny Cashのアルバム『Blood, Sweat and Tears』(1963)から拝借。さらにそれは1940年にドイツとの戦いを鼓舞したウィンストン・チャーチル首相の名言「I have nothing to offer but blood, toil, tears, and sweat.」(血と苦労と涙と汗しか与えることができません)から引用している。
・アルバムは1970年のグラミー賞で「Album of the Year」をビートルズの『Abbey Road』、CSNの『Crosby, Stills & Nash』らを押さえて受賞。
・本アルバムからはこの曲、「You've Made Me So Very Happy」「And When I Die」の3曲が全米シングルチャート2位。
60年代の終わりから70年代、“Chicago”と人気を二分したブラス・ロック・バンド(BS&Tのほうがデビューが1年早い)。
最初はブルース・キーボーディストのアル・クーパー(Al Kooper)が中心となって1968年2月、アルバム『Child Is Father to the Man(子供は人類の父である)』でデビューしたが、彼のやり方がイヤだったボビー・クロムビー(Bobby Colomby: dr)とスティーヴ・カッツ(Steve Katz: g)がうまくクーパーを追い出す。
ブラス・ロックのプロデュースをやらせたら右に出る者はいないというジェイムズ・ウィリアム・ガルシオ(James William Guercio)にプロデュースを依頼して、2ndアルバム『Blood, Sweat & Tears』を68年12月にリリース。このアルバムは全米1位、さらに全米2位のシングルを3枚も出して、大ヒット。
その後、ガルシオはシカゴに専念してしまうので、BS&Tはコロムビーが主にプロデュースしていく。決して悪くないが、やはりガルシオはヒット曲つくりが天才的、結局この2ndがBS&Tのいちばん成功したアルバムとなった。
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- ⑪BTS「여기 봐 / Look here」ビルボードHot 100、5曲連続1位(現時点)は、とてつもない大事件だ。
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1st アルバム『DARK & WILD』(2014年8月19日発売)収録
ぼうだんしょうねんだん:
作詞・作曲:Lee Ho Hyoung, Jinbo, RM, Suga, J-Hope/プロデュース:Lee Ho Hyoung
レーベル:Big Hit
アルバムは韓国2位、全米World Albumsチャート3位
*BTS:“防弾少年団”の韓国語読み「BangTan Sonyeondan」から。世界進出を視野に2017年からメインで使用。「Beyond The Scene」という意味も新たに付与。
2013年6月12日、Big Hit Entertainment(現 BIGHIT MUSIC)から、シングル・アルバム『2 COOL 4 SKOOL』をリリースしてデビュー。
2020年8月にリリースされた「Dynamite」から「Savage Love」、「Life Goes On」、「Butter」、「Permission to Dance」と5曲連続、ビルボードHot 100の首位を獲得という快進撃の真っ最中。
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- ⑫OMD「Enola Gay(エノラ・ゲイの悲劇)」広島に原爆を落としたB-29の名前を知らない英国人は「ゲイ」の歌と間違えた。
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5th シングル(1980年9月26日発売)
オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク:
2nd アルバム『Organisation』(1980年10月24日発売)収録
作詞・作曲:Andy McCluskey/プロデュース:OMD & Mike Howlett
レーベル:Dindisc (Virgin)
全英8位 アルバムは全英6位
*OMD =Orchestral Manoeuvres in the Dark(闇の組織的機動作戦)
アンディ・マクラスキーのベッドルームの壁に書いてあった歌詞の断片やアイデアから拾い集めた言葉だったが、「パンクバンドと間違われないように」という意図もあった。
・「エノラ・ゲイ」とは1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾「リトルボーイ」を投下した米軍爆撃機B-29の愛称。原爆投下を批判する歌。
・しかし「ゲイ」というタイトルから、同性愛の賛歌だと誤解されて、BBCなどは放送禁止に。だけどヒットした。
アンディ・マクラスキー(Andy McCluskey) : bass, keyboards, vocal (1978–96, 2006–)
ポール・ハンフリーズ(Paul Humphreys) : keyboards, vocal (1978–89, 2006–)
マーティン・クーパー(Martin Cooper) : keyboards, sax (1980–89, 2006–)
マルコム・ホームズ(Malcolm Holmes) : drums, percussion (1980–89, 2006–2015)
リバプールに近いウィラル半島の出身者で、小学校時代からの友人同士、アンディ・マクラスキーとポール・ハンフリーズが、1977年頃からデュオで始めたバンド。ドイツの“Kraftwerk”に強く感化されて、電子音楽を目指した。4トラックのオープンリール・テープレコーダーでサウンドを鳴らしながらのライブは当時としては珍しく、評判となって、Virgin傘下のDindiscと契約、1980年2月にセルフタイトル・アルバムでデビューした。
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- ⑬ARB「Many Images 〜A MAN IN THE WIND〜」第3期ARBの、ちょっと意外な美しいメロディが耳に残る佳曲♪
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11th アルバム『PAPERS BED』(1988年6月21日発売)収録
エーアールビー:
作詞:石橋凌&白浜久/作曲:浅田孟/プロデュース:ARB
レーベル:Invitation(ビクター音楽産業)
*ARB =Alexander's Ragtime Band(Irving Berlin作のジャズのスタンダード曲のタイトルから)
1977年に結成して78年にデビュー。最初の事務所シンコーミュージックがアイドルグループ風に売り出そうとして、デビュー1年後には、独立。
80年代という時期には珍しく、戦争や労働者、社会の在り方などをテーマにした曲を数多く発表し、社会派バンドとも呼ばれた。
1990年、石橋凌が役者転向を宣言して、ARBは解散。98年に再結成。
90年の解散までにギタリストが3人。初代が田中一郎、2代目斉藤光浩(元“BOWWOW”)、3代目白浜久。いずれも個性派ゆえに、サウンド全体の感じもそれに連れて変わり、その順にARBの1期、2期、3期と呼ばれている。
2nd アルバムあたりまでは“Alexander's Ragtime Band”とも名乗っていたが、その後“ARB”だけに統一している。
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- ⑭YMO「Behind the Mask」この曲の頃はホントはまだ"Yellow Magic Orchestra"あるいは"Y.M.O."
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2nd アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年9月25日発売)収録
作詞:Chris Mosdell/作曲:坂本龍一/プロデュース:細野晴臣
レーベル:アルファ・レコード
アルバムはオリコン1位
*YMO =Yellow Magic Orchestra
白魔術でも黒魔術でもない黄色人種の魔術を使う楽団。細野晴臣が考えたこのコンセプトは既に、1975年11月25日発売のティン・パン・アレーのアルバム『キャラメル・ママ』収録曲、「イエロー・マジック・カーニバル」で登場。また、1978年4月25日発売のアルバム 『はらいそ』は“細野晴臣 & イエロー・マジック・バンド”名義だった。5th アルバム『BGM』に初めて"YMO"という表記がされた。それまでは"Y.M.O."とドットを入れるのが一般的だった。
・実は「Behind the Mask」は、1st アルバム発売2ヶ月前(78年9月)のデビュー・ライブでもう演奏されていた。
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- ⑮EWF「Sing a Song」“土と風と火”だなんて大袈裟な名前だと思っていたら、モーリスの星座からだった。
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第1弾シングル(1975年11月発売)
アース、ウインド&ファイア:
アルバム『Gratitude』(1975年11月11日発売)収録
作詞・作曲:Al McKay, Maurice White/プロデュース:Maurice White, Charles Stepney
レーベル:Columbia
全米5位、Hot Soul Singlesチャート1位 アルバムは全米1位
*EWF (EW&F) =Earth, Wind & Fire
日本では「アース」がふつうで、「EWF」とは呼ばないので、冒頭ルールの「サザンオールスターズ」パターンかもしれませんが、アメリカ人は「EWF」を使うかも?四大元素=火・水・風・土。モーリス・ホワイトの星座である射手座は基本の元素が「火」で、季節的な元素が北半球では「土」、南半球では「風」であることから。
BS&Tに影響されたという説もある。
・これもジャケットは長岡秀星。
1969年に結成したときは“The Salty Peppers”という名前だった。ワーナーと契約できたのをきっかけに70年、“Earth, Wind & Fire”と改称。
ワーナーでは2枚アルバムを出したもののパッとせず、1972年、Columbiaに移籍してから売れ始める。
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- ⑯ELO「Sweet Talkin' Woman」ELOの名前とコンセプトを考えたロイ・ウッドは2ndアルバム制作中になぜか脱退。
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第3弾シングル(1978年2月発売)
エレクトリック・ライト・オーケストラ:
7th アルバム『Out of the Blue』(1977年10月3日発売)収録
作詞・作曲・プロデュース:Jeff Lynne
レーベル:Jet (UK) / United Artists→CBS (1978〜) (US)
全英6位、全米17位 アルバムは全英4位、全米4位、オリコン32位
*ELO = Electric Light Orchestra
・2枚組アルバム
・アルバムのイラストは長岡秀星。ジャケットデザインと「ELOロゴ」はKosh。円盤と「ELOロゴ」は6th アルバム『A New World Record』から使用。
・5th『Face the Music』以降、今回もレコーディングはミュンヘンのMusicland Studios
“The Move”にいたロイ・ウッドが、1969年、「クラシックを導入したハードロック」をやるバンドを構想して、その仮の名前として“The Electric Light Orchestra”を考案、友人だったジェフ・リンを誘う。
1971年12月、ELOは1st アルバム『The Electric Light Orchestra』をリリース。
2ndを制作中に、なぜかウッドは脱退してしまう。
4thアルバム『Eldorado』(1974)あたりから売れ始め、1977年10月発売の7th『Out of the Blue』は、2枚組なのに予約だけで400万枚売れた。ジェフ・リンがアルプスの山小屋を借りて、そこに籠もり、3週間半ですべての曲をつくったらしい。
「Sweet Talkin' Woman」は彼らが初めてディスコサウンドに取り組んだ作品で、ELOの人気を一段高めただいじな曲。
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