【コラム】わがままチューバ吹きは、今日も木管楽器に憧れる
吹奏楽をやってると、「これ吹いたことないなあ」と思いながら聴いた曲に、“吹き覚え”があって戸惑ったりする。また、聴き過ぎて吹いたような気になっている曲もある。「この曲絶対吹いたことあるけど、どこで吹いたっけ?」なんて考えだしたら止まらない。「アルヴァマー序曲」、絶対吹いたことあるんだけど、いつ、どこで吹いたっけ?
「この曲聴くの大好きだけど、これまで吹く機会無かったし、これからも無いんだろうなあ」という「憧れの曲」って、吹奏楽人間ならばみんな何かしらあると思う。そういう曲って、ソロ楽器だったら何とかなるのだ。以前テレビで“リストの難曲「ラ・カンパネラ」を数年がかりで習得した方”が放送されて話題を呼んだが、ピアノやギター等では「1日1小節ずつ練習して、数年かけて1曲を完成させる」という趣味を持つ方がたまにいる。
だが、そうもいかないのが吹奏楽。というかふたり以上で演奏する場合、必ず奏者の「熟練度」を考慮しなくちゃいけない。まあ2~5人くらい、つまり“バンド”や“ユニット”の範囲内の人数であれば背伸びもできる。が、10人、20人と共同作業者の数が増えると、当然ながら考えなくちゃいけないことも増えていく。それに、どんなにハイレベルなバンドでも、個々の希望した選曲が100%反映されることはなかなか無い。
私はわがままチューバ吹きなので、やりたい曲がいっぱいあった。A.リードの曲は全部演奏したかったし、金管アンサンブルや混合アンサンブルは、あと100曲くらい吹きたかった。「コンクールが年に10回あったら、難しい曲がいっぱい吹けるのに……」と妄言を吐くこともある。
ちなみに、低音楽器奏者には「低音がメロディーやる曲が好きな人」と「ベースラインを演奏してて楽しい曲が好きな人」がおり、私は後者だった。チューバは合奏のために作られた楽器といって過言ではない。その魅力が最も引き出されるのは、やはりベースラインを吹いているときだろう。「オーメンズ・オブ・ラブ」なんてほぼ「シ♭」の音吹いてるけど、めちゃめちゃ楽しいのだ。
そういう感じなので、私が「吹きたかったけど吹けてない」曲は、必ずしも「チューバにメロディがある曲」とは限らない。ただ、今まで吹いた中で一番好きな曲はJ.P.スーザの「星条旗よ永遠なれ」とA.リードの「エル・カミーノ・レアル」なので、若干“欲望”が透けて見えている。
さて、そんな私が最初に出会った「吹きたかった曲」は、中橋愛生作曲の「科戸の鵲巣~吹奏楽のための祝典序曲」だった。「タイトルが難しい吹奏楽曲は曲調がカッコイイ」という法則通り、もうめちゃくちゃカッコイイ。シリアスで神々しい、吹奏楽の歓びを煮詰めたような主題たち。それらを縫い留める謎めいた和声。「なんて凄い曲なんだ、これが吹奏楽か」と心が震えた。
私は木管楽器のポルタメントを、「科戸の鵲巣」で始めて聞いた。なにこれ超かっこいい。もっと聴きたい。生で聴きたい。そう思っているけれど、ポルタメント奏法が使われた曲を吹けたことは残念ながら一度も無い。
まあ使われている曲を吹けたところで、私の担当楽器はチューバなので、他力本願になるわけだが。これじゃあわがままチューバ吹きというより迷惑チューバ吹きである。解説動画がいっぱいある辺り、難しい技法なんだろうなあ。
尊敬してやまない真島俊夫が作曲した「三つのジャポニスム」に強烈に憧れているのも、ポルタメント(ベンド?)が使われているから、というのがある。第2曲「雪の川」のソプラノサックスソロ、ここは特殊奏法を入れなくてもメロディとして成立するし、事実ほかの楽器は同じメロディをストレートに演奏しているが、ソプラノサックスソロに敢えて下降音を入れるセンスがたまらない。
「科戸の鵲巣」や「三つのジャポニスム」といった繊細な大曲は、上手い市民バンドでもそう頻繁には演奏されない。私が所属していた市民吹奏楽団は、コンクールに参加せず「良い演奏して良い酒飲もう」という目標のもとに活動していたので、繊細な曲はあまり選曲されなかった。チューバのエキストラが必要な際は是非声をかけて、と言いたいところだが、この2曲を演奏できるようなバンドにチューバが不足しているとは思えない。悩ましいところである。
そういう意味では、ロバート・W・スミス作曲「海の男達の歌」は、憧れている曲たちの中でも何度か演奏曲候補に挙がる作品だった。しかし運悪く吹けていない。まあ、この曲が吹きたい一番の理由は「パーカッションの人がザル回してるところが見たい」という邪なものなので、そんな人間だから吹けないんだと思う。
でも、「そういうの」って結構あるよね。たとえばチャイコフスキーの大序曲「1812年」を吹いてみたい人の中には、「大砲の音の処理をどうするのか知りたいから吹きたい」という人がいる。曲内のコールを叫びたいから「エル・クンバンチェロ」「テキーラ」を吹きたい人もいっぱいいる。「吹きたい曲の吹きたい理由」なんて、そんな感じでも良いのだ。願望なんだから言うだけタダ。夢はでっかい方が良い。あー、スミスの「華麗なる舞曲」が吹きたいなあ。
逆に「市民吹奏楽団ではあまり演奏されないから、学生のときに吹き逃したら多分一生吹けない曲」というのもある。私の場合は、これがライニキーの「ピラトゥス:ドラゴンの山」だった。この曲、聴衆にとってハイカロリーな割には難易度が低めなので、数時間にわたる演奏会での扱いが意外と難しいのだ。メインに置くには簡単すぎるし、サブに置くには少々贅沢。「聞く分にはメイン曲、吹く分には割と手軽」という秀逸な難易度設定だからこそ起こる出来事である。
そういえば、中学3年生の夏の吹奏楽コンクールの時は、近隣の学校がみんな樽屋雅徳の作品を選んでいた。自分の学校が「ベンスルダトゥの3つの冠」、隣が「ペドロの奇跡の夜」、そのまた隣が「斐伊川に流るるクシナダ姫の涙」。確か「“アニー・ムーア”選んでたら、あの学校とカブってたね」的な会話もしたので、「アニー・ムーアの祈りの詩」を吹いた学校もあったと思う。局所的“樽屋雅徳・人名曲ブーム”だ。
樽屋雅徳作品のタイトルには、結構な割合で“人名”が入っている。ゆえに曲名も“人名”で呼ばれることが多く、吹奏楽経験者の中では「樽屋さんの曲で何吹いたことある?私はマゼランとマードック」「僕はノアとラザロ」という会話がたまに聞かれる。演奏機会の多い作曲家ならではの会話だ。あなたは“何人”吹きました?
「憧れ曲」とは別に、「あの曲は吹いたことあるけど、もう一度やり直したい」と胸に抱える「後悔曲」というのもある。これは演奏が難しい曲とか、コンクール用の曲とか、そういうものに限らない。簡単な曲でも、ポップスのアレンジでも後悔は生まれる。「あの頃は周囲の音を聴いている余裕が無かったから、もう一度バンドの中であの曲を吹きたい!」「あの曲のソロで大失敗したから、もう一度やり直したい!」なんて曲は誰だって1曲くらいあると思う。
私の最大の後悔曲は、中学2年生の夏のコンクールで吹いた海外の作曲家の作品だ。B部門(小編成)でこの曲を吹いた学校が歴史上2校しか存在しないらしいので、曲名は明かせない。ただ、「誰もが知る民話をモチーフに描かれた、3楽章仕立てのグレード5の作品」とだけ紹介させていただきたい。
この曲は各楽器のソロの絡み合いや、アラビア音階でのメロディー、ベルトーンの多用、プログレみたいに複雑なリズムに不協和音、金管のハイトーンの嵐と、中学生にはかなりの難曲だった。本来ならば50人くらいで演奏するように指定・想定されてる曲だけど、私たちはこれを30人以下の小編成で、しかも13分超の曲を7分以下に細かくカットして、全楽章演奏した。
今から思えば無謀にも程がある。半分近くもカットしたので、結局ダイジェスト版みたいな仕上がりになったのは、大きな痛手だった。奇妙な転調、拍子・テンポの急変も多々。まあ聞きどころは押さえていたし、演奏は決して下手ではなかった。自分たちの挑戦のことは今でも誇りに思っている。
しかし、楽器も人間も足りていない状況では、指揮者も奏者も余裕ゼロ。こうなると「どこかでもう一度やり直したい」と思って当然である。しかし曲がマイナーかつ難曲ということで、「思い出の曲をもう一度」的な性質のある市民吹奏楽団では演奏されにくく、もう二度と吹ける気がしない。思い出すたび後悔に沈むばかりだ。
「この一瞬、悔いの無いように」なんて言うけれど、真面目にやっている限り、後悔は残るものである。「あの曲が吹きたかった」「あの曲をもっとちゃんとやりたかった」という類の後悔なんて、どんなに完璧な演奏をしても残る。プロでも日々後悔する。「我が生涯に一片の悔い無し」なんて、そうそう言えるものではない。
けれど、その後悔が夢や憧れを作る。「ああ楽しかった!」の後に「だけど……」があるからこそ、私たちは音楽を続けられるんだと思う。「今回はこの音が出なかった、次は絶対出してやる」「ソロでビビっちゃった。次は上手くやる」「合奏が足りなかった、次はもっと合奏を」「学生時代にはあの曲が吹けなかった、市民楽団入ってチャンスを伺おう」みたいに。
だが、どうにもならない悔しさが憧れを上回ったとき、熱意はどんどん蝕まれていく。コロナ禍でコンクールや演奏会が次々に中止となり、先の見通しもつかない今、全国の吹奏楽部員たちの中には、夢や憧れの形を見失ってしまったひともいると思う。そんな自分を決して責めないでほしい。落ち込んで当たり前だ。それでも無理して前を向き続けると、首が痛くなってしまう。
吹きたかった曲、いつか絶対やりたい曲、吹くはずだった曲。その名前を書き出して、友達と「やりたい!吹きたい!叩きたい!」と叫び合ってみたり、どうしてもやりたい曲のプレゼン資料を作ってみたり。そんなことをしながら「憧れ」を育てていけば、それはきっと夢の実現に繋がる。
大事なのは「情熱の炎を消さないように頑張ること」ではなく、「憧れを抱き続けること」だ。あなたにもし憧れの曲があったら、ぜひそれを教えてほしい。もしかしたらそれが、生涯にわたる誰かの夢を作るかもしれないから。
12月11日(金)~12月13日(日)まで行われる<2020楽器フェア オンライン>では、管・弦・打楽器や様々な楽譜の情報が揃っている。12月13日(日)には、東京吹奏楽団によるバンドアンサンブルセミナーがBARKSのオフィシャルYouTubeチャンネルで行われるので、ぜひチェックしてほしい。
文◎安藤さやか(BARKS編集部)
■<2020楽器フェア オンライン>
主催:一般社団法人全国楽器協会
運営/協力:2020 楽器フェア運営委員会 各部会長、ジャパンミュージックネットワーク株式会社
BARKSオフィシャルYouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCgvMdackJGkrEsqCiUEHkbg/featured
◆<2020楽器フェア オンライン>
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