【レポート+インタビュー】J、バースデーライヴと限定シングルと次の約束「新たな扉が開いたような感覚がある」
毎年、同じ場所で、同じ記念日を祝うということ。それは宴の主人公だけのためのものではなく、同じ瞬間を共有することを願う人たちすべてにとっての約束が果たされる機会でもある。2020年8月12日、Jはマイナビ赤坂BLITZに居た。去年も、一昨年もそうだったように。
◆J 画像
ミュージシャンたちにとってステージという場で誕生日を迎えられることは、いくぶんの照れくささや気恥ずかしい感情が混ざることがあったとしても、やはり至上の歓びであるはずだ。なにしろ自らにとってのホームというべき場所で、自分自身が現在進行形のまま新たな年齢を迎えたことを実感することができるうえに、その音楽や姿勢に共鳴する人たちとそのひとときを共有することができるのだから。彼はときどきステージを去る間際に「次に会う時まで、何があってもくたばるんじゃねえぞ!」と客席に呼びかけることがある。それは観衆に対するエールであると同時に、その時まで自分も走り続けるという約束でもあるのだ。
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■<BLITZ 5DAYS FINAL>レポート
■「まだまだ全速力で走って行ける場所が」
そして毎年のように重ねられてきた恒例のバースデー・ライヴは、Jと彼に共鳴する者たちが定点的な場においてお互いの繋がりを体感するための機会でもある。ただ、今年に限っては少しばかり勝手が違う。Jがいつものようにステージの中央に立ってはいても、フロアに観客の姿はない。まさか彼自身も記念すべき50回目の誕生日を、無観客ライヴという形で迎えることになるとは思ってもみなかっただろう。しかも、そもそも今年は8月8日から5日間連続での公演が組まれていた。<J AKASAKA BLITZ 5DAYS - THANK YOU TO ALL MOTHER FUCKERS->という目出度くも威勢のいいタイトルが掲げられたそのシリーズ・ギグでは、lynch.、9mm Parabellum Bullet、BRAHMAN、Nothing’s Carved in Stone、AA=、NAMBA69、そして西川貴教といった絢爛なゲスト陣と4日間にわたり激突を重ねたうえで最終日であるこの日を迎えて、FC会員限定というクローズドな形式でワンマン公演を実施することになっていたのだ。
しかし、誰もが想定していなかったほど長引いている新型コロナ禍の影響により、残念ながらこの5夜連続公演は開催中止となった。ただ、それがJ自身や関係者たちにとって苦渋の選択だったこと、ギリギリまで開催の可能性を探ったうえでの決定だったことは明言しておきたい。具体的な会場名まで文字にすることは控えておくが、実際、政府の提示するガイドラインに則った形でのライヴ実施に向け、既に完売となっていた各公演の来場者がソーシャル・ディスタンスを保った状態で観覧することが可能な規模の会場が手配されていたのだ。が、それでも結果的に中止とせざるを得なくなったのは、やはり完全な安全を保証できにくいからでも、出演者数が多い公演だからこそでもあったはずだ。しかもせっかくの画期的共演の連続となるはずだった4日間を、スタンディング形式のライヴならではの、良い意味での密な空気を避けながら実施せざるを得ないというジレンマも、その決定理由のひとつに含まれていたに違いない。
一方でJは、6月27日には都内某所にて完全無観客状態での配信ライヴを実施している。彼自身にとって初の試みであっただけに、手探りの部分、ライヴに飢えている彼らの側と視聴者の双方にとって果たしてそれが有効な手段たり得るのかどうかを見極めるうえでの実験的意味合いもそこにはあったはずだが、その試みが熱烈な共感を集めながら成功に終わったことは言うまでもない。しかもそのライヴ・パフォーマンスが終わる前に、彼は第2回目の配信ライヴを7月16日に実施することを発表。こうした不安定な状況下においてファンにとって何よりも嬉しいのは、こうして“次”の機会が約束されることだ。しかもその16日、彼の口から発表されたのは、すでに同6日の時点で開催中止が発表されていた5夜公演のうち、最終夜のバースデー・ライヴが無観客公演として実施され、その模様が生配信されるとの朗報だった。
しかもその演奏現場はスタジオ等ではなく実際の公演が行われるはずだったマイナビBLITZ赤坂。同じ界隈の別の場所に建っていた当時から、Jはかなりの頻度でBLITZのステージに立ってきた。この場所を誰よりもよく知っているアーティストのひとりが彼であり、逆の言い方をするならば、BLITZは彼の歴史の変遷を見守ってきた場所でもある。加えてこの会場は、コロナ禍云々とは関係なく、この9月に閉館されることがすでに決まっている。実際に5夜公演が行なわれていたとしても、彼の50歳のバースデー・ライヴが、この馴染み深い会場での彼のラスト・ライヴになるはずだったのだ。そうした意味深さの伴うライヴだからこそ、彼はこの場所から人生の新たなステージへと足を踏み入れた自らの姿をリアルタイムで届けることを決めたのだろう。
そして8月12日の夜、7月6日に実施された最初の配信ライヴの際と同様に、幸運にも会場内に潜入してこのライヴの一部始終を客席から見届ける機会に恵まれた。フロアには観客が不在である代わりに、その模様を余すところなく伝えるべく配置についたたくさんのカメラマンの姿がある。開演予定時刻は通常のライヴよりもやや遅めの午後8時。自宅で最前列気分を味わいながら観る参加者たちの側からすれば、一日の仕事を終えてゆったりと寛ぎながら楽しめる時間帯だ。しかも終演後に帰りの交通機関の時間を気にする必要もない。
ところで僕自身は前述のように会場内でライヴを観覧していたわけだが、後日、タイムシフト録画による映像も確認している。というのも、さすがに実際のライヴを観ながら画面をチェックしてチャット画面に流れる書き込みを追うことには無理があるからだ。また、ライヴの流れについてこの場で改めて実況中継的に追うことは、リアルタイムでそれを味わった人たちの記憶を重んじるうえでも、できるだけ避けておきたい。そんなわけで、ここから先しばらくは、当日の記憶と、後日改めて配信動画を通じて確認できたことを交えながら綴っていくことにする。
午後8時、画面に浮かんでいるのは薄暗い無人のステージ。そこにフェイヴァリット・バンドの姿が見えるわけではないのに、ニコニコ生放送を通じて配信されている映像の上には歓喜の言葉の書き込みが次々と流れていく。実際に足を運ぶことの叶わない場所が映し出されるというだけで、願いが届いたかのような嬉しい気持ちになるのだろう。STAY HOMEな日常を過ごしながらライヴ会場の空気を恋しく感じている人たちが、どれほど多いかがうかがえる。視聴者のなかには、さまざまな名場面の舞台となったこの会場がまもなく閉館を迎えることを把握している向きも多いようで、「BLITZ、ありがとう!」というようなメッセージも目につく。
定刻から11分ほどを過ぎた頃、場内は完全に暗転し、サーチライトのような光がステージ上を交錯。masasucks (G)、ごっちんことKazunori Mizoguchi (g)、そしてmasuo (Dr)。信頼のおける共謀者たちが配置に付くと、黒いシャツに身を包んだJが登場。その姿が見えた途端、画面上に書き込みが流れていくスピードが急激に上がっていく。それは視覚を通じて飛び込んでくる文字情報でしかないのだが、いつもこの局面で耳に届いていたはずのワイルドな大歓声が聴こえてくるような気がしてしまう。
「Alright! 行くぞ!!」というJの声を合図に炸裂したオープニング・チューンは「RECKLESS」だ。実際の会場内には、通常のライヴに匹敵するヴォリュームと圧を伴った激音が渦巻いている。そう、画面を通じてどれほど生々しく完成度の高いライヴ・パフォーマンスが伝えられようと、全身にビリビリとくるようなこの音圧だけは届くことがない。しかし、これは実際、僕自身が7月16日に実施された二回目の配信ライヴを自宅で観ていた時にも感じさせられたことだが、これまで幾度となく味わってきた感覚が身体に染み付いているためなのか、PCに繋いだヘッドフォンから聴こえてくる音像が、勝手に自分の頭のなかで、その瞬間に自分が求めている音圧たっぷりのライヴ・サウンドに補正されるようなところがあるのだ。錯覚と言われればそれまでではある。が、受け手側の気持ちひとつでそうしたことすら起こり得るというのも確かなことなのだ。
その瞬間から、この夜のライヴが完全に終わり、Jがステージ上から姿を消すまでには2時間15分に及ぶ経過があった。彼のこれまでのワンマン公演の際の平均値からするとだいぶ長めのライヴだったといえるが、演奏曲数が極端に多かったわけではない。ただ、数曲ごとに画面の向こう側とのコミュニケーションを図ろうとするかのように適度なトークが挟まれていたこと、ジャム・パートがたっぷりと盛り込まれた「LIE-LIE-LIE」が中盤に盛り込まれていたこと、そしてアンコール時に、彼の誕生日には欠かすことのできない“儀式”が設けられていたことが、そうした時間の長さに繋がっていたように思われる。とはいえ、そのライヴ自体に間延びめいたものがあったわけでは決してない。僕自身、演奏終了後に時計を見た際、時刻がすでに午後10時半に近付いていたことに初めて気付かされ、時間経過の体感スピードの速さに驚かされたのだった。
序盤で印象的だったのは、2曲目の「break」の終了時、爆音の余韻のなかでJが歌詞の流れを受けながら発した「止まらない! 止まらない! 止めるな!!」という言葉だ。無観客であるがゆえの静寂を少しだけ挟むと、彼は「Alright! 会いたかったぜ!」と実際のライヴと同じ声量で呼び掛ける。それに呼応する大歓声は物理的には返ってこないが、きっとJとメンバーたちの目には、すでに汗まみれになっているオーディエンスの笑顔が見えているのだろう。Jはそこで今回の配信ライヴ実施に至る経緯や、この会場が閉館間近であることなどを説明し、感謝の気持ちを込めて演奏する、と発言。そして「行けるか!」という扇動に導かれて披露されたのは「PYROMANIA」だった。画面はすぐさま、炎を示す絵文字で埋め尽くされていく。実際、自宅などでライターの炎を掲げながらその様子を見守っていた参加者も少なくなかったことだろう。そして、爆発物のようなこの曲に続いたのは、同じく1stソロ・アルバムからセレクトされた「A FIT」。この曲の良さを今さらながらに痛感させられるのは、当時のヒリヒリするような感覚を保ちながらも、たっぷりと説得力と円熟味を増した現在のJが、まるでかつての自分を包み込んでいるかのような包容力が感じられるからかもしれない。
以降も、必殺曲ばかりが惜しみなく繰り出されていく。即効性の高い「Resist bullet」の切れ味、「Twisted Dreams」の破壊力、ロックが転がるものであることを物語る「Go with the Devil」。人々の耳を引きつけて離さないメロディ・センスを持ち合わせていながら、音符の無駄遣いをすることなく、必要最小限のメロディをビート感との組み合わせにより強烈なものにしてしまう魔法。すべてをさらけ出すようなパワフルさと、ある種の出し惜しみの美学をこの人物は見事に使い分けている。しかも1997年から始まったJのヴォーカリストとしての歴史は、彼の歌声を他のどんな歌い手にも似ていない独特の低い倍音を伴ったものにした。その豊かな響きの魅力は、配信を通じても充分に伝わったことだろうし、この機会を通じて初めて彼のライヴ・パフォーマンスに触れた人、久しくそれを観る機会のなかった人たちには驚きをおぼえたのではないだろうか。
そうしたなか、中盤のMCのなかで、この状況下において「自分自身の新しい世界への曲たち」を作り続けていたことを認めた彼は、この日の正午に通販限定で販売開始となったニュー・シングルの表題曲、「MY HEAVEN」を演奏。この新曲が披露されることを期待しつつもその確信を得ていなかったファンたちの、驚きと喜びの言葉が画面上に飛び交う。僕自身は取材者特権によりひと足早くこの曲を聴かせてもらっていたが、彼が築き上げてきたバンド・サウンドの典型には収まりきらない新鮮さを持ったこの曲が、この顔ぶれにより実際にステージ上でプレイされると、まるで長年にわたり愛着をおぼえてきた楽曲のように感じられるのだから不思議なものだ。逆に言えば、こうしたマジックを起こし得ることを知っているからこそ、彼は曲作りや音作りの段階で、自らの領域を制限することなく冒険することができるのだろう。
その先にも、「LIE-LIE-LIE」をはじめとする、まさしくライヴ然とした躍動に満ちた楽曲たちが連射されていく。この曲にしろ「SHAMPAGNE GOLD SUPER MARKET」にしろ、過去にBLITZという名の場所で幾度にもわたり、“Jのライヴといえばコレ!”というような風景を作り上げてきた。それに続いた「BUT YOU SAID I’M USELESS」についても同じことだ。視聴者の多くは、客席が映ることのない配信の画面を目にしながら、そこにオーディエンスが熱狂する光景を重ねて見ていたことだろう。また、今回のセットリストにおいて初期の楽曲が比較的目立っているのは、1997年発表のソロ・デビュー作、『PYROMANIA』に伴うツアーの際の赤坂BLITZでの記憶が、いまだにJ自身のなかで鮮烈なまま残されているからなのかもしれない。彼はこれまで、新旧のBLITZにて計38回のライヴを行なってきて、この夜が通算39回目だったのだという。なんだかもっとこの場所でその熱狂を目撃してきた気がするのだが、それもまた、そうした記憶のひとつひとつが今なお色鮮やかさを失っていないからなのだろう。私事になるが、筆者が初めて彼と顔を合わせたのも、『PYROMANIA』ツアーの最終公演をこの会場で目撃した時のことだった。
恐るべき体感速度で進み続けたライヴも、いよいよ終盤へ。しかし「Go Charge」の突進力でそのまま押し切るのではなく、その直後に「NOWHERE」を配置することで緩急を際立たせることも、この男は忘れてはいない。続く「Gabriel」の混沌を経て、「最後の曲にすべてを込めます。おまえたちの炎を俺に届けてくれ!」という言葉を挟みながら、文字通り突き抜けるような「Feel Your Blaze」へ。コード感や楽器の持ち替えの都合ばかりで曲の並びが決められているわけではないことがよくわかる。楽曲の配置の仕方ひとつで物語のあり方や起伏の大きさは変わってくるのだ。
灼熱のライヴはここで一応の終了に至った。場内はひとたび静寂を取り戻す。そして画面上にはJの誕生日を祝うメッセージが殺到し、文字による“Happy Birthday To You”の合唱が起きている。この“Happy Birthday To You”という言葉は、おそらく多くの人の頭のなかで、無条件にあのメロディに乗った状態で再生されるものであるはずだ。そうしたこと自体が、メロディというものの力の強さを象徴しているように思う。
ほどなくメンバーたちとともにステージ上に再登場したJは、リラックスした表情をみせながらBLITZでの記憶を手繰り寄せるようにして語り始め、「BLITZにはいろんなご迷惑を。最後に謝りたいと思います」とまで言う。もちろんその時の彼は笑顔だった。いわゆるオール・スタンディング形式のライヴというものにまだ多くの人たちが不慣れだった時代に、Jは『PYROMANIA』という爆薬とともに火を放った。当初のスタンディング公演には、たとえば“足を踏まれた”とか“後から入場してきたはずの人が自分よりも前で観ている”といった苦情もつきものだったと聞く。しかしそうした問題にも向き合いながら、さまざまな雑音に屈することなく、Jは自らの理想とするライヴ空間を彼自身のやり方で築き上げてきた。結局のところ、新たな自由を勝ち得るためには、規制というものの窮屈さを感じながら成功性を重ねていくことで、それが必ずしも無秩序で危険なものではないことを実証し、少しずつ自分たちならではの常識を作っていくしかなかったのだ。その状況は、新型コロナ禍の只中で現在なりのライヴの方法論を模索することと似ていなくもない。そして、もちろんそうした模索が実践されてきた場はBLITZばかりではないし、たとえばすでに閉館して久しいSHIBUYA-AXでの記憶というのも数多い。が、とにかく確かなのは、彼がライヴ空間において作り上げてきたもの、獲得してきたものの揺るぎなさだ。彼自身の50回目の誕生日に、無観客という異例の形で行なわれたこの夜のライヴを通じて、僕が何よりも強く感じさせられたのはそれだった。
アンコールではまず「ACROSS THE NIGHT」が披露された。そして、それに続いてステージ上にはワゴンに載せられた大きなバースデー・ケーキが登場。そこで、誰もが期待していたはずの儀式が繰り広げられることになった。Jが瓦でも割るかのように振り下ろした手刀は、綺麗にデコレーションされたケーキを破壊し、生クリームをたっぷりとまとったスポンジが飛び散った。もちろん、そのケーキ爆弾の直撃に遭わぬよう、カメラの前にはアクリル板が設置されていたが、画面を通じて観ていたファンは、最前列でクリームまみれになったかのような臨場感を味わうことになったに違いない。
そうした場面を経ながら披露されたのは、「こんな50歳、大丈夫? まだまだ全速力で走って行ける場所がある」という言葉に導かれて始まった「NEVER END」。そう、まだまだ終わりはしない。50歳は、落ち着きを持ち合わせてはいても、立ち止まらなければならない年齢ではないのだ。最高潮に達した興奮は、それに続いた「TONIGHT」によりさらに増幅され、最後の最後にはすべてのエネルギーを使い尽くすようにして「BURN OUT」が炎上する。“途切れないように”という歌詞の繰り返しで終わるこの曲の最後、彼はその言葉を三回にわたり叫んでみせた。そして彼が、画面の向こうの参加者たちに感謝の言葉を投げ掛ける頃には、時計の針は午後10時25分を指していた。
◆インタビュー【2】へ
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