【インタビュー】秦 基博、特番『LIVE SPECIAL』放送前に語る「“自分がライブを作る”ということ」

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■10周年でハマスタでできることになって
■自分がやってきたことを全部詰め込んだ

──ともかく完成度の高いコンサートになっています。そして最後のプログラムは2017年5月4日、やはりみどりの日に行われた『秦 基博 10th Anniversary LIVE AT 横浜スタジアム』です。

秦:これは自分にとってはほんと、ご褒美みたいな時間だったな、と思ってて。この一日の中でもやりたいことを全部やらせてもらったし。なんといっても横浜スタジアムなんで、そこでライブができるのが、不思議な感覚でしたね。

──自分が育った街の思い出の場所でしょうからね。秦くんが横浜スタジアムに一番最初に足を踏み入れたのは、何歳の時、どういうタイミングだったんですか?

秦:小学校高学年の時に、少年野球の開会式がハマスタであったんですよ。ただグラウンドを開放して、みんなで行進するだけなんですけど。たぶんそれが最初かな。

──そこで試合をしたわけじゃないんですね。

秦:はい。あと僕、リトルリーグに入ってて……補欠だったんで、ベンチだったんですけど。試合には出てないけど、それで行ったりしました。あと、『Hot Wave』(※YOKOHAMA HIGH SCHOOL Hot Wave festival)という、高校生がバンドやって競い合うみたいなイベントがあって。その本大会がハマスタであって、僕はそれを観に行ってますね。

──自分が出たんじゃなくて、観に行ったの?

秦:クラスメートが通過して、それを観に行ったんです。ほかに野球部を応援しに行くとか、なにかと行きましたね。あとはF.A.D.yokohamaによく出てたんで、関内駅からハマスタの横を抜けて、中華街のほうに歩いて行ったりとか。そういう意味では頻繁に通ってましたね。遠足とかも、そのへんだったし。

──プロ野球の観戦は?

秦:観戦もしましたよ。でもそれはもうちょっと大人になってからでしたね。ビール飲んでたはずなので(笑)……2000年以降だと思います。

──なるほど。そういう場所でライブをしたいという思いがあったわけですか。

秦:だから、えっと、2008年かな? 雑誌『音楽と人』の連載で始球式 (※同誌に連載されていた『秦 基博のチャレンジ学習帳』の企画で、当時の横浜ベイスターズのオープン戦で始球式を務めることを体験。この時、ベイスターズのエースだった三浦大輔投手とキャッチボールをしている)をやらせてもらって。そこでちょっとだけ近づいたんですね、自分にとっては。“あぁ、横浜スタジアムか”って……その時にぼんやりとですが“いつかはここでできたら幸せだろうな”みたいなのは思ってました。まだ全然リアルじゃなかったですけど。

──ありましたね、そういうことが。それから長い時間をかけて、たどり着いたわけですね。

秦:そうですね、10周年でハマスタでできることになって。“じゃあ自分がやってきたことを全部詰め込んだライブを作れるかな”というのを考え出したというか。

──このライブをすることが決まってから歌を唄いに行ってますよね? ライブの前月の4月に、ハマスタに。

秦:はい。あれは開幕だったのかな? ホームゲームの1試合目か。


──その時は「青」を唄ってますよね。ライブ本番でも唄われましたけど。

秦:はい。この前に、『FOR REAL』というベイスターズのドキュメンタリー映画にその曲を使っていただいたというのがあって。それで唄いに行きました。

──その時、イメージしました? “ここで唄うんだな”みたいなのは。

秦:ああ~……どうだったかな? もうちょっと違う緊張感だったような(笑)。野球ファンの人たちがいる中で唄わなきゃいけないんで、手短に……“早く野球観たいだろうな”と思ってました。ただ、横浜スタジアムはすごく特別な場所で、行くたびに緊張してたんですけど、ありがたいことにそうやって唄いに行ったり、撮影しに行ったり、本番日前は週1ぐらいで行ってたんです。そしたらだんだんマヒして、本番はある意味リラックスして臨めましたけど(笑)。

──なじみの場所になっていったと。で、さっき話されたように、ライブではほんとに全部詰め込んでましたね。

秦:はい。弾き語りもたっぷりやりたいし、でもバンドもやりたいし、ストリングスもいて……と、ほんとにフルで。それをどうやったら一日の中に入れられるかという演出の仕方を考えましたね。曲もどういうふうに散りばめるか、とか。

──集大成というか、そこまでの秦 基博のすべてのようなライブだったと思います。演出も球場ならではでしたね。サイレンで始まったり、メンバーをスターティングラインナップのように発表したり。

秦:そうですね、野球のユニフォームを着て出たし、あとリリーフカーに乗せてもらったり。第1部に関しては、ほんとお祭りじゃないですけど、ふだんのライブではなかなかやらないようなこと……野球場ならではのこととか、曲の中でバズーカを撃ったりとか。全然やったことなかったですけど(笑)、そういうのを全部やろうと。楽しめるものを第1部に振り切っといて、で、第2部では逆にすごくソリッドなものを見せるのがいいのかなと思って。

──そのコントラストがすごいなと思いました。あのデカい会場すべてを使ってね。

秦:そうですね。フルバンドで始まったものが、最後にひとりになるっていう……あの瞬間もなかなかしびれましたけど。


──そこで秦くんらしいなと感じたのは、多くのライブでは、弾き語りを前半にして聴かせて、後半はバンドセットで盛り上がるように構成するのが常套手段だと思うんですよ。それを逆にしたところなんですよね。

秦:そうですね。それは演出的なこと……照明だったりプロジェクションマッピングを活かすなら、弾き語りの場面のほうがいいかなと。それは夜じゃないとそういう効果が出ないので、というのもありました。

──ああ、なるほど。日が暮れた中での演出というわけですね。

秦:はい。あとは自分としても“バンドのあとの弾き語りでも大丈夫”というところはありました。それは<GREEN MIND>をやったりした経験もあったと思います。

──そして最後の「70億のピース」は、ライブの締めくくりとして印象的でした。

秦:えっと、この曲は10周年シングルだったんですけど。あんなふうに……みんな、スマホのライトを照らしてくれたんですけど、作った時の意味より、もっとリアルになったと思います。“ああ、これだけの人が集まって、それぞれが生きているんだな”という感じがすごくして。そこで「70億のピース」という曲を作ったメッセージがすごくリアルに迫ってきたんです。しかもなかなかあんな光景、見られないですからね。その瞬間、“ああ、「70億のピース」って、もしかしてこのために作ったのかな”と思うぐらいの感覚でした。

──イメージしていたものを超えたと。

秦:全然超えましたね。超えたし、すごくリアルになった。ほんとにいろんな人がいて、いろんな形があって。でも、こんなふうにみんなが寄り添って、隣同士に立っている……という空間をすごくリアルに感じたので。あの瞬間、“ああ、この曲書いて良かったな”ってすごく思いましたね。

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