【鼎談・前】鮎川誠(SHEENA & THE ROKKETS)×ジョニー・ダイアモンド&ナオ(首振りDolls)、生き様で示すロック礼讃
ジョニー:鮎川さんは上京されて、拠点にする場所をどうして下北沢という場所にしたんですか?
鮎川:当時のディレクターと帰り道が一緒やったんよ。それで、通るうちに、いい街だなって思って。最初はたまたまやったんやけど、住んでみたら本当にいい街で。ジョニー吉長も金子マリも、昔は、Charも近藤房之助もおって。本当にいいとこやった。上京して来てから40年、ずっと下北沢やけ。思い出もいっぱい出来た。最初はメンバー4人で一緒に住んでたときもあったんやけど、その時期も本当に楽しかったしね。毎日みんなで同じレコード聴いたりして。あの頃、マディ・ウォーターズとか聴いてたかな。ブルースからニューウェーブまで、いろんな音楽聴いた。あれも今思えば、最高の合宿生活だったけね。シーナと暮らし始めた家には、ジョーイ・ラモーンも遊びに来たことがあったんよ。
ジョニー・ナオ:え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ! ラモーンズの(絶叫)!!!???
鮎川:日本に来てもホテル暮らしやったから、日本の普通の家に来たのはウチが初めてだったみたいで、玄関で“シーナ、靴は脱ぐんだよね? 靴下も脱ぐのかな?”って言いよって(笑)。それくらい珍しかったみたいやね。ジョーイがウチに遊びに来るキッカケになったんは、ジョーイが日本に来てたときに、ボブ・ディランが他のミュージシャンをいっさい使わずに1人で作った「World Gone Wrong」っていう曲のビデオを持ってるって俺が自慢したら、“見たい!”って言って、家に遊びに来ることになったんよ(笑)。そんな気さくに遊びに来るとか、最高にロックな男よね。
──鮎川さんの周りには、素敵なロック仲間が集まってたんですね。東京に出てくることへの不安はなかったですか?
鮎川:無かった。誰に頼まれてやることじゃなかったけ、楽しさしかなかった。東京に着いた途端に友達がたくさん出来たし。東京ROCKERSの面々ね。フリクション、LIZARD、ミラーズ、ミスター・カイトやらね。いっぺんに友達になった。一緒の音楽好きやったからね。そういう仲間が新宿ロフトとかに集まってたから。シーナ&ロケッツがエルヴィス・コステロの前座としてステージ・デビューを飾ったのは1978年やったね。
──す、すごいデビューですね!
ジョニー:規模がデカ過ぎてついて行けないです!
鮎川:あははは。そのとき、高橋幸宏さんが来てくれて、そこで細野晴臣さんを紹介してくれて。
──そこの規模も相当デカ過ぎですけど。
鮎川:一緒にアルファレコードでやりたいって言ってくれて。そんとき初めて契約書みたいなんを交わしたかな。俺たち4人もその契約書に名前を書いて、自分たちで契約した。
──シーナ&ロケッツの始まりの瞬間ですね。先程もお話に出てましたけど、キャッチコピーであったとはいえ、【めんたいロック】という一つの言葉を生み出したほど、九州から生まれた音楽の個性ってあると思うんです。
ジョニー:たしかに、最初のキッカケがザ・ルースターズだったからね。家にあった「どうしようもない恋の唄」のシングル盤を聴いて。おぉ! ってなって。
鮎川:1980年くらいだね。
──そういう、その街にいるからこそ生まれて来る感性みたいなものが、上京することによって失われてしまうんじゃないか? という心配はなかったですか? 首振りDollsが上京してくるとき、その不安は私自身少し感じたところがあったので。
鮎川:俺はね、上京してきて、埋もれてしまわないために言葉を考えたんよ。俺たちがどげん言うたら目立つかなと思って。それで、【東京にはロックが足りねぇ】って言うて。ギターとかもヒョロヒョロヒョロヒョロ弾いて、いろんなディレクターはうるさいし、キーボードもうるさいし、“ロックはギターだぜ!”って叫びたかったからね。上京して音楽を作る上では、やっぱりいろいろとあって、アレンジャーが“そこは揃わないとダメです!”とか言ってきたりして。そんなことはどうでもいいことに思えたんよ。ロックが足りないし、船頭が多過ぎると思った。ロックは1人から出てくるもんやけ、面白い奴がおったら好きにさせるのが1番やけね。でも、福岡の為にギター弾こうとは思ってない。そんな風に思ったらその街の人が迷惑やもん。キャッチコピーで【めんたいロック】って言うのはいいけど、ロックは個人のハートやけ、何処に生まれとってもすごい奴は生まれてくるんよ。街がロック寺子屋みたいな場所を作って、そこを卒業したちゅうてロックは出来んのよ。今、するかせんかなんよ。弾けって言われたときに、弾けるか弾けんか、出来るか出来んかなんよ。“やってみ”って言われて、“ちょっと持ち帰って明日やります”って言うたら、もうその時点で、チャンスや世界は次の人に行く。そういうもんやけ。“今”やれるかやれんかで決まるんよ。僕ら、郷土は大好きだよ。自分の地元の久留米も大好きやし、シーナの生まれた若松も大好きやし愛しとるし、そこに生まれたこと、そこで育ったことを誇りに思っとるし、そこに生まれたからこそ聴けた音楽ももちろんあったし、そこに生まれたからこそ聴けずにジリジリしたこともたくさんあったと思うし。なんでも揃う東京に最初からおったら、あり過ぎてさ。人の意見も多かったやろうし。でも、福岡っちゅう芸好きで、目立ちたがり屋が多い街に生まれて、そこで育ったからこそ、美意識も審美眼もあるロックファン気質になれたんやろうなって思うよ。川筋者(かわすじもん)ちゅうのが北九州を支配しとるんよね。気っ風の話やけ。俺自身も、宵越しのお金は持たないっていう、一晩で使い切るっちゅうのが北九州の気質と、“よぉきんしゃったね〜”っていう大陸からの玄関口だった博多の気質と、相まった気質やけね。その気質も好きやし。上京したからちゅうて、九州を捨てたわけじゃない。でも、やっぱり、出て来たからには勝負せないかん。
ジョニー:本当にそうですね。
ナオ:(映像を撮影していたナオが会話に入りたくてソワソワしだす)くぅ〜。めっちゃいい話ですね! 私も参加したいです!
──そろそろこの辺りでナオも参加させてもらっていいですか(笑)?
鮎川:いいよいいよ、ナオも入り(笑)。シーナもナオのこと気に入っとったしね。ナオには、『You May Dream〜ユーメイ ドリーム』(2018年3月2日に九州・沖縄地方で放送されたNHK福岡放送局制作の福岡発地域ドラマで、後に全国放送もされた)にも出演してもらったよね。
ナオ:はい! 私は最初、柴山さん役で『You May Dream〜ユーメイ ドリーム』の出演のお話を頂いていたんですけど、ツアーの日程と重なってしまって、お受け出来なかったんですけど、どうしても参加させて頂きたかったので、スケジュールをお預けしたら、川嶋さん(川嶋一秀)の役を頂けて。
鮎川:そうね。ありがとう。あ、でも、そうだったの? 最初は柴山の役だったの? 普通にナオはドラムだから川嶋の役だったのかと思っとったよ。でも、忙しいところスケジュールを合わせて出てくれたんやね。ありがとう。
ナオ:いえ、そんな! こちらこそ、光栄です!
鮎川:ちょうどそのドラマの頃が1978年頃のお話で。サンハウスは、3rdアルバム『ドライブ』の発売と同日の1978年3月25日に区切りをつけたんよ。で、4月に仕事を求めて東京に行った。ギターでお金を稼げるかどうかなんて、確信は全く無かったけど、半信半疑で。でも、人に指図されるような人生は嫌だったから、プロダクションからの話が来ても絶対に何処にも属さなかった。“俺たちだけでやるから”って、全部の話を断って。“これが俺たちやけ”っていう確固たるものがあったか? って言ったら、その頃の自分たちにそこまで確立したものがあった訳では無かったけど、なんか自信だけはあったんよね。サンハウス時代にブルースもいっぱい聴いてきとるし、柴山さんという詩人が描く素晴らしい歌詞と共に曲をたくさん作ってきたし、シーナはサンハウスの頃からずっと一緒におったから、サンハウスの曲は全部歌えたし。自信だけはあったんよ。
ナオ:私、小さい頃からサンハウスを聴いて育ったので、サンハウスが取り入れたブルースを、最初に聴いているんですよ。それで、後から“あ、このフレーズ!”って思った事があって。歳を重ねるごとにいろんな音楽を遡って聴くようになって、改めて鮎川さんのルーツを知ったみたいな感覚だったというか。すごく楽しい音楽の聴き方して育ったなって思います。
鮎川:そうやね。俺も子供の頃から音楽の側に居るのが望みやった。
ナオ:はい! 一生音楽の側に居たいです! 鮎川さんはそんな生き方をしていらっしゃるから、本当に羨ましいです! 鮎川さんみたいに生きられたら最高だなって思う。
ジョニー:ギタリストとしても、人生の先輩としても憧れです!
鮎川:ありがとう。
ナオ:ひとつ聞いてもいいですか? サンハウスのときと、シーナ&ロケッツのときとは、音楽を届ける側としての感覚の違いってあるんですか? ボーカルが違うからか、シーナさんの人柄が出ているのか、シーナ&ロケッツの方がロックでも、どこか包み込んでくれるような優しさを感じるんです。
鮎川:そういうことなんかもしれんね。シーナに“こんな感じで”っていうと、すぐに分かってくれて、とにかく曲の中でも応援してくれてる感覚だったというか。“まこ、ここで行き!”っていう最高の瞬間をくれるというか。シーナはね、ハードルの選手やったから、ものすごく走るのが速かったんよ。
ジョニー:ヘェ〜!
ナオ:あ、聞いたことある!
鮎川:自慢しとったやろ(笑)? お父さんはダンスの先生やったから、チャチャチャから、マンボからジルバからツイストから、50年代から全部シーナは教わって来とるからね。サンハウス やってた頃は、シーナのそんなとこには気付かんかったけど、サンハウスの曲を作っていたときも、ちょっとリズムが欲しいから茶碗叩いてって言って、シーナにお茶碗でリズムを叩いてもらって曲作っとったんよ。それをカセットに吹き込んで柴山さんたちに聴かせて、そこからバンドで上げてった。上げるってよく言ってたけど、上げるというのは、仕上げるという意味ね。メンバーと同じヴィジョンを持っていれば、途中であれ? ん〜、こうじゃないかな? って迷ったとしても、絶対に楽しい完成形が待っているから。なんも心配することはない。ロックに間違いなんてないんやから。ライブで間違えたとしても、そこから挽回するとこで面白いギターが弾けたらそれでいいんやし。決められたことなんてしなくていい。ものすごい曲というのは、もう曲が俺たちを支配しとる。こうせないかんとか、ああせないかんとかじゃなく、これはこうよちゅうて導かれとるというか。曲の下僕やけ、俺たちは。曲は全てなんよ。ライブでは、そんなにたくさんの曲を演奏出来ないけど、自分たちの曲があるっていうことは、本当に素晴らしいことなんよ。
ジョニー:深いですね。本当にその通りかも。
ナオ:昔、ジョニーが私に言った言葉なんですけど、“ロックンロールには物語が必要だ”って言ったんですよ。その言葉がすごく自分の中にずっとあるんです。
鮎川:本当にそうよ。シーナもよく言いよった。“ロックは3分の映画だ”って言っとった。
ジョニー:まさにその通りだと思います! 本当に3分の物語なんですよね!
鮎川:そう。その中に想像やらイタズラ心やら、夢やらをいっぱい詰め込むんよね。
ナオ:本当にそうですよね。歌詞も含め3分の物語ですからね。私、ドラマを演じさせてもらって思ったんですけど、サンハウスももちろんですけど、シーナ&ロケッツって、本当にバンドが人生そのものだし、ドラマだなって思ったんです。
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