【インタビュー_#2】Apes From Nine、耕史朗が語る“岐路と選択”「自分の音楽が今、やっと表現でき始めている」

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■険しい道になるかもしれない
■でも、自分で歌うことを選んだ

──こうしてみると、たしかに高校にいく必要はなかったくらいトントン拍子ですね。

耕史朗:そう……かな? デビューできたのはマグレだったけど(笑)。

──そんなことはないでしょう。メジャーデビューが決まった時は、どんなことを感じましたか?

耕史朗:すごく正直に言うと、“世の中、楽勝だな”と思った。当時はガキだったから、チョロいなという感情はどこかにありましたね。なにも知らなかったから。

──なるほど(笑)。JURASSICのバンドスタイルや音楽性を改めて話していただけますか?

耕史朗:ハードロックやヘヴィメタルを基盤としたサウンドスタイルで、今と一番違うのはJ-POPに通じるキャッチーなメロディーと日本語詞を押し出していたことですね。基本的に俺とYUKI(Vo)さんが曲作りしつつ、メロディーは全部YUKIさんが考えていたんです。だから俺のメロディー感とは全然違っていましたね。それは勉強にもなったと思う。

▲Apes From Nine

──デビュー後もJURASSICは順風満帆な活動を?

耕史朗:サウンド面では自分の好みを出せていたけど、レコーディングで急遽ギターソロとかリフパートが短くなったりというのはあって。そういうことがストレスになっていたんですよ。当時はいろいろ不満を抱えていたし、メンバー個々の方向性が違っていた感じもあって、結果、2004年に解散するんです。でも今、客観的に振り返ってJURASSICの楽曲を聴いたりすると、本当にいいバンドだったし、結構自分の好きなようにやらせてもらえていたんだなって。

──バンドは複数の人間の集まりなのでいろいろありますよね。

耕史朗:これは当時、JURASSICのメンバーにも言ったことだけど、バンド解散には「嬉しい気持ちもあった」んですよ。ストレスを感じながら音楽をやっていた自分が解放された時、どんな音楽を作って、どんな活動ができるんだろうって。まだ24歳くらいだったから、新しいことに挑戦したいという意欲に溢れていて、ソロでやっていくことにしました。

──そのタイミングでボーカリストにもなりましたね。

耕史朗:JURASSICの解散が決定したとき、最初はボーカルを探したんですけど、やっぱりYUKIさんの存在感や歌唱力のインパクトが自分の中で強くて、それを超えるようなボーカルが見つからなかったんですよ。その間、動けないくらいなら、ヘタでもいいから自分で歌って活動を続けたいって。それに、ちょうどそのタイミングで、某音楽誌の主催イベントから出演依頼を受けたんです。2004年12月にJURASSICが解散して、そのイベントは翌年3月だったから、ほぼ間を空けずにソロを始めたことになりますね。

──長い空白期間がなかったのは良かったと思います。ソロ活動へ向けた明確なヴィジョンはあったのでしょうか?

耕史朗:とにかく自分が作った純度100%の楽曲を提示して勝負したいという気持ちだけでしたね。ただ、初ライブの時はJURASSIC用に作っていた自分の曲を演ったから、音楽性に大きな変化はなかったんですよ。そうなるとギターを弾きながらしっかりとメロディアスな旋律を歌う必要があって……最初は自分でビックリしましたよ、“うわっ、弾けねぇ! 歌えねぇ! なんもできねぇ!”って(笑)。

──それを実感してギターか歌のどちらかを選択する人も多いわけですが、それでもギター&ボーカルの道を決意されたんですね?

耕史朗:なぜなんでしょうね……たしかに大変なことがわかって。険しい道をいくことになるかもしれないと思ったんですけど、自分で歌うという気持ちになりましたね。

▲第一弾シングル「HEAVEN」

──ギター雑誌で“和製ザックワイルド”と取り上げられるほどの実力を持っていたわけですし、それでも歌に向かったということは、思ったよりも自分が歌えたという自覚があったのでは?という気がします。

耕史朗:それはなかったですね(笑)。歌い始めた当初は本当に酷かったんですよ。キーを合わせるということもわかっていなくて、全然歌えなかったりしたし。バンドで歌うのはこんなにキツいんだって(笑)。だけど歌いたかったし、俺はそういう性格なんです。最初の頃はネットとかで本当にボロクソに言われてたんですよ。でも、そんな意見に対しては“かかってこい!”と思っていました。

──芯の強さを感じます。2005年のソロプロジェクトBLACK HEART始動や、自身名義のアコースティックソロ始動、2012年にバンドMAZOMANIA結成、2015年にソロプロジェクトINxSIDE STORY始動など、さまざまな経歴を重ね、2017年にApes From Nineを結成されました。

耕史朗:元々は岡本(唯史 / dr)に、「自分のソロでドラムを叩いてくれないか?」という話をしたら、「一度飲みにいこう」と言われ、飲みにいったら「一緒にバンドをやらないか?」と誘われたんです。ソロも楽しいけど本当はバンドのほうが好きだし、バンドはメンバーの性格が合う/合わないが重要なファクターだけどApes From Nineはそれを超えていたというか。だったら一緒にやろうと思ったんですよ。今は、俺が作った曲をメンバーが演奏してくれればいいというスタンス。いろんなことを乗り越えたうえで、そういう思考になった。

──ソロ/バンドを含め、これまでの経歴から出たひとつの答えですか?

耕史朗:自分ができることを全力でやって、他のメンバーはそれぞれができることを精一杯やってくれればいい。そういうバンドの在り方が、今の俺にとっては理想なんです。メンバーは俺が作った曲を演奏するだけのように聞こえるかもしれないけど、そうではなくて。もう少し深く言えば、俺から生まれてくるものは、自ずと周りの人達からの影響を受けているんです、メンバーの言葉だったり、音からイメージが湧いて曲になるわけだから。そういう意味ではメンバーが異なれば、出てくる曲は当然違うものになる。Apes From Nineは4つの個性が並び立ったバンドなんです。

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