エルトン・ジョン自身の意向が反映された『ロケットマン』の魅力
波乱万丈というべきか、奇想天外というべきか。そんなエルトン・ジョンの半生が描かれた映画『ロケットマン』がここ日本でも去る8月23日より公開となり、好評を博している。主演を務めたタロン・エガートン、デクスター・フレッチャー監督がその公開に合わせて来日し、彼ら自身の口から多くのことがすでに各メディアを通じて語られているだけに、もはや改めてこの映画の特性などについて説明すべき点はあまり残されていないようにも思える。が、公開から1週間を経た今だからこそ、「先入観を持たずに観たいから邪魔しないで!」という声を無視していくつか私見を書いておきたいと思う。
◆『ロケットマン』 画像
この映画に触れて僕自身が何よりも強く感じたのは、エルトン・ジョンという天才音楽家の素晴らしさが、その才能ばかりではなく、人間性にも裏付けられたものだということ。幼い頃から家庭内での愛情に飢え、大人になってからも愛を求め続けていた彼は、いわば、愛されたいからこそ音楽を作り続けてきた。そして、その無防備さのために幾度となく傷つけられ、裏切られ続けてきた。だから当然のようにこの『ロケットマン』は、とても悲しい物語でもある。ただ、すべてを観終えたあとに残るのは、涙の跡ではない。「実は僕、こんな人生を送ってきたんだよ。笑っちゃうよね」とでもいうような、エルトン自身からの無言のメッセージを感じさせられるからだ。
本当の自分を見つける。なりたい自分になる。自分が何者かは自分で決める。『ロケットマン』の物語の軸にあるのはそうした人生哲学であり、そこにはあの『ボヘミアン・ラプソディ』に重なるところが多分にある。ドラッグ、セクシュアリティ、金によって動きだす人間模様、真のパートナー、といったものがキーワードになってくる点においても両作品には重なる部分が小さくない。ただ、音楽ビジネスという道路がまだ舗装されきっていなかった70年代にその世界での浮き沈みを経てきた人たちは、多かれ少なかれ同じような体験をしてきたのではないだろうか。もちろんその世界が車線の多い高速道路になった80年代にだって似たような話はあったはずだし、たとえばモトリー・クルーの自伝映画『ザ・ダート』にも描かれていたように、ある意味においてはいっそうエスカレートしていたともいえるだろう。だから我々にとって“普通じゃない物語”ではあっても、その世界で同じ時代を生きてきたアーティストたちの目には“ありがちな話”にしか映らない部分というのも実はあるはずだ。
ただ、それを承知のうえで観ても心に響くものがあるのは、その音楽の素晴らしさや往年のパブリック・イメージとは結び付かないくらいの、彼の根底的な苦悩が伝わってくるからでもある。そして同時に、過剰にしんみりした気分にならずに済むのは、先述のように、エルトン自身の「笑ってくれていいんだよ」とでも言いたげな顔が浮かんでくるからだ。そこはやはり、この物語を経たのちの彼が立ち直り(立ち直り切れなかった部分があることもエンドロールで明かされていて、そこがまたクスッという笑いを誘うわけだが)、今現在も音楽活動を続けているからこそでもある。この映画には、エルトン自身の名前がエグゼクティヴ・プロデューサーのひとりとしてクレジットされている。当然ながら、彼自身の意向がすべてに反映されているわけなのだ。
もちろん『ボヘミアン・ラプソディ』も、ブライアン・メイとロジャー・テイラーの全面協力により完成された作品ではあった。が、物語の軸であるフレディ・マーキュリーと彼の人生そのものに最大級の敬意と繊細な注意が払われてはいても、そこにフレディ自身の「ここは笑っていいんだよ」という感情までをも反映させきることは叶わなかったのではないだろうか。これは当然ながら、『ロケットマン』を観終えた今だからこそ感じさせられることでもある。
また、『ボヘミアン・ラプソディ』があくまでドキュメンタリー性を伴ったドラマとして丁寧に描かれているのに対し、『ロケットマン』の場合、当然ながらそうした丁寧さは重んじながら、より音楽映画というものの特性を活用した作風になっている点も象徴的だ。物語のあちこちにミュージカル仕立ての場面や、やや現実離れしたファンタジックな表現が組み込まれているが、そうした要素にも「笑ってくれていいんだよ」を感じるし、トピックを象徴的に伝え、観る側を必要以上に深刻な気分にさせずにおく、という部分においても実に効果的だったように思う。
『ボヘミアン・ラプソディ』との共通項という点で言えば、双方の映画には同一人物が登場する。マネージャーのジョン・リードだ。もちろん演じている俳優は違うが、双方の作品での彼の描かれ方の差にも興味深いものがあるし、「ジョンがクイーンと契約した時、エルトンはどう感じていたんだろう?」といった想いも湧いてくる。そして両作品の最大の共通点は、どちらも歴史や事実関係を重んじていつつも、純粋に映画として魅力的だということだろう。クイーンの音楽を知らずに育った世代、ずっと素通りしてきた人たちの多くが『ボヘミアン・ラプソディ』との出会いを切っ掛けとして彼らの音楽や歴史に興味を持ち始めたのと同じように、この『ロケットマン』が多くの人たちにとって、エルトン・ジョンという人物とその音楽に向けての、新たな入口になることを願っている。
取材・文◎増田勇一
■映画『ロケットマン』
監督:デクスター・フレッチャー
脚本:リー・ホール
製作:マシュー・ヴォーン、デヴィッド・ファーニッシュ
製作総指揮:エルトン・ジョン
出演:タロン・エガ-トン、ジェイミー・ベル、ブライス・ダラス・ハワード、リチャード・マッデン、ジェマ・ジョーンズ
原題:ROCKETMAN/2019年/イギリス・アメリカ/121分/PG12
配給:東和ピクチャーズ
(c)2018 Paramount Pictures. All rights reserved.
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