【インタビュー】デビュー45周年の中村雅俊、「どう考えても頑張らなきゃいけない状況」

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■ やっぱり、いろんなアーティストに書いてもらってるのが、ありがたい

── 続けて聴いていると、変わらぬ雅俊さん節がありつつ、時代の変化もあって、新鮮に楽しめました。たとえば70年代の最初の頃はフォーク・ソング調が多くて、80年代に入るとロックや、AOR風の曲調も増えてきて。

中村:ああ、そうだよね。やっぱり、いろんなアーティストに書いてもらってるのが、ありがたいですね。最初に(「いつか街で会ったなら」)拓郎さんに書いてもらった時は嬉しかったですよ。あの時、拓郎さんがレコーディングに来てくれたんだけど、俺が全然声が出なくて、「今日のレコーディングは中止です」って。拓郎さんが「あ、そう。じゃあ帰る」って(笑)。せっかく来てくれたのに。

── 間が悪かったですね(笑)。

中村:70年代は、夜の12時からレコーディングとか、すごく多かった。朝まで歌って、そのまま撮影ですからね。若いとは言え、よくやってましたね。

── みなさん来てくれるんですか。小椋佳さんとか。

中村:小椋さんは来てないですね。来てくれる人はそんなにいないかもしれない。でも小田和正さんは、二人だけで3時間以上、小田さんのスタジオで練習しましたよ。やっぱり、歌い方やメロディーをきちんと伝えたかったんでしょうね。俺はほら、ダラダラ歌うじゃないですか。

── そんなことはないですけど(笑)。

中村:小田さんは、パッ、パッ、ときっちり歌うから。だから小田さんが作った「小さな祈り」だけは、歌い方が違うんですよ。“♪多分君は 気づいていない”って、切って歌ってるから。あとは誰だろう? 桑田(佳祐)くんは、レコーディングの時にずっとついてくれましたね。「恋人も濡れる街角」の時に。作詞家では、大津あきらさんが一番多いんだけど、大津さんはどんな時でもいましたね。レコーディングも、ツアーで地方にもついてきてくれたり。俺も大津さんの田舎の、山口県長門市の仙崎っていうところへ行ったりとか。

▲『Masatoshi Nakamura 45th Anniversary Single Collection ~yes!on the way~』

── 松任谷由実さんも書いてますね。1979年の「日時計」を。

中村:そう、ユーミンにも提供してもらいました。その次のシングル曲の作詞・作曲は円広志ですね。これも、いい歌なんですよ。

── いい歌ですね。「激しさは愛」。

中村:ここからの並びがすごいですね。ユーミン、円広志、次が中村雅俊(「野生のリサ」/作詞・山川啓介)、その次が桑田くん(「マーマレードの朝」)で、鈴木キサブロー(「表通りは欅通り」/作詞・東海林良)、木森(敏之)さん(「心の色」/作詞・大津あきら)。木森さんは「聖母たちのララバイ」とかを書いてる人で、キサブローは高橋真梨子さんの「for you...」を書いてますね。キサブローは前に、うちのバンドにいたことがあるんですよ。ふてぶてしい男でしたけど(笑)。こうやって見ると、思い出深いな…。

── 84年リリースの「パズル・ナイト」を作詞した秋元康さんは、まだ超売れっ子になる前ですよね。

中村:そうそう。だからこの後に会った時に、「『パズル・ナイト』を作詞した秋元です」って、丁寧に挨拶してもらいましたよ。

── 80年代は面白いですね。高見沢俊彦さんも書かれている(「さよならが言えなくて」)。

中村:そうだよね。そしてCD2の最後の収録曲はTOTOですからね(「RISKY NIGHT」/作詞・大津あきら 作曲・STEVE KIPNER、STEVE LINDSEY)。これはニューヨークでアルバムを作る時(『アクロス・ザ・ユニバース』1988年)に、TOTOのメンバーに作ってもらって、その時も大津さんと一緒で、ニューヨークで詞を書いたり、全部向こうで作ったんですね。プロデューサーがビル・シュネーで、小田和正さんも彼のプロデュースでアルバムを出してるんですよ。「小さな祈り」の時にも小田さんとその話をして、「俺のほうが出来がいい」とか言い合ってましたけどね(笑)。

── 「RISKY NIGHT」は、この中ではかなり異色と言いますか。あの時代の音色が詰まったデジタルっぽいロック・チューン。

中村:もう洋楽だよね。

── そして90年代になると、飛鳥涼(「風の住む町」)、根本要(スターダスト・レビュー/「ほんとうに愛ができること」作詞・松井五郎)、米米CLUB(「迷いながら」)とか、作家陣もどんどんバラエティ豊かになっていく。

中村:俺、GARDENが作った歌(「過ぎた日にそっと花を」)がけっこう好きだったんですよね。CD4になると、圧倒的に都志見(隆)さんの名前が続きますね。

── そうですね。松井五郎&都志見隆の黄金コンビが。その前の曽我部恵一(サニーデイ・サービス/「虹の少女」)、松本素生(GOING UNDERGROUND/「コスモス」)とか、割と若いバンドのソングライター路線も面白かったです。

中村:そうだね。一青窈&マシコタツロウのコンビ(「空蝉」)も良かったね。そこからは都志見隆とのタッグが多くなる。都志見さん、才能ありますよね。いろんな曲が書ける。最近の都志見さんの曲は非常に歌いやすいです。俺のいい声を、響きのいい音をちゃんとわかっててくれて、そういう作り方をしてくれるから有り難いですね。

── 中村さんは、良い意味で歌声の印象があまり変わらないんですね。声質が落ち着いていて、低音がとても心地よくて。

中村:意外と「恋人も濡れる街角」とか、けっこうキーが高いんですよ。上がGなんだけど、他の方と一緒に歌うと「キー高いんですね」ってよく言われる。でも俺、野太い声なんで、あんまりそう感じないみたいなんだけど。だから、さだまさしと同じ音を出してても、向こうのほうがずいぶん高いように聴こえるよね(笑)。響き方が全然違うからね、同じラの音を出しても。

── ちなみに、気に入ってたけどあんまり世の中には広まらなかったな、とかは?

中村:けっこうありますよ(笑)。CD2に入ってる「70年代」という曲とか、好きだったんですよね。これは、作詞の売野(雅勇)さんとアルバムを作るためにずーっとお話して、70年代の実話っぽい感じもあるんですけど。あと、小田さんの曲も好きでしたね。今度、7月15日に1日だけ歌の日があるんですけど、「小さな祈り」は歌おうかなと思ってます。

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