いい音爆音アワー vol.98 「ナイス♪サックス・ソロ特集」
ジャズの方面には名サックス・プレイヤーがたくさんいますし、彼らが数々の名ソロを残しているのでしょうが、私はそちら方面は素人同然ですので、いつものように基本、ロック&ポップスからの選曲となります。
ただロック&ポップス作品であろうと、サックス・プレイヤーはほぼジャズ畑の人たちですな。それくらいサックスという楽器はジャズと親和性が高い。サックスやりたいんだけどジャズは嫌い、なんて人まずいないよね。
さて、新しい年が始まりました。ここに選んだ、素晴らしいサックス・ソロを聴いた人にはきっと、”吹く→福”が訪れますよ。
セットリスト
- Carole King「One Fine Day」元気がないときも、この曲を聴けば、きっと心が晴れ渡る♪
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シングル(1980年5月発売)
キャロル・キング(本名:Carol Joan Klein):
アルバム『Pearls: Songs of Goffin and King』(1980年発売)
作詞・作曲:Gerry Goffin, Carole King/プロデュース:Carole King, Mark Hallman
レーベル:Capitol
全米12位 アルバムは全米44位
Sax: Richard Hardy
(70年代から13年に渡ってCarole Kingのレコーディング/ライブに参加)
・”The Chiffons”、1963年5月発売のシングル(全米5位)のセルフカヴァー。
・ピアノはキング本人。
1942年2月9日、ニューヨーク市ブルックリン生まれ。
ワン・セッション25ドルでポール・サイモンに手伝ってもらい、デモ・テープを制作する。
1958年、ABCパラマウント・レコードからシングル「The Right Girl」でデビュー。
大学で知り合ったジェリー・ゴフィンGerry Goffinと1959年に結婚、ソングライティング・チームとして、1960〜63年の3年間で20曲あまりの全米トップ40ヒットを送り出す。しかしビートルズの全米進出を機に勢いも翳りを見せ、ゴフィンとも1968年に離婚する。
L.A.に移住し、チャールズ・ラーキーCharles Larkey (b)、ダニー・コーチマーDanny Kortchmar (g)と”The City”を結成、唯一のアルバム『Now That Everything's Been Said』をリリースするも売れず、69年には解散する。
1970年5月、ルー・アドラーLou AdlerのOdeレーベルより、1st ソロ・アルバム『Writer』リリース。全米84位。
1971年2月10日、2nd アルバム『Tapestry(つづれおり)』リリース。全米15週間1位となり、2500万枚を売り上げた。翌年のグラミー賞で、”Album of the Year”、”Best Pop Vocal Performance, Female”、「It's Too Late」が”Record of the Year”、「You've Got a Friend」が”Song of the Year”と、4冠を獲得した。
1971年12月、アルバム『Carole King: Music』リリース。これも全米1位に。
1972年、アルバム『Rhymes and Reasons』リリース。
1973年、アルバム『Fantasy』リリース。 1974年9月、アルバム『Wrap Around Joy』リリース。全米1位。
1976年、アルバム『Thoroughbred』リリース。
1977年、Capitolに移籍し、アルバム『Simple Things』をリリース。『Tapestry』以来、初めてトップ10を逃した。
『Welcome Home』(1978年)、『Touch the Sky』(1979年)もトップ100に届かず。
1980年、アルバム『Pearls: Songs of Goffin and King』は全米44位。セルフカヴァーの「One Fine Day」が全米12位のスマッシュヒット。
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- Wings「Listen to What the Man Said(あの娘におせっかい)」たまたま近所にいたトム・スコットが試しに吹いたテイクがOKに♪
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先行シングル(1975年5月16日発売)
ウィングス:
4th アルバム『Venus and Mars』(1975年5月27日発売)収録
作詞・作曲:Paul McCartney, Linda McCartney/プロデュース:Paul McCartney
レーベル:Capitol
全英6位、全米1位、オリコン46位 アルバムは全英・全米1位、オリコン9位
Sax: Tom Scott(1948年5月19日、米国ロサンゼルス生まれ。”The Blues Brothers”のメンバーであり、”L.A. Express”のリーダー)
・ニュー・オリンズでレコーディング。トム・スコットがスタジオの近くに住んでいると知り、ダメ元で電話してみると、彼はサックスを持って登場した。とりあえず1回テープを再生すると、彼は試しに合わせて吹き、エンジニアはすかさずそれを録音した。スコットは改めて何回か演奏したが、結局はその試し吹きがいちばんよいということになり、それが採用された。
・曲が始まる前のおしゃべり=""All right, OK... very good to see you down in New Orleans, man, yeah...""はポールが”The Meters”のギタリスト、Leo Nocentelliを真似たもの。Wolfman Jackのマネだと言われていたがそれは間違い。
・デイヴ・メイスンDave Masonもギターで参加している。
1971年に結成、1981年に解散するまでに、7枚のオリジナル・アルバムと1枚のライヴ・アルバムを発表。
”Wings”という名称は、ポールとリンダの第2子、ステラStella誕生がきっかけ。実はこの出産はたいへんで、母子ともに生命の危険もあった。ポールは病室で懸命に祈り、赤ん坊は無事に産まれたが、その時心に浮かんだのが”羽根”のイメージだったという。
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- John Lennon / Plastic Ono Band「Woman Is the Nigger of the World(女は世界の奴隷か!)」ふりしぼるようなジョンの歌声と、咽び泣くサックスが、心揺さぶる名曲です。
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シングル(1972年4月24日発売)(英国では発売なし)
ジョン・レノン:
3rd アルバム『Some Time in New York City』(1972年6月12日発売)収録
作詞・作曲:John Lennon, Yoko Ono/プロデュース:John Lennon, Yoko Ono, Phil Spector
レーベル:Apple
全米57位
Tenor Sax: Stan Bronstein from “Elephant's Memory”
・”nigger”が差別的な呼称であることから、ほとんどの米国ラジオ局はこの曲をオンエアしなかった。ジョン・レノンのシングルの中で、全米チャートが最も低いのがこの曲。
・アルバムの正式名義は”John Lennon and Yoko Ono / Plastic Ono Band with Elephant's Memory plus Invisible Strings”
1970年12月、1st ソロ・アルバム『John Lennon / Plastic Ono Band(ジョンの魂)』リリース。全米6位、全英8位。
1971年10月、2nd アルバム『Imagine』リリース。全米1位、全英1位、オリコン1位の大ヒット。
1972年6月、3rd アルバム『Some Time in New York City』リリース。
1973年10月、4th アルバム『Mind Games』リリース。全米9位、全英13位、オリコン6位
1974年9月、5th アルバム『Walls And Bridges(心の壁、愛の橋)』リリース。全米1位。
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- Quarterflash「Harden My Heart(ミスティ・ハート)」ソロはギターだけですが、サックス・フレーズが印象的な80年代ポップス。
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1st シングル(1981年9月発売)
クォーターフラッシュ:
1st アルバム『Quarterflash(ミスティ・ハート)』(1981年10月発売)収録
作詞・作曲:Marv Ross/プロデュース:John Boylan
レーベル:Geffen
全米3位 アルバムは全米8位
Alto Sax: Rindy Ross(ヴォーカルの女性)
1980年、米国オレゴン州ポートランドにて結成。Rindy Ross (vo,sax)と彼女の夫、Marv Ross (g)、Jack Charles (g)、Rick DiGiallonardo (key,synth)、Rich Gooch (b)、Brian David Willis (dr)というメンバーで、”Seafood Mama”と名乗っていた。
同年春、地元の小さなレーベル「Whitefire Records」から、シングル「Harden My Heart」をリリースすると、ポートランドのラジオ局でかかりまくり、6月には地元のテレビ局で1時間の特番「Seafood Mama In Concert」が放映された。
1981年9月、Geffenより、再録音した「Harden My Heart」をリリース、翌月には1st アルバム『Quarterflash』をリリースした。シングルは全米3位、アルバムも全米8位とヒットした。
1982年、ロン・ハワード監督映画「ラブ IN ニューヨーク(Night Shift)」の主題歌を担当。
1983年、2nd アルバム『Take Another Picture』リリース。
1985年、3rd アルバム『Back Into Blue』リリース。全米150位に終わり、バンドは解散した。
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- Steely Dan「Doctor Wu」サックスは、ビリー・ジョエル「素顔のままで」でも吹いているフィル・ウッズ。
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4th アルバム『Katy Lied(うそつきケイティ)』(1975年3月発売)収録
作詞・作曲:Walter Becker and Donald Fagen/プロデュース:Gary Katz
レーベル:ABC
アルバムは全米13位
Alto Sax: Phil Woods(1931年11月2日 - 2015年9月29日、米国マサチューセッツ州生まれ。)
・この曲が、Michael McDonaldの、”Steely Dan”のレコーディングへの初参加らしいです。
・この時弱冠20歳のジェフ・ポーカロが10曲中9曲でドラムを演奏。
・前作『Pretzel Logic』リリース後、フェイゲンとベッカー以外のメンバーはバンドを離脱。
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- Carpenters「A Song For You」カーペンターズの曲のサックス・ソロでこれがいちばん好き。
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4th アルバム『A Song for You』(1972年6月22日発売)収録
カーペンターズ:
作詞・作曲:Leon Russell/プロデュース:Jack Daugherty
レーベル:A&M
アルバムは全米4位、全英13位、オリコン5位
Sax: Bob Messenger(Carpenters御用達)
Richard Carpenterは1946年10月15日、Karenは1950年3月2日、米国コネチカット州ニューヘイブンで生まれた。
1965年、リチャードがピアノ、カレンがドラム、兄の級友、ウェス・ジェイコブズWes Jacobsがベースとチューバという編成のジャズ・トリオ”Richard
Carpenter Trio”を結成。
1966年6月、トリオはハリウッド・ボウルで毎年行われていた「Battle of the Bands」で優勝。
その後、兄妹はデモテープを制作し、各レコード会社に送り始める。やがてそれがA&Mのハーブ・アルパートの目に止まった。
1969年4月22日、A&Mと契約締結。
同年10月9日、1st アルバム『Offering』リリース。翌年、『Ticket to Ride』と改められて再発売。
1970年3月、シングル「(They Long to Be) Close to You(遙かなる影)」リリース。全米4週連続1位の大ヒット。
同年8月、2nd アルバム『Close to You』リリース。
1971年、グラミー賞で”Best New Artist”を獲得。
同年5月、3rd アルバム『Carpenters』リリース。4週連続全米2位。
1972年6月、4th アルバム『A Song for You』リリース。全米4位。
1973年5月、5th アルバム『Now & Then』リリース。全米2位、全英2位、オリコン1位(初)。
同年11月、ベスト・アルバム『The Singles: 1969–1973』リリース。全米・全英ともに1位。英国では17週連続1位で70年代で最も売れたアルバムのひとつに。
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1983年2月4日、カレン、死去。満32歳没。
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- ケツメイシ「君にBUMP」彼らは楽器のソロも手を抜かないのです。このサックス・ソロも名演♪
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10th シングル(2004年7月28日発売)
ケツメイシ:
4th アルバム『ケツノポリス4』(2005年6月29日発売)収録
作詞・作曲:ケツメイシ/basic track: NAOKI-T/sound produce: YANAGIMAN
レーベル:トイズファクトリー
オリコン2位 アルバムはオリコン3週連続1位、05年年間2位
Sax: 竹上良成(たけがみよしなり 1967年2月12日、東京都生まれ。ジャズ〜J-POP、幅広く活動するセッション・ミュージシャン)
・PVの振り付けはパパイヤ鈴木で、羽賀研二が出演している。
Ryo(リョウ、本名:田中 亮 ラッパー、MC):1972年11月26日、東京都港区白金生まれ。東京薬科大学卒業。薬剤師の資格を持つ。
Ryoji(リョウジ、本名:大塚 亮二 vo):1974年12月14日、兵庫県神戸市灘区生まれ。
大蔵(ダイゾウ、本名:吉田 大蔵 ラッパー、リーダー):1976年3月14日、兵庫県神戸市東灘区生まれ。東京薬科大学卒業。鍼灸師・薬剤師の資格を持つ。
DJ KOHNO(本名:河野 健太 DJ):1977年6月28日、広島県廿日市市生まれ。
1993年、”ケツメイシ”として活動を開始。
2000年12月、1st アルバム『ケツノポリス』リリース。インディながらオリコン27位。
2001年4月、トイズファクトリーより、シングル「ファミリア」リリース。オリコン36位。
2002年4月、2nd アルバム『ケツノポリス 2』リリース。オリコン1位。
2003年10月、3rd アルバム『ケツノポリス 3』リリース。オリコン1位。
2005年2月、シングル「さくら」リリース。初のオリコン・シングルチャート1位。
同年6月、4th アルバム『ケツノポリス 4』リリース。オリコン1位。
2007年8月、5th アルバム『ケツノポリス 5』リリース。オリコン1位。
2008年6月、6th アルバム『ケツノポリス 6』リリース。オリコン3位。
2011年3月、7th アルバム『ケツノポリス 7』リリース。オリコン1位。
2012年12月、avex traxより、8th アルバム『KETSUNOPOLIS 8』リリース。オリコン4位
2014年7月、9th アルバム『KETSUNOPOLIS 9』リリース。オリコン2位
2016年10月、10th アルバム『KETSUNOPOLIS 10』リリース。オリコン2位
2018年10月、11th アルバム『ケツノポリス 11』リリース。オリコン1位
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- 大貫妙子「Million Bucks」クールなサウンドと、ホットなサックスがいい具合にブレンド。
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15th アルバム『Shooting Star in the Blue Sky』(1993年9月22日発売)収録
おおぬき たえこ:
作詞:大貫妙子/作曲:小林武史・大貫妙子/編曲:小林武史/プロデュース:大貫妙子+小林武史
レーベル:東芝EMI
アルバムはオリコン42位
Sax: Gary Barnacle(1959年11月28日、英国ケント州生まれのセッション・ミュージシャン。特に”The Clash”や”PIL”などパンク系への参加が多い)
・ロンドンおよび東京でレコーディング。
・小林武史をプロデューサーに迎えた3部作(『NEW MOON』(1990年)、『Drawing』(1992年)、本作)の最終作。
1953年11月28日、東京都杉並区生まれ。
1973年、山下達郎、村松邦男らと”シュガー・ベイブ”を結成。
1976年2月、シュガー・ベイブ、解散を発表。
同年9月、PANAM(日本クラウン)より、1st ソロ・アルバム『Grey Skies』リリース。
1977年7月、2nd アルバム『SUNSHOWER』リリース。
1978年9月、RVCより、3rd アルバム『MIGNONNE(ミニヨン)』リリース。
1980年2月、4th アルバム『ROMANTIQUE』リリース。
1981年5月、5th アルバム『AVENTURE(アヴァンチュール)』リリース。
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1990年6月、13th アルバム『NEW MOON』リリース。
東芝EMIに移籍。
1992年2月、14th アルバム『Drawing』リリース。
1993年9月、15th アルバム『Shooting Star in the Blue Sky』リリース。
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- The Section「Doing the Meatball」西海岸売れっ子セッション・ミュージシャン・バンド。“TOTO”の先輩。
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1st アルバム『The Section』(1972年発売)収録
ザ・セクション:
作曲:Danny Kortchmar, Leland Sklar/プロデューサー:The Section & Robert Appére
レーベル:Warner Bros.
Tenor Sax: Michael Brecker(1949年3月29日 - 2007年1月13日 米国フィラデルフィア生まれ。1974年、兄Randy (tp)らと”Brecker Brothers”を結成。)
1970年代始めに、Danny Kortchmar (g)、Craig Doerge (key)、Leland Sklar (b)、Russ Kunkel (dr)によって結成。
・Asylum Recordsのハウスバンドとして、70年代のソフトロック分野に大きな功績を残した。
・バンドで、あるいは個々のメンバーで、Carole King『Tapestry』、James Taylor『Sweet Baby James』を始め、Linda Ronstadt、Crosby & Nash、Jackson Browne、Warren Zevonらのアルバム制作やライブに参加した。
・バンドとしてのアルバムは全3作。2nd 『Forward Motion』(1973,)、3rd 『Fork It Over』(1977)
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- James Taylor「Don't Let Me Be Lonely Tonight(寂しい夜)」こちらも”The Section”の演奏+マイケル・ブレッカーのサックス♪
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第1弾シングル(1972年11月発売)
4th アルバム『One Man Dog』(1972年11月11日発売)収録
作詞・作曲:Jame Taylor/プロデュース:Peter Asher/Mixed by Robert Appére
レーベル:Warner Bros.
全米14位 アルバムは全米4位、全英27位
Tenor Sax: Michael Brecker
・”The Section”メンバー全員参加。
・アルバム発売日の翌々日にCarly Simonと結婚(83年に破局)。
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- David Sanborn「Port of Call」マイケル・ブレッカーに影響を受けた、スター・プレイヤー。
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アルバム『As We Speak(囁くシルエット)』(1982年発売)収録
デヴィッド・サンボーン:
作詞・作曲:Michael Sembello, Dan Sembello/プロデュース:Robert Margouleff
レーベル:Warner Bros.
全米70位、Jazzチャート1位
Alto Sax: David Sanborn
・Omar Hakim – drums / Marcus Miller – bass / Michael Sembello – electric guitar / Don Freeman – keyboards / Paulinho da Costa – percussion / Howard ""Buzz"" Feiten – rhythm guitar / George Duke – clavinet / Bob Mintzer – bass clarinet
1945年7月30日、米国フロリダ州タンパ生まれ
幼少時、小児麻痺にかかり、医師の勧めでリハビリを兼ねてサックスをやり始めた。
14歳の時、ブルースシンガーのAlbert KingやLittle Miltonと仕事をする。
1967〜1971年、Paul Butterfieldのバンドに参加。
1974年、”Brecker Brothers”に参加。Michael Breckerより大きな影響を受ける。
1975年、Warner Bros. Recordsより、アルバム『Taking Off』でソロ・デビュー。
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- The Crusaders「Hard Time」まるでそこに居るような臨場感。ライブの名盤です。
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6th アルバム『Scratch』(1974年発売)収録
クルセイダーズ:
作曲:David ""Fathead"" Newman/プロデュース:Stewart Levine
レーベル:Blue Thumb
Tenor Sax: Wilton Felder
・Los Angelsのクラブ「The Roxy」で録音されたライブ盤。
・Larry Carlton - guitar / Max Bennett - bass
・作曲のDavid ""Fathead"" Newmanもサックス奏者。
Wayne Henderson (tb) 1947年5月3日 - 2014年4月5日
Joe Sample (key) 1939年2月1日 - 2014年9月12日
Wilton Felder (t.sax) 1940年8月31日 - 2015年9月27日
Stix Hooper (dr) 1938年8月15日
全員、米国テキサス州ヒューストン生まれ。
1952年、幼馴染のウェイン・ヘンダーソンとジョー・サンプルに、ヒューストンのハイスクールで出会ったウィルトン・フェルダー、スティックス・フーパーが加わり、結成。
1960年、LAに移転した後、”The Jazz Crusaders""と名乗り、Pacific Jazz Recordsと契約。1961年、デビュー・アルバム『Freedom Sound』をリリース。
18枚のアルバムをリリースした後、
1971年、Blue Thum Recordsに移籍し、グループ名を”The Crusaders”と改める。ロバート・ポップウェルRobert ""Pops"" Popwell (b)とラリー・カールトンLarry Carlton (g)を準メンバーとして迎え、よりクロスオーヴァーなサウンドへと舵を切った。
1976年、9th アルバム『Those Southern Knights』リリース後、ヘンダーソンがプロデューサーとしての道に専念するためグループを離れる。
1979年12月、12th アルバム『Street Life』リリース。全米18位、Jazzチャート1位とグループ最大のヒット作となる。Randy Crawfordをフィーチュアしたタイトル曲も11分を超える長尺にも関わらず全米36位と健闘する。
1983年、フーパーがグループを離れる。その後も数枚アルバムをリリースするが、1991年のアルバム『Healing the Wounds』を最後に活動停止。サンプルはソロで活躍する。
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- Nina Simone「I Put a Spell On You」歌と息がピッタリなサックスですが、プレイヤー不詳……。
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シングル(1965年発売)
ニーナ・シモン(本名:Eunice Kathleen Waymon):
アルバム『I Put a Spell On You』(1965年6月発売)収録
作詞・作曲:Jalacy Hawkins(Screamin' Jay Hawkins)/プロデュース:Hal Mooney
レーベル:Philips
Sax: ?
・Screamin' Jay Hawkinsが1956年11月にリリースしたシングル曲のカヴァー。
1933年2月21日 - 2003年4月21日 米国ノースカロライナ州トライオン生まれ。
8人兄弟の6人目で、もれなく貧困であった。
3歳からピアノを弾き始める。
1950年夏、ニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。
フィラデルフィアの名門カーティス音楽院への進学を試み、試験の結果はよかったが、断られる。黒人差別によるものだと思われる。
落ち込んだが、カーティス音楽院の教授に個人レッスンを受ける。
レッスン費用を稼ぐため、アトランティック・シティのナイトクラブで、ピアノを弾く。
1954年、ポップ音楽=""Devil's Music""を演奏することに母親は反対することが判っていたので、芸名”NIna Simone”を名乗る。
1958年6月24日、1st アルバム『Little Girl Blue』をリリース。シングルの「I Loves You, Porgy」は全米18位、R&B2位のヒットとなる。彼女にとって唯一の全米TOP20シングル。
1960年代の黒人公民権運動にも積極的に参加する。
1970年、夫でありマネージャーであったアンドリューと離婚し、米国を出て、南米やアフリカやヨーロッパを転々とする。
2000年〜 フランスに移住。
2003年4月21日、乳癌による闘病生活の末、死去。満70歳。
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- Van Morrison「Days Like This」伊藤銀次さんがブルー・アイド・ソウルの一押しにあげた曲♪
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先行シングル(1995年5月発売)
ヴァン・モリソン(本名:Sir George Ivan Morrison, OBE):
23th アルバム『Days Like This』(1995年6月5日発売)収録
作詞・作曲・プロデュース:Van Morrison
レーベル:Polydor
全英65位 アルバムは全英5位、全米33位
Alto Sax solo: Van Morrison
・北アイルランド平和運動のテーマソングのひとつとなり、紛争の停戦を訴えるデレビCMで使われた。
・クリントン元米大統領がベルファストを訪問した時(1995年11月30日)、モリソンはこの曲を80,000人の聴衆の前で演奏した。自らもサックスが得意なクリントンも演奏に参加したいと言ったが、SPに止められた。
・ジャケット写真の女性は、当時の恋人で、その後結婚(1990年代中頃)して離婚(2018年3月)したMichelle Rocca(1980年にミス・アイルランド)。
1945年8月31日、北アイルランド・ベルファスト生まれ。
15歳、”Monarchs”というバンドに加入し音楽活動を始める。
1964年、”Them”を結成し、デビュー。「グロリア」などのヒットを飛ばし、当時英国で隆盛した”Blue Eyed Soul”のアーティストとして人気を博す。
1966年、”Them”を脱退し、米国に渡る。
1967年6月、Bangレコードより、デビュー・シングル「Brown Eyed Girl」をリリース、全米10位のヒット。
同年9月、1st ソロ・アルバム『Blowin' Your Mind!』リリース。
Warner Bros.へ移籍し、
1968年11月、2nd アルバム『Astral Weeks』リリース。
1970年1月、3rd アルバム『Moondance』リリース。全米29位。
1971年10月、5th アルバム『Tupelo Honey』リリース。全米27位。
1973年、ベルファストへ戻る。
1974年10月、8th アルバム『Veedon Fleece』リリース後、3年間の活動停止。
1977年4月、9th アルバム『A Period of Transition』リリース。
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- Bruce Springsteen「Bobby Jean」“ブロウ”の迫力、説得力なら、このクラレンス・クレモンズ。
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7th アルバム『Born in the U.S.A』(1984年6月24日発売)収録
ブルース・スプリングスティーン:
作詞・作曲:Bruce Springsteen/プロデュース:Jon Landau, Bruce Springsteen, Steven Van Zandt
レーベル:Columbia
アルバムは全米7週連続1位、全英1位(計5週)、オリコン6位
Sax: Clarence Clemons(1942年1月11日 - 2011年6月18日 米国ヴァージニア州ノーフォーク生まれ 身長195.5cm)
・スプリングスティーンの最も売れたアルバム。2012年までに3000万枚を出荷した。
1949年9月23日、米国ニュージャージー州ロングブランチ生まれ。父はオランダ系とアイルランド系の混血、母はイタリア系アメリカ人。
1973年、1st アルバム『Greetings From Asbury Park, N.J.(アズベリー・パークからの挨拶)』リリース。
1975年8月25日、3rd アルバム『Born To Run(明日なき暴走)』リリース。
1975年10月27日、「Time」と「Newsweek」の表紙を同時に飾る。
マネジャー:マイク・アペルとの訴訟。
1977年、ロックと映画の評論家だったジョン・ランドーがマネジャー兼プロデューサーに。
1978年6月2日、4thアルバム『Darkness On the Edge Of Town(闇に吠える街)』リリース。
1980年10月17日、2枚組 5th アルバム『The River』リリース。初の全米1位(4週間)。シングル「Hungry Heart」が初のトップ10(5位)に。
1982年9月30日、6th アルバム『Nebraska』リリース。
1984年6月24日、7th アルバム『Born In the U.S.A』リリース。全米・全英1位・・・
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- RCサクセション「スローバラード」サックス奏者のクレジットはないが、”Tower of Power”リーダーのあの人?
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先行シングル(1976年1月21日発売)
3rd アルバム『シングル・マン』(1976年4月21日発売)収録
作詞・作曲:忌野清志郎+みかん/編曲:星勝 & RCサクセション/プロデュース:多賀英典
レーベル:ポリドール
Tenor Sax: Emilio Castillo?(1950年9月24日、米国ミシガン州デトロイト生まれ)
・horn section: Tower of Power / strings: New York Philharmonic
・”みかん”は清志郎が飼っていたネコの名前。
・1974年からレコーディングを始め、1975年春には完成されていたが、当時所属していたホリプロと、元マネージャー:奥田義行とのトラブルのとばっちりで、1年もリリースできなかった。
・1976年4月、RCが奥田の新会社りぼんに移籍し、ようやく発売できたが、タイミングを逸してプロモーションも噛み合わず、1年足らずで廃盤になってしまう。
・1979年8月、音楽評論家の吉見佑子を中心に「シングル・マン再発売実行委員会」が設立され、ポリドールと折衝の末、限定300枚買上げという形でやっと再発売が実現、同年末に、青山の「パイドパイパーハウス」と国立の「レコード・プラント」でのみ発売されるが、1,500枚まで売り上げ、1980年8月に正式に再発売となる。
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