【インタビュー】大柴広己、愛を歌い人生を歌い友を歌い夢を歌う 包容力に満ちたアルバム『人間関係』

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今日も広い日本のどこかの街で歌っている、「旅するシンガーソングライター」から届いた14曲の近況報告。シンガー、作詞家、ボカロP、フェス主催、レーベル運営などいくつもの顔を持ちながら「旅」にこだわる男・大柴広己のニュー・アルバム『人間関係』がいい感じだ。シンプルなスリーピースの温かいバンドサウンドに乗せて、愛を歌い人生を歌い、友を歌い夢を歌う、包容力に満ちた歌声はとても親密で、そして優しい。36歳にして人生初のフルアルバムを作り上げた男の、新しい旅がここから始まる。

■きちんと人間関係を構築することが生きていく中で一番大切なこと
■いつも「その時思っている一番大事なこと」をアルバムにしているんです


――大柴さんといえば旅するシンガーソングライター。2018年はどんな旅をしましたか。

大柴広己(以下、大柴):毎年150本くらいライブをやってるんですけど、今年は特に多くて、180本くらいやってるんじゃないですかね。

――2日に一回じゃないですか。すごい。

大柴:そのうちの150本は地方なので、半分くらい家にいなかったです。でも慣れちゃいましたね。作詞をしたり、レーベルを持ったり、フェスをやったり、音楽の中でいろんな仕事をしているんですけど、根本としては“旅するシンガーソングライター”がベースにあるので、それがないと芯がなくなっちゃう。日常をきちんと見つめる手段が旅で、旅=非日常と日常をスウィングすると、ちゃんとわかってくるんですね。

――というと?

大柴:僕は大阪出身なんですけど、住んでいた時は大阪のことをあまりいいと思わなかったんですよ。でも東京へ出てきて、大阪のあのゆるさが実はいいところだったんだなとか、あったかいところだったんだなとか。逆に東京に住んで音楽をやっている時には、東京の良さが全然わからなかったんですけど、地方に行って帰ってくると、やっぱり東京はいいところだなと思ったりとか。今いる場所を大事に思うために、一度外に出て戻ってくるというのは精神的にもいいのかなと思いますね。

――そもそも旅が基本になったのは、何かきっかけがあったんですか。

大柴:20代でメジャーと契約した時にはお給料が出ていたんですけど、30歳になる前に独立して、なんとかご飯を食べていかなきゃいけない。その時僕のお師匠さんのRIKUOさんという方が旅するシンガーソングライターとしてずっとやられていて、頭を下げて「運転手をさせてください」と言って、一緒に回ったのが最初です。それがきっかけで、自分が思っていた「ドサ回り」というイメージがすごく変わりました。地方から全国発信をしている人たちがすごく多くて、自分でコミュニティを作るという感じではなく、そこのコミュニティにちゃんと入れてもらう形だったので。

――ああ。なるほど。

大柴:東京でやっていたことは全部トップダウン方式で、「俺はこれを伝えたいんだ、聴いてくれ」だったのが、「何を歌えば聴いてもらえますか?」というところに表現の方法が変わっていったことも大きいと思いますね。だって同じ会場に3歳児と80歳のおばあちゃんがいたりするんですよ。そこで「俺はこういう歌が歌いたい」とか言っても全然聴いてくれない。じゃあ「アンパンマン」の歌でも歌いますかとか、「愛燦燦」にしようかとか、そうなってくるんですよ。

――そこがターニング・ポイント。

大柴:そうやって旅をするようになって、「旅するシンガーソングライター」というキャッチフレーズが勝手についたんです。自分で言ったわけじゃないです。確か2012年にBARKSに載せていただいた時に、つけていただいたキャッチコピーだと思います。

――あ! そうだったんですか。

大柴:いい言葉をいただいてありがとうございます(笑)。


――その、自己主張というよりは共感を基本とする曲作りは、今回のアルバム『人間関係』にも貫かれてますよね。まず言葉がわかりやすくて届きやすい。

大柴:『人間関係』というタイトルにしたのは、自分がOKというだけではもう楽しくないというか、「俺が俺が」で作ってきてうまくいかなかった時期が長かったので、きちんと人間関係を構築することがこれから先生きていく中で一番大切なことかなと思ったので。いつも「その時思っている一番大事なこと」をアルバムにしているんですけど、たとえば4年前のアルバム『それを愛と呼べる日が来るとは思わなかったよ。』のテーマが「LOVE」で、その次には愛を持ってどう生きていくか?という意味で「LIFE」だなと思って『Mr.LIFE』を作って。さあその次は?となった時に「LIVE」だと思って、人間関係を構築する中で一番大事なことが全部繋がって、アルバムの1曲目「LLL」(スリーエル)ができたんです。「LLL」は「LOVE,LIFE,LIVE」ということで、それに気づかせてくれた音楽にありがというという気持ちが入っています。

――人間関係という言葉はよく使うんですけどね。アルバムや曲のタイトルでは初めて見た気がする。

大柴:実は今回、タイトルが先に決まっていたんですよ。『人間関係』というアルバムを作ると決めてスタジオに入って、曲順通りに演奏していきました。ドラムとベースと僕の三人で、2日間で14曲録ったんですけど、1曲1時間くらいでライブみたいに録っていきました。経験上、時間をかければかけるほどやりたいことが変わっていくんですけど、今回は初期衝動のままで録ったので、サウンドに一本筋が通っていると思います。

――曲はここ1、2年で書き溜めたもの?

大柴:そうです。まさに人間関係の中でできた曲ばかりだと思います。たとえば「さよなら三角」は、一人で旅をすると寂しいので誰かと一緒に回ることが多いんですけど、一緒に回るとお別れが寂しいんですよ。先日一緒に回った鴉というバンドの近野くんは秋田県に住んでいて、カサリンチュの村山(タツヒロ)さんは奄美大島に住んでいて、ツアーの時しか会わなくて、また別れてそれぞれの家に帰っていく。そういう人に向けて「また会えたらいいね」という歌だったり、人と一緒にいる時に作った歌が多いですね。「35過ぎて音楽やるやつみんな宇宙人」もそうですけど。

――これはぜひとも突っ込もうと思っていた歌で(笑)。

大柴:これは筋肉少女帯の大槻ケンヂさんが、「35過ぎて音楽やる奴はみんな面白おじさん」と言っていたんですよ。でも女性もいるしな、じゃあ何にしよう、宇宙人だなと思ってこの歌を作りました。

――なんというライトなきっかけ(笑)。

大柴:今回のアルバムはジャケットが宇宙だったりして、「堕ちてゆく月」という曲があったり、「世界分の一」に地球が出てきたりして、ちょうどいいかなと(笑)。でも実際周りのミュージシャンは、ぶっ飛んでる人が多かったりするし、ちょっと変わってないとできないですよね。

――真面目に堅実に人生設計を考えるタイプは少ないですね。経験上言うと(笑)。

大柴:僕も真面目に考えて音楽をやっていた時期はありましたけど、どうしても固い表現になってしまうし、そんなに真面目にやってもしょうがないと思う瞬間があったので。ユーモアは必要だと思うんですよ。今から20歳でデビューしますということでもないし、36歳で初のフル・アルバムで、タイトルは『人間関係』って、その時点で面白いじゃないですか(笑)。どこかで面白いと思ってもらえないと、自分的にもやっていけないし、クスっと笑ってもらえたらこっちの勝ちみたいな感じはあります。


――「コンビニでハイボール」みたいに、日常そのもののユーモラスな曲もある。

大柴:これは1分ぐらいでできた曲で、僕の実家は大阪の枚方なんですけど、駅から15分ぐらいかかるので、コンビニでハイボールを買って“コンビニでハイボール、夜のお散歩”と歌って、「あ、できた」と(笑)。

――あはは。ハナウタがそのまま。

大柴:真面目なだけじゃ息が詰まっちゃうので、こういう曲があってもいいと思うんですね。これはファースト・テイクなんですよ。「こんな感じだからついてきて」「本当にやるの?」とか言って、笑ってるのがそのまま入っています。

――わかりやすく入りやすいけど、そこに強い実感がある。たとえば「いっせーのーで」で、「僕らは今日も歌を歌っている」というごく普通の歌詞が、大柴さんの人生としてすごく響いたりするんですよ。

大柴:この曲は大阪で活動しているTOZYさんというシンガーソングライターと一緒に作ったんです。一緒にツアーをする時に「共作したい」ということで、今言われたサビの一番いいところを彼が書いてくれて、「これのアンサーを書こう」と思って僕がAメロ、Bメロを作りました。誰かと共作するのは得意じゃなかったんですけど、自発的にできるようになったこともいいなと思うし、それも含めて人間関係だなと思うので。

――なるほど。ほかにも共作が?

大柴:あります。「堕ちてゆく月」は20歳の、専門学校の女の子たちと一緒に書いたんですよ。まったくの素人なんですけど、自分からは出ない発想で面白いなあと思いました。ざっくり言えば、好きな人を思って〇〇する歌なんですけど。

――ちょっと待って。それは言わないほうがいいかも。

大柴:聴いていただく方に想像してほしいですね。すごい発想だなと思いましたね。自分の作品に関しては自分が面白いと思うことに忠実でありたいと思っていて、この「堕ちてゆく月」はすごく面白いなと思ったので。僕はディレクターとしての仕事も多くて、人の歌詞に手を入れることもたくさんやっているので、その産物でもあります。

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