【インタビュー】dps、デビューシングル完成「昔から言い続けている野望がある」
dpsが11月7日、シングル「タイムライン」でビーイングよりメジャーデビューを果たした。表題曲がアニメ『名探偵コナン』のオープニングテーマに起用されているほか、全国ラジオ局のパワープレイを大量獲得するなど、新人としては破格の存在感を撒き散らしている。
◆dps 画像
結成は2017年、大阪。始動から間もないバンドだが、メンバー個々はアルバム『d-project with ZARD』制作に参加した経緯を持つなど、プレイヤーとしてもソングライターとしても実力の高さが折り紙付き。ちなみにバンド名は“d-project+special”の頭文字を取ったものだ。
そしてリリースされた「タイムライン」は予想を超える高度なテクニックとアレンジ力、その核を貫くグッドメロディーが音楽ファンの耳を満たしてくれる。メンバー全員に、それぞれの音楽的背景やバンド結成の経緯、デビューシングルに封じ込められたサウンド&プレイのこだわりを訊いた初登場インタビューをお届けしたい。
◆ ◆ ◆
■最初にスタジオに入ったときから
■すごく雰囲気が良かったよね
──BARKSでインタビューをさせていただくのは初めてですので、まずはバンドのプロフィールから伺います。結成の経緯は?
木村:dpsは、僕と森丘さんが知り合ったことから始まったバンドです。高校3年の夏前に、今通っている学校のオープンキャンパスに見学にいったら、そこでボーカルコンテストが開催されていて。それに参加したところ、入賞したことをきっかけにレッスンを受けたり、スタジオを使用させてもらえたりするようになったんです。そうすると、スタジオの廊下とかで、いろんな人とすれ違うようになるじゃないですか。僕がメタリカのTシャツを着ていたら、森丘さんが話しかけてくれたんです。
▲木村涼介 [Vo] |
木村:はい。ただ、僕はメタリカのことは当時よく知らなくて、カッコいいTシャツだなと思って着ていただけだったんですけど、森丘さんは「メタリカ、好きなん?」みたいな感じでガツガツ話しかけてくれて(笑)。それから、会うと話をするようになり、「森丘さんのリハを一度見させてもらえませんか?」と何度かおじゃまして。当時の森丘さんはギターインストのソロアーティストだったんですけど、「なにか一緒に合わせたりできませんか?」とダメ元でお願いしてみたんですよ。そうしたら、「それ、いいやん!」と言ってくれて。
──そこから、音楽的なつながりが深まっていったという。
木村:森丘さんはその時、GIZA studio主催の“d-project”というプロジェクトの一員で。そこで一緒だった人達に声をかけて、この4人が集まりました。たしか2017年の1月、僕は高3の三学期が始まった頃でしたね。
森丘:僕はずっとソロギタリストとして活動していたんですけど、バンドをやりたいという気持ちが昔からあったんです。でも、自分のギターに合うボーカルがなかなか見つからなくて、d-projectに参加したとき、川村さんに「バンドをやりたいんです」という話をしていたんです。なので、木村君と「スタジオに入ろう」という話になったときに“ドラムはもう川村さんしかいない”と思っていたので声をかけさせてもらいました。
川村:森丘君から話を聞いて、“そういう子がいるなら歌を聴いてみたいな”と。ベースは一緒にバンドをやったことのある(安井)剛志を誘うことにしたんです。この4人は、最初にスタジオに入ったときから、すごく雰囲気が良かったよね?
森丘:そうですね。
──いい出会いがありましたね。当初から、“この4人ならこういう音楽性をやりたい”というイメージはありましたか?
木村:それが全くなくて。なので、今とは全然違っていたんですよ。当時の僕はあまりロックを聴いていなかったので、全員が知っている曲をモチーフに合わせてみようということになったんです。そこからいろんな曲をカバーするというチャレンジを繰り返して、徐々に目指す方向性が見えてきたという感じでした。
▲木村涼介 [Vo] |
川村:僕が音楽に目覚めたのは……今となっては遠い昔の話ですけど(笑)、ドラムを始めたのが小学校5年生くらいのときです。当時、兄がバンドをやっていて、そのドラマーがマンション住まいなのにエレドラを買ってしまったんですよ(笑)。さすがにマンションでドラムは叩けないので、うちに置くようになって。それを隠れて触っているうちに上達していったんです。
──当時はどんなドラムを。
川村:BLANKEY JET CITYの中村達也さんが好きで、今も尊敬しています。中学生になってからは兄とバンドを組んで、ミクスチャーにハマるんです。その後、ヒップホップのトラックメイクを覚えて、高校生の頃にはラッパー達にトラックを配ったりしていました。その頃の経験が作曲のベースになっている気がしますね。GIZA studioと関わるようになってからは、バンドを組んだり、いろんな経験をさせてもらっていて。d-projectでは作曲をしていました。
安井:僕は元々ギタリストで、ギターを始めたのは高校生のとき。「文化祭でバンドをやろう」とエレキギターと一緒に教則本も買ったんですけど、それが教則本じゃなくて某HR/HM系のギター雑誌だったという(笑)。その雑誌に付属していたDVDを観たら、“なんや、この世界は!”と。そこからギターの速弾きとかメタル系にハマりまして。
──文化祭でメタルバンドを?
安井:いえ。文化祭ではJ-ROCKとかJ-POPをコピーする一方で、個人的にメタルにドハマりして家でずっとギターを弾いていました。高校卒業後に専門学校に入って、裏方をやったりしている中で今の事務所に所属して、(川村)篤史さんとバンドを組んだりしていました。
──すみません。ということは、ベースを弾くようになったのは……?
安井:このバンドが初めてです。
──ええっ! そうなんですか?
安井:はい(笑)。4人での初スタジオのときにベースで参加して、そのまま。それまでも曲をアレンジしたりするときにベースを弾いていたし、サポートでベーシストを担当したこともあったんですよ。だから抵抗はなかったし、楽しいです。
──多才ですね。好きなベーシストなどは?
安井:ベタですけど、フリー(レッド・ホット・チリペッパーズ)とか、ヴィクター・ウッテンとか。あと、メタルにドハマりしていた頃からビリー・シーンは大好きです。上手くて、存在感のあるベーシストに惹かれますね。
森丘:僕の父親がすごく洋楽ロック好きで、小さい頃から車とか家でキッスやレッド・ツェッペリンが流れている環境だったんです。当時は生活のBGM的に聴いている感じでしたけど、小学生4年生くらいから父親に「あのCDを貸して」とか言うようになって。ギターを始めたのは小学校6年生のとき。父親が持っていたキッスのライブ映像を見て、エース・フレイリーじゃなくて、ポール・スタンレーがすごく好きになったんです。見た目も派手で、すごくカッコいいから。最初はFも押さえられなければ、ドレミファソラシドも弾けないような状態だったので、あまり楽しくなくて。その頃、サッカーをやっていたので、ギターは一度やめてしまうんです。
──ところが、また弾き始めるわけですよね?
森丘:中2のときにメタルと出会って、それから速弾きとかの練習をするようになりました。ずっと1人で練習していたんですけど、父親から「いろんな人に見てもらったほうがいい」とアドバイスをもらって、YouTubeに動画を投稿したら、知らない間に再生回数が10,000回くらいいってしまって。海外からも反響があったので、調子に乗って年に2回くらい動画を上げるようになり(笑)。どの動画も再生回数が良かったので“自分はプロになれるんじゃないか”と思いながら自作のCDを配っていたところ、今の事務所に辿り着きました。
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