いい音爆音アワー vol.94 「元超え♪カヴァー特集」
中にはよい企画もありましたし、ヒットしたものもありました。だけど、よくあったのが、アーティストのネームバリューの無さを、曲のネームバリューで、それこそカヴァーしようってやつ。まぁ、ひとつの作戦ですし、悪いことでは全然ないですが、それだけだと、芸がないと言いますか、つまらないですよね。
同じカヴァーでも、オリジナルはちっとも売れず、そのままなら歴史の海底に埋没していたであろう曲が、いいカヴァーによって、見事にヒット曲となったケースや、オリジナルもそこそこは売れていたけど、ある人がカヴァーしてもっと大きなヒットになったケース、あるいは、カヴァーなんだけど、その人のオリジナルみたいに、しかも代表曲のひとつになってしまっているケースなどもあります。こういうのがカヴァーの醍醐味なんじゃないでしょうか。
そんなかっこいいカヴァーを、「元超えカヴァー」って名づけてみました。
セットリスト
- Santana「Black Magic Woman / Gypsy Queen」ブルースバンド時代のフリートウッド・マックがオリジナル。だけど、実はさらにその元ネタが存在した…?!
- ∨
1st シングル(1972年5月1日発売)
2nd アルバム『Abraxas(天の守護神)』(1972年6月1日発売)収録
作詞・作曲:Peter Green (Black Magic Woman)、Gábor Szabó (Gypsy Queen)/プロデュース:Fred Catero, Carlos Santana
レーベル:Columbia
全米4位 アルバムは全米1位
・オリジナルは”Fleetwood Mac”の1968年3月29日にリリースされたシングル。米国で1969年1月にリリースされたベスト盤『English Rose』に収録された。ただし、彼らの1st アルバムに収録されている「I Loved Another Woman」(by Peter Green)にそっくり。
・サンタナ版のリード・ヴォーカルはGregg Rolie (key)。
・メドレー曲の「Gypsy Queen」もカヴァー作品。オリジナルはハンガリー出身のギタリスト、ガボール・ザボGábor Szabó。彼のデビュー・ソロ・アルバム『Spellbinder』(1966)に収録されている。
- ∨
- Gladys Knight & the Pips「Midnight Train to Georgia(夜汽車よ! ジョージアへ)」オリジナルはタイトルが「Midnight Plane to Houston」だった。
- ∨
シングル(1973年8月発売)
11th アルバム『Imagination』(1973年10月発売)収録
作詞・作曲:Jim Weatherly/プロデュース:Tony Camillo, Gladys Knight & the Pips
レーベル:Buddah Records
全米2週連続1位、R&B1位 アルバムも全米1位、R&B1位
・オリジナルは作者のジム・ウェザリー。アルバム『Weatherly』(1972)に収録された。その時のタイトルは「Midnight Plane to Houston」だった。
・ある時、ウェザリーが友人のリー・メジャーズLee Majorsに電話すると、彼がその頃つきあっていた(73年に結婚)女優のファラ・フォーセットFarrah Fawcettが出た。「何しているの?」と尋ねると、「Taking the midnight plane to Houston」、実家のヒューストンに帰ろうとしているところだった。このフレーズにピンときて、彼は曲を作った。
・1973年にシシィ・ヒューストンCissy Houston(Whitneyの母、Dionne Warwickの叔母)がカヴァー。その際、「飛行機」から「列車」に、「ヒューストン」から「ジョージア」に変えていいかと訊かれたウェザリーは、「いいよ」と応え、「ただし、その他は変えないでくれ」とつけたした。
・シングルはMotownからのBuddah(ブッダ)への移籍後第2弾、アルバムは移籍後第1作。
・1974年の第16回グラミー賞で「最優秀R&B歌唱賞(デュオまたはグループ)」を受賞した。
- ∨
- Whitney Houston「I Will Always Love You」オリジナルはドリー・パートン。でも参考にしたのはリンダ・ロンシュタット版。
- ∨
シングル(1992年11月3日発売)
ホイットニー・ヒューストン:
アルバム『The Bodyguard: Original Soundtrack Album』(1992年11月17日発売)収録
作詞・作曲:Dolly Parton/プロデュース:David Foster
レーベル:Arista
全米14週連続1位(その時点での最長記録)、オリコン洋楽チャート27週連続1位
アルバムも米英日はじめ、世界各国で1位、世界で4200万枚、日本でも280万枚を売り上げた。
・オリジナルはDolly Parton。1974年6月6日、シングル発売。これもヒットし、カントリー・チャートの1位を獲得。82年に映画「The Best Little Whorehouse in Texas」のために録音し直し、それがまたカントリー1位となった。
・ヒューストンの映画初出演作「The Bodyguard」(92年11月25日公開)の主題歌。
・リンダ・ロンシュタットLinda Ronstadtもアルバム『Prisoner In Disguise』(1975)の中でカヴァーしている。ケヴィン・コスナーがこれを映画の主題歌に勧めた。ドリー・パートンは、「ロンシュタットは最後のヴァースをやっていないが、それは重要なのでぜひ入れてほしい」と要望した。
・アカペラで始まるスタイルを、レコード会社は嫌がったが、ヒューストンとコスナーはそれにこだわった。
・1994年、第36回グラミー賞で、「Record of the Year」と「Best Pop Vocal Performance, Female」を獲得。
1963年8月9日、米国ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
歌手のシシー・ヒューストンCissy Houstonの3番目の子供。
1985年2月14日、1st アルバム『Whitney Houston(そよ風の贈りもの)』をリリース。シングル「Saving All My Love for You(すべてをあなたに)」から7作連続で全米1位となる、ビートルズの6作を超える快挙。
1987年6月、2nd アルバム『Whitney』リリース。
1992年7月、歌手のボビー・ブラウンBobby Brownと結婚。
同年11月、アルバム『The Bodyguard: Original Soundtrack Album』リリース。
2006年10月、離婚。
2012年2月11日、ビバリーヒルズのホテルの部屋の浴槽で倒れ、死去。グラミー賞の授賞式を翌日に控えていた。満48歳没。
- ∨
- Otis Redding「Try a Little Tenderness」ジャズ・スタンダードをカヴァー。オーティスの熱唱でソウル史に残る傑作となった。
- ∨
第2弾シングル(1966年11月14日発売)
オーティス・レディング:
5th アルバム『Complete & Unbelievable: The Otis Redding Dictionary of Soul』(1966年10月15日発売)収録
作詞・作曲:Jimmy Campbell, Reginald Connelly, Harry M. Woods/プロデュース:Jim Stewart, Isaac Hayes, Booker T. & the M.G.'s
レーベル:Volt / Atco
全米25位、R&B4位 アルバムは全米73位、R&B 5位
・オリジナルは”Ray Noble & His Orchestra” (with vocals by Val Rosing)。1932年。
・ ビング・クロスビー(1933)やフランク・シナトラもカヴァー。アレサ・フランクリンも3rd アルバム『The Tender, the Moving, the Swinging Aretha Franklin』(1962)の中でカヴァーしている。
・オーティスがカヴァーしたいと言ったとき、音楽出版社が、黒人だからという理由でネガティヴだったという話もある。
・オーティス、生前最後のスタジオ・アルバム。
1941年9月9日、ジョージア州ドーソン生まれ。
1967年12月10日、飛行機事故で死去。満26歳。
- ∨
- Aretha Franklin「Respect」こちらはオーティスの曲をアレサがカヴァー。女性の自立を応援する歌に昇華。巨星墜つ。ご冥福をお祈りします。
- ∨
第2弾シングル(1967年4月16日発売)
アレサ・フランクリン:
10th アルバム『I Never Loved a Man the Way I Love You』(1967年3月10日発売)収録
作詞・作曲:Otis Redding/プロデュース:Jerry Wexler & Arif Mardin/エンジニア:Tom Dowd
レーベル:Atlantic
全米1位(初)、 アルバムは全米2位、R&B1位
・オリジナルはOtis Redding、1965年夏にシングル・リリースされ、全米35位。3rd アルバム『Otis Blue』(1965年9月15日発売)に収録された。
・Otis版とはかなり違う。特に歌詞は、Otis版は、男が女に対し、「何をやってもいいけど、俺が金を稼いで来た時くらいは敬意を払ってくれ」という内容なのに対し、アレサ版は、女が男に対し、「私はあなたに何も間違ったことはしないし、何も要求しないけど、いつも敬意を持って接してちょうだい」と、強く自立した女性像を歌い上げる。
・”R-E-S-P-E-C-T”と”Sock It to Me”(さあ、どんと来い)というコーラスはOtis版にはない。
1942年3月25日、米国テネシー州メンフィス生まれ。
1960年9月、デビュー・シングル「Today I Sing the Blues」をリリース。
2018年8月16日、膵臓の神経内分泌腫瘍により死去。満76歳。
- ∨
- 夏川りみ「涙そうそう」これを夏川りみがカヴァーしたことで、彼女も成功し、BEGINも成功した。
- ∨
3rd シングル(2001年3月23日発売)
なつかわ・りみ(出生名:兼久(カネク)りみ):
作詞:森山良子/作曲:BEGIN/プロデュース:京田誠一
レーベル:ビクター・エンタテインメント
オリコン8位(232週チャートイン)
・オリジナルは、森山良子がアルバム『TIME IS LONELY』(1998年)に収録。BEGINも2000年3月にシングル発売。オリコン159位。
・森山良子が、ライブで共演したBEGINと意気投合して、曲を依頼した。送られてきたデモテープに「涙そうそう」と書いてあり、沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味であると聞き、森山が、若くしてこの世を去った兄を想う歌詞をつけた。
・夏川は、沖縄サミットのテレビ中継でBEGINがこの曲を演奏しているのを見て、カヴァーしたいと思い、夏川の姉とBEGINメンバーが同級生という縁もあったので、依頼。
・NHK紅白歌合戦に第53回(2002年)から56回まで、4年連続でこの曲を歌った。
1973年10月9日、沖縄県石垣市生まれ
1986年(中学1年)、第10回「長崎歌謡祭」に出場、史上最年少でグランプリを獲得。
1989年(16歳)、ポニーキャニオンから”星美里”の名で演歌歌手としてデビュー。
1996年に一度引退。沖縄県那覇市の姉が経営する飲食店で働く。
1999年5月21日、ビクターより、”夏川りみ”としてシングル「夕映えにゆれて」で再デビュー。
2001年3月23日、「涙そうそう」リリース。じわじわとヒット。
2002年、第44回日本レコード大賞で「涙そうそう」が金賞を受賞。第53回NHK紅白歌合戦にも同曲で初出場した(以降第56回まで4年連続で「涙そうそう」を唄う)。
2009年1月1日、パーカッション奏者玉木正昭と結婚。
・・・
- ∨
- Carpenters「Superstar」カーペンターズは”元超えカヴァー名人”ですね。
- ∨
シングル(1971年8月12日発売)
カーペンターズ:
3rd アルバム『Carpenters』(1971年5月14日発売)収録
作詞・作曲:Bonnie Bramlett, Leon Russel/プロデュース:Jack Daugherty
レーベル:A&M
全米2位、全英18位、オリコン7位 アルバムは全米2位、全英12位
・オリジナルは”Delaney & Bonnie”のシングル「Comin' Home」(1969年12月発売)のB面。このときはタイトルが「Groupie (Superstar)」だった。全米84位、全英16位。
・1970年8月には、ジョー・コッカーのライブ・アルバム『Mad Dogs and Englishmen』内でカヴァー。ヴォーカルはリタ・クーリッジRita Coolidge。アルバムは全米2位のヒット。
・ある日、ベット・ミドラー(当時はそんなに知られていなかった)が、テレビ番組の「The Tonight Show Starring Johnny Carson」で、この曲を唄っているのを観たリチャードが、「これは絶対カレンにピッタリの曲だ」と思い、カヴァーすることにしたが、2番のヴァースにある歌詞、「I can hardly wait to sleep with you again」が直接的過ぎると感じ、「I can hardly wait to be with you again」に変えて唄わせた。
・カレンがたった1回(それも初めて)唄ったテイクを、リチャードは「完璧だ!」として、そのまま採用した。
・アルバムは、LPのジャケットが、大きな茶封筒のように見えたので、ファンの間では”The Tan(黄褐色) Album”と呼ばれる。「カーペンターズ・ロゴ」を初めて使ったアルバム。
Richard Carpenterは1946年10月15日、Karenは1950年3月2日、米国コネチカット州ニューヘイブンで生まれた。
1969年4月22日、A&Mと契約締結。
同年10月9日、1st アルバム『Offering』リリース。ビートルズの「Ticket to Ride(涙の乗車券)」のカヴァーが全米54位とまずまずのヒット。アルバムも『Ticket to Ride』と改められて1970年に再発売された。
1970年3月、シングル「(They Long to Be) Close to You」リリース。全米1位。
同年8月19日、2nd アルバム『Close to You』リリース。
1971年、グラミー賞で、兄妹は「Best New Arthist」、シングル「Close to You」が「Best Contemporary Performance by a Duo, Group, or Chorus」を獲得。
・・・
1983年2月4日、カレン、死去。死因は神経性無食欲症に起因するエメチンの心毒性。
- ∨
- Rita Coolidge「You」この歌、昔から好きですが、ずっと彼女のオリジナルだと思っていました。
- ∨
第1弾シングル(1978年6月発売)
リタ・クーリッジ:
7th アルバム『Love Me Again』(1978年5月発売)
作詞・作曲:Tom Snow/プロデューサー:David Anderle with Booker T. Jones
レーベル:A&M
全米25位、AC 3位 アルバムは全米32位
・オリジナルは、作者のTom Snowで、アルバム『Taking It All In Stride』(1975年)に収録。その後、オーストラリアのシンガーMarcia Hinesが、1977年10月、シングルとしてリリース。オーストラリアで2位となった。クーリッジ版はオーストラリアではチャートインできなかった。
1945年5月1日、 米国テネシー州ラファイエット生まれ。
10代後半、ブッカー・T・ジョーンズと知り合う(姉のプリシラは後にジョーンズと結婚)。
ジョーンズの紹介で、”デラニー&ボニー”に参加。
ロスに移転し、バックグラウンド・シンガーとして多くのアーティストのレコーディングに参加。その一人、レオン・ラッセルは彼女を高く評価し、ジョー・コッカーの『Mad Dogs and Englishmen』ツアー(ライブ・アルバムも)で、フィーチャーする。
“Derek and the Dominos”の「Layla」(1970)の後半、ピアノ・メロ部分はドラマーのジム・ゴードン作曲となっているが、実はリタとの共作らしい。
1971年2月、1st アルバム『Rita Coolidge』リリース。
1973年、クリス・クリストファーソンKris Kristoffersonと結婚(1980年に離婚)。
1977年3月、6th アルバム『Anytime…Anywhere』リリース。全米6位。ジャッキー・ウィルソンのカヴァー、「(Your Love Has Lifted Me) Higher and Higher」のシングルが全米2位のヒット。
1978年5月、7th アルバム『Love Me Again』リリース。
・・・
- ∨
- Cyndi Lauper「Girls Just Want to Have Fun」これも、彼女がオリジナルだと思っている人、多いよね。
- ∨
シングル(1983年9月6日発売)
シンディ・ローパー:
1st アルバム『She's So Unusual(ニューヨーク・ダンステリア)』(1983年10月14日発売)収録
作詞・作曲:Robert Hazard/プロデュース:Rick Chertoff, William Wittman
レーベル:Portrait
全米2位、全英2位、オリコン洋楽1位、オーストラリア、カナダ、アイルランド他10カ国で1位 アルバムは全米4位、TOP 40に65週間チャートイン
・オリジナルは作者のRobert Hazardが1979年に作ったデモテープ。彼は”Robert Hazard and the Heroes”というバンドで活動しており、81年頃、地元フィラデルフィアのFM局”WMMR”で、この曲がかかりまくった。
・MTVのVideo Music Awardで1984年の「Best Female Video」を獲得。MVに登場するお母さんは実の母親。父親役はプロレスラーの""Captain"" Lou Albano。Steve Forbertも出ている。
・85年のグラミー賞で、ローパーは「Best New Artist」最優秀新人賞、アルバムは「Best Album Package」を受賞。
1953年6月22日、米国ニューヨーク市ブルックリン地区生まれ。
・・・
- ∨
- Kim Carnes「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」オリジナルははっきり言って凡作。これをヒット・チューンにできると判断した慧眼がまずすばらしい。
- ∨
先行シングル(1981年3月10日発売)
キム・カーンズ:
6th アルバム『Mistaken Identity』(1981年4月発売)
作詞・作曲:Donna Weiss, Jackie DeShannon/プロデュース:Val Garay
レーベル:EMI America
全米1位(9週)、1981年年間1位 アルバムも全米1位
・オリジナルはジャッキー・デシャノン。アルバム『New Arrangement』(1974年)に収録。
・グラミー賞の「Record of the Year」「Song of the Year」を受賞。
1945年7月20日、米国ロサンゼルス市ハリウッド生まれ。
幼少時、隣人にデヴィッド・リンドレーがいた。
1971年、アルバム『Rest on Me』でソロ・デビュー。
1980年、「More Love」、ケニー・ロジャースとのデュエット曲「Don't Fall In Love With A Dreamer(荒野に消えた愛)」がヒット。
1981年3月、シングル「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」をリリース、計9週間全米1位という記録的な大ヒットとなる。世界各国のチャートでも1位を獲得。グラミー賞の最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞を受賞した。
1985年、”USA for Africa”に参加し、「We Are the World」のブリッジ部分でリード・ヴォーカルをとった。
・・・
- ∨
- Bay City Rollers「I Only Want to Be with You(二人だけのデート)」オリジナルもカヴァーもみんなヒット。鉄板のヒット・チューンってことだね。
- ∨
先行シングル(1976年8月29日発売)
ベイ・シティ・ローラーズ:
4th アルバム『Dedication』(1976年9月発売)収録
作詞・作曲:Mike Hawker, Ivor Raymonde/プロデュース:Jimmy Ienner(”Raspberries”など)
レーベル:Arista (North America), Bell (Europe/International)
全米12位、全英4位 アルバムは全米26位、全英4位、オリコン1位
・オリジナルは英シンガー、Dusty Springfieldのデビュー・シングル(1963年11月8日)。全英4位、全米12位(BCRと全く同じ!)。
・この曲をカヴァーする案を出したのはArista社長のClive Davis。プロデューサーにJimmy Iennerを指名したのも彼。
・”Eurythmics”のAnnie LennoxとDavid A. Stewartがいた”The Tourists”も1979年にこの曲をカヴァーし、全英4位で、バンド最大のヒットとなっている。
英国スコットランド・エディンバラ出身
前身は1965年に結成された”The Saxons”。アランAlan (b)とデレクDerek (dr)のロングミュアーLongmuir兄弟と4人の友人により結成。
1968年、”Bay City Rollers”と改称。
1971年夏、シングル「Keep on Dancing(朝まで踊ろう)」でデビュー。全英9位。
1974年、レスリー・マッコーエンLeslie McKeown (vo)、 エリック・フォークナーEric Faulkner (g)、ステュアート・ウッディ・ウッドStuart John Wood (g)、アランとデレクの5人体制でまとまる。
1975年、「Bye Bye Baby」が全英1位のヒット。
1976年、「Saturday Night」が全米1位の大ヒット。
2018年7月2日、アランがスコットランドの病院で死亡。満70歳。
- ∨
- Chicago Transit Authority「I'm a Man」B面だったし、チャート的には”元超え”じゃないんだけど、初期シカゴの代表曲のひとつってことで。
- ∨
シングル「Questions 67 and 68」の再発盤(1971年9月発売)のB面
シカゴ:
1st アルバム『Chicago Transit Authority(シカゴ I/シカゴの軌跡)』(2枚組)(1969年4月28日発売)収録
作詞・作曲:Steve Winwood, Jimmy Miller/プロデュース:James William Guercio
リード・ヴォーカル:Terry Kath, Peter Cetera, Robert Lamm
レーベル:Columbia
全米49位、全英8位 アルバムは全米17位(171週ランクイン)、全英9位
・オリジナルは”The Spencer Davis Group”のシングル(1967年1月発売)。全英9位、全米10位。
・”Chicago Transit Authority”というバンド名は、無断で使うなと、「シカゴ交通局」からクレームが入って、このアルバムだけに終わったが、後に管轄の電車やバスの車内放送に、無断でChicagoの曲を使っていた。
ロバート・ラムRobert Lamm (Vo,Key)、テリー・キャスTerry Kath (Vo,G)、ジェイムズ・パンコウJames Pankow (Tb)、ウォルター・パラゼイダーWalter Parazaider (Woodwinds)、リー・ロックネインLee Loughnane (Tp)、ダニー・セラフィンDanny Seraphine (Drums)の6人で結成され、さらにピーター・セテラPeter Cetera (Vo,Bass)が加わった。
・・・
- ∨
- Daryl Hall and John Oates「Family Man」カヴァーなのに、とてもホール&オーツっぽい曲に聴こえる。選曲センス◎。
- ∨
シングル(1983年4月30日発売)
ホール&オーツ:
11th アルバム『H2O』(1982年10月4日発売)収録
作詞・作曲:Mike Oldfield, Tim Cross, Rick Fenn, Mike Frye, Morris Pert, Maggie Reilly/プロデュース:Daryl Hall, John Oates
レーベル:RCA
全米6位、全英15位 アルバムは全米3位、全英24位
・オリジナルはMike Oldfieldのシングル(1982年5月28日発売)。アルバム『Five Miles Out』からカットされた。リード・ヴォーカルはスコットランド人シンガーのMaggie Reilly。全英45位。
・歌詞がちょっと違う。そもそも、男が娼婦にくどかれて、「いや、僕は家庭を大事にする男だから」と断る話だが、オールドフィールド版は、あまりに男が堅くて、娼婦が怒って出ていってしまうのに対し、ホール&オーツ版は、男が最後やはりその気になったら、娼婦はもういなかったというオチ。
1972年11月12日、Atlantic Recordsより、Arif Mardinのプロデュースで、1st アルバム『Whole Oats』リリース。
1975年8月、RCA Records より、4th『Daryl Hall & John Oates』をリリース。
1976年8月、5th アルバム『Bigger Than Both of Us(ロックン・ソウル)』リリース。全米13位。シングル「Rich Girl」が全米1位に。
1980年7月、9th アルバム『VOICES』リリース。セルフ・プロデュースに変え、それまでロサンゼルスでレコーディングしていたものをニューヨークに変え、ニール・カーノン(Neil Kernon)というエンジニアを採用して制作したら大ヒット。シングル「Kiss on My List」は全米1位を獲得。
1981年、続く10th アルバム『Private Eyes』も大ヒット。全米5位。
1982年、11th アルバム『H2O』は彼ら最大のヒット。全米3位。
・・・
- ∨
- The Beach Boys「I Can Hear Music」フィル・スペクターはじめ、「Be My Baby」の作家チームが作った曲。オリジナルのロネッツ版はなぜ売れなかったんだろう?
- ∨
第2弾シングル(1969年3月3日発売)
ビーチ・ボーイズ:
15th アルバム『20/20』(1969年2月10日発売)収録
作詞・作曲:Jeff Barry, Ellie Greenwich, Phil Spector/プロデュース:Carl Wilson(初の単独プロデューサー・クレジット)
リード・ヴォーカル:Carl Wilson
レーベル:Capitol
全米24位、全英10位 アルバムは全米68位、全英3位
・オリジナルは”The Ronettes”、1966年10月リリースのシングル。全米100位。
・1973年に、”Larry Lurex”(実はフレディ・マーキュリー)がカヴァー。全米115位だったけど。
・Capitolでの最後のオリジナル・アルバム。
・いろいろ入れると20枚目のアルバム。タイトルの由来だが、”20/20”は米式の視力の表記で、日本での1.0に相当する。
・アルバム収録曲は、それまでにブライアン・ウィルソンが作りためていた未完成曲を、彼が精神病院に入ってしまったので、弟のカールとデニスが完成させたものが中心。この「I Can Hear Music」は、このアルバムのために、カールがカヴァーすることを決めた。
ブライアン、デニス、カールのウィルソン兄弟が、いとこのマイク・ラヴ、高校の友人アル・ジャーディンと共に1961年にバンドを結成。
1961年、小レーベル「Candix」と契約し、シングル「サーフィン」をリリース、全米75位まで上り、Capitolとの契約を果たす。
1962年、シングル「Surfin' Safari」リリース。全米14位。
1963年9月、3rd アルバム『Surfer Girl』リリース。このアルバムから、ブライアン(この時21歳)がプロデュースを担当するようになる。
1964年末、ツアーに向かう飛行機内でブライアンが精神に混乱を来たし、ライブを欠席し、以降のライブには参加せず、音創りに徹することを宣言。このツアーではグレン・キャンベルが代わりを務め、その後ブルース・ジョンストンBruce Johnstonが正式メンバーとして加入する。
1966年5月、ブライアンが、ビートルズの『Rubber Soul』に対抗意識を燃やして、作ったコンセプト・アルバム『Pet Sounds』リリース。全米10位、50万枚を売り上げたが、それまでのイメージとかけ離れた内容にCapitolは不安を懐き、すぐにベスト盤を発売。瞬く間に100万枚を売り上げ、ブライアンは深く傷つく。しかし英国では好評で、アルバムが2位、シングルもヒットした。
その次のアルバム『Smile』制作中にブライアンはノイローゼになり、ドラッグとアルコールに依存するようになる。結局アルバムは完成せず、他のメンバーが断片を適当に集め、でっち上げた『Smiley Smile』が1967年9月にリリースされた。
1969年2月リリースの『20/20』を最後にCapitolを離れる。
ワーナー傘下のRepriseに移り、自分たちのレーベル「Brother Records」でリリースを開始。
1970年8月、アルバム『Sunflower』リリース。
・・・
ラリー・ルーレックス:
1972年夏、”Queen”のメンバーはロンドン、ソーホーのトライデント・スタジオでぶらぶらしていることが多かった。ダウンタイム(客が使っていない時間)を使ってレコーディングさせてもらっていたからだ。
その頃、スタジオのハウス・エンジニア、ロビン・ケーブルRobin Geoffrey Cableが、フィル・スペクターのサウンドにインスパイアされ、自分でも「I Can Hear Music」のカヴァーで”The Wall of Sound”を作りたくなり、フレディ・マーキュリーに唄ってくれるよう頼んだ。フレディは了承し、ブライアン・メイとロジャー・テイラーも呼んでレコーディングが行われた。
しかし、それをシングルで発売するまでに1年近くかかり、その頃には”Queen”のデビュー・アルバムが発売されようとしていた。フレディの名前を出すわけにいかず、”Larry Lurex”という名義で、73年6月、シングル「I Can Hear Music」が、EMIから発売された。
- ∨