いい音爆音アワー vol.93 「清涼♪コーラス特集」
楽器でも、ウクレレ、アコースティック・ギター、マリンバ、アンクルン(竹でできた打楽器)などは、音そのものが涼やか。
人の声は、単独ではまず「個性」が目立つので、涼しい声ってのも無きにしもあらずながら、むしろ温かいとか、熱いとかが多いと思いますが、これが合唱、つまりコーラスになると、変身します。
物理的にどうなっているのかは分からないけれど、混じり合うことで「個性」が薄まり、倍音成分が掛け合わさって、シュワーッと、細かい炭酸の泡がはじけるような余韻をともなった、清涼感あふれるなめらかな音色に生まれ変わるのです。
ただし、あくまでも、上手な人が集まった場合ね。
そして声質の向き不向きもあります。ハスキーと言われるような、倍音の多い声はコーラス向き。倍音が少ない、輪郭がはっきりした声は、重ねてもシュワシュワ感が出てこないので向いてないのです。ザックリ言うと、日本人より西洋人のほうがコーラス向きですな。
セットリスト
- Eagles「Take It Easy」意外なことにロンドン録音。
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1st シングル(1972年5月1日発売)
1st アルバム『Eagles(イーグルス・ファースト)』(1972年6月1日発売)収録
作詞・作曲:Jackson Browne, Glenn Frey/プロデュース:Glyn Johns
リード・ヴォーカル:Glenn Frey(2番の始めのハモはRandy Meisner)
レーベル:Asylum
全米12位 アルバムは全米22位
・ジャクソン・ブラウンが自分の1st アルバムのために書き始めた。友人で、当時隣に住んでいたグレン・フライに曲のさわりを聞かせると彼は気に入り、Eaglesでもレコード化することにしたが、その後なかなかできず、フライが共作することになった。
・グリン・ジョンズが英国人だったので、レコーディングはロンドンのOlympic Studiosで行われた。
・この時のメンバーは、Glenn Frey (vocals, guitars / 23歳)、Don Henley (vocals, drums / 24歳)、Bernie Leadon (vocals, guitars, banjo / 24歳)、Randy Meisner (vocals, bass guitar / 26歳)
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- America「Ventura Highway」バンド名を“America”としたのは、「アメリカっぽい音楽をやっているイギリス人」と思われたくなかったから。
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シングル(1972年9月19日発売)
アメリカ:
2nd アルバム『Homecoming』(1972年11月15日発売)収録
作詞・作曲:Dewey Bunnell/プロデュース:America
レーベル:Warner Bros.
全米8位、全英42位 アルバムは全米9位
・爽やかで面白いコーラスは3人のメンバー:ダン・ピークDan Peek、ジェリー・ベックリーGerry Beckley、デューイ・バネルDewey Bunnell。
・drums: Hal Blaine、bass: Joe Osborn(2人とも”レッキング・クルー”)
・この曲の特徴的なアコースティック・ギターのフレーズのサンプリングが、Janet Jackson「Someone To Call My Lover」で使われている。
・”Ventura Highway”そのものは存在しないが、Venturaの街を通る、”State Route 1”(Pacific Coast Highway)のイメージを歌っている。
1970年、ダン・ピーク(1950年11月1日生ー2011年7月24日没)、ジェリー・ベックリー(1952年9月12日生)、デューイ・バネル(1952年1月19日生)の3人によりロンドンにて結成。3人とも父親がロンドン近郊に駐留するアメリカ空軍の軍人で、3人は高校の同窓生だった。
1971年3月、UK Warner Bros.傘下のKinney Recordsと契約。
同年12月29日、1st アルバム『America』リリース。
1972年1月、シングル「A Horse with No Name(名前のない馬)」をリリース。全米1位、100万枚を超える大ヒットとなった。1st アルバムに「A Horse with No Name」を加えて再リリースすると、こちらも全米1位となった。
やがてバンドはロサンゼルスに移住。
同年11月15日、自らのプロデュースにより、2nd アルバム『Homecoming』リリース。サウンドはロック色が強くなった。
1973年3月、第15回グラミー賞で「Best New Artist」を獲得する。
同年10月、3rd アルバム『Hat Trick』リリース。
1974年6月、ジョージ・マーティンのプロデュースにより、4th アルバム『Holiday』リリース。シングルの「Tin Man」が全米4位、「Lonely People」が5位と健闘。
1975年3月、再びマーティンのプロデュースで、5th アルバム『Hearts』をリリース。シングルの「Sister Golden Hair」は彼らにとって2作目の全米1位を獲得。
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- Dixie Chicks「I Hope」ハリケーン・カトリーナの被災者支援のために作った曲
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シングル(2005年10月10日発売)
ディクシー・チックス:
7th アルバム『Taking the Long Way』(2006年5月23日発売)収録
作詞・作曲:Keb' Mo', Natalie Maines, Martie Maguire, Emily Robison/プロデュース:Rick Rubin
レーベル:Open Wide (Sony Music)
アルバムは全米初登場1位、カントリーチャートも初登場1位
・2005年9月の”ハリケーン・カトリーナ""の被災者支援のため、9月9日に開催された”telethon”(募金のためなどのTV番組)チャリティコンサート「Shelter from the Storm: A Concert for the Gulf Coast」でこの曲が初披露された。
・プロデュースは”レッチリ”などで知られるRick Rubin。なので、ドラムはChad Smithが叩いている。
・ギター・ソロはJohn Mayer。
・アルバムは、2007年2月11日、第49回グラミー賞にて、「Album of the Year」と「Best Country Album」、シングル「Not Ready to Make Nice」が「Record of the Year」と「Song of the Year」と「Best Country Vocal Performance」を受賞した。
マーティ・マグワイアMartie Maguire:fiddle, mandlin, vocals
エミリー・ロビソンEmily Robison:guitar, banjo, vocals
ナタリー・メインズNatalie Maines:lead vocal, guitar
1989年、米国テキサス州ダラス郊外のアディソンで、マーティ&エミリー・エルウィン姉妹、ローラ・リンチLaura Lynch、ロビン・リン・メイシーRobin Lynn Macyの4名によって結成される。エルウィン姉妹は結婚し、マーティ・マグワイアとエミリー・ロビソンとなった。
1990年、1st アルバム『Thank Heavens for Dale Evans』をリリース。
1995年までにメイシーとリンチが脱退し、ナタリー・メインズが加入してトリオとなる。同時期、ソニーの新設レーベルMonument Recordsと契約。
1998年1月、4th アルバム『Wide Open Spaces』リリース。1200万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。
1999年8月31日、5th アルバム『Fly』リリース。2作連続で”ダイアモンドアルバム”(米では1,000万枚以上のセールス)となった。
2002年、6th アルバム『Home』リリース。シングル「Long Time Gone」は初の全米1位となる。
2003年(イラク侵攻の準備段階だった)3月10日、メインズはロンドンの「Shepherds Bush Empire」でのコンサート中、同じテキサス州出身の米大統領 ジョージ・W・ブッシュを恥ずかしく思うと発言したところ、激しい批判にさらされた。4月24日のインタビュー記事でブッシュは言論の自由を強調し、Chicksを擁護したが、5月にはコロラド州でChicksの曲をかけようとしたDJが停職になる事件も起こった。
2006年5月23日、7th アルバム『Taking the Long Way』リリース。
同年7月、「Accidents & Accusations Tour」スタート。チケット・セールスはカナダやアメリカ北東部のいくつかの州では好調、他の地域では著しく不振となった。特にヒューストンやテキサスでは地元のラジオ局がツアーの広告の受け入れを拒否したため販売もできなかった。
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- Sneaker「Before You」短命に終わったバンドだが、なかなかの名作。
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2nd アルバム『Loose in the World』(1982年9月発売)収録
スニーカー:
作詞・作曲:Michael Carey Schneider, Mitch Crane/プロデュース:Jeff Baxter
レーベル:Handshake
・”Steely Dan”にあこがれていたバンド。バンド名はアルバム『Katy Lied』収録曲「Bad Sneakers」から最初”Bad Sneaker”としていたが、デビュー前に単に”Sneaker”とする。
・元”Steely Dan”のジェフ・バクスターがプロデュースしている。
1977年、ニューオリンズ出身のマイケル・カッテージMichael Cottage (b)、カンザスシティ出身のミッチ・クレインMitch Crane (vo,g)、カリフォルニア出身のマイケル・ケアリー・シュナイダーMichael Carey Schneider (vo,key)の3人が”Carey, Cottage & Crane”を結成し、L.A.の北部、ノースリッジでライブ活動を始める。
1978年、ヒューストン出身のマイク・ヒューズMike Hughes (dr)が加入。
1979年、L.A.出身のジム・キングJim King (key,vibe)が加入。遅れてシアトル出身のティム・トーレンスTim Torrance (g)が加入し、6人編成となる。
スタートしたばかりのHandshake Records & Tapesとレコード契約。
1981年10月、ジェフ・バクスターJeff Baxterプロデュースによる1st アルバム『Sneaker』リリース。シングル「More Than Just the Two of Us」が全米34位のスマッシュヒット。
1982年秋、再びバクスターのプロデュースで2nd アルバム『Loose in the World』リリース。
日本公演から戻ると、Handshakeが経営難によりクローズ。バンドも活動停止、解散を余儀なくされる。
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- Basia「Drunk on Love」本人多重録音によるコーラスは清涼かつ多彩。
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シングル(1994年発売)
バーシア(本名:Barbara Trzetrzelewskaバルバラ・チェチェレフスカ):
3rd アルバム『The Sweetest Illusion』(1994年5月3日発売)収録
作詞・作曲:Basia Trzetrzelewska, Danny White, Peter Ross(Immaculate Fools)/プロデュース:Basia Trzetrzelewska, Danny White
レーベル:Epic
ビルボードHot Dance Club Playチャート1位 アルバムは全米27位、オリコン6位
・90年代最後のスタジオアルバム。次作は2009年の『It's That Girl Again』。
1954年9月30日、ポーランド・シロンスク県ヤヴォジュノ生まれ。実家はアイスクリーム屋。
1979年、米国シカゴに移住。
1981年、英国ロンドンに移住。Mark ReillyとDanny Whiteに出会い、
1983年、3人でジャズ・ポップ・グループ”Bronze”を結成。やがて”Matt Bianco”と改称。
1984年、”Matt Bianco”、1st アルバム『Whose Side Are You On?』リリース。150万枚を売り上げる。
1985年、Basiaとダニー・ホワイトは”Matt Bianco”を脱退する。
1987年4月3日、ホワイトとの共同プロデュースにより、1st ソロ・アルバム『Time and Tide』リリース。世界で200万枚、米国で100万枚売り上げる。ビルボードのTop Contemporary Jazz Albumsチャート1位。
1989年10月、2nd アルバム『London Warsaw New York』リリース。再び世界で200万枚、米国で100万枚、Top Contemporary Jazz Albumsチャート1位を達成する。
1994年5月、3rd アルバム『The Sweetest Illusion』リリース。
1995年10月、ライブ・アルバム『Basia on Broadway』リリース。
1998年11月、コンピレーション・アルバム『Clear Horizon – The Best of Basia』リリース。
同年、母の死のショックなどもあり、音楽シーンから退く。
2004年、ホワイトとマーク・ライリーの勧めに応じ、”Matt Bianco”を再結成、アルバム『Matt's Mood』をリリースする。
2009年3月、15年ぶりのソロ・アルバム『It's That Girl Again』リリース。
2018年5月、5th アルバム『Butterflies』リリース。
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- コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ「山寺の和尚さん」元は童謡ではなく、ジャズコーラスによる大人の歌。「山寺の」の「の」もシンコペしてた♪
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シングル(1937年5月発売)
コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ:
作詞:久保田宵二(しょうじ)/作曲・編曲:服部良一
レーベル:コロムビア
・後に、2番の歌詞が変わり、3番がなくなって、童謡となった。
・しかし元ネタは、江戸時代後期に流行した俗謡「ぽんにゃん節(ぽんやん節)」だと思われる。
“ナカノ・リズム・ボーイズ”、“コロムビア・リズム・ボーイズ”とも。
中野忠晴が1934年頃結成した。
戦争の激化とともにジャズが制限され、1941年頃解散。
中野忠晴(なかの ただはる):
1909(明治42)年5月27日、愛媛県大洲市生まれ。
1932(昭和7)年、山田耕筰にスカウトされ、コロムビアに入社。
1934年、”ナカノ・リズム・ボーイズ”をバックに歌った「山の人気者」が大ヒット。
「六甲颪」の愛称で知られる阪神タイガースの応援歌を初めて吹き込んだのも中野。
戦後は作曲活動に転身。三橋美智也「達者でナ」、「赤い夕陽の故郷」、若原一郎「おーい中村君」、松島詩子「喫茶店の片隅で」など。
1970年2月19日、肺癌のため死去。満60歳。
服部良一(はっとり りょういち 別名:作詞家として”村雨まさを”):
1907(明治40)年10月1日、大阪市天王寺区生まれ。
1926年、ラジオ放送用に結成された大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団。第2フルートを担当する。指揮者だった亡命ウクライナ人の音楽家エマヌエル・メッテルから4年にわたって音楽理論・作曲・指揮の指導を受ける。
1936年、コロムビアの専属作曲家となる。
1937年3月、服部のアイデアにより、淡谷のり子「別れのブルース」を制作。当初なかなか売れなかったが、満州や中国から火がつき、やがて大ヒットとなった。その後ジャズのフィーリングをいかした和製ポピュラーものを次々と送り出す。代表作は、淡谷のり子「雨のブルース」、霧島昇・渡辺はま子「蘇州夜曲」、中野忠晴の「チャイナ・タンゴ」、霧島昇「一杯のコーヒーから」、高峰三枝子「湖畔の宿」、コロムビア・ナカノ・リズムボーイズ「山寺の和尚さん」、渡辺はま子「いとしあの星」など。
戦後は笠置シヅ子「東京ブギウギ」、「ヘイヘイブギ」、「ホームラン・ブギ」、「買い物ブギ」などのブギウギ・ソングをヒットさせた。
その他、藤山一郎・奈良光枝「青い山脈』、二葉あき子「夜のプラットホーム」、霧島昇「夢去りぬ」、「胸の振り子」、近江敏郎・二葉あき子「黒いパイプ」。ビクターでは灰田勝彦「東京の屋根の下」、市丸「三味線ブギウギ」などがある。
1993年1月30日、呼吸不全のため死去。満85歳。死後、作曲家としては古賀政男に次いで2人目の国民栄誉賞が授与された。
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- Zap Mama「Plekete」ピグミー(バヤカ)族のサウンドとヨーロッパのハーモニーの合体。
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1st アルバム『Zap Mama』(1991年発売)収録
マリー・ドルヌMarie Daulne(”Zap Mama”のリーダー):
作詞・作曲:Marie Daulne/プロデュース:Vincent Kenis
レーベル:Crammed Discs
・コンゴのピグミー(バヤカ)族のサウンドと、ヨーロッパの伝統的な合唱スタイルのミックスを目指した。
・この曲は自動車の様々な機械音を再現している。
1964年10月20日、コンゴ共和国Isiro生まれ。父はベルギー人、母はザイール人。
父親はコンゴ動乱(1961-65)で亡くなり、やがて母娘はベルギーに移住する。
1984年、ザイールに戻り、自らのルーツであるバヤカ(ピグミー)族の音楽を研究する。
1989年、5人編成のコーラス・グループ”Zap Mama”を結成する。Marie Daulne, Cecilia Kankonda(女性コメディアン), Celine ‘T Hooft, Sylvie Nawasadio, Sabine Kabongo(画家志望)
1991年、ベルギーのレーベル、Crammed Discsより1st アルバム『Zap Mama』をリリース。
1992年、ニューヨークで演奏した際に、デヴィッド・バーンDavid Byrneと出会い、彼のレーベル、Luaka Bop Recordsより、1st アルバムを『Adventures in Afropea 1』として再発売することになる。同年中に、ビルボードのWorld Musicチャートで19週連続1位を記録した。
しかしその後、よりポップな方向を求めたLuaka Bopにドルヌは反発、レーベルを離れる。
1994年、2nd アルバム『Sabsylma』リリース。グラミー賞の「Best World Music Album」にノミネートされた。
1997年、3rd アルバム『Seven』リリース。ドルヌのソロ・プロジェクト体制となる。
2000年、活動拠点をニューヨークに移す。
2004年、5th アルバム『Ancestry in Progress』リリース。エリカ・バドゥらが参加。
2009年、7th アルバム『ReCreation』リリース。
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- Imogen Heap「Hide and Seek」エンジニアもやってしまう多才な歌姫ならではの画期的なサウンド。
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先行シングル(2005年5月19日発売)
イマジン・ヒープ:
2nd アルバム『Speak for Yourself』(2005年7月18日発売)収録
作詞・作曲・プロデュース:Imogen Heap
レーベル:Megaphonic, RCA Victor (US), White Rabbit (UK)
ビルボードDigital Songsチャート37位、65万枚のヒット アルバムは全米145位、Top Dance/Electronicチャート2位
・Vocorderを使った本人ヴォーカルの多層演奏。
・TVドラマ「The O.C.」のseason 2最終回のクライマックスに使用され人気を得た。またそれが2007年の「Saturday Night Live」内の「Dear Sister」というネタでパロディ化された。それ以来、登場人物が撃たれスローモーションで倒れていくシーンでこの曲が流れるというパターンが、多くのTV番組やゲーム、アニメなどで使われている。
・Jason Deruloのデビュー曲「Whatcha Say」(2009年)でサンプリングされ、全米1位の大ヒットとなった。
1977年12月9日、英国ロンドン・ヘイヴァリング区生まれ。
幼い頃より、ピアノ、チェロ、クラリネットを学ぶ。
13歳より曲を作り始める。
寄宿学校時代には、ギターとドラムを習得する。アタリのパソコンで音楽制作も始める。
1998年6月16日、Almo Soundsより、1st アルバム『iMegaphone』をリリース。しかしほどなくレーベルが経営難となり、契約は終了する。
2001年、ジェフ・ベックのアルバム『You Had It Coming』に参加する。
2002年上旬、ガイ・シグズワースGuy Sigsworthとユニット”Frou Frou”を結成。同年6月4日、Islandより、アルバム『Details』をリリース。
2003年終盤、”Frou Frou”解散。
2005年4月、「Hide and Seek」がTVドラマ「The O.C.」のseason 2のエンディングに使用され、7月5日にiTunesで配信リリースされる。
2005年7月18日、自らのレーベルMegaphonic Recordsより2nd ソロ・アルバム『Speak for Yourself』リリース。
2005年11月、『Speak for Yourself』がRCA / Victorより米国、カナダ、メキシコに発売される。
2006年4月、『Speak for Yourself』がSony / BMGのWhite Rabbitレーベルより再リリース、再プッシュ。
2009年8月24日、3rdソロアルバム『Ellipse』リリース。
2010年1月31日、『Ellipse』が、グラミー賞の「Best Engineered Album, Non-Classical」 を受賞。
2014年8月18日、4th アルバム『Sparks』リリース。
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- Glee cast「Teenage Dream」CD収録テイクよりドラマ挿入テイクのほうがよいと思うのです。
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シングル(2010年発売)
ダーレン・クリス:
5th アルバム『Glee: The Music, Volume 4』(2010年11月26日発売)収録
作詞・作曲:Lukasz Gottwald, Katy Perry, Max Martin, Benjamin Levin, Bonnie McKee
※カヴァー:Katy Perryのシングル(2010年7月23日発売)
プロデューサー:Tommy Faragher
リード・ヴォーカル:Darren Criss
レーベル:Columbia
全米8位 アルバムは全米5位、全英4位
・20th Century Fox制作、Fox Networkで放送されたドラマ「Glee」挿入曲。
・「Glee」のSeason 2 - episode 6(2010年11月9日放送)、ダーレン・クリスの初登場回で演奏される。
・ダーレン・クリスはBlaine Anderson役。”The Dalton Academy Warblers”に所属していた。
・実際にコーラスをしているのはマサチューセッツのTufts Universityに所属する”The Beelzebubs”という男性アカペラ・グループ。
1987年2月5日、米国カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。
1997年、10歳でミュージカル・デビュー。
2009年、ミシガン大学で「Bachelor of Fine Arts」を取得後、友人たちとミュージカル劇団「StarKid Productions」を創設する。
2010年7月20日、自主制作EP『Human』リリース。
2010年11月、テレビドラマ「Glee」にBlaine Anderson役で出演(〜2015年)。
2013年7月に公開されたコメディ映画「Girl Most Likely」に出演。
2017年12月15日、2nd EP『Homework』リリース。米インディ・チャートで7位。
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- 山下達郎「僕の中の少年」いい音爆音で聴くと、このコーラスの凄さがよくわかりました♪
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9th アルバム『僕の中の少年』(1988年10月19発売)収録
やました たつろう:
作詞・作曲・プロデュース:山下達郎
レーベル:MOON (Alfa Moon)
アルバムはオリコン1位
・すべての打込みと楽器、唄は山下自身。ドラムのプログラミングはそれだけで3日を要したという。
・1986年のホンダ「インテグラ」のCMソングとして作られた。
1953年2月4日、東京都文京区本郷生まれ。豊島区池袋出身。
1975年4月25日、シュガー・ベイブ、アルバム『SONGS』をナイアガラ・レーベルよりリリース。
1976年12月25日、1st ソロ・アルバム『CIRCUS TOWN』をRCA ⁄ RVCよりリリース。
1980年9月19日、アルバム『RIDE ON TIME』リリース。初のオリコン1位。
1983年12月14日、シングル「クリスマス・イブ」を12インチの限定ピクチャー・ディスクでリリース。
1988年10月19日、9th アルバム『僕の中の少年』リリース。
同年12月、「クリスマス・イブ」がJR東海のクリスマス・キャンペーンCMソングに使われヒット。
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- 竹内まりや「明日の私」コーラスは山下達郎の一人多重録音。
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23rd シングル(1994年3月25日発売)
たけうち まりや:
コンピレーション・アルバム『Impressions』(1994年7月25日発売)収録
作詞・作曲:竹内まりや/編曲・プロデュース:山下達郎
レーベル:MOON (East West Japan)
オリコン19位 アルバムはオリコン1位
・東京ビューティーセンターとポッカサッポロフード&ビバレッジのCMソング
1955年3月20日、島根県簸川(ひかわ)郡大社町(現出雲市)生まれ。
1978年11月25日、RCA/RVCより、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー。
1982年4月、山下達郎と結婚。
同年9月1日、詞曲を提供した、河合奈保子「けんかをやめて」リリース。
1984年4月25日、全曲自身の作詞・作曲による6th アルバム『VARIETY』リリース。初のオリコン1位、30万枚以上のヒットとなった。
1994年5月10日、24th シングル「純愛ラプソディ」リリース。
同年7月25日、ベスト・アルバム『Impressions』リリース。オリコン1位、300万枚の大ヒット。
2014年9月10日、11th アルバム『TRAD』リリース。オリコン1位。
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- Fun.「Some Nights」ネイト・ルイスはこれからも楽しみなヴォーカリスト。
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第2弾(6th)シングル(2012年6月4日発売)
ファン:
2nd アルバム『Some Nights』(2012年2月21日発売)収録
作詞・作曲:Jeff Bhasker, Nate Ruess, Andrew Dost, Jack Antonoff/プロデュース:Jeff Bhasker
レーベル:Fueled by Ramen
全米3位、全英7位、オリコン69位 アルバムは全米3位、全英4位、オリコン12位
・コーラスはネイト・ルイス他、メンバーのアンドリュー・ドスト、ジャック・アントノフ、プロデューサーのジェフ・バスカー、さらにJoi Starrという人がadditional backing vocalsでクレジットされている。
・ネイト・ルイスはフレディ・マーキュリーの再来と言われているらしい。
・ルイスは楽器をほとんど弾けないけど、詞曲の骨格はだいたい彼が作っているよみたい。
2008年、同年解散した”The Format”(2002〜2008)のネイト・ルイスNate Ruess (vo)が、ジャック・アントノフJack Antonoff (g)、アンドリュー・ドストAndrew Dost (g,b,p,tp,horn,,)とともに結成。
2009年8月25日、デビュー・アルバム『Aim and Ignite』リリース。全米71位。
2011年9月20日、シングル「We Are Young (feat. Janelle Monáe)」リリース。
2012年2月21日、2nd アルバム『Some Nights』リリース。全米3位。
同年3月7日、「We Are Young」が全米1位を獲得。そのまま6週間その位置をキープした。
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- Corinne Bailey Rae「Put Your Records On」私がオーディオ・チェックに使う音源。コーラス含めいい音いいアレンジです。
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2nd シングル(2006年2月20日発売)
コリーヌ・ベイリー・レイ:
1st アルバム『Corinne Bailey Rae』(2006年2月24日発売)収録
作詞・作曲:Corinne Bailey Rae, John Beck. Steve Chrisanthou/プロデュース:
Steve Chrisanthou, Jimmy Hogarth
レーベル:EMI
全英2位、全米64位、米ACチャート6位 アルバムは全英1位、全米4位
・コーラスは本人とCara Robinson。
・2007年のグラミー賞で、「Record of the Year」と「Song of the Year」の両方にノミネートされた。両方を獲得したのが”Dixie Chicks”の「Not Ready to Make Nice」。
1979年2月26日、イングランド、ウェスト・ヨークシャー、Leeds生まれ。
父はカリブ海の小国Saint Kitts and Nevis(ニーヴィス)出身、母はイギリス人。
10代、ガールズ・バンド”Helen”で活動、デビューも決まっていたが、メンバーの妊娠が原因で解散した。
2001年(22歳)、出演していたジャズ・クラブで、サックス奏者のJason Raeと出会い、結婚。
2006年2月24日、1st アルバム『Corinne Bailey Rae』リリース。いきなり全英初登場1位となる。BBCの「Sound of 2006」で2006年期待されるアーティストの1位に選ばれた。
2008年、参加したHerbie Hancockのアルバム『River: The Joni Letters』(2007年9月25日発売)がグラミー賞の「Album of the Year』を獲得した。
同年、夫のジェイソンが死去。
2010年1月26日、2nd アルバム『The Sea』リリース。ボブ・マーリーのカヴァー「Is This Love」は翌年のグラミー賞で「Best R&B Performance」を獲得した。
2016年2月26日、3rd アルバム『The Heart Speaks in Whispers』リリース。
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- Carpenters「We've Only Just Begun(愛のプレリュード)」昔はイージー・リスニングだと、少しバカにしてました。改めてこのクオリティに脱帽です。
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第2弾(3rd)シングル(1970年8月21日発売)
カーペンターズ:
2nd アルバム『Close to You(遙かなる影)』(1970年8月19日発売)収録
作詞:Paul Williams/作曲:Roger Nichols/プロデュース:Jack Daugherty
レーベル:A&M
全米2位、全英28位、オリコン71位 アルバムは全米2位、全英23位
・コーラスはもちろん兄妹のオーバーダビング。
・drums: Hal Blaine / bass: Joe Osborn でAmerica「Ventura Highway」と同様。
・ポール・ウィリアムズが唄うバージョンが銀行のテレビCMで使われており、同じA&M所属だったので、リチャードはそれを聴いてウィリアムズだと気づき、すぐに会いにゆき、この曲をカヴァーしたいと申し出た。
・これはウィリアムズとロジャー・ニコルズのコンビにとって初のヒットとなり、以降大きく道が開けることになる。
・全米1位となった前作「(They Long to Be) Close to You」(3月発売)に続くミリオン・ヒットで、彼らの人気を決定づけた。
Richard Carpenterは1946年10月15日、Karenは1950年3月2日、米国コネチカット州ニューヘイブンで生まれた。
1969年4月22日、兄妹のデモテープがハーブ・アルパートの目に留まり、A&Mと契約締結。名義はあえて”the”をつけず”Carpenters”とした。
同年10月9日、1st アルバム『Offering』リリース。ビートルズの「Ticket to Ride(涙の乗車券)」のカヴァーが全米54位とまずまずのヒットとなり、アルバムも『Ticket to Ride』と改められて1970年に再発売された。
同年12月、兄妹はバート・バカラックに出会う。バカラックは彼らの作品を気に入り、自ら出演するチャリティコンサートの前座に招いた。兄妹はそこでバカラック曲のメドレーを披露し、それを聴いたハーブ・アルパートは彼らにバカラックの「(They Long to Be) Close to You」をカヴァーすることを勧める。
1970年3月、シングル「(They Long to Be) Close to You」リリース。全米4週連続1位の大ヒットとなった。
同年8月19日、2nd アルバム『Close to You』リリース。
1971年、グラミー賞で、兄妹は「Best New Artist」、シングル「Close to You」が「Best Contemporary Performance by a Duo, Group, or Chorus」を獲得。アルバムは「Album of the Year」にノミネートされた。
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1983年2月4日、カレン、死去。死因は心臓麻痺が第1で、拒食症は第2の原因だったらしい。
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- Daryl Hall and John Oates「Hard To Be In Love With You」サウンドに、コーラスに、ワクワク感みなぎるこの音で彼らの80年代快進撃が始まりました。
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9th アルバム『VOICES(モダン・ヴォイス)』(1980年7月29日発売)収録
ダリル・ホール&ジョン・オーツ:
作詞・作曲:Daryl Hall, Neil Jason, John Oates/プロデュース:Daryl Hall and John Oates
レーベル:RCA Records
アルバムは全米17位、1981年年間8位
・guitar: G.E. Smith / sax: Charlie DeChant / bass: John Siegler / drums: Jerry Marotta
・engineer: Neil Kernon
・初めて自らプロデュースしたアルバム。チャートに100週ランクインし続けるロングヒットになり、ここから最盛期を迎える。
Daryl Franklin Hohl:1946年10月11日、米国ペンシルヴァニア州ポッツタウン生まれ
John William Oates:1948年4月7日、ニューヨーク市生まれ
1967年、フィラデルフィアのあるダンス会場に、ダリル・ホールとジョン・オーツがそれぞれのバンドとともにいたところ、発砲事件が起こり、逃げ込んだエレベーター内で二人が出会う。後に、ともにフィラデルフィアの州立大学「テンプル大学」の学生であることを知る。
1972年11月、Arif Mardinのプロデュースにより、1st アルバム『Whole Oats』リリース。
1973年11月、再びArif Mardinのプロデュースで、2nd アルバム『Abandoned Luncheonette』リリース。
1974年10月、Todd Rundgrenのプロデュースにより、3rd アルバム『War Babies』リリース。
1978年、デヴィッド・フォスターのプロデュースによる、7th アルバム『Along the Red Ledge(赤い断層)』リリース。全米27位
1979年、引き続きデヴィッド・フォスターのプロデュースによる、8th アルバム『X-Static(モダン・ポップ)』リリース。全米33位
1980年7月29日、9th アルバム『VOICES』リリース。セルフ・プロデュースに変え、それまでロサンゼルスでレコーディングしていたものをニューヨークに変えてヒット。シングル「Kiss on My List」は初の全米1位を獲得した。
1981年、続く10th アルバム『Private Eyes』も大ヒット。全米5位。
1982年、11th アルバム『H2O』は彼ら最大のヒット。全米3位。
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- Fleetwood Mac「Everywhere」スティーヴィー・ニックスはあんなにダミ声なのに、コーラスになるとなんでこんなに美しいのでしょう。
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第4弾シングル(1987年11月発売)
14th アルバム『Tango in the Night』(1987年4月13日発売)収録
作詞・作曲:Christine McVie/プロデュース:Lindsey Buckingham, Richard Dashut
リード・ヴォーカル:Christine McVie
レーベル:Warner Bros.
全米14位、米ACチャート1位、全英4位 アルバムは全米7位、全英1位、オリコン14位
・コーラスはLindsey Buckingham, Christine McVie, Stevie Nicks。
・前作『Mirage』から5年、当初はリンゼイ・バッキンガムのソロ・プロジェクトとして始まったが、85年までにはFleetwood Macのニューアルバムに変わっていった。
・この作品を最後にバッキンガムはバンドを離れる。
・『Rumours(噂)』(1977年)についで売上の多かったアルバム。
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- Queen「Killer Queen」彼らのコーラスワーク、何度聴いても心躍る。やっぱり世界一です。
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先行シングル(1974年10月11日発売) 「Flick of the Wrist」と両A面
クイーン:
3rd アルバム『Sheer Heart Attack』(1974年11月8日発売)収録
作詞・作曲:Freddie Mercury/プロデュース:Roy Thomas Baker, Queen
レーベル:EMI (UK) / Elektra (US)
全英2位、全米12位 アルバムも全英2位、全米12位
・コーラスはFreddie Mercury, Brian May, Roger Taylorの3人。
・いわゆるクイーンらしい、オシャレ感満載路線の最初の曲。
・Katy Perryは「この曲は15歳の私に音楽というものを「発見」させてくれ、私自身の音楽へと向かわせてくれた」と言っている。
1971年2月、4人のメンバーが揃い、正式発足。
1973年7月、1st アルバム『Queen(戦慄の王女)』リリース。
1991年11月24日、フレディが45歳で死去。
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