いい音爆音アワー vol.92 「ナイス♪キメ特集」
①イントロや間奏とは別に、アレンジ上目立つパート。
②他のパートとは違う、あるリズムのパターンをみんなで合わせてプレイすることが多い。
③それがなくても曲としては成立する。
てな感じ。
ちなみに”決めごと”の”キメ”が語源なんで、日本でしか使わない用語ですが、海外、たとえば英語圏でこれに相当する言葉がどうもなさそうなんですよね。だけど、ここでご紹介するように洋楽にももちろん、たくさん”キメ”が使われています。いい”キメ”があります(^^)。制作現場で困らないのかな?
セットリスト
- Aretha Franklin「(Sweet Sweet Baby) Since You've Been Gone」プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーによる実にクール・ソウルなキメ。
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第3弾シングル(1968年3月発売)
アレサ・フランクリン:
14th アルバム『Lady Soul』(1968年1月22日発売)収録(移籍後4枚目)
作詞・作曲:Aretha Franklin, Teddy White/プロデュース:Jerry Wexler/エンジニア:Tom Dowd
レーベル:Atlantic
全米5位、R&B1位 アルバムは全米2位、R&B1位
・コーラスに”The Sweet Inspirations”と、Carolyn(妹) & Erma(姉) Franklin。
・Jimmy Johnson & Bobby Womack - guitars/Spooner Oldham - electric piano/Tommy Cogbill - bass/Roger Hawkins - drums
・ホーン・アレンジ:Arif Mardin
1942年3月25日、米国テネシー州メンフィス生まれ。
1956年、1st アルバム『Songs of Faith』をリリース。
1960年、Columbiaと契約。
1961年2月、2nd アルバム『Aretha: With The Ray Bryant Combo』リリース。
1966年6月、9th アルバム『Soul Sister』リリース。全米132位、R&B 8位。
Columbiaの重役ジョン・ハモンドは、「コロムビアはアレサのゴスペルの素養を理解せず、彼女の真の魅力を引き出すことができなかった」と語る。
同年11月、Atlantic Recordsに移籍。
1967年2月10日、Jerry Wexlerがプロデュース、アラバマ州マッスル・ショールズのFAMEスタジオで、”Muscle Shoals Rhythm Section”とともにレコーディングしたシングル「I Never Loved a Man (The Way I Love You)」リリース。全米9位、R&B1位のヒット。
同年3月、移籍第1弾、11th アルバム『I Never Loved a Man the Way I Love You』リリース。全米2位、R&B 1位。
同年4月、Otis Reddingの曲をカヴァーした「Respect」をシングル・カット。全米1位、R&B 1位の大ヒット。
1968年1月、14th アルバム『Lady Soul』リリース。全米2位、R&B 1位。
同年6月、15th アルバム『Aretha Now』リリース。全米3位、R&B 1位。
同年同月、雑誌「TIME」の表紙になる。
1980年、Arista Recordsと契約。
同年、映画「The Blues Brothers」に出演。
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- The Temptations「Ball Of Confusion (That's What the World Is Today)」メンバーよりもプロデューサーのノーマン・ホイットフィールドがやりたかった世界。
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シングル(1970年5月7日発売)
ザ・テンプテーションズ:
ベスト・アルバム『Greatest Hits II』(1970年9月8日発売)収録
作詞・作曲:Norman Whitfield, Barrett Strong/プロデュース:Norman Whitfield
レーベル:Gordy
全米3位、R&B 2位、全英7位
・演奏:”The Funk Brothers”
1961年3月、モータウンのオーディションを受け、契約となる。
1964年1月、エディ・ケンドリックスEddie Kendricks、ポール・ウィリアムズPaul Williams、オーティス・ウィリアムズOtis Williams、メルヴィン・フランクリンMelvin Franklin、デヴィッド・ラフィンの5人編成となる。
1964年12月、”Miracles”のスモーキー・ロビンソンとロニー・ホワイトの共作「My Girl」をリリース。翌65年3月に全米1位を獲得する。
以降、基本スモーキーがプロデュースを務めるが、
1966年5月、モータウンのプロデューサー/ソングライター、ノーマン・ホイットフィールドのプロデュースによるシングル「Ain't Too Proud to Beg」をリリース。全米13位、R&B1位とヒットし、以降ホイットフィールドがプロデュースを担当する。
1968年6月、コカイン乱用が原因か、素行が悪くなったラフィンを解雇することを決め、デニス・エドワーズDennis Edwardsをその後任に据えた。
1968年10月、シングル「Cloud Nine」リリース。後に「Psychedelic Soul」と呼ばれるようになる、新しい路線をスタートした。
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- James Brown「I Got the Feelin'」この曲を歌って踊って、ジャクソン5はモータウンのオーディションに受かった。
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シングル(1968年4月発売)
ジェイムズ・ブラウン:
23rd アルバム『I Got the Feelin’』(1968年4月発売)収録
作詞・作曲・プロデュース:James Brown
レーベル:King
全米6位、R&B 1位
・”The Jackson 5”は1968年7月23日、モータウンのオーディションを受ける。その中で演奏していたのがこの曲で、10歳のマイケルはジェイムズ・ブラウンの唄とダンスをしっかりマスターしていた。
・演奏:”the James Brown Orchestra”(Waymon Reed – trumpet / Joe Dupars — trumpet / Levi Rasbury — trombone / Alfred ""Pee Wee"" Ellis — alto saxophone / Maceo Parker — tenor saxophone / St. Clair Pinckney — baritone saxophone / Jimmy Nolen — guitar / Alphonso ""Country"" Kellum — guitar / Bernard Odum — bass / Clyde Stubblefield — drums)
・この1968年だけでもシングルを8枚、アルバムを5枚リリースしている。多作!
1933年5月3日、米国サウスカロライナ州バーンウェル生まれ。
2006年12月25日、死去。満73歳。
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- The Stylistics「Can't Give You Anything (But My Love)(愛がすべて)」世界に大ディスコブームをもたらした重要なキメのひとつ。
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シングル(1975年発売)
ザ・スタイリスティックス:
ベスト・アルバム『The Best of the Stylistics Volume II』(1976年9月発売)収録
作詞・作曲:Hugo Peretti, Luigi Creatore, George David Weiss/編曲:Van McCoy/プロデュース:Hugo & Luigi
レーベル:Avco(アルバムはH&L Records)
全米51位、R&B 18位、全英1位(初&唯一)
・編曲のヴァン・マッコイは1975年に自身の名義でリリースしたシングル「The Hustle」が全米1位の大ヒット、グラミー賞の最優秀ポップ・インストゥルメンタル賞を受賞し、世界的なディスコブームのきっかけとなる。
・2006年に木村拓哉が出演するギャツビー化粧品の「Moving Rubber」のCMソングに採用された。
1968年、フィラデルフィアで結成。
1970年、シングル「You're a Big Girl Now」をリリース、地域ヒットとなり、やがてAvco Recordsが興味を示し、再発売、年明けにR&Bチャート7位まで上がる。
AvcoはプロデューサーのThom Bellに彼らを託す。Bellがプロデュースした作品はすべてR&Bチャートのトップ10入りを果たし、中でも「You Are Everything」(1971年5月13日発売 9位)、「Betcha by Golly Wow!」(1972年2月17日発売 3位)、「I'm Stone in Love with You」(1972年10月発売 10位)、「Break Up to Make Up」(1973年2月発売 5位)、「You Make Me Feel Brand New」(1974年5月5日発売 2位)の5曲はポップチャートのトップ10に入った。
1974年、シングル「You Make Me Feel Brand New」の後、Bellが離れる。
その後はAvcoオーナーのHugo & LuigiのプロデュースにVan McCoyのアレンジという布陣となり、米国での売上は下がったが、ヨーロッパ、特に英国ではむしろ人気は上昇した。
1975年、シングル「Can't Give You Anything (But My Love)」はグループ初の全英1位となる。
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- The Band「The Weight」「なくても成立するのがキメ」と書きましたが、このキメはこの曲の顔だな。
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1st シングル(1968年1月発売)
ザ・バンド:
1st アルバム『Music from Big Pink』(1968年7月1日発売)収録
作詞・作曲:Robbie Robertson/プロデュース:John Simon
レーベル:Capitol
アルバムは全米1位
・リード・ヴォーカルはリヴォン・ヘルムLevon Helmとリック・ダンコRick Danko。
・1969年、映画「Easy Rider」で挿入歌として使われた。
・2003年、布袋寅泰出演のサントリー角瓶のCMで使われた。
・詞曲のクレジットはロバートソン一人だが、後年ヘルムが、他のメンバーも貢献したとクレームしている。
1960年頃から、トロントを本拠地とするロカビリー・シンガー、ロニー・ホーキンスRonnie Hawkinsのバック・バンド”The Hawks”に、リヴォン・ヘルムLevon Helm (dr)、ロビー・ロバートソンRobbie Robertson (g)、リック・ダンコRick Danko (b)、リチャード・マニュエルRichard Manuel (p)、ガース・ハドソンGarth Hudson (key)が、徐々に集まってきた。
1963年末、Hawksはホーキンスと袂を分かち、”Levon & the Hawks”と称し地道なライブ活動を続けうちに、ボブ・ディランのバックバンドとして抜擢される。
1968年7月1日、バンド名を”The Band”に改め、1st アルバム『Music from Big Pink』をリリース。
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- Brinsley Schwarz「The Slow One」ニック・ロウが在籍した元祖パブロック・バンドだけど、この曲はザ・バンドっぽい。
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2nd アルバム『Despite It All』(1970年11月20日発売)収録
ブリンズリー・シュウォーツ:
作詞・作曲:Nick Lowe/プロデュース:Brinsley Schwarz, Dave Robinson
レーベル:United Artists
ニック・ロウNick Lowe (b,g,vo)とブリンズリー・シュウォーツBrinsley Schwarz (g,p,vo)は英国サフォーク州ウッドブリッジのパブリック・スクールで出会い、学生バンドを作って楽しんでいた。
卒業するとシュオーツは”Three's A Crowd”というバンドを作る。1967年には”Kippington Lodge”と改称し、Parlophoneからシングルを2枚リリースするが空振り。ロウを招き、ボブ・アンドリュースBob Andrews (key)を迎え、ビリー・ランキンBilly Rankin (dr)を呼び入れた。
1969年、バンド名を”Brinsley Schwarz”と変える。
1970年2月、のちにIslandの社長にも就任することになるデイヴ・ロビンソンとマネジメント契約。
同年4月3、4日、ロビンソンが、ニューヨークのFillmore EastでVan Morrisonと”Quicksilver Messenger Service”の前座に”Brinsley Schwarz”を押し込み、そこに英国のメディア関係者を多数招待し、好意的な発信を展開してもらおうという企画を仕込んだ。接待旅行に招いたのは、ジャーナリストやカメラマン、テレビ&ラジオ・スタッフ、メロディメーカー誌の募集に当選した読者など、総勢133人。しかし、前もって現地入りして準備をする予定だったバンドが、ビザの問題で初日の本番直前の到着となり、リハーサルもできない上に、楽器がレンタルで使い慣れていないという悲惨な状況に追い込まれた。そして、2日目に入る予定のメディア陣を載せた飛行機が4時間遅れ、お詫びとしてアルコール飲み放題としたため、大半が泥酔の状態で演奏を観ることに……。おかげでそのライブは酷評の嵐となってしまった。この事件はプロモーションの大失敗例として”Brinsley Schwarz Hype”あるいは”Fillmore Hype”(フィルモアの嘘っぱち)と呼ばれ、英国ロック史上に残る伝説となっている。
同年4月17日、1st アルバム『Brinsley Schwarz』リリース。”Fillmore Hype”の影響でメディアからほぼ無視される。
同年11月20日、2nd アルバム『Despite It All』リリース。
1971年、もう一人のギタリスト、イアン・ゴムIan Gommを入れる。
1974年、Dave Edmundsのプロデュースにより6th アルバム『The New Favourites of... Brinsley Schwarz』リリース。収録曲の「(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding」は後にElvis Costelloがカヴァーしヒットすることになる。
同年、7th アルバム『It's All Over Now』を制作するがお蔵入りし、翌1975年に解散する。このアルバムの中には79年にロウが大ヒットさせる「Cruel to Be Kind」も含まれていた。
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- Johnny Winter「Rock and Roll, Hoochie Koo」キメとリフ、考え抜かれたスキのないアレンジ。
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シングル(1970 年発売)
ジョニー・ウィンター:
4th アルバム『Johnny Winter And』(1970年9月発売)収録
作詞・作曲:Rick Derringer/プロデュース:Johnny Winter, Rick Derringer
レーベル:Columbia
チャートインせず。アルバムは全米154位
・1973年にリック・デリンジャーがセルフ・カヴァーし、そちらは全米23位にまで達した。
・演奏:”Johnny Winter And”(Johnny Winter – vocals, guitar / Rick Derringer – vocals, guitar、Randy Jo Hobbs – vocals, bass、Randy Zehringer – drums)
1944年2月23日、米国テキサス州ボーモントBeaumont生まれ。
2歳下の弟エドガーEdgarとともに幼い頃より音楽に親しんだ。
1968年秋、1st アルバム『The Progressive Blues Experiment』をリリース。
同年12月、ニューヨークのFillmore EastでのMike BloomfieldとAl Kooperのコンサートにゲスト出演、客席にはColumbiaの重役がおり、数日後には、当時最高額と言われた60万ドルのアドヴァンスで契約する運びとなった。このことから「100万ドルのギタリスト」という異名が生まれる。
1969年4月、Columbiaでの最初のアルバム『Johnny Winter』リリース。
1970年、それまで一緒にやっていた弟エドガーが独立し、ジョニーはリック・デリンジャーRick Derringer (g)らと""Johnny Winter And”を結成。
同年9月、4th アルバム『Johnny Winter And』リリース。デリンジャーの参加によりロック色が強くなる。
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- Vanilla Fudge「You Keep Me Hangin' On」モールス信号をヒントにラモント・ドジャーが考えたキメ。
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1st シングル(1967年発売)
ヴァニラ・ファッジ:
1st アルバム『Vanilla Fudge』(1967年8月発売)収録
作詞・作曲:Holland-Dozier-Holland/プロデュース:Shadow Morton
レーベル:Atco
全米6位 アルバムも全米6位
・スプリームズのオリジナル(1966)は全米1位。1986年のKim Wildeバージョンも1位、1996年のReba McEntireバージョンは2位。
・1989年には、日産「180SX」(ワンエイティエスエックス)のCMイメージソングに起用された。
Mark Stein – lead vocals, keyboards
Vince Martell – guitar, vocals
Carmine Appice – drums, vocals
Tim Bogert – bass, vocals
1966年、ニューヨーク州ロングアイランドにて結成。
1967年8月、1st アルバム『Vanilla Fudge』リリース。全米6位。
1968年2月、2nd アルバム『The Beat Goes On』リリース。
同年6月、3rd アルバム『Renaissance』リリース。
1969年2月、4th アルバム『Near the Beginning』リリース。
同年初め、レッド・ツェッペリンが最初の米国ツアーで、何度かヴァニラ・ファッジの前座を務める。
同年9月、5th アルバム『Rock & Roll』リリース。
1970年3月14日、ニューヨーク郊外の「Action House」にて解散コンサート。
その後ボガートとアピスは”Cactus”を結成。さらに1972年にはジェフ・ベックと”Beck, Bogert and Appice”を結成。
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- David Bowie「Starman」この曲も”モールス”キメ。あとグレン・キャンベルの「ウィチタ・ラインマン」も。
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シングル(1972年4月28日発売)
デヴィッド・ボウイ:
5th アルバム『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(ジギー・スターダスト)』(1972年6月16日発売)収録
作詞・作曲:David Bowie/プロデューサー:David Bowie & Ken Scott
レーベル:RCA
全英10位・全米65位 アルバムは全英5位、全米75位、オリコン64位
・アルバムの最初の邦題は「屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群」。
・演奏:David Bowie – vocals, acoustic guitar, arrangements / Mick Ronson – electric guitar, keyboards, string arrangements / Trevor Bolder – bass / Mick Woodmansey – drums
1947年1月8日、英国ロンドン市ブリンクストン生まれ。
1967年6月、1st アルバム『David Bowie』をリリース。
1969年11月、映画「2001年宇宙の旅」(1968)に影響されて制作した2nd アルバム『Space Oddity』をリリース。アポロ11号月面着陸(7月20日)直前の7月11日にシングル「Space Oddity」をリリースし、全英5位・全米15位のヒット。
1970年11月、ミック・ロンソンをサウンド面での盟友に迎え、アルバム『The Man Who Sold the World(世界を売った男)』をリリース。
1971年12月、アルバム『Hunky Dory』でサウンドにも哲学・美学の要素が浸透し、カウンター・カルチャーの旗手としての地位を確立。
1972年6月、コンセプト・アルバム『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(ジギー・スターダスト)』をリリース。架空のロックスター”Ziggy Stardust”を名乗り、そのバックバンドである”The Spiders from Mars”を従え、世界を股に掛けた1年半もの長いツアーを展開。
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2016年1月10日、(18ヶ月の闘病の末)肝癌にて死去
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- Badger「On the Way Home」これぞ”プログレ”キメ。スタジオ盤も出してほしかった。
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1st アルバム『One Live Badger』(1973年発売)収録
バジャー:
作詞・作曲:Badger/プロデュース:Geoffrey Haslam, Badger & Jon Anderson
リード・ヴォーカル:Brian Parrish
レーベル:Atco (Atlantic)
・1972年12月15&16日、ロンドンのレインボー・シアターでYesの前座を務めた時の演奏。
・ジャケット・デザインとイラストはロジャー・ディーンRoger Dean。
“Yes”を辞めたトニー・ケイTony Kaye (key)と、Yesを作る前のジョン・アンダーソンと”the Warriors”というバンドにいたデヴィッド・フォスターDavid Foster (b,vo)を中心に、ロン・ダイクRoy Dyke (dr)、ブライアン・パリッシュBrian Parrish (g,vo)を誘い、1972年9月に結成、やがてAtlantic Recordsと契約をする。
1973年、1st アルバム『One Live Badger』リリース。
1974年には、フォスターとパリッシュが辞めてしまった。残ったケイとダイクは、キム・ガードナーKim Gardner (b)、ポール・ピルニックPaul Pilnick (g)、ジャッキー・ロマックスJackie Lomax (vo)を呼び集め、存続を図るが、しだいにR&Bを志向するロマックスが中心となり、同年リリースされたスタジオ・アルバム『White Lady』はアラン・トゥーサンAllen Toussaintのプロデュース、全ての作曲にロマックスが関わり、ジェフ・ベックがゲストで弾くなど、前作とはまるで傾向の違う作品となった。
そしてこのアルバムの発売前にはバンドは既に解散状態となっていた。
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- Swing Out Sister「Am I the Same Girl」オリジナルはインスト。それが最も売れたのは、キメがいいから?
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リード・シングル(1992年発売)
スウィング・アウト・シスター:
3rd アルバム『Get in Touch with Yourself』(1992年6月発売)収録
作詞・作曲:Eugene Record, Sonny Sanders/プロデュース:Paul Staveley O'Duffy
レーベル:Fontana
全米45位、AC 1位、全英21位 アルバムは全英27位、全米113位。
・最初にレコーディングしたのはBarbara Acklinだが、プロデューサーのCarl Davisがアクリンの声をピアノに差し替え、”Young-Holt Unlimited”名義で「Soulful Strut」というタイトルで1968年11月に発売した。これは全米3位のヒットとなり、カナダでは1位になった。アクリンの歌モノは1969年2月に発売され、全米79位、R&B 33位。1969年8月にはDusty Springfieldもカヴァーをリリースした。
1984年、アンディ・コーネルAndy Connell (key)、マーティン・ジャクソンMartin Jackson (dr)に、コリーン・ドリュリーCorinne Drewery (vo)が加わり、結成。
1985年11月、シングル「Blue Mood」でデビュー。
1986年10月、2nd シングル「Breakout」リリース。全英4位、全米6位のヒット。88年のグラミー賞最優秀新人賞ノミネート。
1987年5月11日、1st アルバム『It's Better to Travel』リリース。全英1位。
1989年5月25日、2nd アルバム『Kaleidoscope World』リリース。制作中にジャクソンが脱退。デュオに。
1992年6月、3rd アルバム『Get in Touch with Yourself』リリース。
1996年、日本のテレビドラマ「真昼の月」の主題歌に提供した「Now You’re Not Here(あなたにいてほしい)」は日本でのみシングル・リリース、ドラマとともに大ヒット。オリコン洋楽シングルチャートで11週連続1位を獲得。
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2017年12月、10th アルバム『Almost Persuaded』リリース。
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- いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー「真夜中のアマン」細野晴臣と萩田光雄の共同編曲!どんな様子だったのか見てみたい。
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6th アルバム『アワー・コネクション』(1977年4月25日発売)収録
いしだあゆみ:
作詞:橋本淳/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣・萩田光雄/プロデュース:橋本淳
レーベル:日本コロムビア
・演奏:ほぼ”ティン・パン・アレイ”=細野晴臣、鈴木茂、林立夫 / key: 矢野顕子・岡田徹・佐藤博・羽田健太郎 / horn: ジェイク H. コンセプション / perc: 浜口茂外也 / ag: 吉川忠英 / bv: 吉田美奈子・山下達郎
1948年3月26日、長崎県佐世保市生まれ、大阪府池田市育ち
1962年に上京し、いずみたくに師事。
1964年4月、ビクターより「ネェ、聞いてよママ」でレコード・デビュー。
1968年6月、日本コロムビアへ移籍。
同年12月、「ブルー・ライト・ヨコハマ」リリース。150万枚の大ヒット。
NHK紅白歌合戦に1969年から1977年まで9年連続出場。
その後女優活動に重点を移し、日本アカデミー賞主演女優賞を複数回獲得するなど活躍。
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- 槇原敬之「どんなときも。」キメによって歌に勢いが出ている。キメのお手本♪
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3rd シングル(1991年6月10日発売)
まきはら のりゆき:
2nd アルバム『君は誰と幸せなあくびをしますか。』(1991年9月25日発売)収録
作詞・作曲・編曲:槇原敬之/プロデュース:木﨑賢治
レーベル:WEA MUSIC
オリコン1位 アルバムはオリコン3位
・「今、織田裕二主演の映画の主題歌を募集しているから槇原君も送ってみれば?」と言われて作った曲。「どんなときも」の歌詞とメロディがまず浮かんだが、自分ではダサいと思いつつ、作って応募。見事、映画「就職戦線異状なし」(1991年6月22日公開)の主題歌に決定した。
・1992年には選抜高等学校野球大会の入場行進曲に採用された。
1969年5月18日、大阪府高槻市生まれ
高校在学中の16歳時、坂本龍一が担当していたNHK-FM「サウンドストリート」のデモテープコーナーに、”C・M・C(コンプレッサーズ・ミュージック・クラブ)”名義で「HALF」という楽曲を応募、坂本から絶賛された。
1990年3月、「AXIA MUSIC AUDITION '89」で、グランプリを獲得。応募曲は「NG」。
同年10月25日、シングル「NG」とアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でWEA Musicよりデビュー。
1991年6月10日、3rd シングル「どんなときも。」リリース。映画「就職戦線異状なし」主題歌、ケンタッキーフライドチキンのCMソングに選ばれて話題となり、オリコン1位、ミリオンセラーとなった。
同年9月25日、2nd アルバム『君は誰と幸せなあくびをしますか。』リリース。
1992年5月25日、5th シングル「もう恋なんてしない」リリース。ミリオン。
同年6月25日、3rdアルバム『君は僕の宝物』をリリース。アルバムで初のミリオンを達成。
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- Bryan Ferry「Limbo」オシャレでソツなく見えて実は味わい深いキメ。この人らしい。
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第3弾(27th)シングル(1988年発売)
ブライアン・フェリー:
7th アルバム『Bête Noire』(1987年11月2日発売)収録
作詞・作曲:Bryan Ferry, Patrick Leonard/プロデュース:Bryan Ferry, Patrick Leonard
レーベル:Virgin(UK) / E.G.(US)
全英86位 アルバムは全英9位、全米63位
・Patrick LeonardはMadonnaとの仕事が有名。1985年の「The Virgin Tour」および「Live Aid」でのキーボーディストおよび音楽監督からスタートし、『True Blue』(1986)、『Who's That Girl』(1987)、『Like a Prayer』(1989)、『I'm Breathless』(1990)、『Ray of Light』(1998)をプロデュースした。
・”The Smiths”のギタリスト、Johnny Marrがフィーチュアされている。
1945年9月26日、イングランド北東部ニューカッスルの近く、ワシントンに生まれる。
1970年11月、大学時代の友人グレアム・シンプソンGraham Simpson (b)と”Roxy Music”を結成する。やがて、アンディ・マッケイAndy Mackay (sax)とブライアン・イーノBrian Enoが参加する。1st アルバムの制作に入る頃にはポール・トンプソンPaul Thompson (dr)とフィル・マンザネラPhil Manzanera (g)も参入した。
1972年6月16日、1st アルバム『Roxy Music』リリース。
1973年3月23日、2nd アルバム『For Your Pleasure』リリース。
イーノが脱退し、フェリーがリーダー格となる。
同年10月、スタンダードのカヴァーを集めたソロ・アルバム『These Foolish Things』リリース。全英5位。
5th アルバム『Siren』(1975年10月発売)後のツアーの後、Roxy Musicは一旦解散する。
その間フェリーは、3作のアルバム、『Let's Stick Together』(1976)、『In Your Mind』(1977)、『The Bride Stripped Bare』(1978) をリリース。すべて全英トップ20に入った。
1978年末、Roxy Musicが活動再開。
1979年3月、6th アルバム『Manifesto』リリース。全英7位。
7th『Flesh and Blood』(1980年5月)、8th『Avalon』(1982年5月)も全英1位。
1981年2月、2ヶ月前に射殺されたジョン・レノンを追悼して「Jealous Guy」のカヴァーをリリース、バンドにとって初&唯一の全英1位シングルとなった。
1983年、Avalonのツアーの後、Roxy Music解散。
1985年6月3日、6th ソロ・アルバム『Boys and Girls』リリース。全英1位。
1987年11月2日、7th ソロ・アルバム『Bête Noire』リリース。
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- Steely Dan「The Caves Of Altamira(アルタミラの洞窟の警告)」シンコペーションの連続がしつこい(^^)、癖になるキメ。
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5th アルバム『The Royal Scam(幻想の摩天楼)』(1976年5月31日発売)収録
スティーリー・ダン:
作詞・作曲:Walter Becker and Donald Fagen/プロデュース:Gary Katz
レーベル:ABC
アルバムは全米15位、全英11位
・Sax solo: John Klemmer / drums: Bernard ""Pretty"" Purdie
・ジャケットのヴィジュアルはZox のイラストとCharlie Ganseの写真によるものだが、当初はVan Morrisonが1975年に出す予定だったが出なかったアルバム『Mechanical Bliss』用に作ったものだという。フェイゲンとベッカーは「間違いなく70年代で最も不気味なアルバム・カヴァーだ。ただし『Can't Buy a Thrill』を除いて」と語っている。
1948年1月10日、Donald Fagenが米国ニュージャージー州パッサイク郡で生まれる。
1950年2月20日、Walter Beckerがニューヨーク市クイーンズで生まれる。
1965年、フェイゲン、Bard大学に入学。ベッカーと出会う。
1970年夏、Denny Dias (g)が「Village Voice」に載せたバンドメンバー募集広告にフェイゲンとベッカーが応募し、”Steely Dan”の母体ができる。
1971年12月、ロサンゼルスで”Steely Dan”の最初のメンバーがそろう。フェイゲン(vo,key)、ベッカー(b,g)、Jeff ""Skunk"" Baxter (g)、Denny Dias (g)、Jim Hodder (dr)、David Palmer (vo)。
1972年10月、ABCレコードより、1st アルバム『Can’t Buy a Thrill』リリース。
パーマー脱退。
1973年7月、2nd アルバム『Countdown To Ecstasy』リリース。
1974年3月、3rd アルバム『Pretzel Logic』リリース。
この後、フェイゲンとベッカー以外のメンバーはバンドを離脱。
1975年3月、4th アルバム『Katy Lied(うそつきケイティ)』リリース。
1976年5月、5th アルバム『The Royal Scam』リリース1977年9月、6th アルバム『Aja(彩)』リリース。全米3位。
1980年11月、7th アルバム『Gaucho』リリース。
1981年6月、Steely Dan解散。
1982年10月、フェイゲンが1st ソロ・アルバム『The Nightfly』をリリース。
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2017年9月3日、ベッカー死去。
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- Boz Scaggs「What Can I Say(何て言えばいいんだろう)」今回最も単純で愛すべきキメ。
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第3弾シングル(1976年発売)
ボズ・スキャッグス(本名:William Royce Scaggs):
7th アルバム『Silk Degrees』(1976年3月発売)収録
作詞・作曲:Boz Scaggs, David Paich/プロデュース:Joe Wissert
レーベル:Columbia
全米42位、全英10位 アルバムは全米2位
・ボズのいちばん売れたアルバム。
・Boz Scaggs – guitar, lead vocals / Fred Tackett – guitar / Louis Shelton – guitar / David Hungate – bass / Jeff Porcaro – drums / Joe Porcaro – percussion / David Paich – acoustic piano / Plas Johnson – tenor saxophone solo
1944年6月8日、米国オハイオ州生まれ。
少年時代をテキサス州で過ごす。12歳のときにギターを始め、セント・マークス・スクールでスティーヴ・ミラーと出会う。2人は共にウィスコンシン大学に進み、ブルース・バンドを組んだ。
スウェーデンで歌っているとき、地元のポリドール・レコードの目にとまり、1965年にデビュー作『BOZ』を発表する。
1968年、”スティーヴ・ミラー・バンド”の最初の2アルバムに参加。
1969年、アトランティック・レコードからアルバム『Boz Scaggs』で米デビュー。”Muscle Shoals Rhythm Section”そしてDuane Allmanが参加したこのアルバムは、一定の評価を得るもののセールスは振るわなかった。
1971年、コロムビア・レコードに移籍。
1976年3月、7th アルバム『Silk Degrees』をリリース。全米2位となる大ヒット。
続いて『Down Two Then Left』(1977)と『Middle Man』(1980)とヒットを連発した。
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2013年3月、アルバム『Memphis』が33年ぶりに全米TOP20入(17位)する。
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