【インタビュー】みそっかす、10年かけてたどり着いた“本当の原点回帰”
■「みそっかす調子いいね!」と言われていた時期は、バンド内がいちばん崩壊していた時期
――本格始動から約3年で、みそっかすは2011年に初の全国流通盤『三次元からの離脱』をリリースしますが、この3年間はどんなことがありましたか?
ノブリル:その3年間で、俺がみそっかすを1回抜けて、また加入してます。
はるきち:実家のしいたけ業を継ぐからって、ノブリルがバンドを抜けて静岡に帰っちゃったんですよ。その頃、友達のバンドが「ZIP-FMに音源を送ったら流してくれた」と言っていて。じゃあ俺らもいけるはず!ってZIP-FMに送ったら、ディレクターの人がやたら気に入ってくれたんです。そしたらラジオで流してくれるだけでなく、ラジオのライブイベントにも出させてくれて。0.8秒と衝撃。とAny(現the sea falls asleep)と僕らのスリーマンでしたね。2010年でした。そのタイミングでノブが「戻ろうか?」と言ってきて。
ノブリル:だって脱退したメンバーにずっと音源送ってくるんですよ? しかも世の中ではVOCALOIDがめちゃくちゃ流行ってた時期にCD-Rで(笑)。そんなことずっとされてたら気になるに決まってるじゃないですか。それで脱退してから3ヶ月で戻ることにして。2ndミニアルバムの『異次元からの来訪者』の直前まで、片道2時間半かけて静岡から名古屋に通ってました。
マイケル:そのときのノブリルさんは、みそっかすが勢いづいていたから「ワンチャンいけんじゃね?」って感じでしたよ。
はるきち:うん。ノブの腹黒さがすごかった(笑)。
ノブリル:そんなことないよ!(笑)
マイケル:俺はノブリルさんが脱退したとき、「あ、絶対戻ってくるな」と思ってました。
――2011年頃は「バンドでのし上がっていくぜ」というモードだったのでしょうか?
ブルマン:いやいや、全然。
マイケル:あくまでスローライフの一環でした。はるきちさんはその時アルバイトだったけど、残りのメンバーは全員就職してたんですよ。
ノブリル:でも2ndの『異次元からの来訪者』を出す直前、「真剣に音楽活動をやっていくぞ」という話し合いはありましたね。それで当時のドラマーのドランキー伊藤が「ちょっときついかも」と言って、その半年後に脱退しました。
はるきち:みんな仕事をしていたので、全国流通盤を出したのに名古屋でしかライブをしていなかったんです。おまけに月に3本だけ。でも東京で俺らの曲を流してくれたり、大阪で俺らを待ってくれている人がいることとかが、リアルに見えてきて「これは東京や大阪にも行かなきゃいけないんじゃないか?」と思ったんです。その時期にツアーをがんがん回っていたアルカラと知り合って、ZIP-FMのお世話になっているナビゲーターさんにも「あんたらは絶対にツアー行かないとだめ!」と言われて……いろんなことが重なってツアーに出ることになりました。
はるきち:初めての東京での対バンがO-Crestでアルカラ。大阪の初対バンがキュウソネコカミ、KANA-BOON、理科室コーヒー実験ブレンド、The denkibran、the unknown forecastでした。名古屋でやっているときより、いいライブができたんですよ。
ブルマン:うん。月3回名古屋でやっているから、フレッシュなライブができなくなり始めてた頃だったからね。
はるきち:お客さんが「やっと東京に来てくれた!」と歓迎してくれて。ステージに出た途端に手が挙がっているのが見えて、そのときに「あ、俺らバンドマンなんだ!」と思った。名古屋でライブをしていたときは全然手が挙がることもなかったのに。
――2013年2月に、ドラマーがドランキー伊藤さんからジャンボリー加藤さんへとバトンタッチしますが、ここまでの経緯は?
はるきち:みんな就職していたんですけど、職場の上司との折り合いもついていて、勤務希望も融通を聞いてもらったりしていたんです。でもドランキーだけはうまくいかなくて、遠征で次の日の朝に帰ってきてそのまま働いたりしていたんです。でも僕らもありがたいことにいろんなところからライブ出演のオファーをいただくようになっていて。月10本くらいオファーが来てたかな。
ノブリル:でも僕らの環境だと頑張って出て5本が限界で。それでもドランキーには負担になっていて、めちゃくちゃつらそうでした。
はるきち:その時はスタジオの空気もすごく良くなかったね。
ブルマン:ケンカもいっぱいしたし。
マイケル:そうだねー……。ドランキーと「いつ辞める?」って話をしてました。俺も辞めようと思ってたんですよ。
はるきち:え、そうだったんだ。
マイケル:「このスケジュールはスローライフじゃねえな」と思って。でもその当時上司から「お前に向いてる仕事はない」「社会性がない」と言われていて……じゃあ音楽を続けておくしかないかなと思った。
はるきち:ドランキーは完全に疲弊していたから、ドランキーが生きているうちに新しいドラムを探そうという話になって。
ブルマン:ドラムがうまいのはもちろんだけど、コミュニケーション取りやすいやつがいいなと思ったんですが、そういうやつがジャンボリーしかいなかった。俺がゴリ押ししたらみんな「あんなできた男はいない」と言って、文句ひとつ言いませんでした。
ジャンボリー:まあそうですよね~!(笑)みそっかすは普通にライブも観に行っていたし、好きだったんです。話が来る前に「ドランキーが辞めるっぽいよ」というのをだれかから聞いたんですよ。そのときに「あ、これ俺に話がくるな」と思って。
はるきち:へぇ~! ちょっと思ってたんだね。
ジャンボリー:やっぱり一緒にコピバンもしていたし、ちょっとは思いますよね。でもそういう素振りを見せず「うん、いいよ。やるよ」と答えました。
はるきち:2013年2月、俺たちの初ワンマンでドランキーが抜けて。その翌日が「アメリカと中国と静岡」のミュージックビデオ撮影でした。それにはもうジャンボリーに来てもらっていましたね。
はるきち:パッと見ノリにノッていて、いろんな人から「みそっかす調子いいね!」と言われていた時期なんですけど、バンド内がいちばん崩壊していた時期でもあったんです。
マイケル:そうだね、ほんとつらかった。
ノブリル:バンドが嫌すぎてDTM始めましたもん。いつでも音楽で自立できるようにスキルを上げていきました。
はるきち:スタジオに入るのが嫌すぎたんですよ、絶対にケンカしてたから。相変わらずメンバー全員正社員として働きながらバンドをやって、事務所にも所属していなくてレーベルにも所属していないから、発注書とかも全部僕が職場のパソコンで作ってたんですよね。だから僕も結構いらいらしていて、メンバーに「お前らなんもやらねーじゃん! お前らもやれ!」ってノブリルに無理矢理ホームページの更新を押し付けた。
マイケル:はるきちさんが「あのライブの詳細、ホームページに載ってねえじゃねえか!」、ノブリルが「そのデータの詳細もらってないっすけど」――そういうやり取りをずっと眺めてました。
はるきち:2時間取ったスタジオも、そのうちの1時間半はロビーでずっと話していて。「あのバンドはフェスに出たけど俺らは全然呼ばれない」とか……。
ブルマン:雰囲気は最悪だったね。
ジャンボリー:ほんと嫌でしたね。俺、加入したばっかなのに、メンバーずーっとケンカしてるんですもん!(笑) スタジオも行きたくなかったけど、行かなかったら行かないで怖いから、仕方なく自分の気持ちを奮い立たせるためにずっと車で「勇気100%」聴いてました。
マイケル:でもそんなとき、いまの所属事務所であるNo Big Deal Recordsのスーパーマネージャーが現れたんです!!
ブルマン:僕たちの救世主!!
はるきち:僕の持っているパソコンが古すぎて、発注書を送ったりライブハウスに音源を送ったりするような事務作業に時間がかかって本当にいやだったんですよ。いらいらが溜まりに溜まっていて、ずっと「事務所がついてくれないかな……」とずっと思ってたんです。いろんな人が声を掛けてはくれたんですけど、最後まで我々を見放さなかったのが、No Big Deal Recordsのスーパーマネージャーでした。それがなかったらMASH A&R応募しようと思ってた(笑)。
ジャンボリー:あははは! カラーが違いすぎる(笑)。
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