【同世代対談】フルカワユタカ×大木伸夫(ACIDMAN)、「じゃあ、再結成しようよ」

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■LOW IQ 01でのユタカの演奏を見て
■やっぱり真ん中に立つ人だなって──大木伸夫

──今の若いバンドは、たとえばよく対バンとかイベントをしたり、シーンや関係性が見えうえで一緒に上がってくるような感じがありますが。

大木:20周年ということで僕らもいろいろ振り返る機会が多いんだけど、でもつるんでなかったんですよね。全然つるんでないんだけど、お互いに必ずどこかで意識していて、刺激し合ってるというのかな。そこが不思議な世代だから、長く続けている人が多い気がしていて。

フルカワ:下の世代は、率先して自分たちでイベントをやっていたりしてるけど、あれはなかったね。

大木:ないね。この間の<ACIDMAN presents「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”」>で声を掛けさせてもらったメンツは、フェス文化のおかげだと思っていて。フェスがなかったらこんな仲良しになってないかもしれない。テナーとかBACK HORNとは接点があったんだけど、フェスがなかったらDragon Ashとか10-FEETとかRIZEとは、また違う未来だったと思うんだよね。

フルカワ:それは上の世代もそうじゃないかな。

──この世代で大きなイベントをやろうというのはアジカンの<ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES.>が最初ですかね。あのイベントで同世代の感じがわかった感じがあったんですよ。ACIDMANとかストレイテナー、アジカン、それぞれ独自で築いてきて、そこで集結した感じもありましたし。

フルカワ:うん、セ・リーグでしょ。

大木:そうなんだ(笑)。

フルカワ:2000年代後半くらいの<ROCK IN JAPAN FES.>で言うと、セ・リーグがいちばん大きなGRASS STAGEで、フジファブリック、POLYSICS、ART-SCHOOL、髭、ドーパンっていうパ・リーグが次に大きなLAKE STAGEで。

──そこを超えてやろうっていう思いも、当時はあったんですか?

フルカワ:その頃になるともう、あまり気にしなかったですね、自分たちで必死な部分もあったし、しんどかった。そんなことなかった? みんな一瞬、ダサくなったわけじゃないけど、ちょっと古く見られている時期があったというか。

大木:あまりそういうのを意識しないんだよね、俺。

フルカワ:それこそ、フジファブリックの志村(正彦)が亡くなったのが2009年で。なんか、ちょっと詰まった感じがあったんだよね。音源にしても動員にしても伸び悩んでいく中で、自分で物語を作りづらいというか、その前はデビューして“いけいけどんどん”じゃない?

大木:もともと俺、デビューして“いけいけどんどん”がないタイプだったかも。

フルカワ:そうなの?

大木:ちょっと珍しいのかな、あまりロックスタータイプではないというか。“俺が俺が”っていうのがまったくなくて、“俺ごときが”っていつも思っていたから。

フルカワ:そうなのか。結構パ・リーグの人たちは、“いけいけどんどん”だったからなあ(笑)。そう思うと、アジカンの後藤くんとかは会ったことないけど、ちゃんとしてるもんね。浮かれたりしてないし。ホリエくんも、THE BACK HORNもそうだし。

大木:確かに、ユタカの言う“セ・リーグ”はみんなそうだね(笑)。

──それぞれマイペースな感じがありますね。

大木:そのペースを乱されることがいちばんイヤだったのかもしれない。20周年を振り返って自分で自分をWikipediaで調べたりすると、“俺、すごかったんだな”って。自分で感じてないんだよね、当時のことを。だから、ある意味不幸かもしれない(笑)。

フルカワ:バブリーになってることを気づかずに。

大木:普通に生活をしていて。もちろん生活スタイルは変わったりするけど、俺は売れてるんだぜと思って生活してこなかったから。あのときもっと、売れてんだぜの生活をしてればよかったって、Wikipediaをみて思った。

フルカワ:そうか。俺、浮かれてたなあ……。

──フルカワさんは先ほどおっしゃってた“うまくいかない時期”をどう乗り越えたんですか。

フルカワ:僕が尖っていたのはデビューしたてくらいのときで、その後の2009年とか2010年は、どちらかというと卑屈になっていってるんですよね。うまくいかなくなり始めて、“これは誰それが悪いからうまくいかないんだ”って、段々とひとりでやったほうがいいという思考に入って。メンバーのせいにはしなかったけど、最終的にエンジニアさんのせいにしたり、スタッフのせいにしたりという時期が、うまくいかないとあるんです。

大木:それはわかる。誰でもあるんじゃないかな。

フルカワ:その手前で、すごく自信を持っていたり、メーカーや関係者におだてられたり、友達になるはずのないようなすごい人と友達になったり、そういうところで自分が何者かになったような気がしていたんだよね。それが、辻褄が合わなくなっていく。でも、辻褄が合わないのが自分のせいだとは思わないんだよね。それで暗くなって、人と目を合わせなくなっていくし。フェスとかも、自分で出ないようにしてたからね。自分が合ってない気がしたんだよ。そこそこのステージに立たせてもらうのも合ってない気がするし、小さなステージに立つのも、“ほら見たことか”って周りに見られている気がするしで、全部断っていて。その代わりに、「ヨーロッパツアーに行く」なんて言って、ドサ回りだったのに俺はヨーロッパ行っているんだっていう、そういう時期だったね。

大木:でも、いい経験だよね、今そういうふうに語れるっていうのは、自分のせいだってことに気づいた証拠だし。そうじゃなかったら、俺は今回のユタカのイベントに出てないと思うから。その変化を感じたのが、<BRAHMAN 20th ANNIVERSARY LIVE「尽未来際 〜尽未来祭〜」>(2015年11月14日&15日@幕張メッセ国際展示場)で久々に会ったときで。そこで「大木、久しぶり」って言われた瞬間、“ああ、変わったな”って思った。

フルカワ:なにか違ったんだ。

大木:乗り越えたんだろうなっていう。良いか悪いかわからないけど、あの頃の嫌われていたユタカじゃないなって。DOPING PANDAを解散して、ソロをやって、いろいろ経験も積んで、もう一度ゼロからやるんだみたいな空気があった。この間、ACIDMANのツーマンツアーでLOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERSをゲストで呼んだ時、そこでのユタカの演奏を見て、これはイチさんにも言ったんだけど、“似合ってない”というか“やっぱり真ん中に立つ人だな”って。イチさんを引き立てるには、言い方が悪いけど、もうちょっとギタリストっぽいほうがいいなと思いながら、ライブを見ていて。

フルカワ:言ってたね。でも、俺は今とても勉強になってるし、市川さんがこうやっていろんなところに連れて行ってくれるから、また大木とも喋れるし、それがなかったら今回のイベントに誘えてないからね。

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