【インタビュー】マキタスポーツ「音楽界のジョーカー的な役割ができればいいなあ」
2018年に芸能生活20年を迎えたマキタスポーツが、<オトネタ¥7500>と名付けた20周年2daysライブ(2018年1月23日、24日)をCOTTON CLUBで開催する。役者としても異彩を放つマキタスポーツだが、芸人でありミュージシャンであり、作家、パーソナリティ…と様々な顔をも持つ人物だ。水道橋博士に「才能が渋滞しているオフィス北野の最終兵器」と言わしめる多彩な才人だが、その源流に足を踏み入れると、どうやら彼の身体には音楽の血が色濃く流れているようだ。
多面体のような才を放つマキタスポーツにとって、音楽とは何か。数多のミュージシャンとはまるで異なった音楽表現への切り込み方は、機知に富んだ独創性あふれるものだった。
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■ 単純に笑えばいいわけではなく
■ 「新しい価値観」が提示されたときのザワッとする違和感
マキタスポーツ:一番最初に芸人としてデビューしているんですけど、その前には音楽活動があって、僕のイメージとしては「音楽とお笑いを両立させるようなもの」をやりたかったんです。
──やはり根底に音楽があったんですね。
マキタスポーツ:そうですね。でもバンドがうまくいかなくなってしまったので、もう一方のお笑いで何とかしようと。僕は漫才をやりたかったんで、相棒と呼べる人もいたんですけど、それもなくなってしまったんでひとりで動くしかないと思って飛び込んだのが芸人の世界だったんです。それが1998年。
──自分の中では、音楽と芸事って両立していたんですか?
マキタスポーツ:全然両立してましたねえ。
──音楽とお笑いが融合された芸というものに対し、まわりの理解/評価は?
マキタスポーツ:あんまりなかったですね。当時からMCがおもしろいバンドマンとかはいたんですけど、僕はもっと演芸寄りで人がやってないことをやりたかったんです。1990年代前半だったかな…当時の音楽シーンではコミックバンドのような形式のものはなかったし、今でいうゴールデンボンバーみたいなことをやってる人もいなかった。面白いことをやってる米米CLUBなどはとっくにメジャーで大活躍していたし、そういう意味では誰もやっていないことを目指したかったから。
──影響を受けた人たちというのは?
マキタスポーツ:幼いときからたけしさんが好き。あとコロッケさん。形態模写なんだけど早回しの「シンデレラ・ハネムーン」とかやっていたじゃないですか。ダディ竹千代&東京おとぼけCats、ビジーフォーとか、音楽の基礎があるという意味ではドリフターズとかハナ肇とクレージーキャッツですけど、リアルタイムでは見ていないので…。
──世代が違うんですね。
マキタスポーツ:そう。ドンキーカルテットとか玉川カルテットとかもそんなに見ていたわけではないので、あんまり馴染みがなくて。カルチャー的には、漫才ブームが起こって、たけしさんとかタモリさんがやっていたことに、当時のお笑いとは違った新しさを子どもながらに感じていました。
──あの時代において、彼らは非常にパンキッシュな存在でしたよね。
マキタスポーツ:そうですね。僕らの世代のリアル。演芸ってちょっと古くさいイメージもあったんで、そういうものから急激に変わっていく瞬間…そういう変革者であるたけしさんであったりタモリさんであったりね。もうちょっといくと、とんねるずとか出てきたり。とんねるずは音楽もやってましたもんね。
マキタスポーツ:一方で、それこそMTV世代ど真ん中ですから、ハードロックにしてもマイケル・ジャクソンとかにしても、ああいう洋楽を見てきたんで、従来あった日本の歌謡番組とかがちょっと古くさく感じたんです。
──それは何歳くらいの時ですか?
マキタスポーツ:中学に上がったくらいかな。マイケル・ジャクソンも活躍していて日本で言うと佐野元春さん…とかかな。言葉の置き方/譜割りが従来の歌謡曲では聴いたことがないような言葉の使い方で。「ロッキングチェアから転がり 頭を灰皿にぶつけて マドモアゼルからマッシュポテト ライ麦畑でついに迷子」(「It's Alright」)とか、言ってることまったくわかんないけどその譜割りとかが笑っちゃう。なんかああいうのが、笑いながらもカッコイイって思ってた。
──わかります。
マキタスポーツ:サザンオールスターズにもシンパシーを感じましたけど、時代を変えた人たちとか潮目のアイコンの人たちが目に焼き付いていて、僕はそれを笑いをもって見ていたところがありました。もちろん何でもかんでも笑えばいいというものでもなく、「粋」というか「価値観を転倒させてしまうもの」ですよね。1970年生まれの僕はザ・ビートルズもリアルタイムで見ていないし、ましてやエルビス・プレスリーも生で見ていないけど、「カッコいい」って心酔する人と同時に「何だあれは?」と思われたり、エルビスなんかアメリカ本国ではあまりにも奇天烈なもので笑いをもって迎えられたりしたでしょう?
──チャック・ベリーもそうかもしれませんね。
マキタスポーツ:チャック・ベリーも多分に道化な要素がありますよね。世に出るときに笑いをある種のテクニックとして使っていたところもあると思うんです。いとうせいこうさんが日本で初めてラップをやったとき、クラブという概念も無かった頃で、やはり笑いをもってわかりやすくしたという話があります。最近のように「騒げ〜騒げ〜」という様式美が無かった頃に「騒げ〜」とか言われたら笑っちゃうじゃないですか。そういうのをあえて使ったところにシンパシーを感じます。単純に笑えばいいわけではなく、「新しいもの」とか「新しい価値観」が提示されたときのザワッとする違和感というか。
──粋ですね。
マキタスポーツ:僕は未だに苦労していることでもありますけれど、普通のミュージシャンとはメンタル面が全然違うと思うんです。
──「なぜステージに立つのか」…その、向いている方向も全然違う気がします。
マキタスポーツ:全然違いますよね。「カッコいいこと」を「そのまま素直にカッコつけてやれるかどうか」ってことがミュージシャンには重要だと思うんですけど、それが僕にはできないんで。
──それ自体がカッコ悪いんでしょ(笑)?
マキタスポーツ:そうですね。だから曲がった表現とかになるし、いろいろ考えるわけです。ちゃんとした曲はやるけど、MCではギターの彼と僕が急に漫才になっているとか、漫才をやった後にシリアスな曲をいきなりやるとか。でもね、そうすると相棒になるギタリストが「なぜ漫才をやるのかがまったくわからない」って言う(笑)。
──…でしょうね(笑)。
マキタスポーツ:ギャグ的フォーメーションを組んだり試行錯誤してやるんですけど「音楽に何の関係があるの?」っていう(笑)。なかなか歌に入れないでカウベル一発でコン!ってずっこけるとか、そういったオールドスクールなのは演りたくなかったから、いろいろ考えて、映像が使えないか?とか。でもプロジェクターを持ち込むのは大変だからスケッチブックで紙芝居にするぞとかやるんですけどね。
──ダディ竹千代&東京おとぼけCatsのような、古典的な音楽パロディとは違うわけだ。
マキタスポーツ:おとぼけCatsは全員演奏力があって、従来のコミックスタイルを踏まえた上でより過激にパフォーマンスをしていたところがあるでしょう? 音楽的なパロディも、例えばジョン・ボーナム風なことをあれだけの技術力でやるわけで、同じことはできねえなとも思う。
──なるほど。
マキタスポーツ:パロディの系譜で言えば、楽曲の模写ではすでに清水ミチコさんもいたし、さかのぼればタモリさんもね。それでいろんなアイディアを考えたりするものの見えているのは僕だけで、それをバンドメンバーにうまく伝えることもできない。
──確かに、付いてこれる人がそんなにいるとも思えない。
マキタスポーツ:今思えば、僕がわかりやすい設計図というか台本/脚本を書いて「この通りにやって」って言ったほうがわかりやすかったと思うんですけど。
──でも、それをやりたいバンドマンなんていない。
マキタスポーツ:そうなんですよね。はい。
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