ザ・デッド・デイジーズ、デイヴィッド・ローウィーの驚きの軌跡
ハード・ロック/ヘヴィ・メタル界のトップ・ミュージシャン達が集結したザ・デッド・デイジーズ。ダグ・アルドリッチ(G/ホワイトスネイク、ディオ、バッド・ムーン・ライジング)、マルコ・メンドーサ(B/ホワイトスネイク、シン・リジィ、ブルー・マーダー)、ジョン・コラビ(Vo/モトリー・クルー)、さらにディーン・カストロノヴォ(Dr/ジャーニー、オジー・オズボーン)が加わって、さらに強力になっていくこのバンドだが、その創始者であり、ギタリストとして活躍するのがデイヴィッド・ローウィーである。
◆ザ・デッド・デイジーズ画像
一流ミュージシャン達と堂々渡り合うのに加えて、オーストラリアで投資企業のCEOを務めるビジネスマン、そして超音速フライトをこなす飛行士という3つの顔を持つデイヴィッドは、いわばロック界のアイアン・マン=トニー・スタークといえる存在だ。「あまりインタビューはやらないんだ。このバンドを始めたのは私だけど、フロントマンではないからね」と控えめに語る彼に、その驚くべき軌跡を語ってもらった。
──あなたはザ・デッド・デイジーズのギタリストと並行してローウィー・ファミリー・グループ(LFG)のCEOとしてビジネス界で成功を収めていますが、業務内容について教えて下さい。
デイヴィッド・ローウィー:LFGはローウィー家全体の投資を担当している会社なんだ。父親のフランクはウェストフィールド・カンパニーというショッピングモールの企画と運営をする企業の創業者で、私と弟2人もずっと一緒にやってきた。でも私は15年前に退社して投資ビジネスを始めたんだ。ずっとロックが好きでバンドもやってきたけど、CEOになって少し時間ができたんで、ザ・デッド・デイジーズを本格的に始動させることにしたんだよ。
──企業のCEOと世界をツアーするロック・ミュージシャン業を両立するのは大変でしょうね。
デイヴィッド・ローウィー:もちろん大変だけど、それは私だけではないからね。ダグ・アルドリッチやマルコ・メンドーサは別のバンドも掛け持ちしているし、ジョン・コラビもソロ・キャリアがある。世の中には他の仕事をしながらバンドをやっている人も多い。私の場合、本社はニューヨークにあるけど、店舗があるわけではないし、世界のどこにいてもiPadと電話さえあればできる仕事だ。いろんなことをやりたいんだ。忙しいのを楽しんでいるよ。
──ギターを始めたのはいつ頃ですか?
デイヴィッド・ローウィー:最初は母親の影響でピアノを弾いていたんだ。10歳の頃から2~3年ぐらいピアノを学んだ。でもある日、ビリー・ソープをラジオで聴いて、ギターをやりたくなったんだ。彼は「ポイズン・アイヴィ」で大ヒットを飛ばしていた。当時カバーだとは知らなくて、ラジオで聴いたとき、ギターのビブラートとエコーがマジックだと思ったよ。
──ギターを弾き始めた頃、どんなアーティストから影響を受けましたか?
デイヴィッド・ローウィー:ザ・デッド・デイジーズのライヴのセットリストを見れば、その答えは既に君の前にあるよ(笑)。ストーンズ、キンクス、ザ・フー…初めて買ったレコードはイージービーツの「シーズ・ソー・ファイン」だった。AC/DCのマルコムとアンガスのお兄さんのジョージ・ヤングとハリー・ヴァンダがいたオーストラリアのバンドだよ。このレコードを買ってしまったせいでバス代がなくなって、家まで歩いて帰らねばならなかった思い出がある。それからもちろんビリー・ソープね。オーストラリアとイギリスのロックを聴いて育った。当時はアメリカの音楽はやや少なめだったかな?憧れのギター・ヒーローはジ・エンジェルスのブリュースター兄弟、ジョンとリックだった。それからもちろんAC/DCのマルコム・ヤング。私は基本的にリズム・ギタリストなんだ。速弾きプレイヤーではないんだよ。たまにメロディアスなソロを弾くことはあるけど、ベースと一緒にリフを弾くのが好きなんだ。十代の頃、ガレージ・バンドでベースを弾いていたこともある。
──ご家族はあなたのロック好きをどう考えていましたか?
デイヴィッド・ローウィー:あまり良くは思っていなかったみたいだ(笑)。私の父親はスロヴァキア生まれで、第二次世界大戦中にアウシュヴィッツ収容所に入れられて家族の多くを亡くしたんだ。父はその後パレスチナに移住して、イスラエル独立戦争(第1次中東戦争/1948-1949)に参加した。そして1952年に無一文でオーストラリアに移住してきたんだ。その2年後に私が生まれたんだよ。一代で富を築いた人というのは、子供にも同じ道を歩ませたいものなんだ。父もそうだった。実際私は大学を出て、父の会社で働いて一緒に大きくしていった。だから一時期音楽とは縁遠くなっていたんだ。私の人生が変わったのはある日、シドニーの街を歩いていたら楽器店の前を通りがかったときだった。ギターが私の目を捉えて、それを買って、時間があるときに弾くようになったんだ。それでビジネスと並行してバンドをやるようになった。決して十代の頃にグレてロックンローラーになったわけじゃないよ。それに誤解があるかも知れないけど、私は別に御曹司でも何でもなくて、1976年から父や弟と一緒に現在のビジネスを築き上げたんだ。ハード・ワークの結晶なんだよ。
──ザ・デッド・デイジーズのライヴではCCRの「幸運な息子」をプレイしていますが、その主人公と同様に“生まれつき幸運だったわけではない”のですね?
デイヴィッド・ローウィー:その通りだ(笑)。上院議員の家に生まれたわけではなかった。“銀のスプーンを口にくわえて”はいなかったんだ。もちろん家族と仲間たちの協力があっての成功だけど、自分が必死で努力を重ねた結果だよ。私にとってはビジネス、音楽、そしてはすべて同一線上にあるんだ。同じ情熱を傾けている。私はオーストラリアのエアロバティックス(曲芸飛行)チャンピオンになったけど、それは金で買えるものではない。事故で亡くなる人も何人もいるんだ。
──LFGのCEOという重要な職務に就いているため、会社や弁護士からアクロバット飛行を禁じられているというのは本当ですか?
デイヴィッド・ローウィー:それは事実ではないよ。私がやりたいことは、誰にも止められないからね(笑)。
──あなたはオーストラリアのテモラ航空博物館のオーナーだそうですが、そのことについて教えて下さい。
デイヴィッド・ローウィー:テモラは第二次世界大戦中、オーストラリア空軍とイギリス空軍の訓練用飛行場があった場所なんだ。私は戦闘機を数機所有していたし、大戦中にオーストラリアのために貢献した人々を記念する博物館を作りたかった。ただ飛行機を展示するだけでなく、人々の貢献に焦点を当てたかった。
──イギリスのスピットファイア戦闘機を所有するというのは、あらゆる少年の夢ですよね。
デイヴィッド・ローウィー:そうだね(笑)。博物館にはスピットファイアMk VIIIとMk XVIの2機が展示されている。実際、自分で乗ってみたけど、スピットファイアは乗るのが難しい戦闘機なんだ。操縦も難しいし、着陸するのも難しい。戦時中、多くのパイロットが亡くなったのは戦闘だけでなく、訓練中の事故もあったんだ。ただスピットファイアに乗って雲の上に出ると、自分が歴史の一部になった感慨があるね。
──他に操縦したことのある戦闘機は?
デイヴィッド・ローウィー:F-16ファイティング・ファルコンに乗ったこともあるし、博物館に展示しているセスナA-37Bドラゴンフライも操縦したよ。超音速の世界は、数万人の観衆がいる野外フェスのステージに立つのに似たアドレナリンが出てくるんだ。クセになるよ。
──日本の零戦をどう評価しますか?
デイヴィッド・ローウィー:おそらくオーストラリアに実際に動く零戦はないし、実際に乗ったことはないけど、軽量で小回りの利く、優れた戦闘機だったと思う。ただ軽量なぶん、強度がなかったかも知れない。ぜひ一度乗って飛んでみたいね。
──ミュージシャンで飛行機を操縦する仲間はいますか?
デイヴィッド・ローウィー:スティーヴ・モーズ(ディープ・パープル)、それからブルース・ディッキンソン(アイアン・メイデン)と一緒に飛んだことがあるよ。彼らはテモラまで来て、A-37戦闘機に乗ったんだ。みんな飛行機のファンだし、旅客機パイロットの資格を持っているんだ。
──あなたは現在でも飛行機の操縦はしていますか?
デイヴィッド・ローウィー:うん、年間数百時間フライトしているし、年2回シミュレーション・トレーニングをアメリカで受けている。もし失業したら、航空会社に就職してパイロットになるよ(笑)。
──ところであなたはミンクというバンドでギターを弾いていましたが、2008年フジ・ロック・フェスティバル出演時にあなたは参加しましたか?
デイヴィッド・ローウィー:いや、そのときはスケジュールの都合で参加できなかったんだ。ミンクは私が若いミュージシャン達と結成したバンドで、アルバムを1枚作った(『ミンクの叫び』2008年)。良いアルバムだったし、楽しかったよ。ただ成功を収めることができず、シンガーに2人子供ができたりして続けることができなくなったんだ。でもベーシストのグラント・フィッツパトリックはザ・カルトでやっているし、ドラマーのステラはロサンゼルスでウォーペイントというバンドを組んでいる。私はミンクが解散してしばらく音楽から距離を置いてきたけど、2012年にザ・デッド・デイジーズを始めたんだ。あとは君の知るとおりだ。
──ザ・デッド・デイジーズの今後の予定を教えて下さい。
デイヴィッド・ローウィー:2017年の終わりに集まって、新作に向けて曲作りをするんだ。2018年にはニュー・アルバムを発表して、また日本に戻ってくるつもりだ。ザ・デッド・デイジーズはバンドだけど、ラインアップはかなりユルくて、融通が利くんだ。みんな他のバンドがあるし、スケジュールの都合が合わなければ欠席しても構わない。そして、それが終われば戻ってくることも歓迎なんだ。私がいなくてもザ・デッド・デイジーズは続くけど、これからも日本に行くときは必ず参加するよ。
取材・文:山崎智之
Live photos by Mikio Ariga
ザ・デッド・デイジーズ作品
ザ・デッド・デイジーズ 写真集『The Dead Daisies LIVE & LOUDER Japan 2017』¥4,000+税2017年12月15日 日本限定発売予定
『ライヴ&ラウダー』
【初回限定盤ライヴCD+ボーナスDVD】¥3,800+税
【通常盤ライヴCD】¥2,500+税
『メイク・サム・ノイズ』
【CD】¥2,500円+税
『レヴォリューション』
【CD】¥2,500+税
『ザ・デッド・デイジーズ』
【CD】¥2,500+税
◆ザ・デッド・デイジーズ・レーベルサイト