【インタビュー】J、死生観/ヴィジュアル系を語る「終わりと始まりを感じながら進んできた」

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■共感し合い、共有できた時間
■それって永遠だと思うんです

──今、hideさんのお話も少し出ましたが、昨年亡くなられた森岡賢さん(※minus(-)。予定していたJとの対バンライヴは、藤井麻輝とサポートメンバーとで敢行。Jとのセッションも話題に)もそうですが、出会いがあれば別れもありますよね。Jさんはいつも「立ち止まっていてもしょうがない」とおっしゃり、受け継いだものをしっかりと音に込めて放たれているので、ずっと繋がっているとは思うものの……Jさんご自身はこれまで、どのように喪失と向き合い、乗り越えて来られたのでしょうか?

J:バンドを始めてから……hide兄もそうだし、森岡さんもそうだし、その他にも、お世話になっていた方たちとか、仲間とか、本当に多くの、もう会えなくなってしまった人たちが存在していて。当然悲しいしつらいんですけど、そのことに対する自分自身の想い、死生観というのは、昔からあまり変わっていなくて。悲しいし苦しいんだけど……でも、またいつか会える感じがすごくするんですよね、うん。

──肉体は無くなってしまい、実際に触れ合う形では会えない、という事実はありますが、その点はどう受け止めていらっしゃるんでしょうか?

J:もしかしたら、そこまで深くも考えてないかもしれなくて。俺たちは音楽を通して出会って、何て言うのかな……? そこにある想いに共感し合い、共有できた時間があるわけじゃないですか? 俺、それって永遠だと思うんですよ。だから、例えば会えなくなったからといって、その想い自体はなくならないんですよね。

──消えるものではない、と。

J:うん。そして、それは新しいとか古いとかもなくて、俺の中ではずっと色づいたまま、ギラついたままで。そうじゃないと、俺の中での……辻褄が合わなくなる、というかね。だって俺たちは、音楽という、“時間をも超えたもの”をつくり出そうとしているわけだから。そこには限度がなくて、何人の想いも入れられて。多かろうが少なかろうが、そのエネルギーは、そこに存在していて。聴いた人が少ないからとか、聴いた人が多いからとか、というとそういう事ではなくて、そこに込めた想いというのは天秤にかかるものでもなくて。同時に、それをつくり出した時間や、生み出した人たちとの時間も、消えるものではないんですよね。俺の中ではね。会えなくなってしまう悲しさは当然あるんだけど、いつだって音楽を流せばそこにそれがある、というか。だから、不思議と……「ゼロじゃない」っていう気が、いつもしてる。

──その死生観は、ある年代からそう思えるようになった、というのではなく、昔からずっとなんですか?

J:うん、昔からそうかもしれないなあ……。

──音楽で関わった方々だけではなく、年齢を重ねていくにつれ、私もそうですが、やはり死を身近に感じるようになってはきますよね? 死を強く意識するからこそ、日々の人との向き合い方が変わった、ですとか、そういう変化もないですか?

J:もしかしたら、そういう意識を以前からして物事を決めたり、選んできた、という部分はあるのかもしれないね。さっきの高校時代の話じゃないけれど、崖っぷちに立った時に「お前、どっち取るんだ?」という局面は、もしかしたら、人より多く経験してきているかもしれないから。「もうこれで音楽が出来なくなってもいいや」なんて毎回思いながら、アルバムを何枚もつくってきてもいるし、「これが最後だ」と思いながらステージに挑んでいた時もあるし。その都度、“終わり”と“始まり”を感じながら進んできた部分もありますからね。

──ああ、死に限らず、出会いの刹那を常々意識されていて、瞬間ごとに覚悟があるんですね。

J:当然、悲しいんですよ? 理解できない、受け入れられない時だってあるんだけどね。でも、もうひとつ言えるのは……これは俺の考え方なんですけど、(死という)その事実と同じだけ、出会って過ごした時間の意味を大切にし、喜ぶべきじゃないかな?と。死をそういうふうに感じてしまう前に、なぜ俺たちは一緒にいて、なぜ俺たちは盛り上がって、なぜ俺たちは燃え上がれたんだろう?って。そして、その時に感じた想いをもっと理解するべき、というか。俺はそう思うんですよね。

──たしかに、Jさんのジェスチャーを先ほどから見ていると、一目瞭然ですね。死の瞬間は点に過ぎずで、それまでに脈々と流れていた、共有していた時間はもっと豊かに長く存在していたわけですもんね。

J:そうなんですよ。だから、変な話だけど、(死は)誰にでも起こる、平等……という言い方は変だな。望んでなくてそうなってしまう人もいるし、平等とは言えないんですけど……誰にでも訪れることだから。

■いつでも会えるように
■自分の中にその想いを生かし続ける

──ちなみにJさんは、長寿願望はありますか?

J:えっ、長寿願望(笑)?!

──「100歳まで生きられますよ」と言われたら、「是非!」というタイプですか?

J:どうなんだろうね? 俺、最近思うんだけど、それって気持ちの問題なのかな?って。「生きたい」と思う人は、どれだけ自分の身体が老化しようが、動かなくなろうが、「生きたい」ってたぶん思うんだよね。でも、老いたら「もう俺、疲れたな」とか、思う人もいると思うんだよね? だから、長く生きることだけが幸せなのか?っていうのは、あるよね。もちろん、長く生きればそのぶん人よりいろいろなことを多く見られたり感じられたりする、という意味ではいいのもしれないけど。自分がその時になったらどう思うか?は、ちょっとよく分からなくて。

──好奇心を持って刺激的な日々を送っていると、脳が活性化して細胞が増えるとか、何かに夢中になっている時間は年を取らないとか、いろいろ説がありますよね。

J:時間を忘れて何かに没頭したりしたら、本当に時間を忘れる、ということですよね?

──はい、その時間はカウントされず、結果的に老いないというか。

J:速いと遅くなる相対性理論みたいだね? あはは!……でも、あり得ますよね。人の時間の刻み方って、それぞれにやっぱり違うわけじゃないですか? 俺が言ってることはもしかしたらそういうことなのかもしれない。たくさんの最高な時間を刻み合えたんだから、悲しみよりも、その大切さ、そのすごさを俺の中ではもっともっと大事にしていきたい、というかね。だって、共有した想いをずっと生かしていくのは、その人自身じゃないですか? 過去のものにしてしまったり、それを止めてしまったりするのも、その人自身じゃないですか? 会えなくなってしまったのなら、いつでも会えるように、自分の中にその想いをずっと生かし続ける……俺はそういう考え方なんですよね。

──そう考えると、とても素敵ですね。

J:じゃないと、腑に落ちない。そりゃ悲しいし受け入れられないし、ムカつきますし、納得できないし、いつまで経ってもずっと一緒にいたかった、という存在の人たちばかりだけど。それは僕だけじゃなくて、周りにもそういうことはたくさんあって、そういった繋がりの中で僕らは生きているわけだから。もし音楽に携わってなかった人たちだとしても、その人たちと共有できた時間、その意味というものを、俺は大切にしたいな、と思うんです。

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