【インタビュー】寺井尚子「今日と明日の演奏は違うということがジャズの魅力だと思っています」
寺井尚子と言えば、誰もが認めるジャズ・ヴァイオリンの第一人者として現代のジャズ・シーンをリードしつつ、近年はタンゴをレパートリーに取り入れるなど、ボーダーレスな活動で常に注目を浴びる存在だ。そんな彼女が新しいテーマに選んだのは、原点回帰と言うべき“ジャズ・スタンダード”。2017年はジャズが初めてレコードに吹き込まれてから100年という記念の年であり、2018年は自身のデビュー30周年を迎えるというダブル・アニバーサリーを記念して制作された最新アルバム、それが『The Standard』だ。バンド・メンバーである北島直樹(Pf)のアレンジのもと、「枯葉」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「ナイト・アンド・デイ」など珠玉の名曲に新たな生命が吹き込まれる、その制作秘話をたっぷりと語ってもらった。
◆寺井尚子~画像~
■その偉大なジャズメンに敬意を表しつつ
■私たちが未来の100年に届けたいという気持ちです
――2017年は、ジャズ吹き込み100年なんですね。
寺井尚子(以下、寺井):そうなんです。それでスタンダード・アルバムを作ろうということになったんです。来年の私の30周年ということもありましたけど、やっぱりジャズ100年というのはすごいことですから。逆にこれだけの名曲と名演があるのに「まだ100年なんだ」という思いもありましたし。
――確かに。クラシックの歴史の長さと比べると…。
寺井:ジャズは濃密ですよね。あたらめてすごいなと思いますし、ここでやらないともうやる時がないと思ったので。これからの、未来の100年に届けたいと思って作りました。今までスタンダードが息づいているというのは、偉大なジャズメンが命を吹き込んで、受け継いで来てくれたから、今私たちがそれを演奏することができる。その偉大なジャズメンに敬意を表しつつ、私たちが未来の100年に届けたいという気持ちです。
――選曲は、寺井さんが?
寺井:私と北島さんとで話し合いながら。彼が選んできた曲がそのまま入っているものもあるし、私がリクエストしたものもあるし、という感じです。私がリクエストした曲は「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「デヴィル・メイ・ケア」「これからの人生」「ブルーゼット」「ゴールデン・イヤリングス」「枯葉」です。なので、わりとみなさんがご存知の曲ばかりだと思います。
――そうですね。でも北島さんのアレンジが本当に素晴らしいので、曲を知っている方も新鮮に感じられると思います。
寺井:アレンジ、すごいでしょ? 彼はコンポーザーとしても素晴らしいんだけど、今までアレンジャーとして素晴らしさを見せられていなかったというか、彼がアレンジした楽曲が私のアルバムには入っていなかったんです。私がアレンジしていたから。もちろん彼のオリジナルは彼がアレンジして持ってくるけど、オリジナルとスタンダードをアレンジしたものとは違うので、この才能をきちっとした形で確立するべきだなと、そう思っているところにこのアルバムを作ることになって、ぜひ北島さんにお願いしたいと。
――基本、お任せですか。
寺井:そうです。全体のプロデュースをするなかで、伝えるべきことは伝え、任せるところは任せる。これは信頼関係がないとできないですよ。彼もここでまたさらにアレンジャーということで、もちろんご自身の作品やボーカリストの作品のアレンジはしていたんだろうけど、やっぱりこういう形でアルバムになると、意識がプレイにも出てきて、とても良かったと思います。
――具体的に聞いていきますが、1曲目「ナイト・アンド・デイ」はボサノヴァ風の小粋なムードで。
寺井:「こう行くか!」という感じですね。優しい雰囲気だけど、彼ならではの奥の深いアレンジで、北島さんじゃないとできないアレンジだと思います。
――「枯葉」が、アップテンポだったのは新鮮でした。
寺井:「枯葉」は今までもレコーディングしているんですけど、全然違うテンポです。原曲はシャンソンだから、前回はシャンソンの香りがするバラードでした。でも今回はジャズのスタンダード集ということで、このようなスタイルになり、スリリングで躍動感あふれる一曲になりました。
――ジャズのスタンダードにはそういうものが多いですよね。最初はミュージカルや映画の曲で、歌ものだったりとか。
寺井:そうですね。ですから“原曲のジャンルにとらわれない”という感覚が自然と私の中に受け継がれてきたのだと思います。
――「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」の、寺井さんの素晴らしいアドリブ・パートは、とても豊かでスリリングでした。
寺井:これこそインストならではの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」ですね。この曲は4ビートのアレンジがポピュラーですが、、もちろんそれもいいけど、インストならではの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」をやろうということで、このようになりました。
――ほかに、個人的な思い出のある曲というと?
寺井:「これからの人生」。このバラードは、私が修業時代によく弾いていた曲で思い入れがあります。その時代から知っている川嶋(哲郎/Tenor sax)さんがゲストに入ってくれているのも何かの縁で。
――ちなみに修業時代というのは…。
寺井:プロ・デビューしたのが1988年、CDデビューが98年なので、そこから10年間は修業時代、ライブ三昧の日々でした。バンドを組んで演奏していましたが、本当にこのやり方で大丈夫かな?と思ったり…。そんな時、94年にケニー・バロン(P)さんが、私が弾いているジャズ・クラブに偶然遊びに来て、一緒に演奏したんです。その1年後に「あの時一緒に演奏したナオコに来てほしい」という夢のような話で、ニューヨークのレコーディングに呼んでいただい。私は大きなレコーディングは初めてで、とにかくニューヨークに行きました。二週間の時間をとって行ったんですが、ケニーさんは作曲のためにバハマに行っちゃって、レコーディングの1日前まで帰ってこない。親しい人もあまりいないニューヨークで12日間を一人で過ごさなければいけないことになって、普通だったらどうにかなってしまいそうな状態ですけど、開き直って「よし、ニューヨークを楽しもう」と思って、午前中は練習して、午後は歩いて、夜はジャズ・クラブに行く、それを12日間続けました。そして滞在最後の日にレコーディングに行ったら、ジョン・スコフィールド(G)さんをはじめ、錚々たるメンバーがいて、みんなその場で初めて譜面を見るのですが、一回練習して「はい録ります」って、2回目でもう終わり。良いも悪いもない、それがレコーディング。緊張感の中、レコーディングを無事終え、ブルックリンからマンハッタンに帰る車中で、「信じた道は間違っていなかった」と、思わずガッツポーズをしていました。16歳の時に初めてジャズを聴いて、浮かんだ思いを形にしたいという思いだけで歩いてきましたが、この貴重な経験が、以来、私を支え、今も基本となっています。
――いい話ですね。
寺井:それからケニー・バロンさん、ハービー・ハンコックさん、リー・リトナーさん、リシャール・ガリアーノさんたちとの、素晴らしい出会いが私を支え、そして自分のバンドを長期にわたって作り上げてきたことで、ジャズ吹き込み100年の年にこのアルバムができたということです。
――なるほど。つながりました。
寺井:そう。だから修業時代によく演奏していた「これからの人生」を急に思い出したのは、意味があったかなと思っています。川嶋さんが入ったことも、自分で呼びたいと思ったからだけれども、不思議と言えば不思議だし。30周年ということを思うと、「うん、そういうことか」と思います。
◆インタビュー(2)へ