【対談】森友嵐士×榊原プロデューサー、「<BACK TO THE GOOD DAYS [男祭り]>で魂を響かせろ」
“夢のような”、という形容詞はこのイベントのためにある。T-BOLANの森友嵐士が声をかけ、80~90年代に大ヒットをいくつも持つアーティストが一堂に会する奇跡の一日。<BACK TO THE GOOD DAYS【男祭り】>は、“音楽はタイムマシーン”というキーワードに込めた、青春は年齢じゃない、心のあり方だ、という森友の理念を形にする、従来型のフェスとは一線を画す未来志向の音楽イベントだ。
◆森友嵐士×榊原プロデューサー 画像
BARKSはこのイベントをサポートすべく、特別対談を企画。格闘技や音楽、舞台などで幅広く活躍するプロデューサーであり、今回のイベント制作事務局の代表をつとめる榊原信行氏と、アーティスト代表にして発起人の森友嵐士に、このイベントにかける熱い思いを徹底的に語り合ってもらった。
◆ ◆ ◆
■“さあ、ここからお祭りを起こそうよ”と
■それが連鎖して時代が動く──森友嵐士
──8月16日、イベント開催を発表した記者会見のニュースは、BARKSでも大きな反響を呼びました。森友さんの手応えは?
森友:いやー、楽しむことにアプローチしたくて、現場に奇抜な格好で出掛けていったんですけど、誰も突っ込んでくれなくて困ってしまいました(笑)。そんなはじまりでしたが、なんとか、皆さんに思いを伝えさせていただくことができてほっとしましたね。記者会見自体、これまであまり経験なくて、正直、記者の方々の反応は、よくわからなかったんですが、記者会見が終わって、ニュースになって、周りの人や友人からたくさん反応が返ってきて、あー、こういうものを求めている人たちはたくさんいるんだなと、改めて感じました。
▼森友嵐士(T-BOLAN) 代表曲「離したくはない」「Bye For Now」。80~90年代にT-BOLANのボーカルとして数々の名曲をヒットチャートに送り込み、時代を駆け抜けた。その森友嵐士が発起人となり、90年代にヒット曲を世に送った男性アーティストと共にあの頃の思い出やトキメキが蘇る名曲の数々を贈るイベントが<BACK TO THE GOOD DAYS【男祭り】>だ。 |
森友:ちょっと前の話になっちゃうんですが、ひとつきっかけがあったんです。地元の同級生で、音楽をやっていた仲間の一人に会った時に、今は楽器を押し入れの奥にしまっていると。「なんで?」って聞くと、「プロになれなかったから」って言うんですよね。でも十代の頃、プロになるためにやってたわけじゃなくて、それが一番かっこよくて、自分が自分らしくいられる、最高の場所だったわけで。「俺たち、ただ好きでやってたっていう、それだけの動機で始めてたじゃん? それで音楽がなくなっちゃうのは淋しくない?」っていう話をしたんですよ。そうしたら、顔が急に変わって。
──おお~。
森友:当時、なりたいものになれなかった挫折感が音楽を閉じ込めてしまったのかもね。でもその挫折感はとっくに消えていて、「今は全然違う場所にいるのに、押し入れにしまったままなんて淋しいじゃない?」という話をした時に、彼の顔が変わったんだよね。それから昨年末に彼に連絡して、「お正月にみんなで集まろう」と誘ったら、「忙しいから無理」って言うんですよ。「忙しいったって、正月は休みじゃん」って話したら、「バンドのリハーサルで忙しい」って言うんですよね。嬉しくなっちゃいました。はじまっちゃったんですよね(笑)。
──すごい。やる気になった。
森友:それは僕の中ではすごく大きな出来事で、“きっかけさえあれば、まだまだ僕たち、こんなふうに扉が簡単に開いちゃうんだな”と。僕も含めてなんですけど、日常のサイクルの中でどこか決まりきったことになってしまっていて、何かを起こさなくなっている自分たちがいる。もう昔のことだし、学生時代が終わったら学園祭も終わり、みたいな。でもそうじゃなくて、お祭りはいつでも始められるじゃん?っていうことを、自分の日常生活の中で、仲間との会話の中で気がついて、彼と一対一で話したことを、もっと大きなところで伝えていく方法はないかな?と。そう思った時に、“音楽はタイムマシーン”というキーワードが出てきたんです。90年代のあの頃の音楽には、今もみんなが口ずさむ曲がたくさんあって、僕がファンの方と会うと必ず言われるのが、いつも聴いてますじゃなくて“いつも歌ってます”なんですよ。メッセージというよりは、歌そのものが届いている。その時代の音楽が一斉に並んだ場面がもし作れたら、それはすごく大きなタイムマシーンになるんじゃないかな?と。そのタイムマシーンが、一人ひとりがもっとワクワクして、もっと自由に、もっとたくさんの仲間たちと、好きだからとか、今やりたいからやる、というシンプルで自分の気持ちに素直に生きられた時代に連れて行ってくれるんじゃないか?と。
──その思いが原動力になって。
森友:そうやって連動していった流れと、新しい仲間との出会いがうまくかみ合っていって、このタイミングで、このハコで、この仲間たちと一緒に今回の企画ができることになったんですよね。だから企んだというよりは、自然な流れで今まさにここにたどり着いたんです。“さあ、ここからお祭りを一緒に起こそうよ”と。一つの始まりから何かが動く、そして、それが次に連鎖して、次から次へと化学反応が起きていった時に、時代が動く。僕はミュージシャンなんで、音楽を通してそんなメッセージができたら素敵だなと。
榊原:3か月、4か月ぐらい前じゃないですかね。
──え、そんな最近ですか?
森友:かみ合ったんですよ。僕の中におぼろげにあったものが、具体的なイベントの方向性と出演者と会場と、すべてが揃った時にひらめいた。そういう感じですよね。
榊原:そうですね。森友さんのそういう熱い思いが、プライベートの部分も含めて、アーティストとして長く活動を重ねた時にこそたどりつく心境みたいなものが、すごく伝わってきたんですよ。それに、この年代のアーティストの人たちは、みなさんミリオンのヒット曲を持って、今でも個別に活動されているんですが、この年代の人たちだけが集まって何かをやることもないらしい。それぐらいみなさん売れていたし、今も食えている、という人たちなんですよね。だから極論を言うと、売れなくなったからみんなで集まって何かやろうとか、そういう企画じゃないんですよ。
──まったく違いますね。
榊原:“実は過去にも誘われたことはあるけど、この手のイベントには出たことがないんです”、というアーティストの方も、今回のラインナップの中にはいらっしゃる。それはやっぱり森友嵐士という人が、この年になって、アーティストとして、男としてたどりついた境地に、みんなが乗っかったということだと思います。
──そうだと思います。
榊原:しかも、みなさんそれぞれに名曲をお持ちですし、メロディを聴いたら、その人のファンじゃなくてもたぶん全部歌えてしまう。森友嵐士を観に来たけど、小野正利さんが出てくれば小野さんの曲も歌えるし、小野さんを観に来たけど、森友さんが「離したくはない」を歌ったら、みんなも熱唱できるわけじゃないですか。そこには今までのフェスとは違う、しっかりとした理念が確実にあるので、それをみんなで共有して、キラキラしていたあの頃に戻ろうということだと思うんです。僕らもそこにはすごく共感できましたし、ぜひそういう場所を準備させてほしい、お手伝いさせてほしいということで、今回ご一緒させていただくという光栄にあずかったということです。
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