【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第49回「明石城(兵庫県)卓偉が行ったことある回数 2回」
兵庫県の城と言えば世界遺産の姫路城、そして近年CMの影響もあって有名になった竹田城などが上げられるが、忘れてはならないのが明石城である。ちなみに淡路島にある洲本城、これも素晴らしい。などなど兵庫県にはこのコラムで書きたい城が満載なのである。ってなわけでまずは明石城を紹介してみたい。
初めて来場したのは小学3年の頃、2度目はなんと今月の2016年7月9日。というのもZIGGYの森重樹一さんとの2マンツアーがあり、前日は名古屋でライブ、そのまま神戸へ移動し、翌日が神戸公演という中日に私一人で明石城に来城したわけである。実に28年ぶりである。前日の疲れも癒すことなく城の為なら早起きをぶちかまし、泊まっていた神戸のホテルを午前中に出発し、JRに乗り、途中に淡路島に架かる明石海峡を眺めながらの明石駅へ。ホームからもしっかり巽櫓と坤櫓が見える。この眺めがまず素晴らしい。ここでまず炎のガラケーショット!早速学生に聞こえるように言われてしまう。
「見て見て~!あっこにおる人ガラケーで写メ撮ってんで~!」
そうなのである、卓偉、未だにガラケーである。スマホに興味ないのである。携帯なんて簡単なメールと電話が出来ればいいのである。自分の音源制作は最新のパソコンで行うが、基本的に外でスマホやパソコンを使って検索するということをしない、興味がないのだ。ちなみに今使ってるこの携帯は安倍晋三総理大臣もまったく同じのを使っているのをたまたまテレビで見た。これからは私と安倍さんを合わせてアベノタクノミクスである。
改札を出て左に出ると中堀が目の前に表れる。この堀は明石城の外堀ではない。外堀は海側にある2号線が外堀の跡だと思ってくれて間違いない。埋め立てられているのである。ここから左に堀を縁取り、太鼓門跡へ、ここから来城スタートだ。大手門がどこだったかがわからないのがたまに傷だ。
明石城の築城は1618年と関ヶ原以降の築城ラッシュから比べるとちょっと遅め。私とファンの関係は最近ちょっと緩め。当時の城主は小笠原忠信。そこからたくさんの城主が入れ替わり立ち替わり、最終的には松平氏の居城と言ったところか。明石城は実に素晴らしい平山城である。当時は海まで城が広がっていたのである。
この城も明治に入り廃城になった後、最初は公園になったりはしたがその作りの美しさから皇室の御料地になっていた時期もある。結局は明石公園として発展し、今は桜の名所としての方が有名かもしれない。卓偉もロックシンガーというより城マニアのガラケーを使うおっさんと言った方がわかる人は多いかもしれない。城内にはトラックや野球場、北の丸には図書館などが立ち、城の縄張りを伝えるのはなかなか難しいが、もともとは総石垣の城なので残っている石垣の部分だけを説明するだけでもこの城の素晴らしさは十二分に伝わる。どこもかしこも石垣が奇麗だ。阪神大震災で崩れた石垣は90年代後半までにほぼ修復が完了、明石市民は明石城の石垣がこれほどまでに美しいことを知らないと思う。福岡県民が卓偉のことを福岡出身と知らないのと同じ感じである。
国の重要文化財で現存する巽櫓と坤櫓にスポットが当たりがちだが、この石垣と城の作り、この辺に注目してもらいたい。
太鼓門の虎口を抜けると目の前に本丸の巽櫓と坤櫓、その二つの櫓を繋ぐ真っ白な土塀が見える。これだけでも美しい。ちなみにこの土塀は復元である。太鼓門を超えた場所は三の丸となっているがそれは正面から見て右側だけであり、この左側にはもう一つの堀が存在した。いわゆるこれが内堀である。だが跡形もなく埋め立てられている。内堀を跨ぐように切手門という門があり、その先に居屋敷郭という御殿が存在した。江戸時代の武士は本丸ではなくここで生活していたとされる。(本丸にも御殿は存在したが)ここをまずイマジンしたい。本丸を攻めるには坤櫓方面に歩いて行けばすぐ本丸に登れるわけだが、そこをやめて巽櫓に向って歩き、そのまま石垣に沿って右側に歩き東ノ丸の裏に登りたい。この道も当時は櫓が多門や土塀などで繋がっていたことがイマジン出来る見事な石段が残っている。城の内側からしか垣間みれない櫓台のディティールの素晴らしさである。ここから東ノ丸に入り、仕切りの門を抜けると二ノ丸だ。駅の正面から見ると横長の城だが、こうやって本丸を目指すと縦長の城に思えてくるのだから面白い。もっとも明石城は海側に広がる三ノ丸と居屋敷郭より、東ノ丸より裏、今では図書館がある場所の方が高くなっている。よって東ノ丸の外にある箱堀と薬研堀は中堀より水位が高い。だが面白いのは城のほぼ真ん中にある桜堀は箱堀と薬研堀より水位が低いのだ。実に面白い地形に立てられている、江戸城も本丸より西ノ丸の方が高くなっている、こういうケースはよくあることである。ちなみにこの薬研堀の写真を撮っていたらおかんと娘の二人に言われる。「うわっ!ガラケーで撮ってんでこの人!」「ほんまやね!」うるさいわ、聞こえるように言いよって。
城の北側はほぼ埋め立てられているがどの方角から入城してもまったく違う印象を受ける、そんな明石城である。二ノ丸を超えると土橋のような入り口を狭めた本丸に入る門がある。明石城で残念なのはそういった門や櫓のあった場所に解説が全くされてないことである。これは城マニアでもわかりづらい。石碑でもボードでもいいから説明がほしいなと見学していて思った。アベノタクノミクスでなんとかしたい。本丸の虎口を入ると右に巽櫓である。この右側にも当時は良櫓が存在した。よって本丸はコーナーに4つの櫓、しかも全部3層の櫓が存在したのである。この威圧感たるもの半端ない。本丸に3層の櫓が4つ存在したのは仙台青葉城も同じである。
しかも白い壁が本当に奇麗だ。姫路城も白いが明石城も取り壊されなければ素晴らしく美しい城という評価が取れたことと思う。その奥が坤櫓であるが、正面から本丸を見た場合、この二つの櫓は向きを逆に立てられているのがわかる。正面から見ると巽櫓が横に、坤櫓が縦に立てられているのがわかる。これは実にお洒落だ。素晴らしい。ということはもしかすると本丸の角にある4つの櫓はどの方角から見ても縦を向いた櫓と横に向いた櫓で連なっていたということかもしれない。これは本当に、っぱねえっす!マジっぱねえっす!ハイセンス極まりない。
そして明石城で絶対忘れてはいけないのが天守台跡である。これを見逃して帰る観光客多し。坤櫓の横にある大きな石垣の段がそれである。横に天守台用の石段がある。これがいいのよ。実に味があっていい。天守台には穴蔵がなく、見事な正方形で作られている。残念ながら天守は築かれなかったと語られているが本当にそうなのだろうか?だったら初めから天守台など作るだろうか?天守台を作るのだって相当時間と資金もかかる。近年そういった天守台はあるが天守は立てられなかったという説が覆されている。福岡城天守などまさにそれだ。実は福岡城に天守は立てられていたという話が有力になってきている。歴史は言ったもん勝ち、どこでどう言い伝わって来たかわからない。後付けも多過ぎる。いつか後付ケーションっていう歴史をディスった曲書いたんぞ。
明石城の天守台から見える景色は最高だ。明石海峡も見える。この天守台の大きさだと5層なら相当でかい天守が立ったと思う。3層であっても和歌山城や松山城クラスの天守になったと考えられる。そこはそれぞれのイマジンで楽しみたいとこである。
明石公園になったことで市民がたくさん訪れる明石城になっていることは実に微笑ましい。その為にはスペースを作る為に内堀も埋め立てなければならなかったことも理解出来る。運動場を作ることでたくさんの人が訪れることは非常にいいことだ。ジョギング好きの私がもしこの街に住めるなら毎日でも明石公園を走りたい。しかも城内にはたくさんの公衆便所がある。これはクソが近い私にとってマジでありがたい。マジでリスペクトである。私は集中するとすぐクソがしたくなる。集中してクソがしたくならないのは自分のライブだけである。この日も石垣を眺めていたらクソがしたくなり、桜堀を眺めていたらクソがしたくなり、天守台からタワーレコードの看板が見えて、「タワレコあるのか、後で行こっと」と思ったらクソがしたくなり、漏れる!漏れる!漏れてまう~!という想いをせずに観光出来たのは明石城の公衆便所の多さにある。そう思ってたらまたクソがしたくなったので今からクソしてくる。
──クソ中──
長い戦いだった。話しを城に戻す。公衆便所も多いが屋根が付いた休憩スポット、いわゆる「東屋」みたいなのもたくさんあり、お年寄りの休憩にも役立つし、ちょっとしたピクニックにも持ってこいだ。だがこの日はどこもかしこも学生カップルがしけこんでおり、チュッチュッチュッチュッしていた。私が通るとパッと離れるのである。微笑ましいではないか。目の前でORIGINAL LOVEの「接吻」でも歌ってやろうかと思ったがやめといた。むしろおニャン子クラブの「バレンタイン・キッス」でも歌ってやろうかと思ったがやめといた。もしくは榊原郁恵さんの「夏のお嬢さん」でも歌ってやろうかと思ったが断念した。
この日は小雨が降ったり止んだり。ツアー中にも関わらず提供曲の作詞の締め切りが迫っており、本丸の東屋で雨宿りしながらしばしガラケーで作詞。締め切りに追われながら明石城を取材、この心の落ち着かない精神状態を横文字のワンワードで表すと「CAOS」である。
明石城内には猫も多い。どこもかしこも猫だらけである。猫好きにはたまらない猫城と言っても過言じゃないくらいの猫がいた。たまたまだろうか。東不明門で猫の写真を撮っていたらヤンキー風のジャージを着たヤンキー風の女子二人に言われてしまう。
「うわっ!めっちゃ久しぶりにガラケー見た!」「でもあれやで?うちのおばあちゃん未だにガラケーやで?」
うるさいわ。聞こえるように言いよってから。
帰りに駅の反対側にあるビルの中にあるタワレコでCDを買い、駅のお土産売り場で和菓子を覗き、さあ神戸に戻るかなと切符を買おうとしたら、柱に寄りかかるようにウンコ座りしているさっきのヤンキー風のジャージを着たヤンキー風な女子二人に遭遇。私が見えると片方のよりヤンキーっぽい女子が言った。
「ほらほら!見て見て!さっきのガラケーの兄ちゃんやで!」
1日に同じ街で4回もガラケーについて聞こえるように言われるという経験。安倍晋三総理にも報告したい。
ああ 明石城 また訪れたい……。
◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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