【インタビュー】橘高文彦「フライングVは、RPGの勇者の剣なのよ」

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橘高文彦のデビュー30周年を記念して開催された4名義の4公演<AROUGE><Fumihiko Kitsutaka's Euphoria><X.Y.Z.→A><筋肉少女帯>が、それぞれBlu-rayライブ作品として7月13日に4タイトル同時リリースされた。

◆橘高文彦 コメント動画/Blu-ray 4タイトル ダイジェスト動画

18歳でAROUGEのギタリストとしてデビューを飾った橘高は、2016年11月にデビューから32年目を数えるという。今回BARKSでは橘高の歴史に踏み込むべく、インタビュアーとして我らが編集長 烏丸哲也をアサイン。同じ時代を生きてきたギタリスト同士としてのトークはもちろん、アーティストとメディアという立ち位置に分かれたふたりが交わす音楽談義は一読の価値ありだ。

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■この世で聞いたことのないものを演りたかった

──今回、ついに30周年ということで、4名義の映像作品がリリースとなりましたね。

橘高:厳密に言うと、実は今年の秋でデビューして32年目なんですけどね。今回リリースしたBlu-rayものは、去年の11月いっぱいまでの30thイヤーに行なったライブだから。

──確かに、4つのライブ自体が30thを記念して開催されたものですものね。

橘高:そう。1本3時間ずつくらいあるから、全部で12時間をチェックするだけで大変だったし、それのミックスやって編集するのにやっぱり時間かかって今になっちゃった。

──25周年の時にもアニバーサリーライブを行ないましたよね。

橘高:25周年の時は、橘高フェスみたいな形で、自分が関わってきたすべてのバンドを一晩に詰め込んだから、結局4時間コースぐらいのライブになった(笑)。これは観る方も大変だろうし、我々のゲネプロもすごく大変だったのね。既に解散したバンドや活動してないバンドもあったから、スケジュール調整も含めてね。その割には1つのバンドが30分位ずつになっちゃった。だから次のアニバーサリーでは、それぞれワンマンライブでやりたいと思ったの。

──5年越しのプロジェクトでもあったわけだ。30余年の活動を経て、デビューした時のバンドシーンと今ってずいぶん変わりましたよね。

橘高:あの当時、「俺、大人になったらプロのミュージシャンになってレコード出して食っていくんだ」なんて、なかば笑いものだったでしょ?

──現実的ではなかったですね。

橘高:そう、現実的じゃなかった。でも俺、その非現実なことを中二の頃から言っていたタイプなの(笑)。あの頃は、音楽みたいな趣味を仕事にするなんて親に言えないし、友達にも当然言えないような時代だったから、逆に今の方が幸せだと思うよ。

──なるほど。

橘高:30周年を迎えたハードロック・ギタリストなんていなかったわけだから。

──金髪&ロン毛でがんがんギターを弾くのは、橘高文彦が最初でしたね。

橘高:目立ちたいから金髪にしたんだけど、今は黒髪の方が目立つね(笑)。そのくらい世の中は変わった。当時はデビューすること自体大変だったし、ロックの歴史も成熟してなくて過渡期だった。だからいろんなものが出てきたんだと思うけどね。パンクの誕生も経験しているし、ラップもそう、デスメタルみたいなものもそうだね。やっと成熟して、また新しいものが出てくるはずだし、それに対しても楽しんでいけたらいいなと思っているけど。

──筋肉少女帯という存在は、当時から特異だったと思います。振り返ればとんでもないミクスチャーバンドで。

橘高:そうね。いなかったですね。自分が加入して、よりいなかった形になったよね。

──当時の常識で言えば、メタル系のギタリストが活躍できる場ではなかったでしょう?

橘高:そうだね。ミクスチャーってジャンルも世の中に無かったし。

──筋肉少女帯の特異性は、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやレッチリのそれと同じだったと思います。

橘高:パンク・アングラ系でいてニューウェーブみたいなものも根底にはあったんだけど、俺、実はあんまりビックリしてなくて。もともと自分のギターというのは、様式美で語られることが多いんだけれども、様式美っていうのはひとつのフォームに則った中で個性を出していくタイプということなのね。でもバンドに対しては、自分のキャパシティの中で打ち出したいとは思っていなくて、複数の人間で組んでやるところから生まれるオリジナリティに、いつも期待してたの。

──バンドマジックね。

橘高:ケミストリーをね。だから自分が頭の中で思ってるコテコテのメタルも、例えばAROUGEだったらすごくポップに歌える山田晃士が歌うことによって崩された。筋肉少女帯では、自分の持つストイックなヘヴィメタル/ハードロックという様式美が、他の異質なものと混ざり合うことで、この世で聞いたことのないものを演りたかった。

──少なくともジャンル分けは難しかったですよね。

橘高:こと日本の場合は、ジャンルにハマったほうが楽な場合がいっぱいあったけど、筋肉少女帯には確信犯的なところがあって…ね。大槻ケンヂという音楽のフォームに則れない人。

──則らない、じゃなくて則れない(笑)。

橘高:俺はね、身の毛がよだつほど不協和音が嫌いなタイプだから、自分のアレンジでは作れないんだけど、そこに大槻ケンヂという崩しが入ることによって、結果、とっても不協な和音ができあがるの。でもそれは、自分にとってはとても新しいものだったし、不愉快な音階じゃなかった。そういう部分で筋少に魅力を感じていたし、俺が加入する前にいた三柴江戸蔵(三柴理)もそのタイプだよね。クラッシック出身の人だし、制約を楽しみながら限界を目指すタイプなんだけど。彼が大槻と出会ったのも似てるところがあると思う。

──なるほど。音楽性は全然違うけど。

橘高:そう。今は三柴くんとも一緒にやっているけど、二人とも音楽においては厳しいの。そこに乗ってくる大槻ケンヂというパフォーマンスを見てるというか、「ああ、こう来たよね」「こう来て欲しかったよね」っていう感じなんだよね。

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