【インタビュー】日本でブラジル音楽シーンを形成する今井亮太郎、本場のノリ、ロマン、官能を知る新作完成。ピアニストの生態まで明かす。
その指が奏でるリズムも、その生き方も、まるでサンバのように情熱的でアグレッシブ。日本におけるブラジル音楽ピアニストの第一人者、今井亮太郎の4thアルバム『コバルト・ダンス〜COBALT Dance〜』で聴けるサウンドは、心地よく流れるショーロ、サンバ、ボサノヴァのリズムの中で、せつない抒情から強い官能性まで、1曲ごとにロマン溢れるイメージを詰め込んだ短編集のような色鮮やかな聴き応えだ。様々な魅力の宝庫であるブラジル音楽への入口として最適な、“湘南マランドロ(=粋な遊び人)”こと今井亮太郎の音世界にぜひ触れてほしい。
◆今井亮太郎 画像
取材・文◎宮本英夫
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■日本でブラジル音楽やサンバと言うと、カーニバルのイメージが浮かびますよね?
■でも本当はサンバというのはすごく幅が広くて、ボサノヴァもサンバの一種なんです。
今井亮太郎(以下、今井):そうですね。一つにはブラジル音楽というものがギター主体の音楽なので、そもそも(ブラジル音楽が演奏される)ライブハウスにピアノがある環境がすごく少ないんですよ。昔からある場所で言うと、小野リサさんが出られている四ツ谷のサッシペレレ、そして表参道のプラッサオンゼ、両方とも生ピアノは入ってないし、そもそも日本でブラジル音楽専門のピアニストも、たぶん僕ぐらいしかいないのかな?と思う。じゃあどういうふうにやって行こうか?と思った時に、自分で電子ピアノを持って行くしかなかったんですね。もう一つは、日本でブラジル音楽やサンバと言うと、カーニバルのイメージが浮かびますよね? でも本当はサンバというのはすごく幅が広くて、ボサノヴァもサンバの一種なんですけど、ボサノヴァはボサノヴァというジャンルとして確立されてファンも限られちゃってる。そこをもっと広げて行くために様々な場所で演奏しなきゃいけないと思って、これまで活動していたら、自然にいろんなところで演奏することになったんです。
── まさに、ブラジル音楽の伝道師のような。
今井:日本でブラジル音楽の紹介者になれればいいと思っているので。僕のブラジル音楽の師匠はショーロの家系で、ショーロというのはサンバの前からある音楽で、今もリオデジャネイロでは盛んなんですね。僕が向こうでお世話になったジョゼ・ダ・シルヴァ家や、ほかにいくつか名門の家系があるんですけど、今回のアルバムに全面的に参加してくれたセウシーニョ・シルヴァという人が今の当主で、そのお父さんが、「湘南マランドロ」に特別参加してくれたジョルジーニョ・ド・パンデイロ。ブラジルの音楽史を書くと必ず名前が出て来る人で、エポカ・ヂ・オウロというショーロのグループのリーダーです。僕はその人たちにブラジル音楽を教わって、ブラジルのトップのプレイヤーたちのノリを学んで来ました。僕の音楽で一番こだわっているのはそこで、ブラジル人が聴くとちゃんとサンバしているところ。でも演奏を届けるのは日本人だし、日本でブラジル音楽のシーンをちゃんと作りたいので、向こうのノリを持った上で、日本人が聴きやすいサウンドにするにはどうしたらいいか?ということを、ずっと考えてやって来てるんですけどね。
── 今回のアルバム『コバルト・ダンス〜COBALT Dance〜』には、アントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave」をはじめ、サンバ〜ボサノヴァの有名曲のカバーも入ってます。
── そして、「ミ・アモーレ」が入ってますね。中森明菜さんの1985年の大ヒット曲。
── あ、そうなんですね。
今井:「リオの街はカーニバル」という歌詞が出て来るんですけど、でも「ミ・アモーレ」はイタリア語。(ブラジルの公用語である)ポルトガル語だと「メウ・アモーレ」で、なんでかな?と思ってたんだけど、よく見ると副題に「Meu amor é…」って書いてあるんですよ。éはisの意味で、「私の愛は…」というふうになるんですけど、「ミ・アモーレ」に聴こえるので、それでイタリア語の「ミ・アモーレ」になったんじゃないかな?と思うんですけどね。
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