【インタビュー】西村由紀江、「30周年を前に“私はこの方向で進もう”と思えるアルバムが出来た」
■“シ”は、やっぱり端っこなんです(笑)
■でも主役じゃない良さっていっぱいあるんですよ
▲ピアノコンサート |
西村:最後に入っている「わたし」です。これは去年のクリスマスコンサートツアーの少し前に出来上がって、初日で初披露したんですよ。はじめはすごく短いサイズだったんですけど、ツアーが進むにつれ、AメロだけだったのがBメロが出来て、間奏が出来て、ちょっとずつふくらんで、最終日にだいたい形になったんです。ファンの人もすごく気に入ってくれて、仙台で見た方が、その続きが気になって横浜にも来てくださったりとか(笑)。ツアーでファンの人と共に育って行った曲なんですね。もっと華やかにというか、曲としてもう少し聴きやすくする方法もあったかもしれないんですけど、そうじゃないところが「わたし」らしいかと。ファンの人たちも、「西村さんらしさを感じる」と言ってくれたので。静寂のまま、ゆっくり盛り上がって行くような曲になりましたね。
──この曲で面白いのは、ドレミファの“シ”の音をモチーフにしていて、“一番端っこの目立たない音で、私に似ている”という言い方をされているのがすごく面白くて。ドレミファソラシドって、一音一音に性格みたいなものがあるのかな?とか思ったり。
西村:そうなんですよね。“シ”は、やっぱり端っこなんです(笑)。“ド”が花形で、“ミ”や“ソ”が準主役だとすると、“シ”は決して主役にはならない。でも主役じゃない良さっていっぱいあるんですよ。私はどういうタイプかな?と思った時に、いつも真ん中にいたいとは決して思わない。ちょっとカッコいい言い方かもしれないですけど、コンサートでも自分が弾いてて気持ちいいというより、お客さんが喜んでくれるのが本当の喜びになる。ピアノを届ける活動も同じなんです。ある日、こういう生き方もあるんだと思えた時に、楽になれたんです。思い返せば「とまどい」を作った頃は、アーティストは積極的じゃないとダメだと言われて、自分でもこれじゃいけないんじゃないか?と思ったり、サウンドをもっと華やかに、人間性ももっと積極的に、業界に慣れなきゃとかずっと思っていたけれど、今はその迷いがなくなりましたね。私はここで生きていくんだって、ある意味開き直れたので。そういう自分を投影した曲ですね。
──そんな様々な気持ちの変化を重ねて、2016年でちょうどデビュー30年になるんでしたっけ。
西村:30周年です。2015年5月から30年目に入ります。
──振り返ると、先ほど言われたとまどいの時期がまずあって。そのあと90年代に入ると、テレビのサウンドトラックも手がけるようになって、すごい売れっ子になりますよね。『101回目のプロポーズ』とか。あの頃はどんなことを考えていたんですか。
西村:うーん、そうですね……思いもよらないことでしたね。それこそ、私のようなサウンドは時代に合ってないと言われていたのに、御依頼をどんどんいただいて、うれしい気持ちと信じられない気持ちと。目まぐるしい日々の中でいただいた仕事を一生懸命やろうという気持ちしかなかったです。ただあの頃からインストゥルメンタルというものが、葉加瀬太郎さんをはじめいろんな方が出ていらっしゃって、音楽業界全体が変わって行った時代だったなと思いますね。でも大切なのはそのあとのような気がします。あの時は流れに乗ってどんどんやって行けたんですけど、それが一段落した時に自分がどういう道を選んで行くか、それがすごく大事だなと思ってました。人の真似をしてもしょうがないし、自分って何なの?ということを考える時期が、この10年ぐらいでしょうか。だから今回は、デビュー30周年の前に、私はこの方向で進もうと思える『My Stories』というアルバムが出来たことは、自分にとっても自信になったし、一つの節目になりましたね。
▲病院コンサート |
西村:もう15年ぐらいになりますね。
──それも大きかったじゃないですか? 自分に出来ること、というものを探す上で。
西村:そうなんです。振り返ってみると、自分がこうするんだとか、特に軌道修正をしようと思わなくても、毎日をていねいに過ごしていると、どこからかチャンスが巡ってくるんですよね。最初にドラマの曲を作る時もそうでしたし、学校コンサートもまさにそんな感じで。私のコンサートを見た岩手県の学校の先生が、→この面白いコンサートをうちの生徒にも見せたいと、コンサートのあとの握手会の時に、直接お話をいただいたんです。はじめは不安でしたが、やってみたらものすごく楽しくて。それからもうやみつき(笑)。本当にご縁、出会いですよね。
▲学校コンサート |
西村:私はどういう音楽をやって行きたいかと考えた時に、ジャズとかフュージョンというジャンルにとらわれるのではなく、聴いている人が自分の気持ちに素直になれるというか、その人の心の扉が開くようなものを作りたいと思っていたんです。それが楽しい時もあるし、泣くのを我慢していた方がコンサートで泣いてくださることもある。そういうコンサートをしたいというイメージは、ずっと私の中にあったんです。子供の頃の音楽鑑賞会って、すごく楽しいものもあれば、クラシックをかしこまって聴かされて退屈だなと思ったこともありましたでしょう? そんな音楽に興味のない子供たちでも楽しめるようなステージを作りたいと思っていた時に、学校コンサートのお話をいただけたので。イメージしていることが実現して重なって行く、そんな感じです。
◆インタビュー(3)へ
◆インタビュー(1)へ戻る