横山健、ドキュメンタリーフィルムDVD化に新曲シングル付属

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横山健が9月24日、ドキュメンタリーフィルム『横山健-疾風勁草編-』をDVD化リリースすることが発表となった。

◆横山健 画像

『横山健-疾風勁草編-』は2013年秋に全国60の劇場で追加上映を合わせて計2週間、アンコール上映を含めると全国で3万人を動員した作品だ。2009年11月から2013年2月まで撮影が行われた映像は、横山健が自身の言葉で語り尽くすドキュメンタリー。東日本大震災以降に復活したHi-STANDARDと<AIR JAM>の様子までが収められた。

このDVD化に際して、5thアルバム『Best Wishes』以来となる新曲シングル(1曲)をパッケージ化、DVD+CDとして届けられるほか、映画本編の他に特典映像がDVD収録されることも発表となった。

横山健が何を背負い、何を信じてきたか。映画館で観た人も観れなかった人も、この機会にぜひ。

■DVD『横山健-疾風勁草編-』
9月24日発売
PZBA-9(DVD+CD)
本編117分44秒 + ボーナス映像 + CD


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■『横山健-疾風勁草編-』内容紹介

これは、横山健が何を背負い、何を信じてきたかを知る物語。無邪気に手にいれてしまったモノ。持て余すほどの期待と希望。それらに翻弄されながらも、いつでも自分が立つべき場所に立とうとした。

横山健。ハイ・スタンダードのギタリストとして1991年からキャリアをスタートさせ、日本のパンクシーンを塗り替えたパイオニア。99年からは自主レーベルのピザ・オブ・デスの代表取締役となり、以降ずっと日本のインディーズ・シーンを牽引してきた。2004年からはソロ・アーティストKen Yokoyamaとして始動。今日まで我が国のパンク・ヒーローであり続けている。

ヒーローといっても、全方位死角のないロックスターとは似て非なるものだ。ライブではファンとのノリツッコミで笑いを取り、くだらない下ネタも大好物。隣の兄ちゃんという言葉がぴったりの気軽さで、プライベートも包み隠さず開示する。家族への愛をストレートに歌いあげ、同時に激しい怒りや政治的な意見すらも歌にしていく。だってそのすべてを俺は真剣に考えているのだから、という迷いのなさで。要するにバランス感覚に優れた人なのだ。ユーモアがあればこそ本音は届きやすく、特別ではない自分の姿をさらけ出すからメッセージはよりリアルに響く。

パンクと言えどもやたらとポップなメロディが象徴しているように、誰からも愛されやすく親しみやすい、いわば「等身大に感じられるスター」が横山健だった。ただ、横山本人はいついかなる時も「等身大」ではなかった。ここ数年は特にそう見える。徹底的に思案したりギリギリまで無理をしたり、時には限界を超える精神状態でひたすら強い発信を続けてきた。自分を信じ鼓舞することで、なんとか掴んできた実感の数々。それが説得力ある言葉となって彼の口から溢れだしたのは、2010年に4thアルバム『Four』を出したあたりだろうか。ハイスタの休止からちょうど10年。過去を冷静に振り返り、今の自分の影響力も考えたうえで、明確なヴィジョンを提示できるようになった40歳。

そんな充実した時期に本作の撮影は始まった。

生い立ちから始まり、ハイスタの栄光と挫折、ソロになってからの音楽人生を追いかけるはずだったドキュメンタリーは、しかし3・11以降急展開を見せていく。ありえないはずだったハイ・スタンダードと<AIR JAM>の復活。今必要なメッセージを届けるために歌う内容を180度変えたKen Yokoyamaの新作。激動の二年半、時には現実を受け入れられず、泣き笑いのような表情を見せながら、それでも横山健は発信を止めなかった。俺が音楽を鳴らすことで救われる奴が一人でもいるのだ、という自覚があればこそ。

第三者の証言で成り立つ作品ではない。最後に意外な人物のコメントが入る以外は、本人の自覚的な発言ばかりである。慎重に言葉を選びながら、より的確に自分の想いを伝えようとする姿。これは、横山が、横山自身の言葉で、横山健を語り尽くすドキュメンタリーだ。いち音楽家の回顧録ではない。なぜ俺はこう思い、こう発言し、こんなふうに行動したのか。そのすべてが今必要なメッセージとして響いている。

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いわゆる客観的な視座によって作られたドキュメンタリーではない。終始一貫して(最後にもうひとり、意外な語り手が登場するが)横山健本人のひとり語りで綴られる、横山健の、音楽と人生。幼少のころの話も、ハイスタ結成のいきさつも、驚異的な成功を収めた90年代の栄光やその裏の苦悩や葛藤や挫折も、ソロになってからの着実な活動も、すべてが横山の主観のみで語られる。

ようやくハイスタの幻影を振り切り、ソロ活動が軌道にのったまさにその時期に起こった3.11の衝撃。映像のトーンは一気に急転する。多くの人たちでそうであったように、横山の意識も音楽家としてのあり方も人生も、大きく変わる。そしてここで初めて、この映画が横山の主観のみで語られる意味のようなものが浮かび上がってくるのである。つまりこれはよくあるミュージシャンの成功譚や内幕ものや客観を装ったストーリーではなく、ひとりの誠実で生真面目な(……というには、いろいろふざけ過ぎな様子もふんだんに収められているが)男が、パンクをやる意味、ロックをやる意味、音楽をやる意味を問い直し、変わっていく自分自身を語った作品なのだ。

もちろん、ここでは語られない/語れないこともたくさんあるだろう。44歳の男の人生。きれいごとだけでは済まない事情も多々あったはずだ。たとえば3.11以前のぼくとのインタビューで、横山は「ハイスタをもう一回やるとしたら、理由はひとつしかない」と語っていた。その<理由>について彼は語ろうとしないし、もちろんここでも語られない。だがそんな事情など関係なく、震災の壊滅的被害を目の当たりにすることで、「やらなければいけない」という使命感のみで、ハイスタはまさかの再始動を果たし、AIR JAMまでも復活させてしまった。「自分の中で一番使える手札」としてのハイスタとAIR JAM。手段としてのハイスタ、道具としてのAIR JAM。だがそうすることで、KEN YOKOYAMA BANDでもPIZZA OF DEATHでも届かない領域に、確かに達したのだ。「パンクが手を手をとってどうするんですかって感じですね(笑)。パンクバンドのライブで目の前でね(中略)みんなで肩組んでマイムマイムして、それなんだよっていう。ずーっと思っていたんですよ」(2010年『FOUR』発売時のインタビューより)

と、群れることを嫌い、パンクの孤高さを語っていた横山が、東日本大震災を機に変わる。繋がることの大切さ、助け合うことの価値のようなものを信じ、歌うようになった。背中に日の丸を背負い、自分はきっかけでいいのだとして、自分のために祈ったり願ったりするのではなく、誰かの願いや祈りを背負って生きていこうと決意する。自分のためではなく、人のために生き、歌い、音楽をやっていこうと覚悟を決める。もっと伝えたい、もっとわかってほしいと願い、以前より少しだけ聴き手を信じて、言葉を、音を紡ぎだすようになったのだ。

横山は、自分は誰にでもできるような音楽をやっているだけで、特別な人間ではないのだと言う。しかし、だからこその言葉は多くの人たちの共感を呼ぶ。あいつがやれるなら俺たちだってやれる。そう思わせてくれる横山は、やはり「特別な男」なのである。

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◆PIZZA OF DEATH オフィシャルサイト
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