【インタビュー】井上道義、タブーを破り野外での子ども同伴クラシックコンサートに挑む指揮者の思い

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■忍耐力は自分でもあると思うけど飽きっぽい
■一人の作曲家を全曲演奏したら「もういいや、次行こう」って

――子供の時の体験って、将来に影響しますよね。井上さんは14歳のときに指揮者を目指されたそうですが、音楽との出会いも早かったんですか?

井上:うん。小さい頃からピアノを弾いたり、踊りを踊ったりしてましたね。僕が子供の頃だからまだテレビはないので、ラジオからの音をよく聴いてたと母親に言われましたね。クラシックは気づいたら周りにあったけど、僕の家族は音楽とは関係ないので、そういう普通な音楽との関わり方でした。あとは母親がレビューが好きだったので、宝塚歌劇団とかSKD(松竹歌劇団)のレビューを観に、月一回は行っていました。連れられて観てたけど、月一回はレビューに行くっていうのは、当時では変な子供ですよね(笑)。

――レビューって、オーケストラピットで生演奏ですよね。

井上:うん。東宝映画の知人を介して切符をもらっていたから、いつも一番前で観てたんですよ。だから、ピットがあって、銀橋(舞台全面のオーケストラボックスと1階席の間にあるエプロンステージ)の真ん前なんです。指揮者は銀橋を介してあっち側なんですよね。子供だから椅子に座ると、銀橋の向こう側は見えないんだけど、指揮棒だけ見える。棒が出てくると音が出るんで「怖い!」とか思ってたのを覚えています(笑)。子供頃から目の前で生演奏を観らるっていう、それが日常だったんです。普通のコンサートにも連れていってもらいましたよ。それこそその時代は日比谷公会堂。

――当時はクラシックのコンサートをやるホールも少なかったから、日比谷公会堂は貴重なホールだったそうですね。

井上:そうです。あの頃はクラシック専用のホールなんてなかったから。日比谷公会堂って、ボクシングもやったんですよ。人が集まるのはなんでもかんでも日比谷公会堂だった。

――話は戻りますが、14歳で指揮者を目指したきっかけはなんだったんですか?

井上:親父に「中学を卒業したら義務教育は終わるけど、どうするんだって」って脅迫されて慌てて考えた。慌ててとはいえ、何ヶ月もじっくり考えたましたけどね。

――そこでなぜ指揮者を選んだんですか?

井上:欲張りだから。全部が入ってるなと思った。僕はいろんなことが好きで、飽きっぽい性格をよく知ってたんですよね。だから、ずっと座っているピアニストとか、毎日、通勤しなければいけないサラリーマンとか、きっと難しいだろう……と。だから、ジジイになってもできて、いろんなことができる仕事はないかな?って思った(笑)。周りの家族を見ていて、年寄りが定年の時にかわいそうだというのをよく知ってた。その頃は55歳とか60歳で定年だったから。定年になると、突然老けるんですよね。あれは嫌だなと思って。ジジイになってもできるとしたら、政治家とか絵描きとか、手に職をつける。人に雇われるのではない職業の中から考えて。タクシー運転手も考えたし。雇われない職種……そうはいっても自分は社長タイプではない。

――それで指揮者だったんですね。

井上:そう。最初は「できるかなぁ?」と思ってた。まぁ、やってみてダメだったらやり直そう。大学生くらいになったら考え直してもいいやと思って。それでやってみたんです。やってるうちに人間って変わるもので、思春期に指揮者の勉強をはじめたら、変わって行くのが自分でもわかって。だから、早いうちに決めつけて、自分をそこに向かわせるというのはいいのかなぁと思って、自分の子供にいつも言いますけどね。若いうちはやり直しがきくから。若いうちに何も考えずに勉強だけして、大学出るまでの間に「何になろうかな?」って、選択できるというのは豊かさの証拠かもしれないけど、なかなか辛いし、自分のことなんてわからない。やってみないとね。

――指揮者ってどうやったらなれるんだろう?というのはなかったんですか?

井上:小沢征爾という指揮者が出て来たことを発見して、斎藤秀雄という先生がいることを発見して、日本でもそういう人がいるんだ!ということがわかったから、ピアノの先生を介して斉藤先生を紹介してもらったんですよ。会ったときは「入れてやる」ってハッピーな感じだったんだけど、「来年、尾高忠明っていうのが入ってくるから、彼と一緒に教える」って、その年には教えてもらえなかった。「一年どうしたらいいんですか?」って聞いたら、「60年、70年ある人生の中の1年くらい、どうでもいいだろう。今、慌てて入ったら辛いから、もう少し勉強して来い」って。結局、一年留年して桐朋学園に入学したんです。

――入学してからの勉強はどうでしたか?

井上:勉強していたときよりも、指揮者になっちゃってからのほうが大変だった。なりたい指揮者になっちゃったわけだから、もう人生終わりですよ(笑)。良い指揮者になろうとは思ってなかったし。指揮者になったら面白いだろうなと思って指揮者になって、それを望みに頑張ってたわけだから、その夢が叶っちゃったらもう終わりですよね(笑)。

――(笑)飽きっぽいとおっしゃってましたが、指揮者は続いてますよね。

井上:忍耐力は自分でもあると思うけど、確かに飽きっぽいです。一つのことをずーっとやることはできない。だから他のことをやりたくなる。例えば、マーラーのことをすごーく勉強するけど、全曲演奏しちゃったら、「もういいや」ってなる。じゃあ次に行こうって。

――今は何がブームなんですか? ショスタコーヴィチですか?

井上:ショスタコーヴィチも全部やっちゃったんですよね。自分が何を好きになるかなんてわかったものじゃなくてね。今、僕は作曲に凝ってるんですよ。オペラを書いてる。書くのがすごく遅いので、なかなか進まないけど(笑)。(……と書きかけのスコアを見せる)

――日本語のオペラは珍しいですよね。

井上:現代の話なんですよ。父と母の話をモチーフにしているんです。非常にドラマティックな人生を歩んでいるので。コメディの要素も混ぜていますけどね。

――脚本も演出も井上さんなんですね。完成予定はいつ頃ですか?

井上:できたときです(笑)。できるだけ時間を見つけて書いているんです。あと、もう一つのマイ・ブームはオーケストラピクニックをやる! 子供にはぜひ来てほしい、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、家族みんなで見てほしいですね。昔、山本直純さんが「オーケストラがやってきた!」というテレビ番組でクラシックを身近なものにしてくれたけど、直純さんがやっていたようなことをこの先にもつなげていきたいと思ってるんですよ。だから、これが一回目となって、二回、三回って続いて行ったらいいですね。

取材・文●大橋美貴子

日比谷野音90周年記念事業
<日比谷野外オーケストラ・ピクニック>
10月6日(日)日比谷野外音楽堂
14:15 / 16:00 開演
井上 道義(指揮) 新日本フィルハーモニー交響楽団
ヨハン・シュトラウス:常道曲(愛称「オーケストラがやってきた」)
あの夏へ(千と千尋の神隠しより)
魔女の宅急便
となりのトトロ
マーラー:交響曲第7番の第5楽章
チャイコフスキー:くるみ割り人形より「葦笛の踊り」
[問]カジモトイープラス 0570-06-9960

◆井上道義 オフィシャルサイト
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