サザンオールスターズ、真の意味で国民的と呼べる唯一のグループ

ポスト

今からちょうど35年前の、1978年6月25日。のちの日本のロック/ポップスの流れを大きく変えることになる偉大なグループ、サザンオールスターズは、デビュー曲「勝手にシンドバッド」を引っ提げて“ひっそりと”デビューを飾ったのであった。

ひっそりと、という理由は調べてみればすぐにわかる。当時最も権威のあったオリコン・ウィークリー・チャートでは、初登場132位。ようやくベスト10に入ったのは3か月後の9月21日で、最高位は3位。どう見てもまぐれ当たり的なチャート・アクションで、奇抜な音楽性と、「夜のヒットスタジオ」「ザ・ベストテン」といったTV番組でのコミカルなふるまいが受けたせいもあり、当時は一発屋とみなす人も多かったはずだ。だがしかし。その新しさと面白さを、音楽性うんぬんよりも直感として、熱狂的に支持した世代があったのである。

それは我々、当時中学校1年生のガキどもであった。まるで意味のわからないあの歌詞を暗誦し、休み時間に歌いまくった。8月に出たファースト・アルバム『熱い胸騒ぎ』も、誰かが買って覚えてきたために、聴いたこともないのに収録曲を知っていた。「女呼んでもんで抱いていい気持ち❤」というフレーズが特にお気に入りだった。それは少年ジャンプの世界や、UFOや都市伝説(とは当時言わなかったが)や、読んではいけない自販機本や、小中学生男子の興味をそそる様々な出来事の中に、すんなりと入り込んできた。音楽と思う前に熱狂したのだ。それは少しあとに登場するYMOにも共通する現象で、突き詰めると面白い世代論になりそうだが、その話はとりあえず脇へ置くとして。

何が言いたいかというと、つまり35年という途方もない年月に及ぶサザンオールスターズの歴史の中で、その存在を知った時期の違いによって、彼らのとらえかたが変わってくるので、サザンを語るには、まず「自分がいつサザンを聴いたか?」から始めなければいけないということだ。我々世代のように、面白さからうっかり入ってしまった子供たちもいれば、ごく初期からのサザンの熱狂的支持者として知られるいとうせいこう氏のように、洋楽リズムに乗せる日本語の響きと意味(そして無意味)に衝撃を受けたと語る人もいる(*その秀逸な批評は、ググればどこかで見つかります)。あるいは、「いとしのエリー」(1979年)でハマッた人と、「涙のキッス」(1992年)に惹かれた人と、「TSUNAMI」(2000年)からファンになった人では、おのずととらえかたが変わるだろう。大まかに区切るならば、デビュー(1978年)~『KAMAKURA』(1985年)までの成長期、そして「みんなのうた」(1988年)~『Southern All Stars』(1990年)を経て、300万枚超えというグループ史上最高のセールスを記録した「TSUNAMI」がリリースされた2000年までの黄金期、「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」(2003年)~活動休止となった2008年までの円熟期、といった感じだろうか。

何も知らない中学生もやがて歳を取り、『ステレオ太陽族』(1981年)あたりからアルバムをきちんと聴くようになると、サザンオールスターズというグループの底力がじわじわと身に沁みてくるようになる。初期のサザンは、エリック・クラプトンやリトル・フィートへオマージュを捧げた曲があるように、洋楽ロック、ブルース、ソウルへの傾倒が顕著で、そこに昭和の歌謡曲、GSなど日本の音楽からの影響を重ね、キテレツな語感の歌詞を乗せるという、カオティックでいながら異様にキャッチーという、唯一無二の個性を早くから確立していた。

そこに「いとしのエリー」「私はピアノ」「栞(しおり)のテーマ」といった美しくセンチメンタルなメロディの曲が加わり、デビュー当初の「メインストリームに対するカウンター」「ニューミュージック全盛期へのアンチテーゼ」といったイメージを軽々と脱して、サザンこそがむしろメインストリームになるという、堂々たる道を歩み始める。その集大成と言える傑作が『Nude Man』(1982年)だ。サザンのオリジナル・アルバムは今のところ14作なので、初めて聴く方もできれば最初から全部聴いてほしいが、1980年代初頭までで完成度の高い1枚を選ぶなら、この『Nude Man』を薦めたい。

さてここから3枚、『綺麗』(1983年)『人気者で行こう』(1984年)『KAMAKURA』(1985年)は、ある意味実験的な側面があって、今聴いても非常に面白い。当時はコンピューターを始めてとして録音機材や電子楽器の進歩のスピードが非常に速く、彼らもそれを積極的に取り入れたため、「ミス・ブランニュー・デイ」(1984年)など、エレクトロニックな手触りのサウンドも増えてゆく。曲調も派手というよりは渋くコクのあるものが多く、レゲエ、ジャズ、ファンク、AORなど、ツウ好みの曲がずらりと揃った。2枚組となった『KAMAKURA』はある意味で無邪気な成長期の終わりを告げる大作で、「Melody(メロディ)」「Bye Bye My Love(U are the one)」の2大ヒットを擁し、全20曲にわたり、エレクトロニックな手法を大胆に取り入れた楽曲が満載。多種多様なアイディアの宝庫となったが、どことなく陰のあるズシリと重い作品ゆえ、いきなりここから聴くというよりは、やはりリリース順にゆっくりと聴き進めるのが良いだろう。

ここで原由子の産休もあって、グループはデビュー以来初の活動休止となり、桑田佳祐はKUWATA BANDなどで活躍したのち、「みんなのうた」から再び華やかな活動がスタートする。この時期のシングルを含む再始動第一弾アルバム『Southern All Stars』を聴けばすぐにわかるように、それまでの実験性や重いムードは払拭され、バブル期の音楽業界の好調の波にも乗り、明るくポップで緻密で深い、メインストリームのど真ん中をゆくサザンオールスターズの快進撃が、ここからまた始まった。

この時期のキーパーソンが、プロデューサーとして参加した小林武史で、『世に万葉の花が咲くなり』(1992年)までの数年間、「真夏の果実」(1990年)などをはじめ、一聴して「小林サウンド」とわかるアレンジや音色を駆使して、新たな時期に突入したサザンオールスターズを力強く支えたのだった。

1990年代半ば以降は、押しも押されもせぬスーパーグループとなったこともあり、その活動ぶりはまさに王者の貫禄ただようもの。短い活動休止やソロ活動などを自由に織り交ぜながら、数年に一度アルバムを作ってライヴをするというスタイルをキープしたまま、21世紀へと突き進んでゆく。前述の「TSUNAMI」がグループ最大ヒットとなったのち、2001年にギターの大森隆志が脱退という事件があったものの、2005年には7年ぶりのアルバム『キラーストリート』を発表して健在をアピール。これは『KAMAKURA』以来となる2枚組大作であり、2枚組にも関わらず100万枚セット突破という快挙を達成。楽曲は幅広いサザンオールスターズの音楽性をほぼ網羅したベスト・オブ・ベスト的なもので、今のところこの作品が最新作ということになるが、1990年代以降最も完成度の高い代表作といえば、まずこの作品と言っていいだろう。「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」をはじめ、シングルヒットも多数収録した、日本のロック/ポップスの頂点を極めたスーパーグループの魅力が、余すところなく収められている。

ご存知のとおり、2008年8月に横浜スタジアムで開催されたデビュー30周年記念ライヴ<真夏の大感謝祭>を最後に、グループは無期限活動休止中。2010年には桑田佳祐の病気療養などがありファンを心配させたが、その後は無事回復してソロ活動も順調に行っている。バンド・メンバーたちもそれぞれ自由に活動しているので、いつかまた再会することもあるのだろう。

今、35周年の記念日をグループと共に祝えないことは少々残念だが、35年間に残した数多くの名曲たちは、驚くほど幅広い世代の愛唱歌として親しまれ、「みんなのうた」となって今日も誰かに口ずさまれている。特定の世代にしか届かない歌が大半を占める現在の音楽シーンの中で、それはまさに偉業と呼ぶべきものだ。真の意味で国民的と呼べるグループ、それはサザンオールスターズをおいてほかにはない。

文●宮本英夫
この記事をポスト

この記事の関連情報