ドナ・サマーの死去に悲しみのコメント

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“ディスコの女王”として名を馳せ、1970年代~1980年代に最も成功したレコーディング・アーティストの1人として人気を博したドナ・サマーが、5/17(木)にフロリダで63歳の生涯を閉じた。

CNNによるとサマーはガンを患っていたとのことで、木曜日の午後に出された声明の中でサマーの家族は、「ドナの類まれなる生涯とこれからも生き続けるレガシーを讃え、私たちは心安らかな気持ちです」とコメント。しかしそれ以上の死に関する詳細は公表されておらず、患っていたガンの種類なども情報が錯綜している。

死去のニュースは木曜日の朝にエンタメ・サイトTMZが最初に報道し、その直後からサマーと共にディスコ時代を支えたアーティストたちからは、ツイッターやフェイスブックを通じて悲しみのコメントが多数寄せられている。

シックのヒット・メイカーだったナイル・ロジャースは、「僕は30分近く、ショックのあまりベッドに伏して泣き続けてしまった。ドナ・サマー、安らかに眠ってほしい」とコメントし、KC & ザ・サンシャイン・バンドは、「これからも君を恋しく思うだろう。僕らの祈りと哀悼の意を、“ララ”の家族に捧げる」とツイッターに書き込んだ。

また、「アイ・ウィル・サヴァイヴ」のヒットで有名になったグロリア・ゲイナーは、「親愛なる友人ドナ・サマーを失い、私は深い悲しみを覚えています。彼女とは長年の友人であり、共に“ディスコの女王”と呼ばれていました。でもドナは、常に私のことを“ディスコ界のファースト・レディー”と呼んでくれたのです。本当に素晴らしい女性で、人間的にも優れていました。この先も、彼女は友人たちや家族から想われる存在であり続けるでしょう。ドナはアメリカ人たちのダンス、そして人生の楽しみ方そのものを変えた人でした。それはこれからも不変です。彼女はこの地球上での“ラスト・ダンス”を踊り終えてしまったかもしれません。でも彼女が現れてからは誰もがダンスの楽しさに目覚めたという事実を、“神は知っている(ヘヴン・ノウズ)”のです」と長いコメントを寄せている。

ドナ・サマーは、ラドンナ・ゲインズとして1948年にボストンで生まれ、1971年に最初のシングル「サリー・ゴー・ラウンド・ザ・ローズ」をドナ・ゲインズの名前でリリースした。その後、苗字を“サマー”に変え、1975年にはセクシーなナンバー「ラヴ・トゥ・ラヴ・ユー・ベイビー」を大ヒットさせ、同曲は全米シングル・チャートで2位まで上昇した。

サマーが全米シングル・チャートに送り込んだヒット曲は32曲にも及び、そのうち14曲はTOP 10入り。No.1に輝いたナンバーには、「マッカーサー・パーク」、「ホット・スタッフ」、「バッド・ガールズ」、そしてバーブラ・ストライサンドとのデュエット「ノー・モア・ティアーズ(イナッフ・イズ・イナッフ)」がある。

◆ニュース提供:ビルボード
◆BARKSビルボード・デイリーニュース・チャンネル
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