宮城出身のカラーボトル、福島の復興イベントで歌う
宮城出身のカラーボトルが、東日本大震災から1年後の2012年3月11日、福島県郡山市で行なわれた<福魂祭>に出演した。
◆カラーボトル 画像
1か月前、<福魂祭>主催本部からカラーボトルに出演の依頼が来た時、メンバーはふたつ返事で出演を決定した。というのも、自分たちの生まれた東北のために何かしたかったのと、カラーボトルにとって福島は第二の故郷ともいえる土地だったからだ。
2011年の4月。まだ新たな災害の発生も危惧される中、物資を届けるために彼らは各被災地を回った。特に福島県相馬郡新地町は、震災が起こる前からイベントなどで訪れている場所。彼らは、震災が起こった後も避難所を訪れ、誰かのためになれば、と、ライヴを行なっている。
またヴォーカルの竹森が高校を卒業して、初めて就職をした土地が福島県郡山市であった。ミュージシャンを諦めて就職した竹森が、その郡山という街で、ある人物との大きな出会いをした事によって、そこから再度ミュージシャンを目指す事になった。その事柄は「18才」という彼らの楽曲に綴られている。
そんな彼らバンドにとって大切な土地、そして第二の故郷とも言える福島県での復興イベントの出演依頼。彼らが引き受けるという事は必然だった。
ライヴでは「アゲハ蝶」と「ひまわり」の2曲を演奏。「アゲハ蝶」は東日本大震災の津波に流されたドラム・大川の実家(宮城県山元町)跡地に行った際、その地に飛んでいた蝶を見て、“僕ら人間もこの蝶のように力強く羽ばたいていかなければならない”と感じ、作った曲。その曲を震災から1年後の3月11日に東北で演奏するという事は、メンバーにとっても大きな事だったに違いない。
またもうひとつの曲「ひまわり」。この曲を披露する前には以下のようなMCが行なわれた。
「宮城県にひまわりの丘という所があって、そこには42万本のひまわりがあります。そこに行った時に来る人がみんな笑顔だったというのを凄く覚えてるんです。だから僕は音楽を通してひまわりの花のようにみんなを笑顔で連鎖させていけたらいいな、という気持ちでこの曲を作りました。」
ほとんどの人が初めて聴く曲。しかし、みんながまるでひまわりの花が風に揺れているように手を振りながら、サビの「ラララ~」という部分を大合唱で歌う。そんな感動的なシーンが会場では見られた。
きっと彼らのメッセージが、ステージを目にしていた多くの人の心に届いたであろう。
◆カラーボトル オフィシャルサイト
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