美空ひばり、伝説の「ひばり専用マイク」がオークションに

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値段の付けようもない…まさしくそんな逸品が、2010年10月22日に米ebayオークションに出品される。美空ひばりが最後の5年間、コンサートで愛用した「ひばり専用マイク」だ。

◆伝説の「ひばり専用マイク」画像

出品されるのは、1985年から1989年に亡くなるまでの5年間、年間およそ180ステージにて、彼女の歌声を伝え続けたワイヤレスマイク2本と、受信機&マイクスタンドのセットである。このマイクはソニーの技術スタッフが、異例とも言える特別チームを組んで改造に改造を重ねた特別なマイクで、没後1989年7月に「ひばりさん悲しいマイク」と題して新聞でも大きく取り上げられたものだ。プロジェクトX「美空ひばり復活コンサート」~伝説の東京ドーム・舞台裏の300人~の番組でもクローズアップされ、現在は株式会社タチバナ音響研究所(美空ひばりのツアーを支えたライブエンジニアチーム)が所有・管理している。

年間にツアー80ステージ以上、劇場が90ステージほど、年間に170~180ものステージに立っていた美空ひばりだが、彼女を支えたこのマイクは各テレビ局の特別番組でも使用、1988年4月東京ドームの<不死鳥コンサート>ももちろんこのマイクが使用されている。

美空ひばり以外にこのマイクを使ったシンガーは存在しない。美空ひばりの口紅がマイクケースに付着したまま所蔵・保管されている状況だが、このマイクに施された具体的な改造箇所は、当時のSonyの資料に詳細な記録として残されている。

まずは軽量化を目的にマイクボディ材質が亜鉛からジュラルミンに、カプセルの小型化のために最高磁束密度アルニコ磁石採用し、350gから260gという26%の軽量化を実現させたというが、常識では使用しない材料のために石削の難しさで機械加工メーカーが悲鳴をあげ、部品として2個しか作れなかったという。

その後、美空ひばりの声量に合わせて電気回路、各ブロックの最適レベル分配化が施された。そこには「美空ひばりという歴史に残る天才のもっている最大限を引き出すマイクは難易度の高い課題でした」と、軽量化による音の劣化を防ぐために技術側が苦労した事が記されている。

このマイクの原形はSONY WRT-67というモデルで、当時ソニーの誇る最高級ハンドマイクだ。マドンナ、マイケル・ジャクソン、ブルース・スプリングスティーンといったトップアーティストに使われていたマイクだが、そのマイクに美空ひばりは次々と注文を出してきたという。

1.重量を軽くすること
2.音質をもっとよくすること
3.ボディに色をつけること

1989年7月11日火曜日の新聞で「世界にただ一本」「日本技術の結晶」「ひばりさん悲しいマイク」と題し、このマイクの記事が大きく掲載されているが、そこには完全主義を貫こうとした美空ひばりと、それに応えようとした技術陣のコスト度外視の努力が記されている。当時の定価はマイク本体が20万円にレシーバーが108万円、合計128万円だが、何度となく手を加えられた「ひばりスペシャル」は値段のつけようがない、と続く。

新聞には世界にただ一本と報道されていたが、実際は同じ外見の特性の違うマイクが2本作られた。一本はローカットされたもの、一本は低音まで伸びたモデルで、これは会場の鳴りに応じて使い分けられていたというのが真実だ。主に低音まで伸びたモデルを使う事が多かったと、当時のチーフエンジニアは語っている。この歴史的な2本のマイクは2本1組ペアで初めて成立するという想いから、今回のオークションも2本合わせての出品となっている。

「不死鳥コンサート」の後、病からの復活、翌年から心機一転という思いを込めて、無機質なシルバーからパールホワイトに塗装が塗り替えられた。しかしその願いは叶わず、九州・四国ツアーが行なわれた後、1989年6月、彼女は天に召されることになる。

現在、受信機は電源が入る事も確認されており、問題なく動作する状況が保たれているものの、マイクとして機能する事が重要ではないとし、現状維持を最大の目的に、無用な動作確認などは行なわれていない。マイクスタンドはオリジナルと、1987年に予備に追加された2本目があり、腰につける送信機も2機、必要な細かな部品も一通り揃っている状況だ。

このマイクを手にするのは誰なのか。ひっそりとたたずむマイクのセットが、この偉大な歌手の歴史を後世に伝えていってくれることを願いたい。

協力:RHODES Premier Office
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