平岡恵子、8年振りのオリジナル・アルバム『25』を赤裸々に語る【前編】
90年代半ば、圧倒的な歌唱力と表現力で音楽リスナーの心を掴んだ女性シンガー、桃乃未琴(モモノミコト)が、2001年にリリースしたアルバム『地気遊戯』から8年の時を経て、11月25日に本名の“平岡恵子”名義でオリジナル・アルバム『25』をリリースした。
なぜこのタイミングで本名名義のソロ作品を制作するに至ったのか。今作が完成するまでと、作品に込められた思いやレコーディングでのエピソードを、平岡本人が赤裸々に語る。
◆ ◆ ◆
■ただ自分でこういう歌を歌いたいって思って作ったものをそのまま形にした
――ついに待望の新作『25』がリリースされましたね。アルバムが完成してからずっと家で聴いているらしいですね。
平岡恵子(以下、平岡):そうなんですよ。自分で言うのもナンですが、聴きたくなるんですよね。“あっ、聴きたいな”と思って、聴いて寝るっていう毎日。“どれだけ好きなんだよ、お前”って(笑)。
――もしかして、出来上がったばかりの作品を毎日のように聴くなんてこと、今までに………、
平岡:なかったですね。これはちょっと自分の中で“初”かも(笑)。今まで出してきた作品と何が違うかっていうと、そこですね。
――それは自分自身、納得いく作品が出来たということですね。
平岡:ですね。ぶっちゃけると、桃乃未琴時代に仕事として意識しすぎて作っていた時とは明らかに違いますから。本名の平岡恵子に戻って、仕事という意識よりも、ただ自分でこういう歌を歌いたい、こういう音を出したいって思って作ったものをそのまま形にしているから、自分の中でどこにも矛盾点がないんですよ。自由に作れているし、ヘンな気負いもないですから。もちろん制作中に、こっちがいいかな、いやこっちだなって、何度か立ち止まった時期はありましたけど、終わって出来上がった音を聴いていると、どこにも立ち止まるポイントがないなって。それがどんどんどんどん…日ごとそうなってるんです。それは大きな違いですね。
――で、この『25』は、桃乃未琴名義で発表された『地気遊戯』(91年)以来、8年ぶりの作品となりますが…。
平岡:自分としては8年も空けるつもりはなかったんですよ(笑)。正直、8年間っていうのはあまり実感がないんですよね。“えっ!? ちょっと待って待って…”って感じ。でも、8年のインターバルといっても、実際にはライヴ活動はしていたし、音楽活動は続けてましたから。ただリリースがなかっただけのことで、別に大きい理由はないですしね…。でも考えると、作るのに正直、こだわってしまったり、色々なことに一生懸命になりすぎると見えなくなってしまうところが私自身にあるから、そうなってくると、どうしても覚悟が必要になってくるわけですよ。その覚悟がなかなか決まらなかったというか。覚悟するまでにおそらく8年間、気がついたらかかっていたってことなのかもしれませんね。で、ようやく去年の夏ぐらいから、自分のアルバムを作りたいって気持ちに傾いていったんですよね。なんとなくじわじわと作ろうかなって。たぶんこのまんま、いつかいつかって思っていたら“作らないな、こりゃあ…”って思って(笑)。8年の間にはトリマトリシカ(元CANNABISの加藤哉子との2人組バンド)をやることで、客観的な音楽の作り方ができるようになったし、心境の変化もあったし、音の好みも変わってきていたから、それをいきなり用意ドンッ!で作っちゃうより、味わいつつ、把握しつつ、その変化を一番いい状態で自分の中で受け入れた時に作った方が覚悟ができるかなと。そういう気持ちはどこかにあったとは思いますね。あと35歳っていう年齢もキリがいいかなと思って。考えてみたら、30代で自分のソロの作品を出してなかったし。
――30代の平岡恵子を記録しておこうと思ったんですね。
平岡:はい。そうしておかないと、うっかり40歳になっちゃうなって。だとしたら、そろそろだなと思っていた時に、Curly Giraffeのアルバムの話がきて、ライヴのお誘いももらって、今がいいタイミングなのかなと。それで制作がスタートしたんですね。
――個人的に『25』を聴いて、サウンド云々じゃなくて、全体から漂う魂が震える感じを含めて、このアルバムは平岡恵子のブルースだなと思いました。
平岡:ああ…言わんとしていることはわかります。音楽の聴き方って人によって様々じゃないですか。中にはその人のパーソナリティーみたいなところも感じ取りたくて、歩み寄って聴く人もいる。そういう人は、きっと平岡恵子の奥まったところにあるものが、音に出ていることを感じ取ってくれると思うんですね。私の周りでこのアルバムを気に入っている人には共通点があるんですよ。もちろんサウンドとして聴いている人もいると思うけど、桃乃未琴から知っている人にしてみたら、人と音がちょうどいい、すごく歩み寄ってわかりやすくなっているっていう風に捉える人が多い。人間関係において、確認し合わないところで、“平岡恵子ってこういう人だね”って思っているっていう。それで良かったんだなと。自分自身を解説しろって言われたら無理だけど、こういう風に曲にすると固まりやすかったんですよね。例えば、この1ヵ月間の感情の起伏や、ニュースを見たり、人に逢ったりした時のモードのまんま、今月の1曲じゃないけど、たぶんそういう風に楽曲を作っていったから。誰に言われたわけでもないし、ヤバい、作らなきゃって作ったものでもない。すごく日常的な感じで作ったので。そういう意味で、ブルースって言われると確かにそうだなって。ブルース自体はあまり聴かないんだけど、でも、言っていることはすごく理解できるし、それに近いことを言ってくれる人は多いですね。
■いい大人っていうのは、こうならなくちゃいけないのかなっていう大人のイメージをことごとく華麗に裏切ってくれる
――「三十路」の歌詞に“内なる声を聞く”というフレーズが出てきますけど、その“内なる声を聞いた”からこそ出来たアルバムじゃないかなとも思ったんですよね。
平岡:そうですね、まさに。
――平岡恵子が自分の裸の心に忠実になったからこそ、私はそこにブルースを感じたのかもしれません。
平岡:あのね、ここ最近、周りにいい大人がいるのが大きいんですよ。いい大人っていうのは、カッコいいとも違うんだな…んーー、素直な仕上がりの人っていうのかな、こうならなくちゃいけないのかなっていう大人のイメージをことごとく華麗に裏切ってくれる人が多くて。そういう人を見ていると、安心感みたいなものを感じるんです。大人になっても悩みは変わらないんだって。20代の時って深刻に悩んだりしたから。それがカッコいいって思っていたところもあって、妙に理屈っぽくなったりね。でも、もともと、理屈言って悩んだりすることなんか、性に合わないのは薄々気がついていたけど(笑)。自分に忠実になれたっていう意味では、そういう心境の変化も影響してるんでしょうね。
――そもそもアルバムを作る当初の青写真は、というと?
平岡:「Feeling」が、そもそもアルバム全体を支える要になる予定の曲だったんですよね。当初、この曲が出来たことで、レーベル・スタッフから“アシッド・フォーキー”っていうキーワードが出てきて。だから全部がそう感じられる曲で録るはずだったんですけど、デモを作っていく中でそれが変わっていったんですよ。
――確かに全体的に“アシッド・フォーク”な作品ではないですね。
平岡:ええ。“アシッド・フォーク”って文字を見て買った人は違うって思うよねってことになって(笑)。フォークといっても、私としてはフォーキーなものをちゃんと聴いている世代じゃないし、よくわかってない部分もあったので、最初はどうかな?って思っていたんですよ。ギターの弾き語りをすれば、フォークなのか? そりゃあ違うだろって。でも、フォークも突き詰めていけば、ロック的なスピリットというか、ちょっと狂気な…尖った部分があるよなって。60年代後半とか70年代初頭のフォークシンガーの中には、根本にそういうものを抱えてる…全部剥ぎ取るとそれがあるみたいな人たちがいたわけだし。それが尖ってて危ないみたいな。それってカッコいいなと思えて、ようやく理解できて考え方を改めたんです。正直、暗いから嫌だとか思ってた、フォークっていうただの括りが(笑)。でもね、そもそも“暗いって何だ?”って。普段自分のことを暗いとは思わないけど、暗いってやっぱり見え方として、一番我儘で、我が強くて、もろくて…っていう、一番人間のしょうもないところの闇の中から光っているところじゃないけど、中心部だから、それはカッコいいなと思って。音楽にはそれは必要だなと。そういうのがない人は音楽をやってないなと思って、その世界観を理解できたんですね。だけど、さっきも言ったけど、デモを作っている中で、あの曲もいい曲だし、これもいい曲だしってやっているうちに、どんどん“アシッド・フォーキー”色が薄まっていっちゃったんですよ。音を出し始めると、楽しくなってきちゃうので、結局はロック的な自分の好みに戻ったっていうか(笑)。だから当初の“アシッド・フォーク”な括りには全体的になってはいないんですけどね。どんどんやっていくと「三十路」や「9」なんて、極めれば暗いよって(笑)。「望郷」も聴いた人が“何でこんなに暗くて悲しい感じなの?”って思うかもしれないけど……いやいや、もうちっと入ってみ、気持ちいいよって。
――ええ、ええ。本当にかなりの気持ち良さがありますね(笑)。
平岡:ねっ。いいテイクだなって。ドラムは名越(由貴夫)君が叩いているけど、なんかやっぱり楽器もテクじゃないよな、基本的には感じたものをそのまま表現することなんだなって。レコーディングが好きだって確認? 作りたいんだ、私、この瞬間が楽しくてしょうがないんだっていう確認をしていったら、だんだんだんだん逸れていって、「Feeling」っていう中心をキープしたかったんだけど、楽しすぎて欲が出て変化しちゃった。で、実はこのアルバムのキラーチューンは「三十路」と「望郷」だよね、みたいな感じになっちゃったんですよ。結局、そういうことなんでしょ?って。全部がそうじゃないから良かったっていうのもあるし。ちょっと力の抜けた8ビートな感じの曲も好きだし。全部が程良くて、あんまり無理をしていなくて、全力疾走じゃない感じがいいなと。こういう方法で60、70歳まで作っていけるのが、一番理想だなと思いましたね。
――公私共に良きパートナーである名越さんとの共同プロデュースになるわけですけど、アルバムのビジョンを話し合ったりしたんですか?
平岡:私が何となく頭の中で描いている、こういう楽器を入れて、こういう風にしたいっていうのを提案することから始まるんですけど。日常会話のひとつですね。私の言ったことを受け入れて実際に音を出してデモを作る。それを聴いて一番いいと思われる方向性を考えていくというやり方。ただ全体的に私の好みは100%じゃないにしろ、わかってくれているはずだから出てくるものに対してはズレていることはなかったですね。まぁ…たまには、いや、それは違うよっていうのは何回かあったかもしれないけど(笑)。もしかすると、彼は彼で、なんだよ、面倒くせーなって思ったかもしれませんけどね(笑)。概ねうまく表現してくれたと思います。
■これは周りのミュージシャンと、名越由貴夫の賜物
――1曲ずつの曲解説は別項に譲るとして、ファンキーな「25」が唯一、この曲がアルバムの中ではアッパーな部類に入りますけど、あとは全体的にミディアム~スローな曲が多いのは、平岡さんらしいなと。
平岡:ですねー。情けない……(笑)。名越君も私もBPMが遅いんですよ。ほっとくと、どんどん遅くなる(笑)。けっこうギターがギュワーンギュワーン唸る曲が出来るかなとも思ったんだけど、そういう曲は音がギュワーンなだけで、テンポは遅い。
――で、そのテンポ感とメロディの感じが、深く深く心に入り込んでいく。それが本当に心地よくて。音に体を委ねられる感覚っていうんですかね。
平岡:海で浮き輪で浮かんでて、気づいたらすごい沖まで行ってしまって、帰れるかな…みたいな?
――そうそう、そんな感じはありますね(笑)。シンプルだけど、アンサンブルが豊潤で、そこがやはり深いってことだと思いました。
平岡:やっぱ、これは周りのミュージシャンと、名越由貴夫の賜物ですね。彼がいつも人のサポートをやって、そこで一緒にやっていて気心が知れた人たちがほとんどなので。はじめましてっていう人はほぼいないから。だから、お互いにわかりあっているから余計に良かったんですよね、きっと。その辺は名越君とミュージシャンたちの相性の良さが出たと思います。「25」に関しては、名越バンドといいますか、私と彼の2人だけでやりましたけど。
――その参加ミュージシャンたちは、個性的な実力派揃いですね。
平岡:はい。本当に参加して下さったミュージシャンの方々には感謝してます。
◆アルバム『25』参加アーティストから寄せられたコメント
――この曲だったら、この人のこの音がほしいっていう感じで選んでいったんですか?
平岡:そうです。デモテープを作っている段階からそれぞれの楽曲にイメージがありましたから。誰それにやってもらいたいなって、想定しながらやっていく感じが、名越君と共通していたのは恵まれてましたね。例えば、リズムだったら、デモが形になっていく上で、これは中(幸一郎)さんだね、これは賢(白根賢一)ちゃんだねっていうような感じで。名越君とは好きなドラマーが似ていたりするので、その辺は話し合わなくても良かった。完成していくものが見えなくなるってことは、ほぼありませんでした。
⇒平岡恵子インタヴュー【後編】につづく
なぜこのタイミングで本名名義のソロ作品を制作するに至ったのか。今作が完成するまでと、作品に込められた思いやレコーディングでのエピソードを、平岡本人が赤裸々に語る。
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■ただ自分でこういう歌を歌いたいって思って作ったものをそのまま形にした
――ついに待望の新作『25』がリリースされましたね。アルバムが完成してからずっと家で聴いているらしいですね。
平岡恵子(以下、平岡):そうなんですよ。自分で言うのもナンですが、聴きたくなるんですよね。“あっ、聴きたいな”と思って、聴いて寝るっていう毎日。“どれだけ好きなんだよ、お前”って(笑)。
――もしかして、出来上がったばかりの作品を毎日のように聴くなんてこと、今までに………、
平岡:なかったですね。これはちょっと自分の中で“初”かも(笑)。今まで出してきた作品と何が違うかっていうと、そこですね。
――それは自分自身、納得いく作品が出来たということですね。
平岡:ですね。ぶっちゃけると、桃乃未琴時代に仕事として意識しすぎて作っていた時とは明らかに違いますから。本名の平岡恵子に戻って、仕事という意識よりも、ただ自分でこういう歌を歌いたい、こういう音を出したいって思って作ったものをそのまま形にしているから、自分の中でどこにも矛盾点がないんですよ。自由に作れているし、ヘンな気負いもないですから。もちろん制作中に、こっちがいいかな、いやこっちだなって、何度か立ち止まった時期はありましたけど、終わって出来上がった音を聴いていると、どこにも立ち止まるポイントがないなって。それがどんどんどんどん…日ごとそうなってるんです。それは大きな違いですね。
――で、この『25』は、桃乃未琴名義で発表された『地気遊戯』(91年)以来、8年ぶりの作品となりますが…。
平岡:自分としては8年も空けるつもりはなかったんですよ(笑)。正直、8年間っていうのはあまり実感がないんですよね。“えっ!? ちょっと待って待って…”って感じ。でも、8年のインターバルといっても、実際にはライヴ活動はしていたし、音楽活動は続けてましたから。ただリリースがなかっただけのことで、別に大きい理由はないですしね…。でも考えると、作るのに正直、こだわってしまったり、色々なことに一生懸命になりすぎると見えなくなってしまうところが私自身にあるから、そうなってくると、どうしても覚悟が必要になってくるわけですよ。その覚悟がなかなか決まらなかったというか。覚悟するまでにおそらく8年間、気がついたらかかっていたってことなのかもしれませんね。で、ようやく去年の夏ぐらいから、自分のアルバムを作りたいって気持ちに傾いていったんですよね。なんとなくじわじわと作ろうかなって。たぶんこのまんま、いつかいつかって思っていたら“作らないな、こりゃあ…”って思って(笑)。8年の間にはトリマトリシカ(元CANNABISの加藤哉子との2人組バンド)をやることで、客観的な音楽の作り方ができるようになったし、心境の変化もあったし、音の好みも変わってきていたから、それをいきなり用意ドンッ!で作っちゃうより、味わいつつ、把握しつつ、その変化を一番いい状態で自分の中で受け入れた時に作った方が覚悟ができるかなと。そういう気持ちはどこかにあったとは思いますね。あと35歳っていう年齢もキリがいいかなと思って。考えてみたら、30代で自分のソロの作品を出してなかったし。
――30代の平岡恵子を記録しておこうと思ったんですね。
平岡:はい。そうしておかないと、うっかり40歳になっちゃうなって。だとしたら、そろそろだなと思っていた時に、Curly Giraffeのアルバムの話がきて、ライヴのお誘いももらって、今がいいタイミングなのかなと。それで制作がスタートしたんですね。
――個人的に『25』を聴いて、サウンド云々じゃなくて、全体から漂う魂が震える感じを含めて、このアルバムは平岡恵子のブルースだなと思いました。
平岡:ああ…言わんとしていることはわかります。音楽の聴き方って人によって様々じゃないですか。中にはその人のパーソナリティーみたいなところも感じ取りたくて、歩み寄って聴く人もいる。そういう人は、きっと平岡恵子の奥まったところにあるものが、音に出ていることを感じ取ってくれると思うんですね。私の周りでこのアルバムを気に入っている人には共通点があるんですよ。もちろんサウンドとして聴いている人もいると思うけど、桃乃未琴から知っている人にしてみたら、人と音がちょうどいい、すごく歩み寄ってわかりやすくなっているっていう風に捉える人が多い。人間関係において、確認し合わないところで、“平岡恵子ってこういう人だね”って思っているっていう。それで良かったんだなと。自分自身を解説しろって言われたら無理だけど、こういう風に曲にすると固まりやすかったんですよね。例えば、この1ヵ月間の感情の起伏や、ニュースを見たり、人に逢ったりした時のモードのまんま、今月の1曲じゃないけど、たぶんそういう風に楽曲を作っていったから。誰に言われたわけでもないし、ヤバい、作らなきゃって作ったものでもない。すごく日常的な感じで作ったので。そういう意味で、ブルースって言われると確かにそうだなって。ブルース自体はあまり聴かないんだけど、でも、言っていることはすごく理解できるし、それに近いことを言ってくれる人は多いですね。
■いい大人っていうのは、こうならなくちゃいけないのかなっていう大人のイメージをことごとく華麗に裏切ってくれる
――「三十路」の歌詞に“内なる声を聞く”というフレーズが出てきますけど、その“内なる声を聞いた”からこそ出来たアルバムじゃないかなとも思ったんですよね。
平岡:そうですね、まさに。
――平岡恵子が自分の裸の心に忠実になったからこそ、私はそこにブルースを感じたのかもしれません。
平岡:あのね、ここ最近、周りにいい大人がいるのが大きいんですよ。いい大人っていうのは、カッコいいとも違うんだな…んーー、素直な仕上がりの人っていうのかな、こうならなくちゃいけないのかなっていう大人のイメージをことごとく華麗に裏切ってくれる人が多くて。そういう人を見ていると、安心感みたいなものを感じるんです。大人になっても悩みは変わらないんだって。20代の時って深刻に悩んだりしたから。それがカッコいいって思っていたところもあって、妙に理屈っぽくなったりね。でも、もともと、理屈言って悩んだりすることなんか、性に合わないのは薄々気がついていたけど(笑)。自分に忠実になれたっていう意味では、そういう心境の変化も影響してるんでしょうね。
――そもそもアルバムを作る当初の青写真は、というと?
平岡:「Feeling」が、そもそもアルバム全体を支える要になる予定の曲だったんですよね。当初、この曲が出来たことで、レーベル・スタッフから“アシッド・フォーキー”っていうキーワードが出てきて。だから全部がそう感じられる曲で録るはずだったんですけど、デモを作っていく中でそれが変わっていったんですよ。
――確かに全体的に“アシッド・フォーク”な作品ではないですね。
平岡:ええ。“アシッド・フォーク”って文字を見て買った人は違うって思うよねってことになって(笑)。フォークといっても、私としてはフォーキーなものをちゃんと聴いている世代じゃないし、よくわかってない部分もあったので、最初はどうかな?って思っていたんですよ。ギターの弾き語りをすれば、フォークなのか? そりゃあ違うだろって。でも、フォークも突き詰めていけば、ロック的なスピリットというか、ちょっと狂気な…尖った部分があるよなって。60年代後半とか70年代初頭のフォークシンガーの中には、根本にそういうものを抱えてる…全部剥ぎ取るとそれがあるみたいな人たちがいたわけだし。それが尖ってて危ないみたいな。それってカッコいいなと思えて、ようやく理解できて考え方を改めたんです。正直、暗いから嫌だとか思ってた、フォークっていうただの括りが(笑)。でもね、そもそも“暗いって何だ?”って。普段自分のことを暗いとは思わないけど、暗いってやっぱり見え方として、一番我儘で、我が強くて、もろくて…っていう、一番人間のしょうもないところの闇の中から光っているところじゃないけど、中心部だから、それはカッコいいなと思って。音楽にはそれは必要だなと。そういうのがない人は音楽をやってないなと思って、その世界観を理解できたんですね。だけど、さっきも言ったけど、デモを作っている中で、あの曲もいい曲だし、これもいい曲だしってやっているうちに、どんどん“アシッド・フォーキー”色が薄まっていっちゃったんですよ。音を出し始めると、楽しくなってきちゃうので、結局はロック的な自分の好みに戻ったっていうか(笑)。だから当初の“アシッド・フォーク”な括りには全体的になってはいないんですけどね。どんどんやっていくと「三十路」や「9」なんて、極めれば暗いよって(笑)。「望郷」も聴いた人が“何でこんなに暗くて悲しい感じなの?”って思うかもしれないけど……いやいや、もうちっと入ってみ、気持ちいいよって。
――ええ、ええ。本当にかなりの気持ち良さがありますね(笑)。
平岡:ねっ。いいテイクだなって。ドラムは名越(由貴夫)君が叩いているけど、なんかやっぱり楽器もテクじゃないよな、基本的には感じたものをそのまま表現することなんだなって。レコーディングが好きだって確認? 作りたいんだ、私、この瞬間が楽しくてしょうがないんだっていう確認をしていったら、だんだんだんだん逸れていって、「Feeling」っていう中心をキープしたかったんだけど、楽しすぎて欲が出て変化しちゃった。で、実はこのアルバムのキラーチューンは「三十路」と「望郷」だよね、みたいな感じになっちゃったんですよ。結局、そういうことなんでしょ?って。全部がそうじゃないから良かったっていうのもあるし。ちょっと力の抜けた8ビートな感じの曲も好きだし。全部が程良くて、あんまり無理をしていなくて、全力疾走じゃない感じがいいなと。こういう方法で60、70歳まで作っていけるのが、一番理想だなと思いましたね。
――公私共に良きパートナーである名越さんとの共同プロデュースになるわけですけど、アルバムのビジョンを話し合ったりしたんですか?
平岡:私が何となく頭の中で描いている、こういう楽器を入れて、こういう風にしたいっていうのを提案することから始まるんですけど。日常会話のひとつですね。私の言ったことを受け入れて実際に音を出してデモを作る。それを聴いて一番いいと思われる方向性を考えていくというやり方。ただ全体的に私の好みは100%じゃないにしろ、わかってくれているはずだから出てくるものに対してはズレていることはなかったですね。まぁ…たまには、いや、それは違うよっていうのは何回かあったかもしれないけど(笑)。もしかすると、彼は彼で、なんだよ、面倒くせーなって思ったかもしれませんけどね(笑)。概ねうまく表現してくれたと思います。
■これは周りのミュージシャンと、名越由貴夫の賜物
――1曲ずつの曲解説は別項に譲るとして、ファンキーな「25」が唯一、この曲がアルバムの中ではアッパーな部類に入りますけど、あとは全体的にミディアム~スローな曲が多いのは、平岡さんらしいなと。
平岡:ですねー。情けない……(笑)。名越君も私もBPMが遅いんですよ。ほっとくと、どんどん遅くなる(笑)。けっこうギターがギュワーンギュワーン唸る曲が出来るかなとも思ったんだけど、そういう曲は音がギュワーンなだけで、テンポは遅い。
――で、そのテンポ感とメロディの感じが、深く深く心に入り込んでいく。それが本当に心地よくて。音に体を委ねられる感覚っていうんですかね。
平岡:海で浮き輪で浮かんでて、気づいたらすごい沖まで行ってしまって、帰れるかな…みたいな?
――そうそう、そんな感じはありますね(笑)。シンプルだけど、アンサンブルが豊潤で、そこがやはり深いってことだと思いました。
平岡:やっぱ、これは周りのミュージシャンと、名越由貴夫の賜物ですね。彼がいつも人のサポートをやって、そこで一緒にやっていて気心が知れた人たちがほとんどなので。はじめましてっていう人はほぼいないから。だから、お互いにわかりあっているから余計に良かったんですよね、きっと。その辺は名越君とミュージシャンたちの相性の良さが出たと思います。「25」に関しては、名越バンドといいますか、私と彼の2人だけでやりましたけど。
――その参加ミュージシャンたちは、個性的な実力派揃いですね。
平岡:はい。本当に参加して下さったミュージシャンの方々には感謝してます。
◆アルバム『25』参加アーティストから寄せられたコメント
――この曲だったら、この人のこの音がほしいっていう感じで選んでいったんですか?
平岡:そうです。デモテープを作っている段階からそれぞれの楽曲にイメージがありましたから。誰それにやってもらいたいなって、想定しながらやっていく感じが、名越君と共通していたのは恵まれてましたね。例えば、リズムだったら、デモが形になっていく上で、これは中(幸一郎)さんだね、これは賢(白根賢一)ちゃんだねっていうような感じで。名越君とは好きなドラマーが似ていたりするので、その辺は話し合わなくても良かった。完成していくものが見えなくなるってことは、ほぼありませんでした。
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