寺田恵子が語る「西寺実レコーディング秘話」1/4
日本のロックシーンの一翼を担いHR/HMのシーンを牽引してきた重鎮が、まるで新人のような初々しさで自由奔放な活動を開始、子どものようなキラキラした喜びを全面から吐き出しながら、貫禄の作品をリリースしたのは、ご存知の通り。そう、西寺実のことだ。
◆寺田恵子が語る「西寺実レコーディング秘話」1/4 ~写真編~
音楽性も多岐に渡り、生活の中での音楽の位置付けも時代と共に日々変化し続ける現代の中で、西寺実が残した日本の音楽シーンへの爪痕は、生々しくも深く鋭い。
ここでは寺田恵子を通し、西寺実の知られざる姿と、そこから透けて見える将来への展望に目を向けてみたい。寺田恵子スペシャル・インタビュー全4回から、第一回目をお届けしよう。
第1回「西寺実レコーディング秘話」
──西寺実の結成のいきさつに関しては、BARKSで以前にも紹介しているので、レコーディングの曲選びの話から聞かせてください。日本のロックといっても幅広いと思うのですが、どうやって決めていったんですか?
寺田恵子:わたしの誕生日ライヴで西寺実を初めてやった時に、日本のカバー曲を何曲かやったのね。「人間の証明」とか「スローバラード」とか「気絶するほど悩ましい」とか。それをレコード会社の人が面白がってくれてデビューすることになったので、最初はロックの先輩のカバーをやろうかと思ってたの。でも、二井原実とマーシーの先輩なんて、そうそういなくて(笑)。それで、70年代~80年代のロックっぽい人たちの曲をみんなで持ち寄って、何回もミーティングして決めていったの。
──楽曲は、すんなり決まりましたか?
寺田:わりと、すんなり決まったよね。歌いたい人は挙手してもらったり、「これ、寺田、歌えよ」とか、みんなで言いあって。最初はロックな曲をアコースティックでやるというアイデアもあったんだけど、それはいつでもできるからおいといて、みんなが「えっ、この曲をこの人が歌うの!?」って驚くようなところから、スタートしたの。
──たしか、最初に西寺実の話を聞いた時は、アコースティックだったような…。
寺田:ホントにそうなの! だからそのつもりで準備してたんだけど、やってくうちにどんどん派手になっちゃったんだよね。みんなロックの歌い方が身にしみこんでるから、スタジオで歌ってみても、バックの音が薄いと「なんか足りない」ってなっちゃって、どんどん変わっていったんだよね。ビジュアル的な部分も、レコーディング中にディレクターが、「この3人の関係性を物語にしよう」っていいだして、「じゃあ、わたし、花魁がいい」って言ったことが、あれよあれよという間に実現しちゃった。自分たちが最初にやろうと思ったのは、アコースティックでザクザクやるというイメージだったんだけど、レコーディングをやりながらどんどん変化していったよね。
──花魁というアイデアは、どこから?
寺田:もともとアーティスト写真は自分たちのバンドとは違う方向性で撮ろうということになってて、学生服とかいくつかアイデアが出てたんだよね。その打ち合わせをしてる時、たまたまわたしが「花魁ってやったことないから、やってみたいな~」といったら、採用になっちゃった。SHOW-YAではできないことをやるというのもひとつのコンセプトだったので、言うだけ言ってみたんだよね(笑)。そしたら、わたしだけ花魁で、2人が洋服じゃおかしいからって、着物とか侍の格好にしようとか、どんどん膨らんじゃったわけ。必ずしもあの恰好でなければいけないという話じゃないんだけど、面白そうだからどんどん転がっていっちゃったんだよね。
──マーシーの設定(町芝居の人気役者)はともかく、二井原実の設定(大金持ちの役人)は…(笑)。
寺田:本人も、初めは戸惑ってたね。マーシーが説得してたよ(笑)。二井原実は世界のラウドネスのイメージがあるから、普段はホントに面白い人なんだけど、どうしたらいいのか迷ってたみたい。でも、吹っ切れてからは(役に)なりきって、楽しんでやってたよ。
──メイン・ヴォーカルが3人集まって、「こんなにコーラスをやったのは初めて!」という声も聞いたけど。
寺田:マーシーもニイやんも、コーラスはほとんどやったことないんじゃないかな。わたしも基本的にはやらないけど、他のステージにゲストで出る時とかコーラスやってるので、どうにかなるかなと思ってたんだけど、いざふたをあけてみたらわたしよりもニイやんのほうがキーが高くて、結構、苦戦した。マーシー・メインの曲のコーラスをつける時に、本来男の人が歌うキーを歌うことになって、かなり低くて大変だったの。あと、長年ヴォーカルをやってるから、なかなかコーラス・ラインが頭に入ってこなくて、それも苦労したな。
──長くやってるからこその苦労?
寺田:全員、身体にしみついてる歌い方があって、それが崩せない(笑)。しかも、声が混じりそうで混じらないんだよね。普通のコーラスの人は、メイン・ヴォーカルにあわせてうまく歌い方を変えるんだけど、うちら3人はそれが全くできない。
──たしかに、それはありそうですね。
寺田:最初にレコーディングしたのが、「たどりついたら、いつも雨」だったんだけど、こういう淡々とした曲をどう歌っていいのか、全然わからなくてね。3人ですごく悩んだ末に歌ってみたんだけど、なんかつまらなくて。「だったら、好きに歌ってみようよ」って自由に歌ってみたら、すごく良かったので、そこからはじけられたかな。この曲、レコーディングではすごく苦労したけど、ライヴではいちばん盛り上がる。みんな自分の持ち曲みたいに、伸び伸びと歌ってるよ。
──PVも、ユニークでしたよね。
寺田:PVは、最初、大変だったの。ダンサーが振り付けに来たんだけど、ニイヤンが「俺、やらない」って言ってたんだよね。「そんな話は聞いてないから、文句いってくる」っていって監督さんに話をしに行ったんだけど、帰ってきたら「頑張ります」って(笑)。振付の人に「さぁ、教えてください」って言って、楽屋でいちばん踊りの練習してたよ。どこでどう変わったのかわからないけど、最初は「俺は、絶対にやらない」ってすごい勢いだったんだ。わたしも「嫌なら、やらなくていいんじゃない? わたしが一人で踊ってもいいしさ」っていってたんだけど、帰ってきたら豹変してた(笑)。
──出来上がったPVを見る限り、そんな様子は皆無ですけどね。
寺田:きっと監督さんと話して、自分の中で納得できるものがあったんだろうね。「あいつ、若いのにすごいなぁ」なんて、監督さんのこと、誉めてたもん。もちろん自分のポリシーはあるだろうけど、人のビジョンをまったく受け付けないほど頭の固い人じゃないからさ。意外とニイヤンは、自分が思っているほど間口は狭くないと思う。ブルースも歌うしファンクも歌うし、うちら3人の中では音楽的にはいちばん広いんじゃないかな。そういう部分では、わたしとマーシーのほうが不器用かもしれないね。
大島暁美
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◆寺田恵子が語る「西寺実レコーディング秘話」1/4 ~写真編~
音楽性も多岐に渡り、生活の中での音楽の位置付けも時代と共に日々変化し続ける現代の中で、西寺実が残した日本の音楽シーンへの爪痕は、生々しくも深く鋭い。
ここでは寺田恵子を通し、西寺実の知られざる姿と、そこから透けて見える将来への展望に目を向けてみたい。寺田恵子スペシャル・インタビュー全4回から、第一回目をお届けしよう。
第1回「西寺実レコーディング秘話」
──西寺実の結成のいきさつに関しては、BARKSで以前にも紹介しているので、レコーディングの曲選びの話から聞かせてください。日本のロックといっても幅広いと思うのですが、どうやって決めていったんですか?
寺田恵子:わたしの誕生日ライヴで西寺実を初めてやった時に、日本のカバー曲を何曲かやったのね。「人間の証明」とか「スローバラード」とか「気絶するほど悩ましい」とか。それをレコード会社の人が面白がってくれてデビューすることになったので、最初はロックの先輩のカバーをやろうかと思ってたの。でも、二井原実とマーシーの先輩なんて、そうそういなくて(笑)。それで、70年代~80年代のロックっぽい人たちの曲をみんなで持ち寄って、何回もミーティングして決めていったの。
──楽曲は、すんなり決まりましたか?
寺田:わりと、すんなり決まったよね。歌いたい人は挙手してもらったり、「これ、寺田、歌えよ」とか、みんなで言いあって。最初はロックな曲をアコースティックでやるというアイデアもあったんだけど、それはいつでもできるからおいといて、みんなが「えっ、この曲をこの人が歌うの!?」って驚くようなところから、スタートしたの。
──たしか、最初に西寺実の話を聞いた時は、アコースティックだったような…。
寺田:ホントにそうなの! だからそのつもりで準備してたんだけど、やってくうちにどんどん派手になっちゃったんだよね。みんなロックの歌い方が身にしみこんでるから、スタジオで歌ってみても、バックの音が薄いと「なんか足りない」ってなっちゃって、どんどん変わっていったんだよね。ビジュアル的な部分も、レコーディング中にディレクターが、「この3人の関係性を物語にしよう」っていいだして、「じゃあ、わたし、花魁がいい」って言ったことが、あれよあれよという間に実現しちゃった。自分たちが最初にやろうと思ったのは、アコースティックでザクザクやるというイメージだったんだけど、レコーディングをやりながらどんどん変化していったよね。
──花魁というアイデアは、どこから?
寺田:もともとアーティスト写真は自分たちのバンドとは違う方向性で撮ろうということになってて、学生服とかいくつかアイデアが出てたんだよね。その打ち合わせをしてる時、たまたまわたしが「花魁ってやったことないから、やってみたいな~」といったら、採用になっちゃった。SHOW-YAではできないことをやるというのもひとつのコンセプトだったので、言うだけ言ってみたんだよね(笑)。そしたら、わたしだけ花魁で、2人が洋服じゃおかしいからって、着物とか侍の格好にしようとか、どんどん膨らんじゃったわけ。必ずしもあの恰好でなければいけないという話じゃないんだけど、面白そうだからどんどん転がっていっちゃったんだよね。
──マーシーの設定(町芝居の人気役者)はともかく、二井原実の設定(大金持ちの役人)は…(笑)。
寺田:本人も、初めは戸惑ってたね。マーシーが説得してたよ(笑)。二井原実は世界のラウドネスのイメージがあるから、普段はホントに面白い人なんだけど、どうしたらいいのか迷ってたみたい。でも、吹っ切れてからは(役に)なりきって、楽しんでやってたよ。
──メイン・ヴォーカルが3人集まって、「こんなにコーラスをやったのは初めて!」という声も聞いたけど。
寺田:マーシーもニイやんも、コーラスはほとんどやったことないんじゃないかな。わたしも基本的にはやらないけど、他のステージにゲストで出る時とかコーラスやってるので、どうにかなるかなと思ってたんだけど、いざふたをあけてみたらわたしよりもニイやんのほうがキーが高くて、結構、苦戦した。マーシー・メインの曲のコーラスをつける時に、本来男の人が歌うキーを歌うことになって、かなり低くて大変だったの。あと、長年ヴォーカルをやってるから、なかなかコーラス・ラインが頭に入ってこなくて、それも苦労したな。
──長くやってるからこその苦労?
寺田:全員、身体にしみついてる歌い方があって、それが崩せない(笑)。しかも、声が混じりそうで混じらないんだよね。普通のコーラスの人は、メイン・ヴォーカルにあわせてうまく歌い方を変えるんだけど、うちら3人はそれが全くできない。
──たしかに、それはありそうですね。
寺田:最初にレコーディングしたのが、「たどりついたら、いつも雨」だったんだけど、こういう淡々とした曲をどう歌っていいのか、全然わからなくてね。3人ですごく悩んだ末に歌ってみたんだけど、なんかつまらなくて。「だったら、好きに歌ってみようよ」って自由に歌ってみたら、すごく良かったので、そこからはじけられたかな。この曲、レコーディングではすごく苦労したけど、ライヴではいちばん盛り上がる。みんな自分の持ち曲みたいに、伸び伸びと歌ってるよ。
──PVも、ユニークでしたよね。
寺田:PVは、最初、大変だったの。ダンサーが振り付けに来たんだけど、ニイヤンが「俺、やらない」って言ってたんだよね。「そんな話は聞いてないから、文句いってくる」っていって監督さんに話をしに行ったんだけど、帰ってきたら「頑張ります」って(笑)。振付の人に「さぁ、教えてください」って言って、楽屋でいちばん踊りの練習してたよ。どこでどう変わったのかわからないけど、最初は「俺は、絶対にやらない」ってすごい勢いだったんだ。わたしも「嫌なら、やらなくていいんじゃない? わたしが一人で踊ってもいいしさ」っていってたんだけど、帰ってきたら豹変してた(笑)。
──出来上がったPVを見る限り、そんな様子は皆無ですけどね。
寺田:きっと監督さんと話して、自分の中で納得できるものがあったんだろうね。「あいつ、若いのにすごいなぁ」なんて、監督さんのこと、誉めてたもん。もちろん自分のポリシーはあるだろうけど、人のビジョンをまったく受け付けないほど頭の固い人じゃないからさ。意外とニイヤンは、自分が思っているほど間口は狭くないと思う。ブルースも歌うしファンクも歌うし、うちら3人の中では音楽的にはいちばん広いんじゃないかな。そういう部分では、わたしとマーシーのほうが不器用かもしれないね。
大島暁美
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