ヨーコ・オノ、忌野清志郎へ追悼メッセージ
ヨーコ・オノが<Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ>公式Twitterサイトに、5月2日にがん性リンパ管症のため58歳という若さで亡くなったロック歌手・忌野清志郎への追悼メッセージを掲載した。
忌野清志郎は、世界の恵まれない子どもたちに学校を贈ろうというヨーコの呼びかけに応えて、2005年の<ジョン・レノン スーパー・ライヴ>に出演。その翌年に喉頭がんで入院し、病気のことを知ったヨーコが、療養中の清志郎に「早くよくなって、一緒に歌いましょう」という励ましの手紙を送っていた。
ヨーコから熱いエールをもらい、復帰後初のステージは<ジョン・レノン スーパー・ライヴ>と決めていた清志郎は、2007年12月8日に開催された同ライヴに復帰出演。療養中に届いた手紙のエピソードをステージ上で熱く語り、ラストに登場したヨーコと抱き合って再会を喜んだ。フィナーレでは、2人並んでジョン・レノンが残した曲を熱唱した。
◆ <ジョン・レノン スーパー・ライヴ>に復帰出演したときの写真
◆ ヨーコ・オノの追悼メッセージ
「清志郎さん、あなたはDream Powerジョン・レノン・スーパー・ライヴのよき理解者であり、支援者のひとりでした。Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴで、「ロックが世界を変える」と言ってあなたが熱唱してくれた「イマジン」を私は決して忘れることはありません。アジア、アフリカの子どもたちに学校を贈ると言う私たちの夢をあなたも共有してくれました。ご冥福をお祈りいたします。感謝しています。ヨーコ」
◆ Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ
◆ Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ公式Twitterサイト
忌野清志郎は、世界の恵まれない子どもたちに学校を贈ろうというヨーコの呼びかけに応えて、2005年の<ジョン・レノン スーパー・ライヴ>に出演。その翌年に喉頭がんで入院し、病気のことを知ったヨーコが、療養中の清志郎に「早くよくなって、一緒に歌いましょう」という励ましの手紙を送っていた。
ヨーコから熱いエールをもらい、復帰後初のステージは<ジョン・レノン スーパー・ライヴ>と決めていた清志郎は、2007年12月8日に開催された同ライヴに復帰出演。療養中に届いた手紙のエピソードをステージ上で熱く語り、ラストに登場したヨーコと抱き合って再会を喜んだ。フィナーレでは、2人並んでジョン・レノンが残した曲を熱唱した。
◆ <ジョン・レノン スーパー・ライヴ>に復帰出演したときの写真
◆ ヨーコ・オノの追悼メッセージ
「清志郎さん、あなたはDream Powerジョン・レノン・スーパー・ライヴのよき理解者であり、支援者のひとりでした。Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴで、「ロックが世界を変える」と言ってあなたが熱唱してくれた「イマジン」を私は決して忘れることはありません。アジア、アフリカの子どもたちに学校を贈ると言う私たちの夢をあなたも共有してくれました。ご冥福をお祈りいたします。感謝しています。ヨーコ」
◆ Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ
◆ Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ公式Twitterサイト
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