レオナ・ルイスVo.1/5<子供時代のこと>
レオナ・ルイスの世界的な注目はすでにお伝えしているとおり。ヨーロッパでの成功を元に全米に上陸したレオナだったが、20年ぶりの記録更新となった全米シングルの1位獲得は、単なる序章にすぎなかった。アルバム初登場で全米アルバム・チャート1位置獲得という、初のUKソロ・アーティストに輝いた彼女は、4月23日、ついに日本に上陸となる。
来日は5月。吹き荒れることになるレオナ旋風の前に、ここに貴重なインタヴューを公開しよう。「Bleeding Love」がビルボード・ホット100(シングル・チャート)のNo.1に輝くという、1987年のキム・ワイルドが打ち立てた記録以来の快挙の直後に、行なわれたインタヴューである。
◆「BLEEDING LOVE」PV(UK VIDEO)
https://www.barks.jp/watch/?id=1000021700
◆「BLEEDING LOVE」PV(US VIDEO)
https://www.barks.jp/watch/?id=1000021701
──全米1位おめでとう!
レオナ・ルイス:ありがとう。すごいわ。信じられないし、興奮しているし、とてもうれしい。イギリス出身の私が(アメリカのような)巨大マーケットのチャートでトップに立てるなんて、すごいことだし、信じられないわ(笑)。
<レオナ・ルイス 子供時代のこと>
──音楽教育について
レオナ:言葉をしゃべる前から歌っていた。それくらい歌うことが大好きだったの。母はバレエの先生で、父はパートタイムのDJだったから、私の周りにはいつも音楽が溢れていたし、同時にダンスやパフォーミング・アーツの存在が身近にあった。6歳の時に母から「パフォーミング・アーツ・スクールに行きたい?」って聞かれて、「イエス!!」って即答したわ。学校には6歳で入学したけれど、学費が高いので途中で辞めて、その後ブリット・スクールに進んだの。この学校はオーディションを受けて、奨学金を得て通うところ。私はオーディションに合格したので、学費が免除されたわ。ブリット・スクールでは表舞台のことだけでなく、レコーディングやプロデュースなど、裏の仕事についても学ぶことができる。私は17歳まで通った。卒業後は、たくさんのライヴやギグをこなし、スタジオでデモテープをたくさん作った。毎日音楽に携わっていたわ。
──クラシックについて
レオナ:9歳からプライベート・レッスンで歌を習い始めたの。私は、レオンタイン・プライスやサラ・ブライトマンといったソプラノ歌手が大好き。でも、クラシックを習っている間も、ジャズやブルース、そして、コンテンポラリーな音楽やポップスも学んで、次第にそれらも大好きになった。音楽の趣味が幅広いの。クラシックからロック、ポップまで何でも好きだわ。クラシックから学ぶことは多かった。クラシックは、とてもテニクカルで、声が鍛えられるジャンル。ウォームアップもちゃんとして、声帯を鍛えることをメインとするから、(学ぶなかで)ものすごくテクニックも要求される。全てのシンガーに多大なる敬意を持っているけれど、特にクラシックは、テクニックを必要とするからね。クラシックから学んだことは多い。今もその頃のトレーニングを欠かさないし、経験を積んだことで、さらにノドを大切にするようになったわ。
──10代で学んだブリット・スクールについて
レオナ:レコード会社や仕事を紹介してくれるようなことはないわ。主にトレーニングを受けるだけ。たまにオーディションがあるから、それを通じて仕事が来るケースもあるかもしれないけれど、でも、トレーニングを受けることがメインよ。
──ライヴ・パフォーマンスについて。始めたのは6歳から?
レオナ:そうよ(笑)。初めてのライヴは、若干6歳の時だった。思い出すだけで笑っちゃうわ。学校のステージに立ったのよ。
──初めてライヴでギャラをもらったのはいつ?
レオナ:ギャラが発生したパフォーマンスは、いつだったかしら… 17歳で(ブリット・スクールを)卒業した後、いろいろな場所でライヴをやったし、スタジオにも入ったけれど、それはお金を得るのが目的ではなく、経験を積むためだったから。
──初めてのギャラを何に使ったか、覚えている?
レオナ:初めてのギャラは、イギリスのテレビ番組で優勝した時にもらったわ。たいした買い物はしていないけれど、それでも車を買った。それまでママの小さな車を毎週末に借りていたんだけれど、ママは、それにいらだちを感じていたみたいなの(笑)。「私の車ばかり借りていないで、自分の車を買いなさい」って言われちゃったから、ミニ・クーパーを買ったわ。
──『The X-Factor』に応募する前にタレント・ショウに挑戦したことは?
レオナ:13歳で、『ハックニー・エンパイア』に出たのが最初のタレント・ショウだった。私が住んでいる地域の近くにある、大きな会場でのタレント・ショウだったから、私にはすごく重要だった。幸運にも優勝したの。セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」を歌ったわ。
──プロになりたいと思ったのはいつから?
レオナ:昔から歌うのが大好きだったから、常にシンガーになりたいと思っていたけれど、それがどういうことなのか、本当に理解したのは12歳か、13歳の頃だと思う。ティーンエージャーになると、みんな「医者になりたい」とか、「建築家になりたい」とかって言い始めるでしょ。そんな時、私の答えは「シンガーになる」だった。それを実現できる人は、少ないから、非現実的な夢だって思った人もいたみたいだけれど、私は、子供の頃から歌うことに情熱を持っていた。私の両親はいつも、「好きなこと、情熱を持っていることをやるべきだ」と言ってくれたから、夢を追い続けたの。
──ソングライティングを始めたきっかけは?
レオナ:ティーンエージャーになった時、(ソングライティングという)自分を表現する方法を見つけたの。学生の頃は、学校での出来事が全てだったから、学校や友達についての曲ばかりを書いていた。そうやって自分を表現していったの。
──日記はつけていた?
レオナ:日記も書いていたけれど、曲を書く方が発散できたのよね。ピアノを覚え始めたのもこの頃。レッスンを受けて、練習していたから、それにも刺激されて曲を書いたわ。
──初めてのレコーディングは、15歳のときの「ラヴィング・ユー」?
レオナ:その前にもたくさんレコーディングしていたわ。ちょっとした設備のある場所があって、以前から録音はしていたけれど、はっきりと“レコーディングした”と記憶にあるのが15歳のときの「ラヴィング・ユー」。ミニー・リパートンは、大好きなアーティストだし、素晴しいシンガーだと思うから、(この曲を)レコーディングしたの。リリースはしていなくて、あくまでも自分のためにレコーディングしたのよ。
来日は5月。吹き荒れることになるレオナ旋風の前に、ここに貴重なインタヴューを公開しよう。「Bleeding Love」がビルボード・ホット100(シングル・チャート)のNo.1に輝くという、1987年のキム・ワイルドが打ち立てた記録以来の快挙の直後に、行なわれたインタヴューである。
◆「BLEEDING LOVE」PV(UK VIDEO)
https://www.barks.jp/watch/?id=1000021700
◆「BLEEDING LOVE」PV(US VIDEO)
https://www.barks.jp/watch/?id=1000021701
──全米1位おめでとう!
レオナ・ルイス:ありがとう。すごいわ。信じられないし、興奮しているし、とてもうれしい。イギリス出身の私が(アメリカのような)巨大マーケットのチャートでトップに立てるなんて、すごいことだし、信じられないわ(笑)。
<レオナ・ルイス 子供時代のこと>
──音楽教育について
レオナ:言葉をしゃべる前から歌っていた。それくらい歌うことが大好きだったの。母はバレエの先生で、父はパートタイムのDJだったから、私の周りにはいつも音楽が溢れていたし、同時にダンスやパフォーミング・アーツの存在が身近にあった。6歳の時に母から「パフォーミング・アーツ・スクールに行きたい?」って聞かれて、「イエス!!」って即答したわ。学校には6歳で入学したけれど、学費が高いので途中で辞めて、その後ブリット・スクールに進んだの。この学校はオーディションを受けて、奨学金を得て通うところ。私はオーディションに合格したので、学費が免除されたわ。ブリット・スクールでは表舞台のことだけでなく、レコーディングやプロデュースなど、裏の仕事についても学ぶことができる。私は17歳まで通った。卒業後は、たくさんのライヴやギグをこなし、スタジオでデモテープをたくさん作った。毎日音楽に携わっていたわ。
──クラシックについて
レオナ:9歳からプライベート・レッスンで歌を習い始めたの。私は、レオンタイン・プライスやサラ・ブライトマンといったソプラノ歌手が大好き。でも、クラシックを習っている間も、ジャズやブルース、そして、コンテンポラリーな音楽やポップスも学んで、次第にそれらも大好きになった。音楽の趣味が幅広いの。クラシックからロック、ポップまで何でも好きだわ。クラシックから学ぶことは多かった。クラシックは、とてもテニクカルで、声が鍛えられるジャンル。ウォームアップもちゃんとして、声帯を鍛えることをメインとするから、(学ぶなかで)ものすごくテクニックも要求される。全てのシンガーに多大なる敬意を持っているけれど、特にクラシックは、テクニックを必要とするからね。クラシックから学んだことは多い。今もその頃のトレーニングを欠かさないし、経験を積んだことで、さらにノドを大切にするようになったわ。
──10代で学んだブリット・スクールについて
レオナ:レコード会社や仕事を紹介してくれるようなことはないわ。主にトレーニングを受けるだけ。たまにオーディションがあるから、それを通じて仕事が来るケースもあるかもしれないけれど、でも、トレーニングを受けることがメインよ。
──ライヴ・パフォーマンスについて。始めたのは6歳から?
レオナ:そうよ(笑)。初めてのライヴは、若干6歳の時だった。思い出すだけで笑っちゃうわ。学校のステージに立ったのよ。
──初めてライヴでギャラをもらったのはいつ?
レオナ:ギャラが発生したパフォーマンスは、いつだったかしら… 17歳で(ブリット・スクールを)卒業した後、いろいろな場所でライヴをやったし、スタジオにも入ったけれど、それはお金を得るのが目的ではなく、経験を積むためだったから。
──初めてのギャラを何に使ったか、覚えている?
レオナ:初めてのギャラは、イギリスのテレビ番組で優勝した時にもらったわ。たいした買い物はしていないけれど、それでも車を買った。それまでママの小さな車を毎週末に借りていたんだけれど、ママは、それにいらだちを感じていたみたいなの(笑)。「私の車ばかり借りていないで、自分の車を買いなさい」って言われちゃったから、ミニ・クーパーを買ったわ。
──『The X-Factor』に応募する前にタレント・ショウに挑戦したことは?
レオナ:13歳で、『ハックニー・エンパイア』に出たのが最初のタレント・ショウだった。私が住んでいる地域の近くにある、大きな会場でのタレント・ショウだったから、私にはすごく重要だった。幸運にも優勝したの。セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」を歌ったわ。
──プロになりたいと思ったのはいつから?
レオナ:昔から歌うのが大好きだったから、常にシンガーになりたいと思っていたけれど、それがどういうことなのか、本当に理解したのは12歳か、13歳の頃だと思う。ティーンエージャーになると、みんな「医者になりたい」とか、「建築家になりたい」とかって言い始めるでしょ。そんな時、私の答えは「シンガーになる」だった。それを実現できる人は、少ないから、非現実的な夢だって思った人もいたみたいだけれど、私は、子供の頃から歌うことに情熱を持っていた。私の両親はいつも、「好きなこと、情熱を持っていることをやるべきだ」と言ってくれたから、夢を追い続けたの。
──ソングライティングを始めたきっかけは?
レオナ:ティーンエージャーになった時、(ソングライティングという)自分を表現する方法を見つけたの。学生の頃は、学校での出来事が全てだったから、学校や友達についての曲ばかりを書いていた。そうやって自分を表現していったの。
──日記はつけていた?
レオナ:日記も書いていたけれど、曲を書く方が発散できたのよね。ピアノを覚え始めたのもこの頃。レッスンを受けて、練習していたから、それにも刺激されて曲を書いたわ。
──初めてのレコーディングは、15歳のときの「ラヴィング・ユー」?
レオナ:その前にもたくさんレコーディングしていたわ。ちょっとした設備のある場所があって、以前から録音はしていたけれど、はっきりと“レコーディングした”と記憶にあるのが15歳のときの「ラヴィング・ユー」。ミニー・リパートンは、大好きなアーティストだし、素晴しいシンガーだと思うから、(この曲を)レコーディングしたの。リリースはしていなくて、あくまでも自分のためにレコーディングしたのよ。
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