ヴェルヴェット・リヴォルヴァー『リベルタド』への道(2)

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2004年1月20日、完成目前状態にあった『コントラバンド』の試聴会を兼ねたパーティーをサンセット・ストリップにある『RAINBOW BAR&GRILL』で行なったヴェルヴェット・リヴォルヴァーは、その翌日、各国から集まったプレス関係者を対象に最初の公式インタビューの機会を設けた。場所はやはり同じ界隈にあるシャトー・マーモント。かつてマリリン・モンローが常宿としていたことでも知られる古城のような外観のホテルである。前夜といいこの日といい、彼らの所属レコード会社がロケーション/シチュエーションにこだわっていたのは明らかだった。“あらかじめ伝説的”ともいうべきバンドに似つかわしいお膳立てを整えようとしたのだろう。

この日、僕が話を聞いたのはダフ・マッケイガン、スコット・ウェイランド、そしてデイヴ・クシュナーの3人。まずダフは、その時点での気分をこんなふうに語っていた。

「リリースを待つ身って、妊娠して出産を待ってるような感覚だよな。俺自身はそんなもん味わったことないけど(笑)。ま、とにかく全員が“自分たちならでは”のアルバムを作れたって確信してるし、あとは世の中がそれをどう受け止めるかの問題さ」

彼はさらに、当時のバンドの現状を、『アペタイト・フォー・ディストラクション』完成当時のガンズ・アンド・ローゼズと比べながら、次のように発言していた。

「今の俺たちも、実際、あのアルバムを作った直後と似たような状態にあるんだ。当時、アルバムを作り終えてからも、俺たちはひたすら曲を作り続けてた。古くからのレパートリーを一掃することを考えつつも、新しい曲作りに歯止めをかけずにいて、どんどん書き続けてた。今の俺たちも、まさにそういう状態なんだ。ただ、ひとつ違うのは、このバンドの場合、ガンズと違って“作ったものをなかなか出さない”なんてことがあり得ないってこと(笑)」

実際、ガンズが1991年に2枚同時リリースした『ユーズ・ユア・イリュージョンI』『同II』は、“古くからのレパートリーの一掃”と“新たな可能性の具現化”とが同時に行なわれていた作品だった。そして、ダフがこの発言中に発した最後のフレーズも本当に正しかった。事実、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーは、ガンズの『チャイニーズ・デモクラシー』よりも先に『リベルタド』を世に送り出すことになったのだから。実際、『リベルタド』のなかには、その頃すでに生まれていたアイディアもいくつか反映されているに違いない。ダフは次のように発言を続けている。

「この音楽に計算はないのさ。自分たちの好きなように、気持ちの赴くままに曲を作ってるだけのことなんだ。曲については、とにかく常に作ってたし、今も書きまくってる。事実、今すぐにでも2ndアルバムを録れるくらいのストックがあるんだ。次の段階に進まずにいられないのは、俺たちの性分みたいなもんだからね」

また、同じインタビューのなかでスコットは「このバンドがコトあるごとにガンズと比較されるのは無理もないことだ」と認めながら、このように語っていた。

「そこで言っておきたいのは、それは俺にとって苦痛ではなくむしろ誇りだってこと。正直、俺はアクセルにもめちゃくちゃ影響を受けてきたし、一時は彼みたいない歌い方ばかりしてた。そんな彼と比べられるのは光栄なことだし、このメンバーと一緒にやれること自体もまた名誉なことだと思ってる」

さて、このまま今回の原稿を締めくくってしまうと、まるでデイヴ・クシュナーが無言だったかのようだが、もちろんそんなことはない。次回はこの、“それまで世界が知らずにいたギタリスト”について綴ってみたいと思う。

ところで、最後に文脈と関係なく最新情報を。すでにアルバム・リリースを待たずしてアメリカ/ヨーロッパを精力的にツアーしている彼らだが、この夏にはなんとアリス・イン・チェインズとのカップリングで全米ツアーを展開することが公式に発表された。具体的な公演日程などについても、近くお伝えできる見込みだ。蛇足ながら、ダフの出身地はワシントン州シアトル。アリス・イン・チェインズとは同郷だったりもするのである。

文●増田勇一
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