【佐伯 明の音漬日記】AAAの桑田佳祐を観る
2006.12.△
パシフィコ横浜でAAA(Act Against AIDS)~桑田佳祐を観る。
昨年はサザンのツアーがあったため、おこなわれなかった桑田氏のAAA。
その飢餓感を埋めるべく、目を皿のようにして、観てきました(笑)。
93年から始まったAAA(Act Against AIDS)は、今年で14回目を迎え、
ますますその意義が重要性を帯びてきたといっても過言ではないだろう。
なぜなら、日本は先進国の中で唯一といっていいほどHIV感染者が増加している国であり、
AAAがその初期段階から掲げていたテーマである“知るワクチン”、
つまり、AIDSについてまず正しく知ることこそ、HIV感染を予防する
第一歩となるということが、今まで以上に重要になってきたからである。
桑田佳祐が一昨年のAAAにおいておこなった
「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK~愛と青春の英国ロック~」の
収益により作成した“啓発パンフレット”は、AAA事務局を通して
全国すべての高校や保健所に配布された。
こうした地道な活動が根付いていくのことが、今後も屋台骨となるはずだ。
12月2日、「星条旗よ永遠なれ!?~私のアメリカン・ヒーローズ」と
題された桑田佳祐のAAA@パシフィコ横浜でのライヴは、
1958年から1982年までのアメリカのポップ・チューン全37曲が
演奏されるという熱演ぶりだった。
米軍基地を模したステージセットは、最前部に鉄条網、
後方にヘリコプターや戦闘機のミニチュアが配され、
その中で桑田とバンドが歌うという構図を僕らに示す。
今さら指摘するまでもなく太平洋戦争後の60年間に日本に入ってきた
米製のポップ・チューンはJ-POP楽曲の大いなる土台となっており、
この機会に一同にプレイすることは“僕らの足元”を
再確認することにもつながっていく。
自由なる大国・アメリカという横顔の一方で、一貫して戦争と無縁ではいなかった
アメリカ。そのアメリカ内で反戦=LOVE&PEACEをメッセージしてきた大衆音楽の
内実を今一度リリックも検証しながら演奏し、聴いていくという実りある行為。
「今日は僕の好きな曲を、バリアフリーで演らせてください!」
「学生時代にやりたかった曲も!」
という桑田のMC通り、ラヴソングから反戦歌、郷土愛や民族愛に根ざした楽曲、
土着的なグルーヴを表出させたナンバーなどが次々と披露されていく。
サザンオールスターズが1STアルバムに収録した「いとしのフィート」の
リスペクト対象となったリトル・フィートの「ディキシー・チキン」では、
桑田自身がスライド・ギターのソロをとった。
28年間のうちに目指して辿り着き、自分との距離を確認し愛を持って
演奏できるようになったスキルとグルーヴを打ち出す。
ジミ・ヘンドリクスの名曲「パープル・ヘイズ」の曲終わりには、
各国首相のお面を被ったパフォーマーたちが右往左往する中、
会場内にミサイルの模型が翔び、火花が上がる演出が登場。
その後は、思い出深いビーチ・ボーイズの曲をメドレーふうに
4曲立て続けにプレイ。
個人的に秀逸だと思った「キープ・ミー・ハンギング・オン」での
“狐の嫁入り”演出。
原由子もステージに呼び込んで斎藤 誠と3人で
「学生時代を思い出して」演奏された「クルーエル・ウォー(悲惨な戦争)」は、
いまだ解決されない問題があることを音楽で提起。
一方で、ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」ではLEDに
“Let’s think about AIDS”と現在的な“促し”をおこなう。
AAAでの桑田佳祐らのメッセージは、15周年を前にして、
いよいよ奥深くなったことを知った一夜だった。
[セットリストとライヴ写真はこちら]
※ライヴ写真の掲載は、2006年12月31日までとなります
パシフィコ横浜でAAA(Act Against AIDS)~桑田佳祐を観る。
昨年はサザンのツアーがあったため、おこなわれなかった桑田氏のAAA。
その飢餓感を埋めるべく、目を皿のようにして、観てきました(笑)。
93年から始まったAAA(Act Against AIDS)は、今年で14回目を迎え、
ますますその意義が重要性を帯びてきたといっても過言ではないだろう。
なぜなら、日本は先進国の中で唯一といっていいほどHIV感染者が増加している国であり、
AAAがその初期段階から掲げていたテーマである“知るワクチン”、
つまり、AIDSについてまず正しく知ることこそ、HIV感染を予防する
第一歩となるということが、今まで以上に重要になってきたからである。
桑田佳祐が一昨年のAAAにおいておこなった
「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK~愛と青春の英国ロック~」の
収益により作成した“啓発パンフレット”は、AAA事務局を通して
全国すべての高校や保健所に配布された。
こうした地道な活動が根付いていくのことが、今後も屋台骨となるはずだ。
12月2日、「星条旗よ永遠なれ!?~私のアメリカン・ヒーローズ」と
題された桑田佳祐のAAA@パシフィコ横浜でのライヴは、
1958年から1982年までのアメリカのポップ・チューン全37曲が
演奏されるという熱演ぶりだった。
米軍基地を模したステージセットは、最前部に鉄条網、
後方にヘリコプターや戦闘機のミニチュアが配され、
その中で桑田とバンドが歌うという構図を僕らに示す。
今さら指摘するまでもなく太平洋戦争後の60年間に日本に入ってきた
米製のポップ・チューンはJ-POP楽曲の大いなる土台となっており、
この機会に一同にプレイすることは“僕らの足元”を
再確認することにもつながっていく。
自由なる大国・アメリカという横顔の一方で、一貫して戦争と無縁ではいなかった
アメリカ。そのアメリカ内で反戦=LOVE&PEACEをメッセージしてきた大衆音楽の
内実を今一度リリックも検証しながら演奏し、聴いていくという実りある行為。
「今日は僕の好きな曲を、バリアフリーで演らせてください!」
「学生時代にやりたかった曲も!」
という桑田のMC通り、ラヴソングから反戦歌、郷土愛や民族愛に根ざした楽曲、
土着的なグルーヴを表出させたナンバーなどが次々と披露されていく。
サザンオールスターズが1STアルバムに収録した「いとしのフィート」の
リスペクト対象となったリトル・フィートの「ディキシー・チキン」では、
桑田自身がスライド・ギターのソロをとった。
28年間のうちに目指して辿り着き、自分との距離を確認し愛を持って
演奏できるようになったスキルとグルーヴを打ち出す。
ジミ・ヘンドリクスの名曲「パープル・ヘイズ」の曲終わりには、
各国首相のお面を被ったパフォーマーたちが右往左往する中、
会場内にミサイルの模型が翔び、火花が上がる演出が登場。
その後は、思い出深いビーチ・ボーイズの曲をメドレーふうに
4曲立て続けにプレイ。
個人的に秀逸だと思った「キープ・ミー・ハンギング・オン」での
“狐の嫁入り”演出。
原由子もステージに呼び込んで斎藤 誠と3人で
「学生時代を思い出して」演奏された「クルーエル・ウォー(悲惨な戦争)」は、
いまだ解決されない問題があることを音楽で提起。
一方で、ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」ではLEDに
“Let’s think about AIDS”と現在的な“促し”をおこなう。
AAAでの桑田佳祐らのメッセージは、15周年を前にして、
いよいよ奥深くなったことを知った一夜だった。
[セットリストとライヴ写真はこちら]
※ライヴ写真の掲載は、2006年12月31日までとなります
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