【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話071「THE MOTEL、皆さんはどう思いました?」

THE MOTELに関し、人間か?AIか?…そんな議論が持ち上がること自体が2026年の今を象徴する出来事だと思ったので、少し考えをまとめてみた。
例えば「AIはバーチャル」という論調には、そもそも無理がある。それを言うなら、打ち込みもバーチャル、サンプリングもバーチャルだ。ピッチ補正もデジタルリバーブもアンプシミュレーターもみんなバーチャル。DAW上で波形を切り貼りすることもリアルな演奏ではない。でもこうやって作られた音楽を、我々は「偽物」とは呼んでいない。
音楽はテクノロジーの恩恵を最大限に受けて発展してきたアート/エンターテイメントだ。たとえばTEACの4トラックMTR「144」は1979年に発売され、個人の音楽制作環境を大きく変えた。シンセ、サンプラー、ドラムマシン、シーケンサー、MIDI、デジタルエフェクト、ボーカロイド、DAW、そしてストリーミング…これらの技術は音楽制作環境を爆発的に拡張させ、「演奏する」→「録音する」→「編集する」→「プログラムする」→「PC上で音楽を構築する」→「AIに音楽を生成させる」と急速な進化を見せつけた。
シンセもDAWも人間が操作する道具で、ギターなら弾く人間が音を決めるし、DAWなら並べる人間が音を決めるけど、AIは指示に従って大量の選択肢を提示してくる。ここが注目ポイントだ。単に音を出すツールではなく、ある程度の判断を代行するところにAIの特異性があり、結果「音を作ること」よりも「何を選ぶか」がミュージシャンの役割になってきた。どこまでが人間でどこからが機械なのか、もはやそこに意味はない。ツールを使って何を意図したのかが本質だ。
これまで音楽家に求められていた能力のひとつは「自分で音楽を作れること」であり、「歌が上手い」「演奏が上手い」「作曲が上手い」「編曲が上手い」「ミックスが上手い」という技能が音楽家の重要な競争力だった。もちろん、これらは今後も欠かせない能力だけれど、AIがそれらを猛烈な勢いで代替すると、技能そのものは差別化されなくなる。つまり「音を作る能力の価値」は下がる。すると「何を作るか」「なぜ作るか」「何を捨てるか」「何を選ぶか」「誰に届けるか」「その音楽によって何を起こしたいのか」という上流の能力が重要になる。つまり「無数に作れる音楽の中から、自分が作るべきものを見つけられること」の美意識と審美眼が際立ってくる。
極端に言えば、未来のミュージシャンは「演奏者」であると同時に、ディレクター、キュレーター、編集者、プロデューサー、世界観の設計者なんだろう。AIが1,000曲作ってくれるなら、その中から「これだ」と言える一曲を選ぶセンスと能力こそが、その人の音楽性になる。
そしてライブはさらに重要になる。「生演奏だから本物」という短絡的な話じゃない。バーチャルアーティストだってライブ空間を作れるんだから。つまり「生身かCGか?」ではなく「その瞬間、その場所でしか成立しない体験になっているか」だ。「自分はこの場所にいた」という記憶…生成AIには作れない体験の価値こそ人生の醍醐味なんだから。

これからのミュージシャンに必要なのは「AIに勝つこと」ではないし、AIに「人間らしい曲」を作らせて、それと人間が競争する必要もない。AIが得意なものはAIに任せて、100パターンのコード進行を出してもらい、ドラムパターンを死ぬほど作らせればいい。編曲のアイデアを出してもらいミックスの方向性を提案させるもいい。そしてミュージシャンは「自分は何を良いと思うのか」を問えばいい。作業者ではなく意思決定者だ。
冷静に考えれば、これまでの音楽家がやってきたこととさしたる違いはないかもしれない。優れたプロデューサーは、全ての楽器を演奏する必要はないし、優れた映画監督がすべてのカメラを自分で回す必要もない。スポーツの名監督も同様だ。AI時代の音楽家もすべての音を自分の手で作る必要はない。
「2026年10月7日の朝、こんなニュースを見て腹が立った」「20歳のときに失恋して、この曲を書いた」「父親が死んだ日に、このメロディが浮かんだ」「初めてステージに立ったとき、客席の一番後ろにいた一人の観客を今でも覚えている」…そんな体験が音楽を産む。人生を生きた結果として音楽を必要とするという身体的・社会的な感情が、音楽の源泉だ。「自分は何を経験し、何を感じ、何に怒り、何を愛し、何を伝える人間なのか」がミュージシャンの特権であり、音楽制作がテクノロジーによって高度化するほど人間そのものが重要になってくる。皮肉なことだ。
THE MOTELをめぐる「リアルかフェイクか」「人間かAIか」「これは本当に人間が演奏したのか」という問いよりも、この音楽を世の中に存在させたことを問うことの方が重要だ。「上手に音楽を作る」ことよりも「自分にしか作れない意味を持つ音楽」を選び取り、「その音楽を、人々と同じ空間で共有する」ことで、自分の表現を設計することが本質であることを、まざまざと見せつけたと思う。
文◎烏丸哲也(BARKS)