【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話061「春らんまん、芽吹く季節がやってきたけど、我々人間も芽吹く…かな?」

2026.03.24 09:31

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植物が芽吹いてきた。気温や日照時間がトリガーとなって、眠っていた成長のプログラムが動き出す。春は希望を感じさせてくれるいい季節だけど(花粉はさておいて)、「人間の春はどこにあるのだろう」とふと思った。創造性は季節のように巡ってくるものなのか、それとも自ら呼び寄せコントロールできるものなのか。創造のスイッチはどこにあるのか。自分で押せるものなのか。

クリエイティブが停滞する理由は、能力の限界ではなくむしろ成功体験にあると聞いたことがある。評価された手法や確立した技量は尊い財産だけれども、同時に思考を停止させてしまう副作用にもなり「これでいい」と思えば進化はおしまい。安全圏はらくちんで居心地がいいからね。

だから更新を続ける表現者は、この安全圏であぐらをかかず意図的に未知へ乗り出しているんだろう。必要なのは未熟さを引き受ける勇気と覚悟だ。安寧の地を離れアイデンティティが通用しない場所に行けば、思考はフル稼働せざるを得ない。めんどくさいしエネルギーも必要だけど、そこは可能性の宝島になる。

きっと「うまくやる」という熟練のスキルに甘えるのも危なそうだ。洗練されたノウハウは武器になるけど、それ自体が創造性を担保するわけじゃない。うまくやってしまえば問いも収まる。問いが止まれば、表現も止まる。問いが深まらなれけばきっと意味がない。

創造性やひらめきは積み重ねられた過程に宿るのだから、多分大事なのは、愚直に壁打ち続け1000本ノックを繰り返すことだとも思う。失敗を蓄積して脳の回路を更新し続け、発想の土壌を耕すために。同時に第三者との交流も欠かさない。だって孤独による集中よりも視野を狭める断絶のほうがリスキーだもの。いつだって他者の視点は気付きの宝庫だから、コラボレーションや対話で生じる摩擦こそが思考を再編成する熱を生み出してくれる。

さて、こうした創造性は誰にでも開かれているのか。それとも天賦の才にのみ許されたものなのか。

創造性を「一瞬のひらめき」と捉えるなら才能の有無が優位性を決めそうだけど、創造性=「更新を続ける地力」と捉えるなら、それは環境と習慣によって育まれる要素も出てくる。経験が増えるほど表現はより多層的に深みを増すと考えれば、創造性は誰でも一生更新できるものと信じられそうだ。若さは瞬発力を持つけれど、成熟は統合力を持つからね。

アートやエンターテイメントは競争ではなく探究だから、最も重要なのは創造性を他者との比較で測らないことだとも思う。人生そのものもそうだ。昨日の自分を更新することは誰にでもできる。創造の春は待つものではなく、自ら手繰り寄せるものとして、未知を恐れず試行錯誤を続けること。その環境と習慣が整えば、そこで成長のスイッチが入るのかな。

ミュージシャンに最も必要なのは、特別な才能以上に更新を恐れない意志なのかも。そしてそれは、我々サラリーマンにとっても全く同じこと、ですよね?

文◎烏丸哲也(BARKS)

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