| ──病気によって、声という最高の生楽器が痛手を受けた部分もあったと思いますけど、その辺りはどう克服したんですか?
徳永英明(以下、徳永):自転車とサーフィンなんです。退院した時に、自転車に乗りたいって思ったんですよ。心肺能力って入院するとすごい落ちるんですよ。で、自転車は体力面で効果があって心肺機能が上がってきました。それから1年半前にはサーフィンを始めたんですね。昔、僕は海で恐い思いしたので、サーフィンはやめてたんですけど、それをもう一度やってみようと。それをやっていく過程で、例えば波って波に反抗しちゃ乗れないんですね。それと一緒で、歌っていうのはサウンドに対抗しちゃだめなんです。
──昔は四方八方の壁にぶつかりまくっていたイメージがありましたね。怒っているような。
徳永:実際怒ってないけど、エネルギー的に怒ってるみたいなね。痛いよね、それは(笑)。自分がやってることを周りが認めてくれてない、自分だけが大変なんだっていうことをアピールしてたのかな。僕は歌手として生きてればいいのに、全て自分で抱え込んでいましたからね。いろんなことが気になって、そういったものが重なって、満を持して倒れたのかもしれないですね。
──でも良くなって退院されてよかったです。ご帰還おめでとうございます。
徳永:この前、復活した時の記者会見のビデオを見たんですけど、“うわー気が弱い”って思いました。あの時は最高の顔で出たつもりなんですけど。今は、いい意味でえぐさが出てきたかな。
──徳永さんの体調の部分と、新旧問わず名曲をカヴァーするということが合ってますよね。人生の波と作品が連動するってのは奇跡的なことですからね。徳永さんって、スピリチュアルな部分が作品に影響しやすいタイプですもんね。
徳永:ソングライターとしてのこだわりを、あまり持ちすぎるのはやめようと。僕が曲を半分書いたとして、誰かがすごくいいものを半分書いたら、自分の武器を足していくほうがいいですよね。
──音楽との関係は変わったことありますか?
徳永:曲を作るときは、声があるからメロディが出てくるわけです。詩ってのは声があるから出てきてるわけじゃないんです。「壊れかけのRadio」なんて同時に三曲ができて、声がメロディになったので売れたんだと思います。でも、プロ作家の方は、詩が音符なんですね。だから、エッセイやコラムでも、いいものは音なんですよ。全ては音なんですよ。だから、基本的に音を感じない詩はもうダメだということになってくるでしょうね。自分の声とメロと詩が、「壊れかけのRadio」みたいに“どーん”と出てくればそれがベストですね。でも、そこに抵抗して全部自分がやらないとって思ってたら大変です。歌が良くなきゃってことにはこだわるけど、作るにあたっての方法論にはそこまでこだわらないようにしようと。
──徳永さんの中で優先順位ができたんですね。
徳永:そういうことですね。ただ、メロディラインに関しては自負がありますけど、詩に関しては、自分で書くには書くけど、だめな時は人に委ねる。いいものを作るためには、サポートを上手く使うということも大事で。甘えじゃなくて、最善を尽くすためのサポートを受け入れる気持ちが必要ですよね。まさにステージは、僕しかどうしようもない場所で甘えは許されないけど、それ以外の部分はいろんな人の力を借りようと。
取材・文●佐伯明 |
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