ニュース・最新情報
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JUJU、12ヵ月連続でカヴァー・ライヴを実施
「奇跡を望むなら...」で2007年度USEN年間総合チャート(J-POP)1位を獲得したN.Y.在住のシンガーJUJUが、新たな試みとして、12ヵ月連続・全12回にわたるカヴァー・ライヴ・イベント<ジュジュ苑>をスタートさせた。
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韓国発の本格派シンガーKからコメント到着!
デビュー曲「over...」がTBS系ドラマ『H2~君といた日々』の主題歌に大抜擢されたことで、一躍注目が集まった韓国はソウル出身のシンガーK。
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デビューアルバムを出したばかりの川口大輔インタヴュー映像到着!
シンガーソングライター、ピアニスト、サウンドメーカーと多彩な能力の持ち主、川口大輔。
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あの話題のドラマ主題歌を歌う川口大輔、全国各地に行きます!
11/6にリリースされた川口大輔の3枚目のシングル「HIGH CRIME」は、浅野温子、三上博史らが出演の話題の日本テレビ系ドラマ「共犯者」のオープニング・テーマ曲。
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珠玉のメロディーメイカー、川口大輔のクルージングライヴ映像配信
ソウル、ブラジリアン、AORといったバックグラウンドを新時代的に解釈した圧倒的なソングライティング力と卓越したピアノプレイを武器に、J-POPシーンに登場した“最強のメロディー・メイカー”川口大輔。
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川口大輔、ドラマ「ひと夏のパパへ」をきっかけに生まれた曲をシングルに
CHEMISTRYや中島美嘉などへの提供曲が大ヒットで注目を集めている川口大輔。
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「思い出は振り返らない…」あの曲を作った噂のピアノ・マンがデビュー!
~思い出を振り返るのではなく、前を向いて歩いていく...CHEMISTRY、中島美嘉などへの曲提供で数々のビッグヒットを放ったきた川口大輔。
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川口大輔、アーティスト活動の第一歩を踏み出す
ソング・ライターとしてCHEMISTRY「君をさがしてた」、中島美嘉「WILL」「STARS」など数々のビック・ヒットを放ってきた川口大輔。
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あの曲を作った注目シンガーソングライター・デビュー!
中島美嘉の「WILL」、CHEMISTRY「君をさがしてた」など、ソングライターとして提供した曲のほぼ全てをオリコン3位以内に送り込むという驚異のセールスを記録した川口大輔が、1月29日にプレ・デビュー作『BEFORE THE DAWN』をリリース。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
1975年12月5日生まれ、東京都出身。
幼少時代からピアノを習い始めると同時に、父親の関係でフィリピン・マニラ〜ロサンゼルス〜日本というように、それぞれの土地で暮らし、様々な音楽を聴き、幅広いジャンルの音楽に親しむ一方、ボサノヴァ、サルサ、ラテン、ブラジリアンミュージックなどのバンドでピアニストとしての腕をみがき、SOUL BOSSA TRIOのアジアツアーに参加した際はINCOGNITOとの共演も果たした。そんな中で卓越したテクニックを身につけ、22歳の夏本格的に作詞・作曲活動を始める。
1997年にレコード会社に送ったデモテープがきっかけとなり、2000年にプロデューサー松尾“KC”潔氏と出会う。その高いソングライティング力を評価され、CHEMISTRYへの楽曲提供「君をさがしてた」が決定。セカンドシングル曲「Point of No Return」との両A面として最高位1位を獲得。ウェディング・ソングとして広く歌われることになった超名曲の誕生となる。
その後、ドラマ主題歌としても再リリースされ、オリコン最高位2位を獲得。また、日韓の架け橋となる2002FIFAワールドカップ[コリア・ジャパン]公式テーマ・ソング「Let's Get Together Now」の作曲を手掛けることとなる。(最高位3位)韓国で公式に放送された初めての日本語楽曲として歴史的な1曲となり、韓国メディアからの取材も受けている。そして、2002年を席巻した新星、中島美嘉のデビュー曲「STARS」(最高位3位)、さらに今夏のサマークラシックとなった「WILL」(最高位3位)と圧倒的な名曲を作曲。その他、藤岡正明の2nd Single「Rewind」も作曲(詞は共作)。提供楽曲の全てが2002年のオリコン上位に続々とチャートイン。
2003年1月リリースされたオムニバスアルバム『SMOOTH II』に楽曲「WILL」で参加し、歌手デビューを果たした。
2004年には、デビューアルバム『Sunshine After Monsoon』をリリース。
2012年、JUJUに提供した楽曲「ありがとう」が、第54回日本レコード大賞で優秀作品賞を受賞。
由紀さおりのドラマティックコンサート<PANDORA>(2013年)、45周年コンサート<偶然の結晶>(2014年)で編曲・ピアノを務めた。
幼少時代からピアノを習い始めると同時に、父親の関係でフィリピン・マニラ〜ロサンゼルス〜日本というように、それぞれの土地で暮らし、様々な音楽を聴き、幅広いジャンルの音楽に親しむ一方、ボサノヴァ、サルサ、ラテン、ブラジリアンミュージックなどのバンドでピアニストとしての腕をみがき、SOUL BOSSA TRIOのアジアツアーに参加した際はINCOGNITOとの共演も果たした。そんな中で卓越したテクニックを身につけ、22歳の夏本格的に作詞・作曲活動を始める。
1997年にレコード会社に送ったデモテープがきっかけとなり、2000年にプロデューサー松尾“KC”潔氏と出会う。その高いソングライティング力を評価され、CHEMISTRYへの楽曲提供「君をさがしてた」が決定。セカンドシングル曲「Point of No Return」との両A面として最高位1位を獲得。ウェディング・ソングとして広く歌われることになった超名曲の誕生となる。
その後、ドラマ主題歌としても再リリースされ、オリコン最高位2位を獲得。また、日韓の架け橋となる2002FIFAワールドカップ[コリア・ジャパン]公式テーマ・ソング「Let's Get Together Now」の作曲を手掛けることとなる。(最高位3位)韓国で公式に放送された初めての日本語楽曲として歴史的な1曲となり、韓国メディアからの取材も受けている。そして、2002年を席巻した新星、中島美嘉のデビュー曲「STARS」(最高位3位)、さらに今夏のサマークラシックとなった「WILL」(最高位3位)と圧倒的な名曲を作曲。その他、藤岡正明の2nd Single「Rewind」も作曲(詞は共作)。提供楽曲の全てが2002年のオリコン上位に続々とチャートイン。
2003年1月リリースされたオムニバスアルバム『SMOOTH II』に楽曲「WILL」で参加し、歌手デビューを果たした。
2004年には、デビューアルバム『Sunshine After Monsoon』をリリース。
2012年、JUJUに提供した楽曲「ありがとう」が、第54回日本レコード大賞で優秀作品賞を受賞。
由紀さおりのドラマティックコンサート<PANDORA>(2013年)、45周年コンサート<偶然の結晶>(2014年)で編曲・ピアノを務めた。