ニュース・最新情報
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『リバイバル69 ~伝説のロックフェス~』、ビートルズ解散直前の胸中をジョン・レノンが語る特報映像&ポスタービジュアル解禁
ビートルズ終焉ののろしになったとも言われ、<ウッドストック>と並び称されるロック史を大転換させた伝説の音楽フェスティバルの“真実”を描く傑作ドキュメンタリー『リバイバル69 ~伝説のロックフェス~』が、2023年10月6日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町ほか全国公開となる。
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エル・キングとザ・ブラック・キーズ、燃え上がるピアノでジェリー・リー・ルイスを追悼
水曜日(11月9日)にアメリカで開催されたカントリー音楽のアワーズ<第56回カントリー・ミュージック協会賞>で、エル・キングとザ・ブラック・キーズが、先月終わりに亡くなったジェリー・リー・ルイスを追悼し「Great Balls Of Fire」をパフォーマンスした。
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ブルース・スプリングスティーン、ロックの殿堂式典でジェリー・リー・ルイスを追悼
土曜日(11月5日)に米ロサンゼルスで開催されたロックの殿堂の式典で、ジェリー・リー・ルイスを追悼し、ブルース・スプリングスティーンとジョン・メレンキャンプ、ザック・ブラウン・バンドが共演した。
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ボブ・ディラン、ジェリー・リー・ルイスを追悼
ボブ・ディランが、10月28日に英国ノッティンガムで開いた公演で、その日訃報が伝えられたジェリー・リー・ルイスを追悼し、彼の曲「I Can't Seem To Say Goodbye」をパフォーマンスした。
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ザ・ローリング・ストーンズのメンバーら、ジェリー・リー・ルイスを追悼
ジェリー・リー・ルイスの訃報を受け、ザ・ローリング・ストーンズのメンバーやリンゴ・スター、エルトン・ジョンらから追悼の言葉があがった。
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ジェリー・リー・ルイス、死去
ロックンロールの黄金期から活動を続けてきたアメリカのシンガー、ジェリー・リー・ルイスが亡くなったことが、10月28日、彼の代理人より伝えられた。
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ジェリー・リー・ルイス、訃報は誤報
米芸能ニュース・サイト『TMZ』は水曜日(10月26日)、ジェリー・リー・ルイスが亡くなったとのニュースを伝えたが、これは誤報だったという。
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リンゴ・スター、ブライアン・ウィルソンら、ドン・エヴァリーを追悼
エヴァリー・ブラザーズの兄ドンの訃報に、リンゴ・スター、ブライアン・ウィルソン、ナンシー・シナトラらから追悼の言葉があがった。
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リンゴ・スター&ロバート・プラント、ジェリー・リー・ルイスの誕生日を祝う
日曜日(9月6日)、ロンドンで開かれたジェリー・リー・ルイスの公演にリンゴ・スターとロバート・プラントがゲスト出演し、一足早く彼の誕生日を祝った。
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ノエル、オジー、ポールらがラジオのDJに
BBCラジオ1が開局40周年を記念し、ポール・マッカートニー、オジー・オズボーン、オアシスのノエル・ギャラガー、アークティック・モンキーズらロック・スター10人がDJを務めるスペシャル番組を放送する。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
Jerry Lee Lewis は'35年9月29日ルイジアナ州フェリデイで生まれた。幼い頃からブルースやカントリーに親しみ、8歳でピアノを始める。'49年、13歳の時に10ドルのギャラでプロの初舞台を踏んだ。
'56年、Elvis Presley や Carl Perkins などを輩出していたメンフィスの名門 Sun Records のオーディションを受け、合格する。デビュー・シングル「Crazy Arms」はローカル・ヒットで終わったが、翌'57年6月に発表した第2弾「Whole Lotta Shakin'Goin' On」は、ブギ・ウギ・ピアノをフューチャーした彼独特のスタイルで、あっという間に全米第3位の大ヒットとなる。7月にはテレビの『Steve Allen show』でこの曲を演奏。狂気じみた眼でカメラを睨みすえながら、"パンピング・ピアノ"と呼ばれたワイルドなピアノ奏法と強暴なヴォーカル・スタイルを披露し視聴者の度肝を抜く。以降彼は"ザ・キラー"という異名を与えられ、まるで悪霊にとりつかれたようなパフォーマンスを繰り広げることになっていく。
続く「Great Balls of Fire」(邦題「火の玉ロック」)「High School Confidential」「Breathless」と次々にヒットを連発、'58年の春には R&R のトップに君臨していた。ところが落とし穴は私生活からふっと沸いて出たのだった。
早熟な Jerry は下積み時代2度の結婚を経験し、1児の父になっていたが、'57年12月に13歳の従姉妹 Myra と3度目の結婚する。前妻とは正式に離婚しておらず、実際は重婚だった。'58年5月、イギリス公演に出かけた Jerry が13歳の従姉妹と結婚したことを発表、すると教会などから非難が殺到し、Jerry のレコードは全米のラジオ局から放送禁止処分を受け、公演もほとんどがキャンセルされた。以降彼は謹慎を余儀なくされ、人気は下降の一途を辿る。
'61年に Ray Charles の「What'd I Say」をリメイクしヒットさせた後は Smash や Mercury といったレーベルで活動を続けたが、私生活においての荒れ方は激しくなっていく。例えばバンドのベース・プレイヤーに銃をぶっぱなしたり、酔っ払って運転していたロールス・ロイスを溝に落としたり、Elvis の邸宅の前で面会を強制して逮捕されたり…。'81年には長年に亘る酒とドラッグ漬けの生活のツケがまわり、多量の出血をともなう潰瘍を引き起こし瀕死の状態に陥っている。女性関係も相変わらずで、'70年代と'80年代を通して何度も花嫁を取り替え、'83年には5番目の妻が様々な疑惑に包まれたまま亡くなったりしている。
しかしこの事実に呆れるというよりは、セックス、ドラッグ、ロックン・ロールというお題目にドップリ漬かった真性ロックン・ローラーぶりに感心さえしてしまう。道徳や社会に反逆する不良性のようなものが、R&R をリアルにするという考えに沿って言えば、レコードに刻まれた彼が叩き出すピアノの強烈なリズムには、商業主義に溺れる前の正真正銘の R&R の息遣いが確実に存在しているといえるだろう。 '86年にはロックの殿堂入りを果たし、'90年代にもニュー・アルバムを出し、ツアーを続けている。火の玉は消えるどころか転がり続けているのだ。