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幼少期から長く育んだ古典ピアノ、海外留学で肌身についた日本とは違う色彩の世界、ベーシストとして青春をぶつけた思春期時代のバンドライフ、そんな彼が2011年、DJを始め、人前に立った。彼の生まれ持ったカリスマ性、人を惹き付けるオーラの強さは凄まじい。

ステージ上の彼は身体全体でサウンドを弾鳴らすエネルギーで溢れ、高揚と共にブース内を可憐に跳び上がり、常人には気の遠くなるような眩しさで圧倒する。彼のプレイ終了時には例外なく、観客フロアバリアが熱気で崩壊寸前だ。あまりにも鮮烈なKSUKEの登場は、たちまち周囲を虜にし、口々に噂は広まり、SNSがそれを助長した。一晩で世界規模のスターが誕生するこの時代、KSUKEの輝きに満ち満ちた異彩を放つ存在は、あっという間に若者達を中心に全国へと広がったのだった。その後、国内有名DJのフロントアクトを数え上げ、各地での野外フェスからも続々と声がかかり、そして、最初のDJステージから2年も経たぬ間に、海外アーティストのフロントアクトを多数任されるようになった。その1つ1つが大成功をおさめ、高い評価を獲得。彼のステージは地元から全国区、そして世界へと、駿馬のごとく駆け上がっていった。この彗星のごとく現れた新世代の強烈なスーパースターに、ワールドクラスの業界関係者からも続々と熱い視線が一気に向けられた。そして期待と興奮は確信へ。世界をステージとするオファーの囁きが続々と飛び交うようになったのだ。

2014年6月、世界中のトップスター級DJのみが名を連ねることを許される夢の舞台、世界最大のDJフェス、ULTRA MUSIC FESTIVALになんと、KSUKEが、新人では異例の大抜擢を果たしたのだ。

2014年6月14日「ULTRA KOREA 2014」夢に描いていた憧れのステージで、KSUKEは喝采の中、見事な大成功をおさめた。そして、2014年9月その世界中が熱狂するULTRA MUSIC FESTIVALが日本に初上陸。「ULTRA JAPAN 2014」、この最高峰の歴史的舞台でも、堂々のパフォーマンスを見せつけ大きな話題を呼んだ。11月にはアジア人としては初のラスベガス最大の超名門クラブ“Light Night Clubでギグをこなし、

彼の名前は一気にシーンへ拡散。北米のプロモーターからのオファーが集まる。2015年1月以降はラスベガスを拠点とし、北米でのギグが決定している。