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日本のヒップホップをより拡大させる新世代の旗手。過去にはフリースタイル・バトルなどでも好戦績を残し、現場叩き上げながらよりマスにアピールする稀有なポテンシャルを持つ男。Da.Me.Records 所属。

高校時代はバンド活動などで音楽と関わるが、HIIPHOP と出会うことで人生の指標を見つけることになった。99年からラッパーとして活動を開始する。早稲田大学に入学し、国内屈指のブラック・ミュージック・サークル、「ギャラクシー」に参加。同期のTARO SOULや志人(降神)、DEJIなどと共に切磋琢磨し腕を磨く。現場でのライブの積み重ねもこの時期から始まり、常にパーティーをロックすることを信条に都内中心に精力的に活動し、アンダーグラウンドでの認知度を上げていった。

2003年、ダースレイダー宅に数多くのMC が集まり連日ラップを録音するという、Da.Me.Recordsとして後に形成される流れに最初期から参加。Da.Me.Recordsが始めた1000円シリーズ新人アーティストとして、EI-ONE、はなびと共に「りんご」を結成しアルバム「りんごのりんご」を発表。初回生産分を瞬く間に売り切り、ロングセラーを記録した。日本のHIPHOP のインディーズという今は当たり前の存在の先鞭をつけたフレッシュな動きであった。

続いて盟友、TARO SOUL(当時は太郎)とのユニット、太郎&KEN THE 390 名義で「JAAAM!!!」を発表するや、そのキャッチーでいながらスキルフルな内容で全国を驚かせ、その存在を日本のHIPHOP地図に刻み込むことになった。初ソロ作「プロローグ」はまさに満を持してのタイミングで発表され、インディーズとしては脅威のビッグ・セールスを記録する。現場での機能を重視した初期の作風はより洗練され、音源ならではのスムースなラップ・アプローチも見せるようになる。様々なビートへの対応力の高さもすでに高次元だった。この短期間での録音量の多さ(ダメレコ関連作にもガンガン登場!)と連日現場でマイクを握るバイタリティーは前例を見ないほどであり…「日本一ラップ量の多い男」との異名もとるほど。

また、同時期にはLIBRA 主催の「ULTIMATE MC BATTLE」や「B-BOY PARK MC BATTLE」、Da.Me.Records の「3on3 FREESTYLEBATTLE」などのMC バトルにも次々と出場し、並外れたフリースタイルのスキルと実に肝の据わったパフォーマンスにより好成績を残す。作品でのキャッチーなスタイルとは裏腹にバトル強者としての一面も併せ持ち、KEN THE 390 というアーティストに根付くHIPHOP 強度の高さも証明してみせた。渋谷ハチ公前サイファーなどのムーヴメントにも積極的に参加し、日本屈指の即興ラップを聞かせる「フリースタイルの貴公子」としても名をはせることになった。

TARO SOUL との2nd「FLYING SOUNDTRACK」ではよりマッシュアップされた二人のグルーヴが聴ける。さらにここで後々まで関係性が続くMUMMY-D(RHYMESTER/ マボロシ)との初コラボ「GRAND CLOSING」が超強力な一発として世間を騒がせた。より広い層へのアピールが望まれたタイミングでのソロ2 作目「MY LIFE」はPONY CANION 流通となり、リード曲「H._T.P」ではDJ WATARAI のビートにMUMMY-D をフィーチャーし、堂々と渡り合うフレッシュなラップで新世代の息吹をリスナーにしかと届けた。裏・リード曲とも言える、RHYMESTER のDJ JIN 制作「超・ラップへの道」はTARO SOUL、DEJI と共にファンキーなビート上でスキルを炸裂させた一曲で、制作風景がYouTube にアップされるやあっと言う間に10 万ヒットを超える勢いを見せた。他にもMITSU THE BEATS やRomancrew、COMA-CHI も参加し早くも名盤の風格をものにする。続けざまにアウトテイクと新曲を混ぜ合わせた外伝的作品「MORE LIFE」も発表、つねに鮮度の高い作品を発表する姿勢を維持してみせた。

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