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20世紀最高のテナーとして歴史にその名を残すことが万が一なかったとしても、Andrea Bocelliは20世紀で一番有名で一番成功したテナーの1人であることに疑問の余地はない。'90年代中頃、生まれ故郷のイタリアのSugarレーベルで、クラシックのオペラ歌手としてレコードを出し始めたBocelli。ヨーロッパでまずチャートの1位を獲得し、さらにアメリカでも1位となった彼は、'99年には完璧にポップ・スター的存在となっていた。

'58年9月22日、ラジャティコというイタリアのトスカーナ地方の農村に生まれた。生まれた時には何の不自由もない体だったが、12歳の時にサッカーで怪我をして完全に失明してしまう。しかし、向上心に燃えていたBocelliは、音楽にすべての思いを集中させるようになる。怪我をする前から声楽やピアノ、フルート、サキソフォンなどを習っていた彼は、怪我の後、思い切り音楽に没頭していく。イタリアの高校に当たる学校を卒業した後、Bocelliはピサ大学で法学を学び、法学の博士号を得て、1年間弁護士としても働いている。

ちょうどそんな頃、彼は子供時代のアイドルだったイタリアの伝説的テナー歌手、Franco Corelliについて学ぶチャンスを得た。こうしてイタリアから弁護士が1人減ることになる。Bocelliは仕事を辞め、夜はピアノ・バーで弾き語りをし(Frank SinatraやEdith Piafといったスタンダード・ナンバーを歌っていたという)、妻子を養いながら、勉強を続けていった。

'92年、イタリアのロック・スターZuccheroが、“Miserere”という曲のデモ・テープで一緒に歌ってくれないか、とBocelliに持ちかけてきた。この曲はLuciano Pavarottiとのデュエットを念頭に置いたもので、このテープでBocelliという若者の声を聞いたPavarottiは、Bocelliの教師の1人となった。また、Zuccheroのツアーに同行し、ステージで“Miserere”を一緒に歌ったことで、Bocelliの名前はさらに広まっていった。

このツアーの直後の'96年、BocelliはSugarと契約を結び、イタリアでオペラのアルバムを何枚もリリースした後、Andrew Lloyd Webberのミュージカルのスター、Sarah Brightmanとのデュエットをレコーディング。このシングル“Time To Say Goodbye”は、ヨーロッパのポップス界でとてつもないヒットとなり、ドイツでは史上最高の売り上げを記録した。同じ年、SugarはPolygramとの契約に合意。Bocelliのアルバム『Romanza』は、Polygramを通して世界に向けてリリースされ、西側のありとあらゆる国でチャートの1位を獲得する。

'98年、Bocelliは続けて、オペラを集めたアルバム『Aria:The Opera Album』をリリース。この作品は、クラシックのアルバムとして空前の成功を収めたばかりか、ヨーロッパやアメリカでチャートの1位を独占した。

'99年には、Celine Dionとのデュエット“The Prayer”を含むアルバム『Sogno』もリリースされ、Bocelliはこれまでのオペラのテナー歌手とはひと味違う、ポップス界のスーパー・スターへの道を邁進している。

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