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1961年浦和に生まれる。ピアノ、ヴァイオリン、作曲などを学び、武蔵野音楽大学に入学するが(トロンボーン専攻)2年で中退。
ドレスデン国立管弦楽団主席トロンボーン奏者アロイス・バンブーラ氏の門を叩き、2年半に渡って毎週レッスンに通う。バンブーラ氏を通じ指揮者のヘルベルト・ケーゲル氏(ドレスデン・フィル音楽監督)やピアニストのアマデウス・ヴェーバージンケ氏など多くの人脈を得る。
1983年からヘルベルト・ケーゲル氏に指揮の手ほどきを受ける。1985年渡欧。ミュンヘン・フィル主席トロンボーン奏者ダンクヴァルト・シュミット氏の指導を受けた後、ウィーン国立音楽大学に入学。ウィーン交響楽団主席トロンボーン奏者ヨハン・ペットラー氏に師事。2年間にわたりウィーン音大指揮科のオーケストラ(ウィーン・プロアルテ管弦楽団)でトロンボーンを演奏する傍らカール・エステルライヒャー、オトマール・スイトナー両氏の指揮の授業を聴講。
1987年帰国、ヴァイオリン店のアルバイトを経て音楽マネージメントに勤務。多くの音楽家と日本全国を旅するなか1989年クルト・レーデル氏と知り合う。
1990年レーデル氏を音楽監督に迎え、 日独楽友協会 を発足させる。
レーデル氏の指導を受けつつ氏のアシスタントとして、当初はアマチュアメンバー中心のオーケストラであった日独楽友協会の指揮者を務める。
1991年、企業メセナ協議会事務局勤務。アートマネージメント講座設立準備委員会に加わり、自らも慶応大学のアートマネージメント講座を聴講。イギリスのアーツ・カウンシルやドイツのクルトゥアクライスなど芸術支援、メセナ関係の機関を訪問、シンポジウムなどにも参加、ヨーロッパにおける芸術支援のあり方を学ぶ。
メセナ協議会を退職後レーデル氏の講習会でアシスタント、通訳を務めるなど多くの講座、講習会、音楽会を日本、オーストリア、ドイツ、ハンガリー、チェコなどで開催。
1994年~1997年高崎芸術短期大学(現創造学園大学)専任講師。
1996年からミュンヘン、ヘルクレスザールでのブルックナー交響曲第5番など、日独両国のメンバーによるアマチュアオーケストラを多数指揮する傍ら、ドイツやオーストリアの音大で学んだ若手日本人音楽家によるオーケストラ「シンフォニッシェ・アカデミー」を組織。バイエルン放送交響楽団やミュンヘンフィルのメンバーを多数共演者に迎えて日本とドイツの各地で演奏会を行う。
2000年~2002年ハンガリー・ブダペストの「エルヌ・ドホナーニ交響楽団」客演指揮者、音楽監督ガボール・ホレルンクの助手を務める。ヴィガド(ペスターレドゥーテンザール)でのマーラーの交響曲第4番、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベートーヴェンの交響曲第4番、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:レンドヴァイ)ショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲第2番(ピアノ:キーライ・チャバ)など数多くの演奏会を指揮。
2002年~2007年モラヴィア・フィルハーモニー管弦楽団(チェコ共和国)の客演指揮者として、ヴォルフの交響詩「ペンテジレア」、ブルックナーの交響曲第3番、第5番、6番など数多くの演奏会を指揮する。
2000年以来新国立劇場劇場、さいたま芸術劇場などで「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク)、「ナクソス島のアリアドネ」(R.シュトラウス)など数多くのオペラを指揮。2003年にはイラク戦争に反対してチャリティ・オペラ、ペーター・コルネリウス「バグダッドの理髪師」を日本初演。(演奏会形式)
ドレスデン国立管弦楽団主席トロンボーン奏者アロイス・バンブーラ氏の門を叩き、2年半に渡って毎週レッスンに通う。バンブーラ氏を通じ指揮者のヘルベルト・ケーゲル氏(ドレスデン・フィル音楽監督)やピアニストのアマデウス・ヴェーバージンケ氏など多くの人脈を得る。
1983年からヘルベルト・ケーゲル氏に指揮の手ほどきを受ける。1985年渡欧。ミュンヘン・フィル主席トロンボーン奏者ダンクヴァルト・シュミット氏の指導を受けた後、ウィーン国立音楽大学に入学。ウィーン交響楽団主席トロンボーン奏者ヨハン・ペットラー氏に師事。2年間にわたりウィーン音大指揮科のオーケストラ(ウィーン・プロアルテ管弦楽団)でトロンボーンを演奏する傍らカール・エステルライヒャー、オトマール・スイトナー両氏の指揮の授業を聴講。
1987年帰国、ヴァイオリン店のアルバイトを経て音楽マネージメントに勤務。多くの音楽家と日本全国を旅するなか1989年クルト・レーデル氏と知り合う。
1990年レーデル氏を音楽監督に迎え、 日独楽友協会 を発足させる。
レーデル氏の指導を受けつつ氏のアシスタントとして、当初はアマチュアメンバー中心のオーケストラであった日独楽友協会の指揮者を務める。
1991年、企業メセナ協議会事務局勤務。アートマネージメント講座設立準備委員会に加わり、自らも慶応大学のアートマネージメント講座を聴講。イギリスのアーツ・カウンシルやドイツのクルトゥアクライスなど芸術支援、メセナ関係の機関を訪問、シンポジウムなどにも参加、ヨーロッパにおける芸術支援のあり方を学ぶ。
メセナ協議会を退職後レーデル氏の講習会でアシスタント、通訳を務めるなど多くの講座、講習会、音楽会を日本、オーストリア、ドイツ、ハンガリー、チェコなどで開催。
1994年~1997年高崎芸術短期大学(現創造学園大学)専任講師。
1996年からミュンヘン、ヘルクレスザールでのブルックナー交響曲第5番など、日独両国のメンバーによるアマチュアオーケストラを多数指揮する傍ら、ドイツやオーストリアの音大で学んだ若手日本人音楽家によるオーケストラ「シンフォニッシェ・アカデミー」を組織。バイエルン放送交響楽団やミュンヘンフィルのメンバーを多数共演者に迎えて日本とドイツの各地で演奏会を行う。
2000年~2002年ハンガリー・ブダペストの「エルヌ・ドホナーニ交響楽団」客演指揮者、音楽監督ガボール・ホレルンクの助手を務める。ヴィガド(ペスターレドゥーテンザール)でのマーラーの交響曲第4番、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベートーヴェンの交響曲第4番、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:レンドヴァイ)ショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲第2番(ピアノ:キーライ・チャバ)など数多くの演奏会を指揮。
2002年~2007年モラヴィア・フィルハーモニー管弦楽団(チェコ共和国)の客演指揮者として、ヴォルフの交響詩「ペンテジレア」、ブルックナーの交響曲第3番、第5番、6番など数多くの演奏会を指揮する。
2000年以来新国立劇場劇場、さいたま芸術劇場などで「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク)、「ナクソス島のアリアドネ」(R.シュトラウス)など数多くのオペラを指揮。2003年にはイラク戦争に反対してチャリティ・オペラ、ペーター・コルネリウス「バグダッドの理髪師」を日本初演。(演奏会形式)
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