プロフィール・バイオグラフィ・リンク
RIO
小学生の頃から友達を集めては舞台の創作や8ミリビデオで自主映画(?)を撮ったり、表現することに大きな興味を持っていた。 やがてX JAPANに衝撃を受けバンド活動を始める。
中学に入ると小室哲哉のコンピューター音楽に強い影響を受け、より幅広い音楽知識を身に付けるため、高校は音楽科に進みクラッシックにのめり込む。 日本の音楽教育に限界を感じアメリカにおける個人を尊重する音楽教育に心を傾けVirginia州にある芸術大学に留学し作曲を学び、その後ミュージカルにも興味を持ち時々New Yorkのブロ-ドウェイに通う。音楽に加えダンス、アートストーリーを持った総合芸術に目覚め、世界に目を向けた彼は、文化とその国に生きる人を知るために中国、インドネシア、キューバ、カナダ、イギリス等、旅を繰り返す。
JUNO
両親がチャゲ&飛鳥のファンだったことから「一人咲き」を胎教として耳にし音楽人生(?)をスタートさせる。姉の影響で4歳でピアノを始め、音楽教室の先生の影響で“「音楽」は楽しむもの”という原点を身に付け、その後、ドラム、お琴、演歌と様々な音楽に触れていく。8歳の時にはすでに作詞作曲を始めていた。中学では小室哲哉の音楽に影響を受け、高校に入るとコピーバンドを始め、音楽漬けの毎日となる。大阪音楽大学声楽科に進学していたJUNOは、友達からボーカルを探しているというL.A在住のRioを紹介され、とりあえず曲を送ってもらい歌った。RIOの曲を歌ってみることにより、彼の音楽的、人間的な部分に共感を覚え「一度会ってみなければ・・・」と気持ちを掻き立てられ、同年3月、母と出かけたロサンゼルス旅行の最中初めてRIOと会い、意気投合した二人はまた日本での再会を約束した。
TAICHI
よく父親の車の中で流れる山本達彦、井上陽水らの曲に合わせてリズムを取っていた。中学のときギターに興味をもつが、「指が痛い」「なかなか上手くならない」を理由に興味が薄れ、やがてドラムに没頭するようになる。夕方5時~翌朝まで近所の苦情もお構いなしに毎日練習していた。19歳のときにチャンスは訪れた。当時、一年前に結成したブリティッシュポップバンド「CHOCO」はレーベルと契約、CDをリリース、インディーズシーンではあるがそれなりの認知を得、LIVEツアーに明け暮れる毎日だった。ところがその頃からTAICHIの中で「自分は海外で認められるか?」と疑問を抱くようになり、そしてバンドという音楽形体そのものに生き詰まりを感じ、21歳で脱退、L.Aの音楽学校に留学しそこでRIOと出会う。NAGISA地元名古屋でダンスの勉強をしていた。彼女も他のメンバーと同様、アメリカという地に目を向け、単身New Yorkに渡り、本格的(かなり)にダンスを学ぶ。その後、L.Aでのダンスシーンに興味を抱き、活動の場所をL.Aに移し、本格的にエージェント契約に至るまでになり、アメリカにおいて“プロ”と呼ばれるダンサーの地位を得ることになる。小さい頃から歌うことにも長けていただけに、RIO, JUNOと出逢い、当然の如く、SaGaの音楽性、TAICHIを含めたメンバーの人間性にも惚れ、コレオグラファーとしての才能をSaGaで発揮すべく、何の迷いもなく正式メンバーとして加わることを決意した。
小学生の頃から友達を集めては舞台の創作や8ミリビデオで自主映画(?)を撮ったり、表現することに大きな興味を持っていた。 やがてX JAPANに衝撃を受けバンド活動を始める。
中学に入ると小室哲哉のコンピューター音楽に強い影響を受け、より幅広い音楽知識を身に付けるため、高校は音楽科に進みクラッシックにのめり込む。 日本の音楽教育に限界を感じアメリカにおける個人を尊重する音楽教育に心を傾けVirginia州にある芸術大学に留学し作曲を学び、その後ミュージカルにも興味を持ち時々New Yorkのブロ-ドウェイに通う。音楽に加えダンス、アートストーリーを持った総合芸術に目覚め、世界に目を向けた彼は、文化とその国に生きる人を知るために中国、インドネシア、キューバ、カナダ、イギリス等、旅を繰り返す。
JUNO
両親がチャゲ&飛鳥のファンだったことから「一人咲き」を胎教として耳にし音楽人生(?)をスタートさせる。姉の影響で4歳でピアノを始め、音楽教室の先生の影響で“「音楽」は楽しむもの”という原点を身に付け、その後、ドラム、お琴、演歌と様々な音楽に触れていく。8歳の時にはすでに作詞作曲を始めていた。中学では小室哲哉の音楽に影響を受け、高校に入るとコピーバンドを始め、音楽漬けの毎日となる。大阪音楽大学声楽科に進学していたJUNOは、友達からボーカルを探しているというL.A在住のRioを紹介され、とりあえず曲を送ってもらい歌った。RIOの曲を歌ってみることにより、彼の音楽的、人間的な部分に共感を覚え「一度会ってみなければ・・・」と気持ちを掻き立てられ、同年3月、母と出かけたロサンゼルス旅行の最中初めてRIOと会い、意気投合した二人はまた日本での再会を約束した。
TAICHI
よく父親の車の中で流れる山本達彦、井上陽水らの曲に合わせてリズムを取っていた。中学のときギターに興味をもつが、「指が痛い」「なかなか上手くならない」を理由に興味が薄れ、やがてドラムに没頭するようになる。夕方5時~翌朝まで近所の苦情もお構いなしに毎日練習していた。19歳のときにチャンスは訪れた。当時、一年前に結成したブリティッシュポップバンド「CHOCO」はレーベルと契約、CDをリリース、インディーズシーンではあるがそれなりの認知を得、LIVEツアーに明け暮れる毎日だった。ところがその頃からTAICHIの中で「自分は海外で認められるか?」と疑問を抱くようになり、そしてバンドという音楽形体そのものに生き詰まりを感じ、21歳で脱退、L.Aの音楽学校に留学しそこでRIOと出会う。NAGISA地元名古屋でダンスの勉強をしていた。彼女も他のメンバーと同様、アメリカという地に目を向け、単身New Yorkに渡り、本格的(かなり)にダンスを学ぶ。その後、L.Aでのダンスシーンに興味を抱き、活動の場所をL.Aに移し、本格的にエージェント契約に至るまでになり、アメリカにおいて“プロ”と呼ばれるダンサーの地位を得ることになる。小さい頃から歌うことにも長けていただけに、RIO, JUNOと出逢い、当然の如く、SaGaの音楽性、TAICHIを含めたメンバーの人間性にも惚れ、コレオグラファーとしての才能をSaGaで発揮すべく、何の迷いもなく正式メンバーとして加わることを決意した。
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