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キングギドラ(ジブラ/K ダブシャイン/DJ オアシス)が日本のヒップホップ・シーンに大きな影響を与えたことは間違いない。
だが、現在のこの復活フィーバーの中、実際に彼らが及ぼした影響の中身について、具体的に言及しているものは意外に少ない。酷いものになると、「彼らがいなかったら日本語ラップはなかった」と言い切るものまでいるが、それは正確ではなく、歴史修正主義的ですらあるし、しかもあまりに漠然としすぎている。
キングギドラの功績やその偉大さをより実感するためにも、彼らがシーンに一体何をもたらしたか、今一度整理しておく必要があるだろう。
まず、よく言われることだが、日本語でいかに格好良いラップをするか、その方法論は彼らが確立したと言っていい。本来、英語の文法で形作られたラップを、根本的に構造の異なる日本語で、いかに“格好良く”表現するのか。しかも、ストリート文化の証明たる話し言葉を駆使して、だ。
それまでの日本語ラップは、特にこの“話し言葉”の縛りが大きく、そこに幾ばくかの無理が生じたため、おのずとそれを“ユーモア”に転化するか、あるいはそのイビツさ自体を魅力にしてしまうか、しかなかった(あとは「日本語をいかに英語的に変化させるか」だ)。
しかしジブラとK ダブシャインは英語が堪能ゆえ、“本場”のラップの歌詞も完璧に把握していることから、そうしたシーンの現状に飽きたらず、自分達の方法論を模索していった。
その結果が、口語体にそれほど拘らず、倒置法や熟語を多用し、その分、格段にタイトなライミングをすること、であった。
こうして生み出された彼らのラップは際立って独自性があり、しかもそれが明確に「ライミング」という手法を主張するものだったため、当時のMC達や若いリスナー達に多大なショックを与え、以後、キングギドラの方法論は日本語ラップのスタンダードとなり、ひとつのスタイルとして定着したのである。
しかし、キングギドラの功績はそれだけはない。更にもう一つの功績は──そしてこちらの方が今となっては重要かも知れないが──“日本語ラップへのファンタジーの注入”である。
開発されたばかりの新しいライミングの技術を用いて、いざ“何を歌う”か? そうした時に、例えばK ダブシャインはポリティカルなメッセージや“ストリート”の現実を意識的に取り上げ、ジブラは時にサイエンティフィックな比喩やファンタジックなイメージを駆使し、歌詞の内容面でも、彼らは独自の“格好良さ”を追求していったのである。
そして、その“格好良さ”はあくまで“ストリート”の視点に基づいたもので……というより、それを強固に主張することで、その“ストリート”はある種のフィクションとして、日本各地のキッズ達に機能していったのである。
分かりやすく説明するために、彼らの復活作である2枚のシングル収録曲「ドライブバイ」と「F.F.B.」を例に挙げよう。前者のタイトルはもともと米国のスラングで“車を使った銃による襲撃”という意味だが、これを彼らはラップ・ゲームにおける攻撃に置き換え、フックでこう連呼している。<ニセもん野郎にホモ野郎/一発で仕留める言葉のドライブバイ/Yo コイツ殺ってもいいか?/奴の命奪ってもいいか?>。
また、「F.F.B.」というタイトルはズバリ「ファースト・フード・ビッチ」であり、どちらにせよ、お世辞にも社会良識から歓迎されるものではなく、しかしそれこそが現在アメリカで主流の“ヒップホップのイメージ”を正確にトレースしている、とも言える。制作費も大量に使われているのであろう、豪華なPVもそれに追い打ちをかける。
こうしてまた、彼らはヒップホップのワールド・タイムと歩調を合わせ、それを日本に翻訳し、ヒップホップを啓蒙する役割を担っているのだ。
彼らは方法論でもメッセージ性でも、常に良き“翻訳者”であった。そして、そうであるために必要なのは、上からものを言う隠遁者の態度ではなく、現役として一目置かれるに足るフレッシュな存在感である。
キングギドラは活動休止後も(それまでは一歩引いていたDJオアシスまで含めて)活発に活動を続け、常に現役のアーティストして、シーンにアクセスし続けた。
よって、僕などは、彼らがただ「キングギドラ」として復活することにあまりニュース・バリューは感じない。
彼らは常にシーンにいたし、そしてまた、このキングギドラの新作も、昔の名声に寄りかかることのない、極めて現代的な作品だからだ。
文●古川 耕
| ご存じの通り、この2枚のシングルは、2002年4月現在出荷停止となり、店頭へ置かれたCDも全て回収された。
「UNSTOPPABLE」及び「F.F.B.」に収録されている楽曲「ドライブバイ」「F.F.B.」に関し、同性愛者やHIV感染者の方々に対する不適切な表現が含まれているとの一部の方々からの指摘から、急遽改めてその歌詞の内容が検討された。メンバーに悪意は決してなかったとはいえ、結果的には、同性愛者やHIV感染者の方々に不快な思いをさせかねない歌詞が一部含まれているとの判断からの回収である。
上記原稿は、問題発生前に執筆されたものであるが、彼らの持つエネルギーと類い希なる才…そして本質的な存在意義を伝えんがための内容に、奇しくもその歌詞が引用されている。
問題となった歌詞の内容に関しては一般市場を流れる商品として“改善されるべきもの”であるという意見にバークス編集部も異論はない。
その上で、音楽メディアとして彼らを見つめ、現在の音楽シーンの一端を鑑みた時、ミュージシャン/アーティストとしての彼らと、その影響力を多くの音楽ファンへ伝えることを“是”と考え、上記原稿に修正を加えることなく掲載することとしたい。 |
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