【対談】相川七瀬 vs 織田哲郎トークセッション「30年越しの答え合わせ」

4月12日、LuckyFM茨城放送にて相川七瀬の30周年を記念した特別番組「相川七瀬30th Anniversary Special~プロデューサー織田哲郎と語るROCKの原点と、その先へ~」が放送された(https://radiko.jp/share/?sid=IBS&t=20260412100000)。
そのタイトル通り、相川七瀬と話を繰り出すのは、1995年のデビューから30年、その活動の歴史の中でデビューのきっかけからヒット曲の誕生、音楽的熟成からアーティストとして歩むべき道を示し、相川七瀬とともに時代を創りマニアックながらもポピュラリティあふれる作品の数々で世にロックを提示してきた織田哲郎、そのひとだ。
相川七瀬というロックアイコンをあらゆる角度からサポートし、音楽的にも精神的にも相川七瀬を支えてきた織田哲郎は、ある時は親のような目線で、ある時は同士のような眼差しで、そしてある時は厳しく結論を下すプロデューサーの視線で相川七瀬を見守ってきた。
番組に登場するのは相川七瀬と織田哲郎のふたりのみ。司会役も進行役も不在だ。ここでは、初めてふたりが出会った時から、ヒットを連発し時代を駆け抜けた当時の知られざる舞台裏まで、当時の熱量そのままに語り合い、これまでの歩みとその先に見据えるロックな未来が語られている。

相川七瀬:「30年経った今、デビュー当時の自分に声をかけるなら?」…そうね、デビュー当時というか20代の自分に声をかけてあげたいなと思うのは「心配しなくても、20年後も歌っているんだよ」ってこと。「大丈夫、歌っているから」って言ってあげたい。だって30年ってすごく重いじゃないですか。
織田哲郎:そりゃ重いよ。30年後なんて考えたことなかったからね。
相川七瀬:織田さんと最初に会った中学生の時とか30年後なんて全然だし、デビューをした年も「とにかく3年頑張ろう」「5年頑張ろう」みたいな、長期というより中~長期な目標を掲げていたから、20周年を迎えた時も感慨深かったんですけど、30年って重たいなぁって思いますね。
織田哲郎:やっぱりね、30周年を歌っている状態で迎えられること自体がすごいことなんだよ。
相川七瀬:20年経った時に、「やっと自分も1人前になった」ような「ここからまたスタートできる」ような、なんか成人式を迎えたような気持ちだったんですけど、30年って三十路なわけでね、歌手としてもちゃんと中堅じゃないですか。大御所じゃないけど、30年を細く長くやってこれてすごいことだなって思ってますね。
織田哲郎:相川の場合はさ、歌っているということもあるけど、この30年で子供も育て大学にも行き、しまいには大学院まで行ってね、要するにこの30年で手に入れると思ったものは取りこぼさず手に入れてきたすげえやつ(笑)。
相川七瀬:そんな(笑)、でもここ数年は、3人分ぐらいの人生を生きている感はあります(笑)。
織田哲郎:でかいライブの日と学会が重なるのはやめて(笑)。もうドキドキしちゃうからさ。

相川七瀬:でもほんと感慨深くて、國學院からタクシーに乗ってLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)に行く道を見てて「30年後にこんな未来があるって、私思ってた?」って。
織田哲郎:思うわけないよね。大体あの頃の相川が勉強するとは思わないから(笑)。
相川七瀬:ほんとですよ。勉強から遠いところにいたから。でも2025年11月8日っていう日(30周年記念ライブ<相川七瀬 30th Anniversary Live -BIG BANG->当日)に学会が重なるって「また私の人生面白いな」って思いながら会場に入ったんですよね。初めて会った時は私も子供…14歳だったから。
織田哲郎:まだ中学生だもんな。
相川七瀬:多分私は、親よりも織田さんといた時間の方が長いと思いますね。もう幼少期から知っている感じで。
織田哲郎:すっかり親戚のおじちゃんだからね。最初に会った時は、本当にちゃんと子供だったよ(笑)。
相川七瀬:今の私の娘と同い年ぐらいだから。
織田哲郎:そうだね。で、中3の時はガリガリだったんだよね。
相川七瀬:ガリガリでした。で、スカウトに来てくれた時には、ちょっとふっくらしてたから「おーい、急にどうした?」って言われて(笑)。
織田哲郎:その時に相川が「今、楽しく高校生活を送っているから、もう歌はやりたくない」って話してね、「あ、幸せそうだもんな」って思ったわけよ。
相川七瀬:来てもらったのに、生意気にも断ったという(笑)。私は決心がないと前に進めないから。でも決心したら、てこでも動かない決心があるから。そういう意味では、高校が楽しいから歌はできないって言ったけど、織田さんに来てもらったそのプロセスは大事だったんだと思います。織田さん、あの頃30代ですよね?
織田哲郎:うん、30代前半だよ。今考えると意外に若いよ。

相川七瀬:若いですよね。私デビューして、織田さんの青春を全部もらった感じありますよね(笑)。
織田哲郎:もう本当にね(笑)、結構注いだね。
相川七瀬:織田さんの残り少ない青春を私が全部いただき、もう「エレキを弾きたくない」って思わせるぐらいまで弾かせたっていう(笑)。
織田哲郎:俺さ、どっちかっていうとアコースティックが好きなのよ。ロックはロックで好きだけど、自分が聴くのは生のオーケストラとかそういうのも好きだから。ただ相川に関しては、デジタル文化とかサンプリングとか、新しいものを使って人の耳に引っかかることをやろうとガンガン行っていたじゃない?もう刺激の強いもの強いものを。
相川七瀬:で、刺激の強いものを求めた結果、刺激の強い子ができちゃったってやつでしょ(笑)。私のこの感じは織田さんの責任でもあるんですよ。私をこういう風に育てたのは織田さんなんです。

織田哲郎:違う違う、んなことねえよ(笑)。でもそれはさ、あの時にいろんな曲を歌ってみて、歌ったものを聴いて、人間を見て、色々やっているうちに、だんだん「こういうのがいいんじゃないかな」っていうふうに、俺の中で固めていったんだよな。
相川七瀬:私、ちょっと聞いてみたかったんですけど、「織田さんがやってみたかった世界観」というのは、私の音楽に投影されていたりするんですか?それはまた別?
織田哲郎:いや、だから俺のやってみたかったことだよ。
相川七瀬:自分がボーカリストとしてやれたら面白いなっていう世界観もありますか?
織田哲郎:いや、それはないね。俺が歌ってもしょうがないなってものだから。あのね、俺はいろんな音楽が好きで、実際いろんな音楽を作ってきているけど、俺の歌は俺の歌の個性があっちゃうから、この歌でやっても合わない音ってあるわけだよ。そういう意味で俺がやってもしょうがないけど、こういう音楽好きなんだよなってものを相川にどんどんぶち込んだわけだ。
相川七瀬:何年か前に、織田さんのたくさんあるストック曲を聴く会というのを豚乙女のコンプさんと3人でやらせていただきまして、そしたら、ミリオンソングの名曲の欠片たちがぶわーっていっぱいあるわけ。「これ知ってる」「これは○○になったんだ」とかいっぱいあって、私の「恋心」の大元とかもうお宝ストックですよ。もうびっくりで、「出てないやつは出した方がいいですよ」って言うんですけど、「お前はそうやって言うけど、そうじゃないんだよ」って言われるんですよね。
織田哲郎:(笑)俺は「これが完成形」となったものだけ人に届けばいいと思っているんだよ。
相川七瀬:17歳の時に「恋心」のデモテープをもらったじゃないですか。あのデモテープから「恋心」ってちょっと変わったと思うんです。でもデモストックを聴いた時に、織田さんの中にあのメロディーがずっとそこにあったからこそ、あの「恋心」になったんだなって思ったんですよね。私は、最初に「恋心」をもらって、その次「バイバイ。」で、その次が「夢見る少女じゃいられない」だったんです。だから私は、順番的にどちらかというと「バイバイ。」がデビュー曲になるのかなって思っていたんです。最初はそう思ってましたよね?
織田哲郎:そうだね。結局「バイバイ。」ってさ、俺の中には「相川七瀬」プロデュースで掲げていたテーマがあって、それは「バーチャルロック」だったわけよ。そんな言葉は世の中にないんだけど、結局あれからちょっと経ってデジロックになってきた。それまでロックというのは人が集まってバンドで演っていたものだけど、その空気感ごとサンプリングして、実際「バイバイ。」にしても「夢見る少女じゃいられない」にしても、いろんなライブバージョンの音源をサンプリングして作っているよね。だからどっちかっていうと、考え方としてはヒップホップなんだよ。ヒップホップっていうものは、変な言い方すれば「バーチャルファンク」として空気感をサンプリングしてくる。それをロックでやろうとしていたみたいなことだったんだよ。でね、そういう考え方として1番尖っていたのが「バイバイ。」だったの。だからイギリスあたりで注目されて、カバーされたりもしたわけだけど、やっぱり日本ではあんまり受けなかったな(笑)。
相川七瀬:でも私のファンの人は、「バイバイ。」の根強いファンがいて、「あれ歌ってくれないな」って言われる。
織田哲郎:あれ、あんまり演んないよな。
相川七瀬:…大変なんですよ(笑)。
織田哲郎:そうだね、詰め込んでいるからね。
相川七瀬:うちの娘はまだ中学生ですけど、私の曲で「バイバイ。」が1番好きって。その次は「Bad Girls」って。
織田哲郎:通だね。なかなか渋いとこ突くね。
相川七瀬:次のツアーでは絶対「バイバイ。」を歌ってほしいって。これはみんな思っているところなのかなって思ってます。この前、パーティーでばったりMAXの4人に会って、久しぶりにみんなで超盛り上がったんですけど、1990年代って私達…PUFFYもそうですしhitomiちゃんだったりEvery Little Thingだったり、もちろんMAXも、あと西川貴教くんとかみんな頑張ってて、1990年代を一緒に駆け抜けた人たちってみんな精力的に動いているから「またみんなで一緒にやれたらいいね」って話をしていたんです。1990年代ってプロデューサー・ブームだったじゃないですか。織田さんもそうだし、小室哲哉さんだったり小林武史さんとかいろんなプロデューサーが出てきて音楽シーンを牽引していたと思うんです。織田さんはBeingでも数々のヒット曲を手掛けながら私のプロデュースもやってくれて、どうでした?やっぱり忙しかったですか?

織田哲郎:あのね、俺、プロデュースって向いてないの(笑)。例えば小室くんは、作る時に「松竹梅ありますよ」っていう話をテレビでもしていたけど、俺はそれができないのよ。もう「全部最高だ」って思えるとこまでやらないと気が済まなくなっちゃうから無理なんだって。1回それで20代の時に懲りたの。色々プロデュースをしまくって忙しかったのが29歳の時なんだけど、その時ほんとにもう無理だと思って。Beingと仕事をしていた頃って、「これはやるよ」って言ったものは全面的に関わってアレンジもするけど、基本は曲だけ提供するというものをどんどん増やしたんだよ。
相川七瀬:そうなんですね。
織田哲郎:プロデュースって言っても、それがどういう仕事なのか分かりづらいところがあって、小室くんなんかが代表的なプロデューサーだと思うと、作詞・作曲とかアレンジとか全部する人だって思う人が多いけど、本当はそうじゃないんだよ。そういう作業は全部人に任せて音楽を監督するだけの人もプロデューサーとしてあり得るわけで、色々な形があるんだよ。で、相川に関しては全部やらないと気が済まなくなっちゃって、しまいにはミュージック・ビデオの監督までやって。
相川七瀬:「夢見る少女じゃいられない」は織田さん直々にカメラを回してますから(笑)。あれ、当時のマネージャーさんと織田さんと私の3人で夜に撮ったでしょ?警察の人にちょっと怪しまれたっていう思い出がありますよね。
織田哲郎:結局ね、ある意味「切り上げる能力」がないとチーム長としての仕事ってできないんだよ。俺、ダメなの。俺はあくまで研究室長みたいなことしかできないタイプの人間だから。
相川七瀬:織田さんは自分のアルバムも納得いくまでやらなきゃいけないから(笑)。
織田哲郎:でね、研究しているだけで気がすんじゃうのよ。「こうやったらこうなるんだ」という研究成果で満足しちゃったりする。
相川七瀬:だから何十年もアルバムが出てない(笑)。いやそのこだわりがすごくて「夢見る少女じゃいられない」でもマスタリングを何回も直してませんでした?
織田哲郎:マスタリングもそうだけど、まずレコーディング自体もいろんなパターン試して試して、マイクも変えてオケも色々試して、しまいには歌詞も100人ぐらいの人に書いてもらった気が…。
相川七瀬:ほんとそうなんですよ。そのうちのひとりにたまにお会いすると「あの時「夢見る少女じゃいられない」の歌詞、俺も書いたんだよ」って言われる。なんかすみませんでしたって。

織田哲郎:いや、ほんとにね、みんなすみませんでしたって感じだったね。だからそうやって俺が全部にこだわり出していたら絶対無理だってわかっていたから、せめて詞は人に任せたいって思って。
相川七瀬:でも織田さんは、「これは、“夢見る少女じゃいられない”みたいな感じなんだ」って最初から言っていたんですよ。
織田哲郎:テーマは最初からそこだったから。
相川七瀬:自分で言っているんだから、本当は最初から自分で歌詞を書けばよかったですね(笑)。そういうことじゃない?
織田哲郎:俺の中で最初からそういうテーマだったんだよ。あの当時の世の中が「希望的なもの一色」だったのがイヤだったんだよ。相川が登場してくるにあたって、もっとダークなとこへ行きたいというか、「“夢見たら叶うよ”みたいなことばっかり言ってんじゃねえよ」っていうさ、そういう夢ばっかり見ててもダメなんだよというリアルなものを感じさせたいんだっていう話をしていたよね。ただ、最後のサビの歌詞をそのまま「夢見る少女じゃいられない」でいいのかどうかは、俺もよくわからなかった。しまいにゃそうしちゃったけどさ、相川もそれはイヤだったんだろ?
相川七瀬:だって、その前の違うバージョンをマネージャーと聴いて「かっこいい歌詞になったな。“一生一度のCrazy love”」「かっこいいね」って言ってて、なかなかいいじゃないかって思っていたんですけど、「織田さん、変えるらしい」「え。何で?」「あそこ、“夢見る少女じゃいられない”らしいよ」「えー…、まじ?大丈夫かな」って。でもこれはもう、織田さんがそう言っているんだから、織田さんを信じて「夢見る少女じゃいられない」でいくんだと。
織田哲郎:ま、でもね、あの時の俺って、ホントにいい度胸していたなと思うよ(笑)。「夢見る少女じゃいられない」って歌詞に、みんなが「んー…」って首をひねっている感じは俺も分かっていたし、で、シングルのジャケットも暗いじゃない?
相川七瀬:あれも何回も撮り直したんですよ。カメラマンさんも何人も換えて、やっとあれに行き着いた。ジャケットも散々撮りましたよ。

織田哲郎:あれもさ、散々撮った挙句に「なんか薄暗い、これなの?」っていうのを、みんな思っている感はひしひしとあってさ、あらゆることに関して全然賛同してくれていない感はものすごく伝わっていたんだよ。だけど俺の中では、世の中がこうであることに対しての「相川が出るポジションはここだ」っていうのは最初から決めていたから、そのビジョンとしてのジャケットだったり歌詞がきちんとあったから。だけど、今の俺だったら、あんなに誰も賛成してない感がひしひし来たらやれないな(笑)。
相川七瀬:私は織田さんのこのギリギリを攻めてくるっていうのは「満月にSHOUT!」(2015年8月26日発売)でも感じましたよ。あのとき私は「“満月にSHOUT!”ってホントに大丈夫?」って思ってて、タイトルは「満月にSHOUT!」と「SHOUT!」とで揉めたんですよ。私は「“満月に”は要らないんじゃないですか?“SHOUT!”でいいんじゃないですか?」って言っていたんですけど、でも織田さんは「いや、“満月に”が付かないとダメだ。“満月にSHOUT!”だ」って。これも「夢見る少女じゃいられない」の時と全く同じだわって思った。
織田哲郎:ははは(笑)。
相川七瀬:あの頃の制作の苦悩というものも、私はもう大分消化して『paradox』(1997年7月2日発売2ndアルバム)も『crimson』(1998年7月8日発売3rdアルバム)も愛おしく聴けるようになりました。10年前の20周年時は「まだちょっと痛いね」ってふたりとも言ってたの。『paradox』を聴くとなんかぎゅって胸が苦しくなるような感じあるよね、なんて言ってた。けど、私もその傷は癒えて、なかなかちゃんといいものは作っていたって思えた。
織田哲郎:そうそう、結果いいものを作っているんだよ。
相川七瀬:でもあの頃は必死で、今でも覚えてますけど、締め切りに間に合わなくて、織田さんが電話をくれて「お前何やってんだ」「いや、ちょっと表参道で遊んでます」「お前バカか」って言われて(笑)。「お前ふざけんな。そんなことするのは10年早いんだぞ」「詞を書け」「すいません」って。
織田哲郎:締め切りすぎて、俺、多分ヒリヒリしてたんだろうな(笑)。
相川七瀬:もう織田さん家で合宿とかめっちゃやってましたもんね。
織田哲郎:そうだな。
相川七瀬:ふたりでマンガとか読んで「いい感じの言葉とかないかな」とかって受験勉強みたいにやってました。
織田哲郎:なんかいいインスピレーションを得られないか…ってな。だっていつも締め切りに追われていたもんな。
相川七瀬:あの頃って今みたいにスマホとかがあるわけでもないし、みんな音楽に対して「もっと欲しい」っていう気持ちがいっぱいあったじゃないですか。だから3ヶ月に1回シングルを出して1年に1枚必ずアルバムを出してツアーをやるみたいな、そういう時代だったから。
織田哲郎:ありがたいことに相川七瀬って面白いっていうことになったら、タイアップの話がいっぱい来たじゃない?で、それでまたスケジュールがどんどん繰り上がって早く作らなくちゃいけなくなった。
相川七瀬:15秒だけ作るとかね。こうやってCMソングというのが作られていくんだ、大人の世界っていうのはこういう世界なんだって子供ながらに思いましたけどね。でも、たくさんCMの歌も作らせてもらいましたね。自分が出たCMもたくさんあってYouTubeとかで目にすると懐かしいなとか思いますけど、記憶がないぐらい忙しかったし充実もありましたよね。
織田哲郎:そりゃそうだよ。
相川七瀬:織田さんの中では、相川七瀬のアルバムではどれが好きですか?
織田哲郎:うーん…それはなかなか難しい。完成度という面では『crimson』はとてもいいアルバムだと俺は思っている…けど、ただいろんなところが揺らいでいるっていうのかな。やっぱり『Red』(1996年7月3日発売1stアルバム)ってね、なんか青春を感じるんだよな。
相川七瀬:あれはなんで『Red』という名前をつけたんですか?
織田哲郎:ただのひらめきなんだよ。冴えてんだよ、あの頃の俺は(笑)。あのジャケットも俺がトリミングして作ったけど、イメージがあったんだよ。


相川七瀬:紙1枚にも超こだわって、「これじゃない」「これじゃない」みたいなことをスタジオでやっていたのをすごい覚えてますよ。すごい高い紙を選んでね。
織田哲郎:高い紙だったの?
相川七瀬:そう、レーベルのスタッフが「いやちょっとそれ、結構高い紙なんだよな…」って言ってて、私は「ほう、高い紙なんだ」って思ってた。当時そんなたくさん売れるなんて思ってないから、「20万枚くらい売れればいいなぁ」ってスタッフが横で言っていたのを覚えてますよ。
織田哲郎:ほうほう(笑)。
相川七瀬:そしたら、発売1週目でマネージャーから電話がかかってきて「相川、大変なことになったぞ」って。あの日の電話のこともすごく覚えてます。
織田哲郎:もうね、どこのレコード店にもものがないっていう結構な騒動になったわけ。
相川七瀬:自分がいつも行っているレコード屋さんで、私のCDどうなんだろうってちらっとみたら「相川七瀬・完売」「入荷の見通しはありません」って。お、すごい、ほんとにないんだと思ったんですよ。
織田哲郎:なかなか見たことないような勢いだったんですよ。
相川七瀬:そうですね…ありがたいことです。
織田哲郎:あれはね、実際面白い事態だった。俺はシングルじゃなくてアルバムが売れればいいって思っていたから。
相川七瀬:それ、ずっと言ってましたもんね。勝負するのはアルバムであって、俺らが目指してるのはゴールドディスク大賞だみたいなことをね(笑)。

織田哲郎:だから、そういう意味じゃ「バイバイ。」が売れなくても不安にはならなかったんだよ。「夢見る少女じゃいられない」を出して「バイバイ。」を出して、「LIKE A HARD RAIN」もそんなにランキングは上まで上がっていないんだけど、その時にすごい勢いは感じたんだよ。「これ、キテるな」感はそこで感じて、アルバムの時には、相川七瀬のチャートの実績には表れていない「溜まってる運気」みたいなのがものすごい勢いで来てた。その時には1位になったシングルみたいな実績はないんだけど、一瞬でショップから消えて日本中どこにも『RED』がないって大騒ぎになったんだよ。とはいえ、最初から100万枚以上は刷っているんだけどさ。
相川七瀬:ほんとにすごい現象でしたよね。自分のことだけど自分のことじゃないみたいな感じでいるから、なんか不思議だった。生活も別に何も変わってない中で「ふーん」って。
織田哲郎:そりゃ不思議だよな。
相川七瀬:不思議だった。それよりも、自分の締め切りが迫っているっていう(笑)。でもね、それから30年経って、2025年に織田さんと一緒にブラジルに行かせていただきましたけど、ブラジルという遠い国で「夢見る少女じゃいられない」が定番曲として受け入れられてて。
織田哲郎:愛されているというのはすごいことだよね。
相川七瀬:そう。ブラジルの祭りダンスって面白いなと思ったのが、カラオケじゃなくて生演奏で歌うんですよね。で、踊る。だけど、私たちが来ちゃったもんだから踊るより私たちの動画を撮ってて、その時に踊れなかったフラストレーションをその後のいつものお祭りダンスで爆発させてて、すごい面白いなって思いましたよね。
織田哲郎:あれは面白かった。
相川七瀬:私は20何年か前に、ブラジルで盆踊りが熱くて、相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」でみんな踊っているみたいな番組をテレビで観て、日本の盆踊りとは全然違うねっていう話をスタジオで織田さんにしたんですよね。そしたら織田さんもそれを観ていて「すげえな、面白いな」「いつか行ってみたいよね」なんていう話をしたんですよね。それが2025年に叶ったっていう。
織田哲郎:俺はもう行かないけどね。もう無理。
相川七瀬:織田さんは飛行機が大嫌いだから。

織田哲郎:本当はどこでもドアさえあれば、世界中のいろんなとこに行ってみたい気持ちはすごく強いんだけど、飛行機の気圧がだめなんだな。あれ、身体がこたえるの。
相川七瀬:本当に嫌がるんですよ。沖縄以上遠いところには俺は行かないんだって。
織田哲郎:ほんとイヤ。長くても3時間。
相川七瀬:でもブラジルまで一緒に行けて、祭りダンスの発祥の地と言われてるロンドリーナという都市に行かしてもらって、ものすごく温かいおもてなしをいただいてね。ロンドリーナ史上最大の集客だったっていう3万人のお客さんの思いが全部込められたようなステージだったね。
織田哲郎:そうだね、いや本当に相川七瀬が愛されてるっていうのはすごく感じたよ。だからこれからも頑張って行け。俺は行かないけど(笑)。
相川七瀬:もうブラジルには連れていけないだろうなって思うけど、でも違う国はワンチャンあるかな。うまいこと騙したら連れていけるかも(笑)。
織田哲郎:こいつ、何かっていうと計画的に本気で俺を追い込もうとするから逃げられなくなる(笑)。
相川七瀬:このブラジルもね、まんまとはめたというかね、私の追い込み漁によって織田さんを捕獲したんですよ。
織田哲郎:長期計画で追い込まれるから。
相川七瀬:私の追い込み漁の成果によって、また2026年も夏から一緒にツアーをね、回らせていただけるということで(笑)。
織田哲郎:ちゃんと逃げ場をなくしてからやるよね。もうね、演りますよ。でも実際楽しいからね。あのバンドはいいバンドだよ。あれは演ってて楽しいわ。
相川七瀬:マーティ(・フリードマン)と織田さんがツインギターで並んでいるっていうのがね。気付けばマーティが私のバンドの一番古いメンバーになっていたんですよ。ZACKは10年目ぐらいになったんですけど、マーティは20年以上一緒に演っているから。
織田哲郎:長いよな。
相川七瀬:そうなんです。マーティが私のことを1番知っているメンバーになったんですよ。これ、すごいことでしょ。本当にすごいことだなと思って。また夏に一緒に回って、最後は久しぶりに武道館に行こうじゃないかっていうことで、自分的には不安もいっぱいですけど、でもやっぱ私は織田さんと武道館に行くっていうのが嬉しいんですよ。
織田哲郎:俺も感慨深いったらないよ。
相川七瀬:私の初めての武道館(1997年9月9日)、覚えてます?
織田哲郎:覚えてるよ。もうドキドキしちゃって、なんていうの?文化祭を見る親なんてもんじゃないわけでさ、いや俺もあの頃は相川にこうやれ頑張れってきついこと言っていたけどさ、正直、俺だったらちびっちゃうよなって思いながら見てたよ。だってさ、あれがほとんど初めてのツアーだったでしょ?
相川七瀬:私、ベルファーレで2曲歌ったことしかなかったんですよ。でも終わった後、織田さんがすごい喜んでくれて、なんかその時に「やりきれて良かったな」って思ったんです。その武道館にもう1回織田さんも一緒に戻れるというのはね、嬉しいなって思ってます。私ね、織田さんと2025年に一緒に作った「明日へ」って曲が、結構染みているんですよ。
織田哲郎:染みてるか(笑)。
相川七瀬:ほんと、いい曲。織田さんの曲は、昆布みたいにじわじわくるのよ。最初もいい曲って思っているけど、いい出汁が出てきちゃって。私のこれからの10年を支えるテーマソングなんですよね。
織田哲郎:そうね、あの曲はベネッセ高等学院の校歌だっていうのもあるけど、やっぱり相川が歌うのであれば、相川に効き目のある言葉を入れたろって思うよな(笑)。歌うって、人のためにも歌うけど、自分のためにも歌うっていうところがあるわけじゃない?
相川七瀬:あれはね、もう、私のこれからの道を支える曲かなって思いますね。
織田哲郎:よかった。
相川七瀬:なのでね、織田さん、もうわかってるでしょ?(笑)。私はここでやっぱりね、織田さんから新曲を取り立てないといけないかなって(笑)。「明日へ」は校歌だということもあって、爽やかで未来を感じさせる曲に仕上がっているんですけど、私が織田さんとやるならやっぱりロックが欲しいな…と。
織田哲郎:景気のいいやつね。
相川七瀬:そう。2026年は一緒にツアーも回るんで、夏までにはちょっといただきたいなっていうことで。
織田哲郎:いつもこうやってね、人が聞いているところで言質を取って追い詰めていくわけよ(笑)。
相川七瀬:いや、25周年の時は織田さんは「そうだなそうだな」って言って、結局書けなかったんですよ。
織田哲郎:そうだっけ。
相川七瀬:あ、もう忘れてる(笑)。もういい思い出になっちゃってる。ま、でも、しょうがないな、織田さんがステージに立ってくれるだけでいいなって、私は思っていたんです。けど、30周年ですからね、2025年も2026年も一緒に演ってて、そろそろ書いた方がいいな、っていう(笑)。
織田哲郎:書いた方がいいのは俺も認めるよ。それは認める。
相川七瀬:やっぱり命を削って、いい曲を、ね。
織田哲郎:もうね、ちょっと削ったら死んじゃうから。
相川七瀬:すぐそう言うんですけど、でも大丈夫です。新しい曲が間もなく誕生すると信じていますので、皆さん、お楽しみに。
織田哲郎:そうやって追い詰める(笑)。
相川七瀬:2026年夏からツアーが始まって、織田さんと一緒に回って11月のファイナルが日本武道館です。ぜひ皆さんも楽しみにしてください。

「相川七瀬30th Anniversary Special~プロデューサー織田哲郎と語るROCKの原点と、その先へ~」
2026年4月12日(日)10:00~10:55 LuckyFM茨城放送
出演:相川七瀬、織田哲郎
radiko https://radiko.jp/share/?sid=IBS&t=20260412100000






