【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話001「ぶっちゃけていこう」

ポスト


BARKSをスタートさせて丸24年が経過し、2024年4月から25周年の年に突入した。インターネットが当たり前になり、誰もがスマホを持ちSNSで発言できる環境になった。音楽はクラウドにアーカイブされ、古い曲も新しい曲もレジェンドも新人も同列に並び、ジャンル分けという概念も必要なくなった。

BARKSにとってはたったの24年だけれど、私にとって音楽業界は激動だった。いくつものエポックメイクな出来事が起こる中、たくさんのことを知り学び、そこには多くの気付きもあったけれど、摩訶不思議な体験やなるほどという知見はみんなと共有したほうが楽しいので、ここにぶっちゃけることにした。25thアニバーサリーだし。

よくある話ではないので「裏話」としたけれど、別に売名行為の暴露話でもないし、誰かを陥れるようなものでもない。笑って欲しい酒呑み話なんだけど、音楽業界人生の備忘録として、心に留めておいた色んな体験を棚卸しするというもの。エピソードの断捨離は、心のデトックスになるでしょうか。

ご挨拶はこれくらいにして、音楽サイトを立ち上げた2000年4月の話。まだ日本には音楽情報サイトがなかったので、右も左もわからない状況でスタートしたんだけど、その時は音楽業界にとってインターネットというのは「悪」だった。犯人はナップスター。ピア・トゥ・ピアを使ったファイル共有サービスで、音楽データが違法で出回り始めていたからだ。

その後winnyも出てきてさらに混乱を極めた。インターネットというものは「世界を変える画期的なテクノロジー」と確信して音楽雑誌からネットに身を移したのに、蓋を開いたら音楽業界の多くの人から「インターネットしね」という目で見られた。

音楽メディアとしてスタートを切ったものの、多くのレコード会社がインターネットに対して強い警戒心を持っていたので、公式見解としては厳しい塩対応を受けた。

とはいえ実のところ、レコード会社の現場の方々はみなBARKSにとても好意的で、たくさんの情報交換をしてくださった。インターネットがこれからの世界を変えることは明らかだったからだ。某アーティストのアー写が必要になり、それまでも懇意にしてもらっていた担当ディレクターに連絡をしたときの話だけど、「○○○のアー写が欲しいんですけど、送ってもらえますか?」「あのさぁ、からすくん…なんで真正面から問い合わせしちゃうのよ。会社の決まりでネットにアー写は渡せないの、分かるでしょ?連絡受けたら渡せませんって言うしかないんだから、そんな連絡しないでさ、うまくやってよ…」という回答だった。

ただ年月が経つにつれ、少しづつレコード会社の規定も緩くなってきた。「情報くらいは渡してもいいんじゃない?」「契約を都度交わせばアー写やジャケ写もお貸ししましょう」という具合だ。レコード会社によってその温度感はまちまちだったけれど、新進気鋭のレーベルのドリーミュージックは全面的にネットを活用する方針で、とても懇意にしてくれた。2003年のあるとき六本木のビルに呼ばれ「すごい新人の女の子がいるんですよ。これ聴いて下さい。ぶっ飛びますよ」「この声の低音、すごくないですか?」「声の伸び、最高でしょ?」と、できたてのデビュー楽曲の音源を壁がビリビリと震えるほどの大音量で聴かせてくれた。「いいでしょう?弊社のイチオシですので、BARKSさん協力お願いします」と熱量高く、様々な情報を寄せてくれた。平原綾香のデビュー曲「Jupiter」だ。


その後、ソニーミュージックからもプロモーションビデオの提供を受け、映像を高画質で配信し続けることになっていた。YouTubeのような動画配信サイトはないので、BARKSで動画サーバーを立て動画を配信し続けた。ブロードバンド時代到来と言われ、画素数は320×240を300kビット/秒で送るという最高品質(!)を誇るものだった。1作品預かるたびに1枚の覚書を交わしていたので、ソニーだけで電話帳を凌ぐ厚さになったけど。ほら、Z世代は電話帳と言っても分からない。ここにも時代の激しい変革を感じるわけです。

文◎BARKS 烏丸哲也

◆【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話まとめ
この記事をポスト

この記事の関連情報